サイト「Military-Page.de」におけるSA-80シリーズの説明

 L85A1やA2を含むSA-80シリーズの開発や問題点、改良などについて非常に詳しく解説されているページがあったので内容を紹介します。

http://www.military-page.de/waffen/sturm/sa80/sa80_01.htm

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ロイヤル オードナンス

SA-80銃器ファミリー

全般


 SA-80はストゥルムゲベールグループ内における革命的銃器ファミリーの名称である……少なくともこの銃の公式な説明文の冒頭によればそうである。L85はかなり以前からイギリス軍の制式ストゥルムゲベールであり、そこでは最初に挙げた名称SA-80の下に採用されている。だがこの申し立てがどういう点において本当に信じられるのかは疑わしいままである。SA-80において革命的なのはせいぜい、あまり普及していないブルパップデザインへの転換であるが、技術面あるいは信頼性に関してはそうではない。美化された説明文とは正反対に、SA-80は革命的銃器システムというよりむしろ信頼性の低い誤った構造であるとの評判を作り出した。どれだけ切実に改良が必要だったかは、多数の兵の実地での体験に起因する数多くの批判が示している。SA-80のうち多数が再三にわたってモデファイされ、改良されなければならなかったことは不思議ではない。だがこれらの措置はさほどではない成果しかもたらさなかったので、徹底した歩みの開始が必要となった。それに応じてSA-80は大々的に近代化され、多くの主な欠点は取り除かれた。こうして誕生した新バージョンSA-80 A2は、有名なドイツのメーカー、ヘッケラー&コックによる多数の改良にもかかわらず、依然としてストゥルムゲベールの先端クラスには属していない。しかしこれにより先端クラスとのつながりが完全には失われなかった、とは言うことができる。

開発

始まり

 SA-80ストゥルムゲベールの開発は1970年代初頭に始まった。イギリスはこの時点において7.62mmx51 NATO口径を持つベルギーのFN FALのライセンスバージョンである彼らの制式銃SLRの後継機を探していた。全般的開発と一致して、イギリスも「モダンな」より小さい口径に方向転換することを望んだ。このため1970年代初頭、エンフィールドのローヤルスモールアームズファクトリーにこのテーマに向けた前段階研究が発注された。1972年1月、この前段階研究は終了した。この時点までたくさんの可能性が考慮され、さまざまな弾薬の大部分が実験対象となった。この際、小さな、口径約5mmの高性能弾薬が未来のためにベストの選択であるという結論になった。この新弾薬は最初から未来の制式銃IW(インディビジュアル ウェポン)および近距離支援銃(LSW=ライトサポートウェポン)のための考慮対象として計画された。だが他方においてまだ完熟しない、そして技術的に複雑な転換的アイデア、例えばケースレス弾薬は意識的に放棄された。こうした考察から、まだ研究中に新弾薬4.85mmx44が誕生した。この結果に基づき、ゼネラルスタッフターゲット(GST 3518)の形式で引き続いての実現性研究が決まった。形状を最適化するため、薬莢は1972年8月に4.85mmx49に延長された。RSAFの技術者たちはこの弾薬の最初の実物を、アメリカ製の5.56mm弾薬を改造することによって作った。

 1973年2月、Sydney Hance指揮下の開発チームはこの新しい弾薬に適合するゲベールを開発した。スペックに合わせ、スタッフはブルパップ構造方式を採用した。この構造方式の際立った特徴は、ピストルグリップ後方に位置するマガジンと機関部である。だがこのデザインは偶然に登場したわけではない。イギリスはすでにずっと以前からこの構造方式による実験を行っていた。1940年代末、エンフィールドのスタッフは初めて、従来型のゲベールとマシーネンピストーレの長所、つまり射程と高い発射レートを組み合わせることを意図した銃を設計した。それにもかかわらずこの銃は歩兵の使用のためにコンパクトでハンディであることが意図された。この努力は口径7mm(頑住吉注:x43)の、並外れて印象的なブルパップ銃エクスペリメンタルモデル1(EM1)およびEM2となって終わった。だがこのプロトタイプは量産に適するほどの熟成を達成しなかった(頑住吉注:不親切にもキャプションがありませんが、原ページのここにあるブルパップライフルの全体像および分解状態の画像はEM2のものです。こんなページもあります。 http://world.guns.ru/assault/as59-e.htm このデータを見るとこの弾薬は6.8mmx43SPCに近いものだったようです)。それでもこのコンセプトはこの時、Hanceによって再び取り上げられた。Hanceにとってこれは新しいものではなかった。つまり彼はEM2開発時、副代表デザイナーとして参加していたのである。GST 3518のスペックはIWに効果的戦闘距離300mを、そしてLSWには600mを要求していた。追加的にオプティカルサイトが、初弾命中確率向上のために必要とみなされていた。両者に1種類のスタンダードマガジンによって弾薬供給することが意図された。2月には具体的な作業が始まった。この結果直後には特徴的なブルパップデザインの最初のプロトタイプが製造された。これと並行して作業が進められ、直後にはRadway Greenで製造された最初の4.85mmx49弾薬が供給された。

 プロトタイプの開発はさらに促進され、1975年初めには真に軌道に乗った。この局面において新たなプロトタイプが作られ、これにはいくつかの変更が行われた。スタッフは当初組み込まれていた3発バーストメカニズムを放棄し、人間工学的に好都合なようにディテールを変更した。翌年6月にはこのプロジェクトが初めて公表された。ほぼ同じ頃、オプティカルサイトをどういう造形にすべきかの最初の熟考が始まった。1977年の初め頃、IWとLSWの第3のモデルシリーズが完成した。これにはいくつかの新しいモデファイが盛り込まれていた。この両バージョンは、XL64 IWおよびXL65 LSWの名称を得た。それだけでなく、IWおよびLSWから左利き射手用のプロトタイプが開発され、これらはXL68 IWおよびXL69 LSWの名称を得た。

最初のつまずき

 ほぼ同じ頃、NATOは7.62mm弾薬が制式として採用されてから全く長い時間が経っていないにもかかわらず、新弾薬について考慮していた。その理由は、NATOを支配するワールドパワーであるアメリカが先立って5.56mmx45弾薬を制式として採用しており、そしてそれを今や同盟国にも勧めていたことだった。だが引き続いてのテストではH&Kによって作られたG11の弾薬など他の選択肢となる弾薬も加えられた。こうしてエンフィールドが作ったXL64E5 IWは強力なライバルと対戦することになった。これには特にストゥルムゲベールM16、ガリル、FAMASが含まれた。それでなくとも5.56mm弾薬はその強力なロビイストによって有利であるかのようだったが、このテスト時XL64E5 IWは劣った印象を与えた。この銃の信頼性はまだ量産に適するほど熟成していないレベルで、平均を大きく下回っていた。テスト結果ゆえ、そしてすでに5.56mm弾薬がNATO制式として採用されることが不可避と見られたため(実際の採用は1980年10月)、責任ある立場の人々がこのプロジェクトの使用弾薬を新しい弾薬に変更したのは最も理性的なことだったと思われる。こうして複数のプロトタイプは1979年末には早くも5.56mmx45用に装備改変され、XL70 IWおよびXL73 LSWと改名された。

 1980年代初め、プロジェクト全体は「Small Arms of 1980s」(このためSA-80)の名称を得た。これは銃の採用が1980年代中と予想されていたことを示す。だがこの時、採用までにはまだ長い道のりが待っていた。XL70はまだ量産に適するほどの熟成に近づいておらず、新しい弾薬への急速な改造は追加的問題ももたらしていた。それにもかかわらず、作業はあらゆる手段を使って促進された。

 1981年2月、XL70E3 IWおよびXL73E2 LSWの両バージョンを使った広範囲のテストの最初の局面が始まった。これらは前もってガスシステムが大きく変更され、細部も変更されていた。1982年末までにこの最初のテスト局面は終了し、分析が行われた。しかし結果は再び期待を大きく下回ったままだった。信頼性は以前同様劣っていた。その上多くのボルトキャリアが裂け、1本のバレルは低温実験室内でチャンバーからガス取り出し口まで開口した。LSWも劣った結果でテストに失敗し、近距離支援銃器としての使用に不適であることを示した。特にフルオート時の命中精度に不満が残った。1983年半ば、開発プロセスをさらに促進するため次のテスト局面が始まった。だが翌年にはこれも似た劣った結果に終わった。

 全てのつまずきにもかかわらず、有り得る採用期日は近づいた。だがそれは問題によって再三にわたって延期された。1984年初め、ある委員会が設置され、これはSA-80が採用準備の整った状態にあるかを確認することを意図していた。だがこの委員会は同様にネガティブな結論に至った。特にLSWは責任者らを苦慮させた。このことは、他の選択肢としての近距離支援銃器をLSWと比較する許可が与えられるまでに至った。この比較は1984年6月にITDU(Infantry Training Development Unit=歩兵訓練および開発部隊)によって実施された。XL73E2 LSWはこのテストにおいてFN ミニミ、H&K 13、ステアーAUG-HBARと対戦した。XL73E2 LSWは以前同様の欠陥を持っていたが、他のライバルも一部疑わしい理由から要求を満たさなかった。FNのミニミとH&K 13は命中精度の基準を満たさず、一方テスト者はNATO共用でないマガジンを必要とするという要求に反する点にもかかわらずステアーを本命に挙げた。最終的にこれを採用するのではなく以後もなおLSWを持ち続けることが決まり、改良バージョンであるXL73E3 LSWが開発された。

 1985年の最初の1/3のうちに、改めての改良が行われたバージョンであるXL85E1およびXL86E1が登場した。これらはほぼ最終的な両モデルと同じだった。引き続き改めてのテストが実施され、従来のテストよりも良い経過をたどったらしい。少なくとも1985年6月にRSAFに175,000挺を越える最初の生産注文が与えられた。だがこれは開発プロセスが終了したことを意味しなかった。まだ多数の既知の欠陥が取り除くべき事柄に該当した。

採用

 それでも生産は開始された。1985年10月2日、エンフィールドにおいておごそかなセレモニーの場で、象徴的に最初のL85A1 IWおよびL86A1 LSWがイギリス部隊に手渡された。だがこれにより問題解決と言うには程遠く、この時すでに既知のそれに加えて新しい問題が生じていた。以前において諸プロトタイプはエキスパートの手作業のみによって製造されていた。だがこの時には充分な量を生産可能にするため、大量生産の開始が意図された。だがエンフィールドのスタッフはこの製造技術による経験を積んでおらず(頑住吉注:量産自体の経験は当然あったわけで、プレスを多用しての量産、ということでしょう)、これにより新しい問題が起きた。例えばL85A1のトリガーメカニズムは落下時にレットオフする可能性があることが発見された。この理由からこの銃は回収され、トリガー設備のいくつかの部品が交換された。民営化とローヤル オードナンスのブリティッシュ アエロスペース(BAe)による買収の結果としての、生産のエンフィールドからノッティンガムへの移行も、この問題を解決しなかった。

 1987年3月、それにもかかわらず150,000挺を越える次の注文がローヤル オードナンスに与えられた。しかし1988年から1990年の期間に改良に関する研究も行われ、SA-80ファミリーの数多くのモデファイされたバージョン(XL85E2/XL86E2からXL85E5/XL86E5まで)がテストされた。だが切実に必要とされたはずの全般的オーバーホールは行われなかった。その代わりに個別の改良(たいていは小部品)のみが継続する生産の中で持ち込まれ続けた。1990年5月になって初めて、アップグレードパケットであるMoDが披露された。これは改良されたトリガー、手が加えられたセーフティ、そして多数の新しい小部品を含んでいた。それにもかかわらずこのアップグレードは1993年までに供給された銃の半分弱にしか組み込むことができなかった。1990〜1991年の第2次湾岸戦争(デザートストーム)までには、ほとんど全てのイギリス部隊がSA-80で装備されていた。だがイラクを支配する砂漠環境の中では構造上の問題が特に顕在化した。ただしこの時イギリスの報道でこれは誇張された。イギリス大衆に初めて明瞭にもたらされたのは、L85/L86は最も信頼性のない銃器の1つであるという内容だった。極端なケースではこの銃は複数のイギリス兵の命を奪った。証明可能ではなかったにもかかわらず、あるイギリス兵がそのような欠陥によって命を失ったという叫び声は大きかった。多くの部隊部分がこの戦争の間、信頼できる古いSLRを好み、あるいは鹵獲したAK-47で戦ったという話は理解できるように思われる。むしろ後者はいわゆる都市伝説であるらしいのだが。少なくともこの時期、ネガティブな、一部はどぎつくて安っぽい大見出しによって、SA-80は考え得る限り最も劣った構造であると誰もが知らされた。それにもかかわらずSA-80ファミリーは1993年の契約履行まで製造が続けられた。購入もしくは生産に関するコストだけで、合計360x100万ユーロの額が生じた。1993年までに実施された改良(これには80より多い変更が含まれるらしい!)には追加的に24x100万ユーロのコストがかかった。

 SA-80の問題点は当然イギリス国外でも同様に隠されたままにはならなかった。特にSA-80が、Radway Greenによって生産された5.56mm弾薬用と特別に予定されていた事実はネガティブに作用した。製造上の公差は、問題なくスタンダードなNATO弾薬が発射できるには小さすぎることが判明した。これにより、そして他の問題により、SA-80は1997年、NATO Nominated Weapons Listから抹消された。

 こうした欠陥の長いリストに基づき、この時何らかの手を打つことが最終的に必要となった。1997年になってもまだイギリス国防省(MoD=Ministry of Defence)はどのように改良プロセスを進めるべきかを熟考していた。選択はドイツの銃器メーカーヘッケラー&コックに下った。同社はこの時点でRoyal Ordonanceの一部であり、そしてこれによりいわばイギリスの手中にあった。1998年、ヘッケラー&コックは200挺のL85A1およびL86A1の近代化注文を手にした。この最初のモデルは1999年初めに供給され、アラスカ、クウェート、ブルネイ、イギリスにおいていろいろな環境下で古いバージョンと比較された。このテストが満足行く経過をたどったため、2000年6月、200,000挺までのL85A1/L86A1のA2スタンダードへの近代化のための全体注文が行われた。この注文の全体ボリュームは92x100万ユーロだった。2001年1月にはすでに最初のL85A2がテスト目的でWarminster所在のInfantry Trwining Development Unit(歩兵訓練および開発部隊)に供給できた。このテストの終了により、2001年12月にInfantry Training Centre(ITC=歩兵訓練センター)が最初の部隊としてSA-80A2を手にした。だがすでに2、3カ月前、MoDはこれとは無関係に10,000挺弱のSA-80A2のある種のストックを持っていた(2001年12月までに15,000挺)。こうしてこのSA-80を緊急時、部隊部分に供給できることが意図された。これは当初から計画されたものではなかった。次の段階として2002年5月には第3コマンド旅団全体が装備されることが意図された。全部隊を一度に装備することは避けることが意図され、この結果一部は古く、一部は新しいSA-80が混在し、これは問題を引き起こした。ヘッケラー&コックは月間約3,000(2002年5月以後は4,000)挺のSA-80にしか手が加えられなかったので、近代化プロセスは長期間にわたった。だが2006年までにこれは終了したとされている。

 近代化作業の枠内で、SA-80には改めて、装甲車両搭乗員用のクルツバージョンにに向けての課題が生じた。過去においてSA-80のクルツバージョン開発は放棄されていた。だが、装甲車両搭乗員にスタンダードなSA-80とブローニングピストルを与えるという解決策は、目的にかなっていないと判明した。SA-80はこの目的にはかさばりすぎる。このためクルツバージョンのコンセプトが再び取り上げられ、今回はSA-80A2がベースとして使われた。この新しいクルツバージョンは(正式?)名称SA-80Kを得た(頑住吉注:クルツの略でしょうからイギリス軍の正式名称ではないでしょう)。スタンダードSA-80からSA-80Kへの改造は、既存の製造および輸送キャパシティを使用するためヘッケラー&コックによって実施された。約100万ユーロの価値のあるこれに応じた契約は、既存の近代化契約に含まれた。合計1,412挺が改造されたとされ、その供給は2005年にはすでに開始された。

 構造に起因する問題に関する報告が途切れていないにせよ、SA-80は現在、以前よりも何倍も信頼性が高いが、兵の彼らの銃に対する信頼だけは本当には帰って来まい。大規模なモデファイ後、再びNATO Nominated Weapons Listに入れるためのテストが行われた。これに適する肯定的な結果が2002年3月に発表された。いずれにせよイギリス国防省はその決定によりSA-80近代化のために好都合な道を切り開いたのである。(頑住吉注:その予算があれば)ある新しい銃器システムを購入できていたはずだとしても。しかしそれが本当に正しかったか、そして支払い額が妥当なものだったかは別問題として残る。少なくともL86はその役割をすでに徐々にFN ミニミPara(L110 A1)に譲っている。当初これはわずかな数(2002年にはアフガニスタンの部隊用に300挺、2003年初めには新たなイラク戦争が予測される中700挺)補充用として購入された。だがすでに2003年5月には、L110 A1は将来L86A2の近距離支援銃器としての役割を交代して果たす予定であることが知られていた。約2,500挺がこの目的で購入された。残りの銃(頑住吉注:L86A2)の一部は今後もなお使用され続ける予定である。ただしその高い命中精度ゆえにアメリカにおけるDesignated Marksman's Rifleに似た役割でである。分隊規模で1人のスコープ射手(生粋のスナイパーと混同してはならない!)が、個々のターゲットとより正確に戦闘できる可能性を与えられる予定である。余剰となったLSWの他の部分はL85A2カービンに改造される計画である。このより短いバージョンはその後主に装甲車両搭乗員に分配される予定である。しかし新しいストゥルムゲベールの購入は2020年までは計画されていない。それまでL85A2は歩兵のスタンダード銃器に留まる。それにもかかわらず、予定より早い代替銃器(例えばH&K G36)採用に関する噂が時折流れる。だが今までのところこれには公的な証明が全くない。

SA-80A1

技術/構造グループ(頑住吉注:原ページにはここに部分断面図があってクリックすると拡大するので参照してください)

 この時代のたいていのストゥルムゲベール同様、SA-80も回転閉鎖機構を持つガス圧ローダーである(G36のシステムに似る)。

 バレル(21)は分解された状態でハンドガード(19)およびレシーバー上部分と一体で1つの構造グループを形成する。バレルのマズルには通常の銃口炎抑制器(17)がねじ込まれている。プラスチックから作られたハンドガードは上側が銃の分解のために開くことができる(開閉カバー 14)。するとガスピストン(13)とピストンロッド(11)に到達できる。さらにハンドガードの左側にはスリングベルト用の受け入れ金具(18)が固定されている。初期モデルでは自然にオープンしてしまうという不都合な特徴を持っていた開閉カバーの前には、レールがある。これはライフルのオプティカルサイト使用時には使用しないままである。だがこのゲベールにオプティカルサイトが組み込まれていない時には、このレールにフロントサイトが固定される。バレルにはこの固定具の位置にガス取り出し穴(15)があり、ここからガスがガスピストンへと導かれる。SA-80の場合、ガスの量を調節するために3つの調節可能性がある(レギュレーター 16)。最初のポジションはノーマルな状況用に備えられている。第2のポジションでは流出するガスの量が増大するが、これは不都合な状況を想定している。つまり、極端な天候下での使用や、特に銃がひどく汚れた時である。第3のポジションではガス取り出し穴が完全に閉鎖される。これはライフグレネードの発射のために備えられている。

 レシーバーの残りの部分はプレスされたスチール板で作られており、一部は溶接もしくはリベット止めされた板状部品で補強されている。それにもかかわらずこのレシーバーは素材強度の面からすると非常に薄い。これに応じてこのレシーバーは荒い取り扱いやハードな打撃に敏感すぎるようだ。これにより生じたレシーバーの損傷は、SA-80のいくつかの障害の原因となる。アッパーレシーバー内部には閉鎖機構ルートおよび閉鎖スプリング(1)がある。閉鎖スプリングは発射後の閉鎖機構を再び前方に導くことに責任を負っている。閉鎖機構はG36の場合同様、閉鎖機構キャリア(5)、閉鎖機構ヘッド(24)からなっており、閉鎖機構ヘッド内にはさらにファイアリングピン(3)が挿入されている。この構造は保持ボルト(4)、および「あやつるボルト」(28 誘導ボルトとも)によって一体に保持されている。後者は同時に閉鎖機構ヘッドの回転も担当する。閉鎖機構キャリア右サイドにはダイレクトに装填レバーが取り付けられている。

 グリップフレームはその後ろに位置する部品(ショルダーストックによって閉鎖される)と共に下部構造部分を形成する。この構造部品は2本の保持ボルトで上部分と結合されている。ここには全トリガーメカニズム(30から33)およびマガジン収納部がある。射撃選択レバーはマガジン収納部直後左サイドにある。この銃ではセミおよびフルオートの2つの射撃モードが選択できる。この銃は横方向のボルトによって直接トリガーにセーフティがかけられる。このボルトは生産の経過の中でいくらか動きにくい形状とされ、これにより意図しないセーフティ解除は排除できた。マガジン収納部の左サイドにはマガジンキャッチ(26)があり、これを押すとマガジンは解放される。レバーに付属するスプリングの抵抗が弱すぎるので、レバーが兵の衣服や装備に沿ってこすれただけで装填されたマガジンが脱落した。この問題が知られるようになった後、ローヤル オードナンスは問題除去のためまずずっと強力なスプリングを組み込み、そして高くした金属の縁で取り囲んだ。後には低い形状を持つ新しい解除レバーが選択された。

オプティカルサイト/サイト

 命中正確性を高めるため、この銃は開発の際に始めからオプティカルサイトが計画されていた。このためスタンダードバージョンのSA-80 A1(L85 A1)には、SUSAT(Sight Unit, Small Arms, Trilux)の名称を持つ4倍のオプティカルサイト(8)が使われている。射手は、暗い時にはトリチウム構造要素によって照明される単純なレティクルの助けを借りてサイティングを行う。この方法ではバッテリーは必要ない。このトリチウム要素は交換が必要となる前に約10年の寿命を持つとされる。このサイトにより、遠距離で非常に良好な命中像が可能である。だが短い戦闘距離では大きな倍率が邪魔となることも有り得る。その上このサイトは強い気温の変動(例えば砂漠における昼と夜)に非常に敏感であり、また容易に内部が曇る可能性がある。このオプティカルサイトが損傷したケースのために、この上には単純な緊急サイト(7)が設けられている。オプティカルサイトには銃の照準調整を可能にするためのネジがある。ホイール(6)を用いてこのオプティカルサイトはいろいろな射程用に調節できる。またサイト両側にある2本のネジ(9)でサイド方向にも調節できる。だがこのオプティカルサイトは比較上実に高価であるため、コンベンショナルな解決法も存在する。このためにはSUSATオプティカルサイトの位置に、組み込みの距離調節サイトを持つキャリングハンドルが取り付けられる。この解決法はしばしば後方勤務のL85(SA-80)に見られる。

アクセサリー

 L85A1(SA-80)用には特殊な多目的バヨネットがデザインされた。このバヨネットは中空のグリップを持ち、このグリップはダイレクトにフラッシュハイダーにかぶせられ、その後にロックされる。この構造の問題点は、バヨネットが射撃の際非常に熱くなる可能性があることである。アルミニウムという素材も幸運な選択ではなかった。これによりこのバヨネットは非常にシャープではなくなり、非常に簡単に折れる。古いNVAバヨネットと似て、このバヨネットも鞘と共にワイヤーカッターとして使用できる。その上L85A1用にはM16同様、40mmグレネードランチャー(L85A2用のニューシステムと混同してはいけない!)が存在する。このランチャー用にはモデファイされたハンドガードの取り付け可能性がある。だがこれはイギリス軍での使用がほとんど見られない。

諸バージョン

 L85A1をベースとした最重要のバージョンとしてはSA-80LSW(ライトサポートウェポン)とも言う近距離支援火器L86A1が挙げられる。L86A1は外観上、より短い、その代わりフラッシュハイダーまで達する金属レールを持つプラスチック製ハンドガードによって異なる。このレールには折りたたみ可能なバイポッドが固定される。初期のモデルではバイポッドの脱落問題があったが、後加工された固定具のおかげでそうこうするうちに過去に属するようになった。その上この銃は全体的に長く、重いことが目につく。この理由はより重く、長いバレルの使用であり、これはフルオート時の充分な耐久性と、この役割のための命中精度を保証するためである。追加的にマガジン後方には保持グリップが存在する。

 他の、同様にイギリス軍に制式採用されているバージョンは、全く異なる問題から開発された。1996年における対応する法改正まで、新兵は民間人と全く同様にフルオート銃器の使用を禁じられていた。このためL85A1をベースにして訓練目的にL98A1が特別に開発された。これはセミオートマチックのライフルであり、外観上セレクターレバーの欠如とより大きな装填レバーによって区別される。この装填レバーはより容易な操作のために大きく前方に移され、今やグリップ上方に存在する。このレバーはレールに沿って動き、延長部によって閉鎖機構と結合されている。この銃の場合ガスシステムは完全に欠けている。その代わり各発射のために装填レバーを後方に引き、放す必要がある。すると装填レバーは閉鎖スプリングによって前方に押され、弾薬が供給される(頑住吉注:「halbautomatisches」、つまりハーフにオートマチックな、と書かれているので当然セミオートなんだろうと読んでいましたが、実際は手動連発銃ですね http://www.rifleman.org.uk/Enfield_Cadet_Rifle_L98A1.htm )。

 この2つのバージョンの他に、制式採用はされていない、少数のみ生産された2つのさらなるモデルが存在する。これはL85A1の2機種の短縮されたバージョンである。SA-80カービンは東南アジア地域の必要に合わせて作られたらしい。このバージョンは、組み込まれたL86のハンドガードとより短いバレルで見分けられる。他の、しばしばやはりカービンと呼ばれるバージョンは非常に大きく短縮されたバレルを持ち、ハンドガードは持たない。その代わりグリップ前方に第2の垂直に取り付けられた左手用グリップがある。このバージョンは特殊部隊と装甲車両搭乗員で使用される意図だった。だが両バージョンは少数のみ作られ、普及していない。

問題

 L85(SA-80)のエピソードは最初から良い星の下には立っていなかった。最初の複数時間から、異様なデザインとならんで特に多数の欠陥が目に付いた。こうした多くの欠陥は小さな構造上のミスが原因だったが、これらは事情によっては集中的なテスト手順によって前もって避けられたはずのものだった。その代わりにこうした欠陥はたいてい何年にも長引くプロセスを通じ、進行する生産の間に取り除かれた。他の欠陥に関しては明確に生産に原因が求められるものだった。

 だが、ブルパップデザインによるこのストゥルムゲベールの造形だけは、そのうわべの長所(短い全長での長いバレル)にもかかわらず、多くの短所(たいていは人間工学的な種類の)をもたらした。この問題は技術的な種類のものではなく、その判定は射手の主観的な意見にのみあった。このためこの問題はL85(SA-80)の操作者に一様に当てはまるものではないに違いない。最初から不利な立場に置かれた操作者のグループは左利き射手だった。L85(SA-80)は右利き射手用にのみ設計されている。全メカニズムがグリップの後方に位置しているので、この銃は左利き射手にはいわば使用不能である。一方においては発射済み薬莢が射手の顔に向けて飛ぶ。これだけでもすでに使用を要求し得ない。だがさらにコッキングレバーが右面、つまり顔に向くサイドにあるという条件が加わる。コッキングレバーは各射撃の際急速に前後動するので、これは傷害リスクである。ちなみにこれに関しては血まみれになった唇や叩き折られた歯に関するレポートも存在する。だがこの構造は左利き射手にとってのみの欠点ではない。右利き射手もその可能性を制約される。多くのシチュエーション(例えば室内戦闘において)左からの射撃姿勢は右利き射手に遮蔽物をめぐる多くのメリットを提供するが、これが完全な価値を持たなくなる。L85(SA-80)はストゥルムゲベールとしては非常に小さい製造公差を示す。これはこのゲベールを一方においては非常に命中精度の高い銃にしている。このことは特に射撃場でポジティブに感じられる。SLRと比べ、兵たちの射撃結果はL85(SA-80)採用後、はるかに改善された。だが不都合な状況下ではこの銃の信頼性は失われ、その小さな製造公差を理由に、他国の匹敵するストゥルムゲベールよりも頻繁な作動不良を起こす。A1バージョンの装填レバーもその形状によってある問題をもたらした。多くのケースにおいて投げ出された薬莢が装填レバー(発射後再びその前部位置に滑る)に当たって跳ね返り、最悪の場合エジェクションポートを通ってシステム内に戻った。そのようなケースでは当然銃の作動不良は避けられない。

 さらなる問題は本来Radway Greenによって製造されたマガジンだった。この中にセットされたスプリングは弱すぎ、この結果兵は時として26から28発しか装填しないことを強いられた。その上このマガジンリップは非常に簡単に変形する可能性があり、これにより供給障害を起こす可能性があった。この理由から兵たちはしばしば自分で、その品質がベターであるアメリカ製のM16マガジンを購入した。その受け入れ部であるマガジン収納部もいくつかの問題の原因だった。銃の他の部分同様、マガジン収納部も薄い鉄板で作られ、突きに対し非常に抵抗力が低いものであり得た。損傷したマガジン収納部は当然マガジンが入らないか、入りにくいという結果をもたらした。

SA-80 A2

モデファイ

 ヘッケラー&コック工場でL85A1(L86A1も)の多数の問題点の原因が突き止められ、この結果その除去に着手することができた。こうした方法で若干の改善が加えられたA2バージョンが開発された。個別には次の構造部品がモデファイまたは交換された。閉鎖機構では特に閉鎖機構ヘッドに手が加えられた(例えば改良されたエキストラクターツメを得た)。ファイアリングピンは新しい、ややテーパーのついた形状を得た。これはより良い作動を保証することを意図したもので、この結果もはやファイアリングピンの折れは起こり得ない。打撃部品(ハンマー)も、重心を移すことによる変更がなされ、これによりファイアリングピンは4/1000秒遅く打撃される。コッキングレバーは新しい、より人間工学的な形状を得、その上もはや薬莢がシステム内に到達しないことが保証された。ガスシステムにも改良が加えられた。新しい構造部品は作動不良を避けるためにより大きな製造公差を持ち、それだけではなく同時に耐久性を高めるため高品質なマテリアルで製造された。追加的にヘッケラー&コックは作動不良の原因であるマガジンを排除するため全く新しいマガジンを開発した。

 L85A1とならんでL86A1もA2状態となった。すでに述べたモデファイ全てとならんで、この銃は追加的に新しいバレルを得た。そして今やL85A2をベースとして作られたSA-80のクルツバージョンも新たに加わった。構造は古いクルツバージョンに非常に似ているが、多くのディテールが異なっている。短い全長ゆえにガスシステムに手を加えねばならなかった。このバージョンの場合もはや1つのセット可能性しかなく、つまりもはや調節はできない。バーチカルフォアグリップの固定も目に見えて異なる形になっている。右サイドには必要な場合いろいろなランプやレーザーが固定できるようにユニバーサルピカティニーレールがある。この銃をさらにコンパクトにするため、追加的にこのバージョン用には特に20連マガジンも作られている。その後では兵は通常2つの小型、2つの大型マガジンを手にしている。L96などその他のバージョンはモデファイされていない。

アクセサリー

 L85A2では新たにAG36、40mmグレネードランチャー(頑住吉注:本来G36用のランチャーです)がバレル下にマウントできる。だがこれはノーマルなハンドガードの上からは固定できないので、ヘッケラー&コックはわざわざこのライフルに適合する特別なハンドガードを開発した。これはグレネードランチャーを受け入れることができるようにオリジナルのハンドガードよりも長い。左サイドには適合するサイトが取り付けられる。右サイドには照明手段やレーザー設備受け入れのためのピカティニーレールがある。

テクニカルデータ

名称 L85A1(SA-80 A1 IW) L86A1(SA-80 A1 LSW)
メーカー ローヤルオードナンス(後にはブリティッシュエアロスペース)
口径 5.56mmx45
重量 5.08kg(SUSAT、マガジン込み)
3.08kg(銃のみ)
0.70kg(SUSAT)
0.12kg(空マガジン)
0.48kg(フル装填マガジン)
0.155kg(メタルサイト)
0.30kg(バヨネットおよび鞘)
7kg(SUSAT、マガジン込み)
5.60kg(銃のみ)
長さ 780mm
300mm(バヨネット)
980mm(銃+バヨネット)
900mm
銃身長 518mm 646mm
ライフリング 175mmで1回転、右回り
銃口初速度 940m/s
発射速度 610〜775発/分
射程 500m(SUSATによる)
200m(SUSATなし)
800m
マガジン 30発(カーブマガジン)


名称 L85A2(SA-80 A2 IW) L86A2(SA-80 A2 LSW)
メーカー ローヤルオードナンス(後にはブリティッシュエアロスペース)
A2への改造はH&Kによる
口径 5.56mmx45
重量 5.10kg(SUSAT、マガジン込み)
3.80kg(銃のみ)
0.70kg(SUSAT)
0.25kg(空マガジン)
0.60kg(フル装填マガジン)
0.155kg(メタルサイト)
0.30kg(バヨネットおよび鞘)
7kg(SUSAT、マガジン込み)
5.60kg(銃のみ)
長さ 780mm
300mm(バヨネット)
980mm(銃+バヨネット)
900mm
銃身長 518mm 646mm
ライフリング 175mmで1回転、右回り
銃口初速度 940m/s 
発射速度 610〜775発/分
射程 500m(SUSATによる)
200m(SUSATなし)
800m
マガジン 30発(カーブマガジン)

(頑住吉注:次のページには「画像ギャラリー」があり、クリックすると画像が拡大されます)


 最後のデータにはちょっと疑問があります。アサルトライフルと支援火器で初速が同じのはずがありませんし、銃本体の重量にSUSATと空マガジンの重量を足してもSUSAT、マガジン込みの重量よりずっと軽いのも変です。またH&Kが新しく作ったマガジンが補強により重くなっているのは当然として、いくらなんでも倍以上の重量になるでしょうか。

 内容的には非常に詳細で興味深いものでした。これを読むと、何故ダメダメなのが開発初期から分かりきっていたのに意地を張ってこの銃を押し通してしまったのか非常に不思議に思います。「引き返す勇気」は大切ですね。しかしまあ「G3の歴史」を読んでも、開発がかなり進んだ段階でもまだ不具合に悩まされ続けていたことが分かり、その時点であきらめていたら成功作G3は生まれず、H&Kの発展もMP5の誕生もなかったかもしれないわけで、この銃の開発スタッフも主観的には「必ず問題を解決して画期的な銃にしてみせる」という意気込みで頑張っていたんでしょう。

 4.85mm弾薬が5.56mmx45をベースに作られたというのはちょっと意外でした。私はまだ5.56mmx45が存在しない時に作られたようなイメージを持っていましたが、この銃の開発がスタートしたのは1970年代に入ってから、、M16の採用は1960年代なので当然ずっと前です。アメリカと違う弾薬を、わざわざその弾薬をベースに新規開発したというのは理解に苦しみます。

 H&Kの手によるA2は一応合格点が出せるアサルトライフルになっているようですが、他国の一流アサルトライフルと比べると見劣りするのは否めないようです。どうでもいいですが、A2の独特の形をしたコッキングハンドルは全体デザインと全然マッチしておらず、非常に強い違和感を感じます。

 この銃に関してはこんなページもあり、A2タイプのショートバージョンの画像もあります。

http://world.guns.ru/assault/as22-e.htm






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