MP3008サブマシンガン

 この銃に関しては以前ここで触れました。第二次大戦末期、追い詰められたドイツがプライドを捨ててステンをほぼコピーした国民突撃兵器です。

徳国MP3008 9mm沖鋒槍


こっそり真似てほぼ成功 ドイツのMP3008 9mmサブマシンガン

1944年6月6日に連合軍がノルマンディ上陸に成功した後、ドイツ軍のいわゆる「絶対防衛線」はたちまちのうちに多くの場所で連合軍により突破され、損失は甚大だった。不可避的な敗戦に対してもアドルフ ヒトラーは依然失敗を認めることを拒絶し、しかもドイツ軍内の連合軍との講和を勧める人物や自分の暗殺を試みる人物を全て残忍に処刑した。形勢が急速に悪化する希望なき現実を受け入れることができなかったため、ヒトラーは最後の希望を1つの秘密兵器に託した。‥‥これこそがMP3008サブマシンガンである。

イギリスの盗作

第二次大戦後期、ドイツは多くの陸上の領域を失っただけでなく、連合軍によって多くの技量の高い航空機パイロットを殲滅された。一方飛行学校から卒業したばかりの新兵たちは訓練、経験の不足ゆえに練度の高い、経験豊富な連合軍パイロットに対抗することが非常に困難だった。充分な防空体制がなくなり、ドイツ国内で集中的な兵器生産を行うことは非常に困難となり、連合軍の密集した爆撃は急速にドイツの兵器工場を濃い煙が立ちこめる瓦礫の山に変えた。だがヒトラーはこの時、民兵隊の武装のためにイギリスから「盗作」を行った。

1940年6月、イギリスはドイツと交戦していたフランスの戦場で敗北し、このことはイギリスを退路のない状況に陥らせ、ドイツのイギリスに対する進攻は目前に迫った。この状況に直面し、イギリス軍兵士は軽装で撤退するため、手にしていた武器を捨てた。武器がなくなってどうやって戦うのか? そういうわけでできる限り早く新たに軍隊に装備を与えるため、イギリスは構造が簡単で価格が低廉なサブマシンガンを研究開発した。‥‥ステンサブマシンガンである。この危難の中で誕生したサブマシンガンは、人に与える印象は「加工が粗削りで見た目が貧乏臭い」だったものの、プレス、溶接、リベット止めなどの技術を広く採用し、旋盤加工を減らし、かつ流れ作業を採用し、生産速度を大いに加速した。この他、その大多数の部品は、規模が小さく容易に隠蔽できる作業所由来であり、ドイツの爆撃はその生産に少ししか影響し得なかった。もしある作業所が破壊されても、数百のこのような作業所がそれに代わることができたのである。

立場が入れ替わった状況下で、ドイツは連合軍によって一歩一歩包囲が狭められてゆき、ヒトラーはこの種の簡易版であるステンMk.IIサブマシンガンの生産を命じた。一部の書物の中ではこの応急的サブマシンガンをNeumunster Device(頑住吉注:Gerat Neumunster 「a」と2つ目の「u」はウムラウト)と称しており、民兵サブマシンガン(頑住吉注:Volksmaschinenpistole)と称する人もいる。だが、この銃は最終的にはMP3008 9mmサブマシンガンと正式に命名された。イギリスのステンサブマシンガン同様、大多数のMP3008の部品も、相対的に爆弾の炸裂から遠く離れた小さな工場で製造された。製造後集中的に処理され、さらに最終的な製品へと組み立てられた。

MP3008の設計者に関しては2つの説がある。設計師Ludwig Vorgrimler(頑住吉注:G3の開発者)がこの銃の設計のために最大の貢献をなしたと考える人もあれば、ヒューゴ シュマイザーが最大の功労者だと考える人もいる。各種の資料を対比し詳細に分析すれば、Ludwig VorgrimlerがMP3008の主要な設計者であり、一方ヒューゴ シュマイザーはVorgrimlerの設計の細部を簡略化し、これによりこの銃の生産速度をより速くしたのである、ということが分かる。

MP3008は1945年2月末に生産が開始され、時に中断しながらも5月における欧州戦終結までずっと生産された。その最も主要なメーカーはモーゼル兵器工場であり、第1ロットのMP3008はモーゼル兵器工場によって生産され、これらのMP3008が後に他メーカーの生産見本となったのである。モーゼル兵器工場の他、他のメーカーもMP3008を生産したものの、総生産数は1万挺を超えない。

ステンの簡略化コピー

VorgrimlerはステンMk.IIサブマシンガンを基礎に、さらに簡略化の度合いを高めてMP3008を作った。その中の最大の改良はMP3008のレシーバーを扁平な鉄片からプレスして作り、プレスの過程でレシーバーとなる板に必要な穴を加工して作り、その後レシーバーとなる板を軸をめぐって湾曲させ、継ぎ目を溶接することだった。ステンMk.IIも基本的には同様の方法で製造されていたものの、その溶接される継ぎ目の長さは438mmに達していた。一方MP3008の溶接される継ぎ目は108mmしかなかった。このコストを下げ手間を省く溶接方は非常に実行しやすく、レシーバーとなる板の左右両側にコッキングハンドルの入るスリットとエジェクションポートの切り欠きをそれぞれ半分プレスして作り、レシーバーとなる板を軸をめぐって湾曲させれば、ただちにコッキングハンドルの入るスリットとエジェクションポートの切り欠きが形成された。続いて溶接の必要があるのはコッキングハンドルの入るスリットの後端からレシーバーの後端まで、コッキングハンドルの入るスリットの前端からエジェクションポートの後端まで、エジェクションポート前端からレシーバー前端の3カ所だけだった。この他、MP3008ではさらにステンサブマシンガンのバレルジャケットがなくなっており、バレルはレシーバーのリング状部品に固定されていた。

MP3008のトリガーはステンサブマシンガン同様1本のピンによってレシーバー上に固定され、前部スリングリングはマガジンハウジング前端、後部スリングリングはストック上に設置された。

MP3008はステンサブマシンガンに似たセミ・フルオート切り替え装置を採用し、「D」はフルオートを表し、「E」はセミオートを表していた。その発射速度は比較的遅かったので、フルオート状態の時でもトリガーコントロールにより単発発射が行えた。何故この不必要なフル・セミオート転換装置をなくしてMP3008の設計をさらに一歩簡略化しなかったのかと質問する人たちがいるかもしれない。これはおそらくMP3008と訓練を経ていない一般民を組み合わせると、セミ・フルオート切り替え装置はかえって必要な設備になるからだろう。

サイト
MP3008のサイトはステンサブマシンガンのサイトとよく似ており、いずれも単純なフロントサイトとリアサイトからなっており、サイト上の射程は100mである。この範囲の射程を標準とすることは9mmパラべラム弾薬にとって充分理想的と言え、この弾丸は110mの射程内で照準線から上下76mm以上偏差が生じることはない。2種類の銃のサイトはいずれも調節できない。

ストック

MP3008には少なくとも4種の形状のストックがあった。2種は全金属製で、サークル状ストックとT字型ストックだった。3種目は金属部品が付属した木製ストックで、4種目のストックはステンサブマシンガンの全金属製T字型ストックに似ているが、異なる点は木製グリップが付属していることだった。

ストックの固定方法に関してもMP3008とステンサブマシンガンは異なっており、前者ではストックがレシーバー上の舌状突起上に固定されていたのに対し、後者ではストックはレシーバー後端のスカート状部分に固定されていた。舌状突起と比べ、後者の構造はより加工が難しく、かつ溶接も必要だった。

MP3008は充分簡素に設計されていたが、ステンサブマシンガンのコッキングハンドルの入るスリットを使ったセーフティ(頑住吉注:コッキングハンドルを上に逸らせて前進できなくするもの)を残していたのと同時に、別の種類のセーフティも設計されていた。すなわちコッキングハンドルセーフティである。ボルトが前方のチャンバー閉鎖位置にある時、コッキングハンドルを内側に押すとレシーバー反対側の穴の中に入り、ボルトは確実に前方位置で固定された。これにより意図せず落とすことがもたらすボルトの滑動が防止でき、したがって暴発事故が避けられた。一方ステンサブマシンガンにはこの重要なセーフティ装置が欠けており、落とした時の暴発が大いにあり得た(頑住吉注:ステンでもこのセーフティを設けていたものもあったようです)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「モーゼル兵器工場が生産したMP3008のフロントサイト。そのシンプルなフロントサイト体はレシーバー前部の窪み内に固定され、レシーバーと一体化している」)

(頑住吉注:これより2ページ目)

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「スリングはストック後部に固定される」)

異なるバージョンの製品にはそれぞれ違いが

MP3008には少なくとも2種の型があったが、その差異は大きくなかった。第1のバージョンのMP3008はモーゼル兵器工場によって生産され、これはエジェクションポートの長さ(38mm)によって第2のバージョンと区別できた。そのエジェクションポートの長さは第2のバージョンよりも明らかに短く、第2のバージョンのMP3008のエジェクションポートの長さは54mmに達していた。この他、第2のバージョンのMP3008のエジェクションポートの弧度は120度だったが、第1バージョンのそれは90度だった(頑住吉注:開口している角度のことだと思います)。さらに第2バージョンのMP3008の溶接はより粗雑だった。第1バージョンもレシーバーに多くの加工跡が残っていたが、全体的に言って第2バージョンと比べればそれでもずっとていねいだった。

前述のように、MP3008の部品は多くの小さな作業所で生産された。しかもこれらの小さな作業所は大きな自由度をもってMP3008の設計に改修を加えた。このため実際上MP3008には多くのタイプがあった。かつてある人は第1バージョンとも第2バージョンとも似ていない別の種類のMP3008を発見した。このバージョンのMP3008はステンサブマシンガンと似た水平のマガジンハウジングを持ち、これはレシーバー上に溶接されていた。これはポーランド軍事博物館で実物を見ることができる。さらに他のタイプの規格に合わないMP3008は作りがもっと良く、しかもこれはMP3008の生産手順に依拠せずに生産されたものである。このタイプのMP3008の他と異なる所は、扁平な木製ストックを持ち(頑住吉注:板から切り抜いたような、という意味でしょう)、コッキングハンドルの設置位置も異なり、レシーバーの左側に位置していることだった。これに対し第1バージョンおよび第2バージョンのMP3008のコッキングハンドルはレシーバー右側に位置していた。さらに一部のMP3008はコッキングハンドルの入るスリットとエジェクションポート付近に溶接跡がない。これらのMP3008のレシーバーは鋼管から作られたのかもしれない。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「モーゼル兵器工場が生産した第1バージョンのMP3008のレシーバー溶接個所をクローズアップ。その加工跡が分かる」 続いて2枚目「第2バージョンのMP3008。そのメーカーはもはや不明である。その比較的大きいエジェクションポートと溶接跡に注意。第1バージョンのMP3008より粗雑なことが分かる」)

(頑住吉注:これより3ページ目)

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「モーゼル兵器工場の第1バージョンMP3008(上)と第2バージョンMP3008の比較」 続いて2枚目「規格に合わないMP3008。そのコッキングハンドルはレシーバー左側に位置し、木製ストックが装備されている」)

値段が安く品物も良い

Ludwig Vorgrimlerとヒューゴ シュマイザーはMP3008の功労者である。そのコストは安いものの、いまだかつて非難を引き起こしたことはない。価格は安いが、製品の性能が劣るとは限らないのである。

MP3008の生産数量は比較的少なかった。一部はアメリカの進撃途上で鹵獲され、しかもその表面が粗雑なために捨てられたものも少なくなかった。このため無事アメリカに到着したのは少数のみだった。アメリカでは9挺のMP3008のみ登録されているとされるが、さらに多くが隠匿され、現在実物を見るのは難しい。

MP3008不完全分解



MP3008主要技術緒元

口径 9mmx19
全長 794mm
銃身長 200mm
全体重量 2.93s
マガジン装弾数 32発 ダブルカアラム

 「DWJ」の記事にもなかった、製法の簡略化に関する詳しい記述が一番興味深かったです。パイプから加工するのではなく板を丸めてレシーバーを作っていたとは知りませんでした。



 要するにおおよそこんな形の板を丸めてレシーバーを作り、上の不完全分解図で赤い線で示している溶接を要するラインの長さが108mmしかなかった、ということですね。ステンの場合438mm溶接する必要があったというのは、開口がない部分を溶接する、つまりレシーバー全長分溶接する必要があった、ということではないかと思います。

 「DWJ」の記事では作動が基本的に快調だったとされていますが、それが信じがたく思えるほど荒い作りなのがディテール写真で分かります。レシーバー内側には侵入した異物を受け入れるフルート状の構造は当然ありませんが、、不完全分解図ではボルトの前後より中央が少し細くなっているのが分かり、この部分がある程度その役割を果たしたかもしれません。







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