日中の新型旅客機を比較

 想像していたのとずいぶん違う内容だなあと思って読み進めましたが結論はお約束通りでした。

http://military.china.com/important/11132797/20151112/20735639.html


席アジア:MRJとARJ 中日の新たな旅客機がどうして一字の差だろうか! (頑住吉注:「席アジア」の部分の意味は不明です。)

12年の研究開発を経て、ARJついに初飛行

2015年11月11日、日本が自ら研究開発したMRJ旅客機が初飛行に成功した。研究開発作業を担当する三菱社はこれに対し大きな喜びを表明し、現場の観衆たちも相当に感動したが、日本の共同通信社などのメディアにはそれにもかかわらずこの飛行機に対し決して過多な賛美の言葉がないようで、曖昧にこの飛行機の初飛行業務が相当に遅延したことを語った。この態度はすでに相当に「春秋の筆法」(頑住吉注:日本での意味とは違うようで、中国語の説明を読んでも難しくて理解できません)と評価され、もしMRJ機の研究開発当初の公開の宣伝にさかのぼれば、今この飛行機の研究開発作業が7年を超え、1,300億円支出超過していることに気付くだろう。

比較すると、MRJと名前の最初の一字の差でしかない中国のARJ-21「翔風」も国内メディア上で同じ待遇を享受しているようで(MRJは「三菱支線ジェット式旅客機」の略で、一方ARJは「先進支線ジェット式旅客機」の略である)、その研究開発、試験飛行やライセンス取得過程の中での種々の曲折の反復は、もし春秋の筆法を用いてもやはりまずさを覆い難い。

細かく研究すると、MRJとARJ旅客機の似たところはすこぶる多く、「兄たり難く弟たり難し」と称するに堪える(頑住吉注:本来は苦難を共にした仲間といった意味らしいです)。

ARJ-21とMRJ機はいずれも21世紀の初めに計画が始まった。当時世界航空業界は「支線航空」というこの概念に熱中していた。いわゆる「支線航空」とは乗客を大都市から中小都市まで運ぶ航空輸送業務のことで、このような航行ラインは航行ルートが短く、客源が相対的に少ないため、大型旅客機を用いたのでは満席にできず、このため一般に全て比較的小型の旅客機によって飛行が執行される。1980〜90年代、アメリカ、ヨーロッパの支線航空業務は総じて相当に発展し、特にアメリカの相対的に辺鄙で遠いいくつかの地域では、支線航空は最重要の旅客輸送交通方式にさえなった。

当時、航空業界は基本的に総じて支線航空のアジア、アフリカ地域に向けた継続的拡張展開を好意的に見ていた。しかもブラジル航空工業社というこの歴史上名が伝えられたことのない南米の会社が、21世紀初めに一度世界の支線飛行機市場の45%のシェアを占め、このことは多くの世界民間航空産業領域に新加入する国にとって、極めて刺激性を持つ前例と言えた。

中国航空工業にも1990年代にいくつかの国外と協力して新型支線旅客機を製造する計画があったが、相次いでいずれも失敗をもって終わりを告げた。マグダネル90旅客機を組み立ててアメリカに逆輸出する計画はマグダネル社が買収されたため中途で暗礁に乗り上げ、エアバスとの関連の協力も最後になってエアバスの誠意不足ゆえに終わりを告げた。何度も打撃に遭い、中航工業は完全な中国による自主知的財産権の新型機の研究開発を開始する決心をし、これがつまり我々が今日見ているところのARJ-21旅客機である。

ARJ-21旅客機の実行可能性の研究作業は今日見たところいささか「軽率」である。基本的に言って市場方面の考慮は、支線航空市場は間もなく大発展を迎えることになり、これなら我慢できるという飛行機が製造でき、さらに民族工業を助ける優遇政策に頼りさえすれば、国内航空会社もどうして「捧場」(頑住吉注:検索して得られた意味は全てこの場合に適合せず意味不明)しなければならないだろうか。技術方面では、我々はすでにMD-90を製造したことがあり、その「中間をぶった切って短くしさらにつなげれば」何の難度もない、というものだった。また我々中国の旅客機の主要なボトルネックはエンジンと航空電子だが、現在では国外からの導入によってこの問題は解決済みで、どのくらいのリスクがあり得るのか?

技術と市場の考慮はいずれも問題なしと自認され、ARJ-21プロジェクトはその後「追い越し車線」を行き、2002年に国務院はプロジェクトたち上げを批准し、2008年にはもう初飛行に成功し、この期間に主導権による争いがあったことを除けば、全研究開発過程は相当に速かったと評価できる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「工場の建物内で総組み立てされるARJ」)

もう一方である日本がMRJ機を開発する背景も中国のARJ-21開発に似ており、いずれも当時の世界航空業界の各ルートが予測していた「支線航空大発展」を照準していた。2002年、三菱社が当初研究開発を計画していた新型旅客機はターボプロップエンジンを採用した、搭載旅客50人の小型旅客機だった。しかし2003年に三菱社はアメリカに行って視察、訪問し、この期間アメリカのメーカーは次々と、日本が飛行機を作ろうとするなら、自分たちは全力の技術的支持を提供することができる、とした。

三菱もそれまで日本の航空工業のレベルに対して内心よく分かっており、その主要な欠陥はシステム整合の経験不足と適した国産エンジンがないことだと自ら知っていた。一方アメリカのボーイング社は胸を叩いて、我々は君たちがシステム集成を行うのを助けることができるとし、プラット&ホイットニーはボーイング787のために開発した最新型エンジンを君たちは用いることができるとした。そこで三菱社の自信は爆上げし、自らには「より良くより経済的」に、先進的な70〜90座席のジェット式支線旅客機を研究開発する能力が完全にあると考えた。2003年のプロジェクト開始時に三菱社は、この機は5年以内に完成し、費やす資金は500億円だけだと言明した。風刺的なのは、MRJの初飛行が2003年のプロジェクト開始の12年後で、プロジェクトの資金消耗が現在すでに1,800億円に達していることである。

この「兄たり難く弟たり難し」に対し、何故世間は甘くなかったのか? 根本的に言うと、事前研究時の軽率さと過度の楽観が全く疑いなく主要な原因である。

(頑住吉注:これより3ページ目)

市場の角度から見ると、1990年代に人々が期待した「世界支線航空大発展」は決して到来しなかった。中国では、高速鉄道の急速な普及が航空輸送市場を圧迫した。日本は主に経済発展速度の持続的な遅れが経済の不景気をもたらし、航空業に影響したことである。これは世界中の支線航空発展が決して予測されたような熱狂的ブームを迎えることがなかった主要な原因でもある。

世界の民間航空史を回顧すると、類似の予測ミスゆえに「死産」した、あるいは「餓死」した民間航空機は全く無数で、ARJとMRJの未来にもこのため暗い影がかかっていると言うことができる。

より重要なのは技術的問題

ARJ-21の技術上の面倒も同様にその軽率な事前研究上に「根っこを求める」必要がある。飛行機というものは、単に設計にほんのわずかな変化があれば、性能に重大な変化があり得る製品である。例えば当時イギリスはアメリカのF-4戦闘機を「スペイ」エンジンに交換してやろう、どのくらいの問題があるだろうか?、と考えた。結果としてもたらされたF-4Kは後部機体が太くなり、空力外形が悪化したため、推力が強大な「スペイ」エンジンが空しく存在しても、性能はそれにもかかわらずあらゆるF-4系列の中で最も劣るものとなった。

最近ARJ-21は国内で航行ライン試験飛行を行い、かつ飛行員訓練ハンドブック、地上勤務作業ハンドブック作成などの関連の業務を行いつつある。ある関連の業務に参加する積み込み方面の技術人員は、ARJ-21機の設計サイドはこの方面で明らかに経験が欠乏しており、結果としてこの機は航空会社の関連の作業人員にとってまさに「珍品」と言える、と明らかにした。

(頑住吉注:これより4ページ目)

この機の貨物室の設計は不合理で、同時に満載することもできなければ、片方に満載することもできず、比例して仔細に重量配分することが必須である。主要な原因はこの機の機体をMD90を基礎に短縮した後重心の位置に変化が発生したことで、設計サイドは貨物室の設計を改修したが、それでも問題は解決できなかった。同時にこの原因により、この機は飛行中も燃料の消耗と共に、重心が機首寄りから尾部寄りに変化する。自動化された飛行コントロールシステムを利用してこれによりもたらされる操縦困難の問題は解決できるが、航空会社にとってこのことはこの飛行機の燃料消費量が枠外で増加することを意味している。

ARJ-21が遭遇したもう1つの困難は、国内に国産旅客機が完全なテストでライセンスを取得した経験が全くないことである。私がここで言っているのはまだ単に国内航行適正ライセンスの取得であって、要求が極端に過酷で厳格なアメリカFAA航行適正認証のことは言っていない。いくつかのテスト項目は国内には関連の試験条件がなく、例えば飛行機氷結試験である。アメリカのボーイング社は大きな冷凍庫を建造しており、ライセンス取得前にもうすでに関連の実験を行っている。我々のARJ-21は天気が寒くなるのを待って、寒い地域に行って試験を行う必要がある。

リバースエンジニアリングでできた飛行機であるARJ-21には実際上非常に多くの「先天性」の疾病があり、設計サイドの当初の構想の中の、「良いエンジンと航空電子さえあれば、箱を作るのにどれだけの難度があり得るか」の概念とは全く異なる。

日本がMRJ機で遭遇した技術的問題は逆で、この機は「リバースエンジニアリング」がもたらす「先天的不足」の難題には遭遇しなかったが、だが正方向に1機の飛行機を設計する難度は全く疑いなくそれ自体リバースエンジニアリングに比べ高いだろう。リバースエンジニアリングではオリジナルの設計の中の多くの「何故このように設計する必要があったのか、どんな目的か、どんな必要があるのか」等々の問題を理解することはできないが、少なくとも「オリジナル設計の改修は慎重の上にも慎重を」を達成しさえすれば、飛行機を作り出すことはやはり問題にはならないのである。だが正方向の設計は自ら「石を探って川を渡る」しかなく、一切全て最初から開始する必要があり、もし「強力な外部の援助」があっても、ほとんど完全に関連の経験がない日本にはやはり面倒事が百出と言えた。設計は何度か改修、調整を経て、国外から入札を募集した一部の部品製品も相次いで面倒事に遭遇し、時間通り一定の状態に達し難かった‥‥MRJ機というこの初飛行したばかりの機を、2年の時間しか使わずにもう試験飛行を完成させ引き渡しを開始したいというのは、全くもって非常に楽観的な考え方で、ほとんど実現不可能である。

(頑住吉注:これより5ページ目)

上述の種々の問題が存在するが、ARJとMRJ機の発展は依然整然と順序通り行われ、原型機を半分作ったら金が出せなくなり、しかる後にプロジェクトがもう死産するというような事情は出現していない。

この一点から我々は、中国と日本の政府いずれにも明らかに、ARJおよびMRJ機を利用して国際市場に進軍し、したがって本国の旅客機産業を牽引するという考え方があることを見て取ることができる。

ARJ-21とMRJ機が最終的にどんな様子に発展しようとも、実はいずれも「学費の支払い」である、ということは提示に値する。当然、その前提はその後にまだ新たなプロジェクトがあればの話であるが。

この点から見てARJ-21は将来単に少数が中国国内航行ラインで飛行を執行するだけかもしれないが、その後続のC919がすでに引き継ぎの準備を整えている。今回C919が選んだ市場は国際市場でリスク最小の領域であり、未来の発展はやはり慎重ながらも楽観できる。この点から言って、ARJ-21が「学費」であっても算盤に合うのである!

比較すると、日本のMRJは現在すでに500機の受注を取得していると称しているが、それ自体が所在するこの市場は狭すぎ、しかもMRJが一体いつになったらライセンス取得、正式引き渡しを完成できるのか、まだ全く分からないことである。このため「意向発注」には最終的に依然ダメになるリスクが完全にある。そしてMRJプロジェクトがもし失敗したら、日本の旅客機独自研究開発というこの道もおそらく終わりになる。

この意味から言って、ARJ-21プロジェクトは理想的ではないが、それは中国が「大型機」の鎖を解く鍵となる。一方日本のMRJは‥‥現在の様子を見ると、すぐには脱出できない‥‥


 私も日本の旅客機が世界中によく売れて大成功する可能性は低いと思いますが、たとえそうでも最新技術の塊である飛行機を独自に開発した経験や生み出された技術、そして人材は他の方面に生かされ決して無駄にはならないと思います。本筋ではありませんが中国の旅客機分野での経験不足による飛行機の不具合はやはり心配で、例えば自動操縦装置がダウンした場合操縦が通常より困難になるというのでは安心できませんね。

















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