スホーイ-37戦闘機

 意外なことがきっかけでこの飛行機の話になります。

http://military.china.com/news2/569/20150601/19772204.html


ソ連版連合打撃戦闘機は殲ー10似 設計は真逆

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「スホーイー37戦闘機の模型(スホーイ設計局が日本の雑誌社に贈呈したもの)」)

最近中国の新型「神雕」無人機がひとたび姿を現すや、すぐある西側メディアが出てきてこの機のために「父親」を捜し当て、中国はロシアのスホーイ社のS-62方案を窃取してこの飛行機を研究開発したのだ、とした。だが武器装備領域において相互に参考にしても何ら大したことではない。信じられないなら、ソ連が1989年にプロジェクトを立ち上げた「スホーイー37」戦闘機の設計方案を見てみよう。外観だけ見ればあなたはきっとそれが殲ー10(1986年プロジェクト立ち上げ)の生き別れになって長年の息子だと思うだろう。

(以下の文章はロシアのTopwar.ruウェブサイトからの翻訳である)

多くの人がスホーイー37というこのコードネームを熟知しているが、大多数の人のイメージの中では、これはスホーイー27の改良型のコードネームである。しかし本文の中で我々が紹介しようとしているのは、このかつてモスクワ航空展でデビューしたスホーイー37戦闘機ではない。その設計者であるV.Babakが語るところによれば、この飛行機の設計の目標はスホーイー25攻撃機に取って代わることだった。そしてこのスホーイー37はモスクワ航空展に全く参加したこともなく、1991年のドバイ航空展で姿を垣間見せたことがあるだけである。

1989年、ソ連部長会議中央委員会はスホーイ設計局に向け新たな考えを下達し、彼らが新型の多用途戦闘爆撃機を研究開発するよう要求した。スホーイ設計局が獲得した開発のコードネームはスホーイー37で、そこで彼らはスホーイー37に対する設計作業を開始した。この戦闘機の目標はソ連空軍とワルシャワ条約機構諸国空軍のあらゆる戦術攻撃機に取って代わることで、これにはスホーイー7、スホーイー17、スホーイー20、スホーイー22、スホーイー25そしてミグ-21、ミグー23、ミグー27が含まれた。また当時の要求に基づき、この飛行機はさらにフィンランド、中国、インド、ユーゴスラビア、北朝鮮やその他のいくつかの国に輸出されることになっていた。

言い換えれば、この飛行機の設計目標はアメリカの「連合打撃戦闘機」(JSF、すなわち後のF-35)とそっくりだった。

新型全天候戦闘機の設計上の任務は昼夜間および各種天候条件の下で地上および海上の装甲および非装甲目標、機動および固定の小型目標、および防空、偵察、警戒施設を破壊することだった。またこの飛行機はさらに敵サイドの攻撃機や輸送機、および各種陸軍戦術航空目標を打撃できる必要ががあり、これには戦術攻撃機や対戦車ヘリが含まれた。

こうした任務上の必要性はスホーイー37が非常に高い性能を持ち、もって各種の戦場の状況に適応することが必須であることを決定付けた。この飛行機は相当に大きな作戦搭載荷、短距離離着陸能力を持ち、損壊した滑走路、あるいは前線の粗末な飛行場の滑走路で発着でき、またさらに非常に強い改造変型能力を持つ必要があった。もしこうした要求を満足させることができれば、スホーイー37は非常に成功した、また有効な攻撃機となるはずだった。

スホーイー37の機体構造と主翼設計は低空飛行のために最適化された。その最大低空飛行速度は1,500km/hだった。低空巡航速度と航続距離はソ連のあらゆる当時就役していた戦闘機に比べても高く、第4世代戦闘機(ソ連はスホーイー27、ミグー29などを第4世代戦闘機に区分けする)に負けなかった。この機の燃料消費率は非常に低く、このため空中給油を行わない状況下で非常に長い距離飛行できた。スホーイー37戦闘機は3トンの爆弾を搭載している状況下で作戦半径が何と1,500kmにも達した。その離陸速度は最低250〜260km/hで、着陸速度は220km/hだった。

スホーイー37の基本型はソ連空軍の低空攻撃機に対する需要を満足させるために開発され、それはスホーイー25の位置に取って代わることになるはずだった。新たな戦闘機の離陸重量はスホーイー25に比べ40%増加し、武器搭載荷は88%増加していた。だがスホーイー25は当時依然有効に作戦任務が執行できたため、ソ連経済にすでに困難が出現していた状況下で、最終的にスホーイー37でスホーイー25に代替する業務は5〜8年後に展開されることと決定された。

(頑住吉注:これより2ページ目)

最終的に、ヤコブレフ設計局とスホーイ設計局はいずれもスホーイー37原型機製造に必要な経費を獲得できなかった。何故ならソ連の国家予算の赤字が深刻過ぎたからである。この原因により、当時設計局は注意力を国際市場に向けたセールスに集中させるしかなかった。当時考慮された1つの選択は、いくつかの航空工業が比較的立ち後れた国を探してスホーイー37を共同研究開発することだった。この決定は参加国に相対的に安い価格でのこの多用途戦闘機の購入を許すことになり、この開発方式はアメリカのJSF戦闘機プロジェクトとそっくりだった。

スホーイー37の主要な目的はああした厳密な保護を受けた地上目標の打撃だった。この目標の実現のため、スホーイー37は大量の先進空対地攻撃武器を装備する計画だった。この機は18の搭載架を持ち、弾薬搭載量は8.5トンだった。またこの新たな飛行機は一連の防衛区域外打撃武器を装備し、もって生存能力を高める計画だった。この機はさらに赤外線制御誘導およびレーダー制御誘導の空対空ミサイルを搭載することができ、近距離および中距離空戦能力を持つはずだった。またスホーイー37は速射機関砲を装備する計画だった。

もし最終的にスホーイー37が製造されていれば、その飛行性能はJSF戦闘機に相当近いものになっていたかもしれない。この2種の飛行機はいずれも超音速飛行ができるが、いずれもマッハ2には到達できず、スホーイー37の最大水平飛行速度はマッハ1.8だった。JSFの当時の設計上の要求はマッハ1.6で、両者とも超音速巡航能力はない。この2種の飛行機の正常な離陸重量はいずれも20トン前後である(スホーイー37は18トン、JSFは17トン)。両者はいずれも単発で、またいずれも4トンの弾薬を搭載した状況下で1,000kmの作戦半径を持つ。

だがこの2種の飛行機には重要な差異もあり、アメリカのJSF戦闘機はステルス能力に重点を置いて生存性を保障し、一方スホーイー37は重装甲を使用することによって飛行機の任務執行能力を確保し、その装甲の重さは1.3トンに達した(離陸重量の約7%を占める)。

1990年、研究開発作業は全面的に展開され、当時新型飛行機に必要なあらゆる技術文書はすでに製造工場に下げ渡されていた。1991年、ソ連はドバイ航空展でこの機の模型を展示し、このため当時外界は「プロジェクトはすでに開始された」と信じた。

だがこの新型単発戦闘機に対する宣伝行動はすぐ終わった。1991年8月、プロジェクトの暫時停止命令が下された。その後ソ連は解体し、資金のソースが中断し、スホーイー37の研究開発作業はすぐに忘れられた。

1990年代初め、スホーイ設計局はかつてある日本の雑誌にスホーイー37の模型を与え、この戦闘機の影響を拡大し得ることを希望し、外国の顧客を吸引できるか否か見てみようとした。だが最終的にこの遅れず製造することができなかった飛行機は永遠に図面方案に変わった。だがこの模型は人々にかつての雄大な意気込みに満ちた「ソ連版JSF」計画の真の姿を窺うことができるようにもさせる。

スホーイー37戦闘機の最大離陸重量は25トンで、弾薬搭載量は8トンである。機体はプラス9からマイナス3Gの過負荷を受け入れることができる。亜音速飛行時、この飛行機は8Gの過負荷を用いることができる。

この機は設計上一定のステルス特性も考慮し、例えば尾部ノズルには冷却用空気の進入に供するルートが設置され、もって赤外線特性を下げた。またこの機は設計時一部レーダーステルス特性も考慮し、例えば空気取り入れ口などの位置に一定のステルス設計があった。また防護性を高めるため大量の装甲を採用し、そのコックピット下方と両側にはいずれも装甲の防御があり、またその燃料タンク、燃料供給ルート、エンジンなどの位置はいずれも発泡ポリウレタンを用いてカバーされ、弾片あるいは弾丸に貫通された時迅速に「癒合」でき、非常に大きく燃焼と爆発の可能性を下げていた。こうした防護構造の重量だけでもう0.8トンあった。またスホーイー37機はさらに折りたたみ翼の能力を持ち(折りたたみ後の全幅は8.1mにまで縮小する)、それを相対的に小さい前線の飛行機用バンカー内に収納できるようにさせた。この機はさらに未舗装の滑走路上で発着でき、このことはこの飛行機の戦場での生存力を向上させることができた。

この戦闘機はフライバイワイヤ飛行コントロールの採用を計画していた。新型レーダーを装備し、このレーダーは複雑な電子対抗環境下で作動する能力を持つことが要求された。

設計はこの飛行機のレーダーが対地、対艦攻撃模式を持ち、同時に10の目標を追跡でき、高亜音速下での地形追跡飛行能力を持ち、全速飛行時に低空目標に対し非常に強い探知計測追跡能力を持ち、ホバリング状態下のヘリを発見し攻撃できることを要求していた。

(頑住吉注:これより3ページ目)

スホーイー37はさらに先進的な光電子探知計測システムを装備し、これはこの戦闘機が昼、夜間に作戦を実施することを保証できた。機には赤外線サーモグラフィー装置とレーザー誘導装置が装備され、同時に光電子ナビゲーション、攻撃吊り下げポッドを外部搭載することができた。この機は赤外線システムの誘導を用いて10〜15km離れた戦車が攻撃できた。

スホーイー37攻撃機はトゥマンスキー設計局が設計した新型エンジンの装備を計画し、海面上の推力は18.5トンだった。この機の空気取り入れ口は主翼前縁のストレーキ下方に設置された。

スホーイー37には18の外部吊り下げポイントがあり、最大弾薬搭載量は8.5トンだった。この搭載重量はアメリカのA-10攻撃機を超え、今でもこの弾薬搭載量は驚異的である。また、この機はさらに30mm機関砲を装備した。

スホーイー37戦闘機の性能表

全幅:12.8m(主翼折りたたみ後は8.1m)

全長:17.65m

全高:5.74m

主翼面積:50平方m

正常離陸重量:18トン

最大離陸重量:25トン

搭載燃料:8,300リットル

エンジン:アフターバーナー式ターボファンエンジン1台、推力18,500kg

海面上での最大速度:1500km/h

高空での最大飛行速度:1900km/h

作戦半径:1,500km(3トンの搭載荷で)

実用上昇限度:17,000m

乗員:1人

武器:18の外部搭載ポイント、最大弾薬搭載量8,500kg

(ロシアのウェブサイトの原文の翻訳終わり)

スホーイー37はソ連末期の「連合打撃戦闘機」方案であり、登場がやや遅かった。さもなければこの機は国際的によく売れる機種になったかもしれない。

その外形は一見すると中国の殲ー10戦闘機にすこぶる似ているが、実際には殲ー10の設計思想とは真逆である。スホーイー37が採用するのはイスラエルの「ラビ」式に似た近距離カップリングレイアウトで、そのエンテ翼と主翼の水平方向の投影部分は重なり、このことは非常に大きく飛行機の搭載重量を向上させることができる。だが高速飛行性能に対しては不利である。一方殲ー10が採用するのは遠距離カップリングで、主に高速飛行性能を高めるために設計されている。

だがスホーイー37の飛行性能の根本は、その推力18.5トンに達するエンジンにある。これはアメリカのF-135に似たバイパス比が非常に大きいターボファンエンジンに違いないと見積もられ、その高速性能はきっとある程度犠牲にされている。今日に至るも、ロシアはこのエンジンを製造していない。

どうであろうと、この風貌が狂猛な戦闘機は今模型1つしかなく、航空愛好家を偲ばせる。


 中国の新型無人機がスホーイの設計案に似ている、パクリだという指摘に対し、スホーイも中国の戦闘機と似たものを作ったことがある、と言っているわけですが、そもそも殲ー10もイスラエルの原案をアレンジしたものだとの説が強く、またロシア人スタッフが開発に参加したという説もあるんですがね。



















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