ノルウェーのブロンディM1933サブマシンガン

 実に久しぶりに銃器関係、しかも本来私の好む歴史ものです。今年2月にアップされたページですが、本来なら「昔のマイナーなサブマシンガンシリーズ」に入るべき内容です。これ存在自体全く知らない銃でしたが、それもそのはずというか、重要な部品がいくつも欠けた1挺しか現存していないそうです。設計者の名前で機種名にもなっているBrondby はデンマークの都市と同じ表記です。日本語では「ブロンディ」、「ブロンビー」、「ブロンドビー」など表記が定まっていないようです。

湮滅的暦史


消えた歴史 ノルウェーのブロンディM1933サブマシンガン

ノルウェーのブロンディM1933サブマシンガン‥‥これは世界で1挺だけ残った銃である。イギリス軍の考え方に合わせ、その外形は自動小銃に非常に似ており、しかも自動方式にも小銃に常用されるガスオペレーション式自動原理が採用されている。ただし寸法はある程度縮小されている。この銃のレシーバー右サイドのプレートはすでに失われている。

イギリスに1挺現存するノルウェーのブロンディM1933サブマシンガンの試作型。この銃はとっくに不完全な状態になっており、マガジン、レシーバー右サイドのプレートなども含め部品もすでに失われている。ブロンディサブマシンガンは全世界でもこの1挺しか残っていない。それではこの銃は誰によって研究開発されたのか? これにはどんな歴史的背景があるのか? 本文を見てほしい‥‥。(頑住吉注:たぶんここまでが元々の記事のリードでしょう)

ブロンディM1933サブマシンガンは第二次大戦期に研究開発された。この銃を解読するには、イギリスのサブマシンガンに対する認識から語り起こす必要がある。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「イタリアのビラー・ペロササブマシンガン。イギリス小火器委員会は1915年にこの銃に対するテストを行い、かつこれに対し改良を行った。だがイギリス軍は最終的にイギリス版ビラー・ペロササブマシンガンを装備することはなかった」)

背景とのリンク

ずっと以前からイギリス軍上層部はサブマシンガンはマフィアなど暴力組織が愛用する武器であり、優秀で良き伝統を持つイギリス陸軍には配備できないと考えていた。このため第二次大戦中イギリス軍はサブマシンガンを装備せず、このためサブマシンガンを大量装備したドイツ軍の前でほとんど反撃する力がないという悲劇がもたらされた(頑住吉注:ステンが装備されるまでの話ですかね)。

実際のところ、イギリス軍上層部がサブマシンガンの使用に反対していたものの、小火器開発とテストに責任を負うイギリス小火器委員会は軍上層部とは全く異なる見方をしていた。彼らは第一次大戦初期の1915年に早くもサブマシンガンに対しテストと評価を行ってさえいた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ドイツのMP18 Iサブマシンガン。イギリス小火器委員会は1918年にこの銃に対しテストを行った」)

当時、第一次大戦中協商国側に移ったイタリアはビラー・ペロササブマシンガンを開発していた。イギリス小火器委員会はこの状況を知ると、イタリアから少数のこの銃を購入して取り寄せ、1915年10月7日にイギリス歩兵学校でそれに対する実射テストを行った。テストの結果、この銃は塹壕戦での使用に最も適した武器であると考えられた。ここから、イギリスはサブマシンガンが塹壕戦により適しているということに対しドイツと比べてさえさらに早く認識していたことが分かる。ただ、惜しいことにイギリス軍上層部はこれを重視しなかった。

(頑住吉注:これより2ページ目)

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「スペインのスター式RU1935。イギリス小火器委員会は1937年にこの銃に対しテストを行った」)

イギリス軍上層部の重視を得るには至らなかったが、イギリスのロイヤルエンフィールド兵器工場は小火器委員会の評価報告に接した後、イギリス版ビラー・ペロササブマシンの試作を決定した。原型のビラー・ペロササブマシンガンが9mmx19拳銃弾薬を使用したのとは違い、イギリス版のビラー・ペロササブマシンガンはイギリス海軍制式半自動拳銃用の11.34mmx23.5(0.455インチブリティッシュ自動拳銃弾薬)発射のために改造されていた。だが最終的にイギリス軍はこの銃を装備しなかった。結局のところその原因としてイギリス軍上層部の不賛同よりさらに重要だった点は、当時のイギリスも多くの国同様、サブマシンガンが使用するのは拳銃弾薬なので射程がずっと短くならざるを得ず、威力にも当然限りがあると終始考えていたことだった。だが彼らはサブマシンガンの機動敏捷な性能は狭い空間でより有効に作用を発揮させ得る、ということに意識が至っていなかった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「フィンランドのスオミM1931サブマシンガン。イギリス小火器委員会は1936年にこの銃に対しテストを行った」)

イギリスは戦争中少数のドイツが装備していたMP18 Iサブマシンガンを鹵獲し、1918年9月にテストを行った。テストの結果、この銃は塹壕戦において、特に接近戦における打撃効果を顕著に向上させ得ると考えられた。そしてイギリスでこの銃をコピー生産することを決定した。だがこの計画は最終的に第一次大戦終結により棚上げとなった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ドイツのエルマM1931サブマシンガン。イギリス小火器委員会は1936年にこの銃に対しテストを行った」)

第一次大戦終結後、トンプソンサブマシンガンを開発したアメリカの自動火器会社はイギリスの有名な武器製造商BSA社と連絡を取り、BSA社がこの銃の0.45インチACP口径を9mmx19、7.65mmx22(.30ルガー)、7.63mmx25(7.63mmモーゼル)、9mmx25(9mmモーゼル)など多種の口径に改めることに同意した。イギリス軍がスムーズにトンプソンサブマシンガンを採用できるように、かつイギリス軍上層部がサブマシンガンに対し不賛同であることを考慮し、BSA社はこの銃の外形を普通の小銃に似せて改造した。だがイギリス軍はBSA社が改造したトンプソンサブマシンガンに対して依然全く無関心な態度を取った。このためこの銃は量産に入ることはなく、試作型が作られただけだった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「スイスのソロサーンSI-100サブマシンガン。イギリス小火器委員会は1934年にこの銃に対しテストを行った」)

他国の銃を探す

以上数種の銃に対しテストあるいはコピー生産を次々に行った後、イギリス小火器委員会はさらに多くの国が製造した各種サブマシンガンに対しテストを行った。例えば1932年にはドイツのエルマ兵器工場が生産したEMPサブマシンガンに対しテストを行った。1934年にはドイツがスイスに設立したソロサーン社が生産したソロサーンSI-100サブマシンガンに対しテストを行った。1936年にはフィンランドが生産したスオミM1931サブマシンガンに対しテストを行った。1937年にはスペインのスター式RU1935サブマシンガンおよびアメリカのハイドM35サブマシンガンに対しテストを行った。1938年3月8日にはノルウェーのブロンディM1933サブマシンガンに対しテストを行った。この最後の1機種のテストされたサブマシンガンがすなわち本文の主役である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ブロンディM1933サブマシンガンの四角いレシーバーは比較的薄い。レシーバーは鋼板の切削加工でできている」)

ノルウェーはイギリス同様第二次大戦中サブマシンガンを装備しなかった。第二次大戦勃発後、ノルウェーの兵士の武器、装備は主にクラグ・ヨルゲンセン小銃だった。ノルウェーはヨーロッパの外周の位置にあり、人口は比較的少なく、しかも長期間平和な状態にあった。このようではあったが、当時ノルウェーも、ヨーロッパ各国の歩兵武器、装備がちょうどボルトアクション式小銃から半自動小銃に移り変わりつつある、ということを意識するに至っていた。このためノルウェーも半自動小銃の開発計画を開始、推進した。ノルウェーの設計者フリードジェフ ネルソン ブロンディ(BRONDBY)はまさにこのような背景のもとにノルウェー国産の半自動小銃を開発したのである。

(頑住吉注:これより3ページ目)

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「レシーバー左側には機種名が刻印されている。上の行はブロンディサブマシンガンを意味し、下の行はこの銃のタイプM1933であり、1933年にこの銃の設計が成功したことを示している」)

成功


ブロンディはブロンディM1933サブマシンガンの設計者である。実は彼の最大の目標はサブマシンガンの設計ではなく、大威力小銃弾薬を使用する半自動小銃を開発しようとしたのである。ノルウェー軍事博物館には今でもブロンディが設計した半自動小銃の試作型が保存されている。ノルウェーの人口は比較的少なく、軍人の数も限られているため、もし半自動小銃を開発してノルウェーの軍隊にだけ供給しても、生産量は少なくなる。これは海峡の対岸に位置するイギリスの状況とは全く異なっていた。イギリスは全世界に多くの植民地を持ち、軍隊の数量が少ないノルウェーと比べ、武器の需要量は極めて大きかった。当時イギリスはちょうど各国のサブマシンガンに対しテストを行っていたので、ブロンディは思った。もし自分の開発した武器がイギリスの興味をかきたてることができたら、大量の注文があり得ると。このためブロンディはサブマシンガンの開発に転じ、研究開発したM1933サブマシンガンをイギリス小火器委員会のテストのため提出した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「レシーバーの別の場所の刻印。通し番号を表す刻印に違いない。刻印は330であるが、この銃が一体全部でどのくらいの数製造されたかはすでに考証困難である」 頭の数字には実は意味がないなんてケースもありますからね)

独特なガスオペレーション式サブマシンガン

ブロンディM1933サブマシンガンは他の多くとは異なる構造設計を有している。

機種名から見て、この銃は少なくともイギリス小火器委員会のテストが行われる5年前、すなわち1933年にはすでに研究開発が成功していた。その外形は小銃に非常に似ており、このため現在の武器界ではブロンディが先に半自動小銃を開発し、その後イギリス軍の需要に合わせるため、これを基礎に寸法を短縮し、サブマシンガンが改造によりできたのに違いないとの考えが主流である。改造を経ているものの、オリジナル銃のいくつかの構造は留保されている。例えば、一般的に言ってサブマシンガンの大部分はストレートブローバック式自動方式を採用しているが、ブロンディサブマシンガンM1933はガスオペレーション式自動方式を採用している。世界各国のサブマシンガンの中で、ガスオペレーション式自動方式を採用しているのはおそらくたったこの1挺であり、これもブロンディM1933サブマシンガンの特殊なところである(頑住吉注:これ、あるいは欧米の銃器雑誌の記事を翻訳したものかもしれませんね。中国人なら79式を知らんはずないんで)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「現存するブロンディM1933サブマシンガンはマガジンが失われているため、マガジンの形状と装弾数ははっきりしていない。ただしマガジン挿入穴の形状から推測すると、この銃がダブルカアラムマガジンを使用した可能性が比較的高い」)

ブロンディM1933サブマシンガンは比較的薄い四角いレシーバーを採用している。レシーバーは鋼板を切削加工してできており、左側には2行の刻印があり、この銃の機種名を表している。このうち、「Maskinpistol」はサブマシンガンの意である。レシーバー上にはさらに1つ数字があり、これが表すのは通し番号に違いない。唯一の銃にある刻印は330であるが、この銃が一体どのくらい生産されたのかは現在はっきりしていない。遺憾なことに、目下世界で唯一現存するブロンディM1933サブマシンガンのレシーバーの右サイドプレートはすでに失われ、しかも当時の設計図やテスト報告もすでに探し当てられない。このためレシーバー右サイドの設計は、エジェクションポートの形状等を含め、すでに見ることができなくなっている。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「バレル上方のピストン。この銃は一部の部品が失われているため、ピストン外側にハンドガードが装備されていたかどうか分からない。図でコッキングハンドルの設置が分かる。」)

この銃はオープンボルトファイア発射準備方式を採用しており、発射準備時、ボルトは後方の位置に停止している。トリガーを引くと、ボルトは復帰前進して弾薬を押し、チャンバーに入れ、弾薬を撃発する。この種の方式のボルト構造は発射過程の震動が比較的大きいため、射撃精度が充分理想的にはならない。コッキングハンドルはピストン右後方に設置され、寸法は比較的短小である(頑住吉注:画像で見る限りむっちゃ短小です)。セレクターレバーはトリガーガード右側上方に位置する。セレクターは3つの位置が選択でき、最も上がセーフティ状態、中間がセミオートモード、下がフルオートモードである。

マガジンはトリガーガードの前方に位置している。マガジンはすでに失われているため、マガジンの形状や装弾数ははっきりしない。ただしマガジン挿入穴の形状から推測すると、この銃がダブルカアラムマガジンを使用した可能性が比較的高い。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「リアサイトの特写。弧型の〜を採用しており、リアサイトの調節幅は大きくない」 「〜」は何と表現していいか分かりませんが、



赤丸で囲ったピンを軸にリアサイトを横に貫通しているネジが青の矢印のように弧状に動く構造を指しているようです。見たところ、リアサイトを上下に動かして調整し、ネジを締めて固定するようですが、それでは強く押された時、また射撃のショックなどで動いてしまう可能性がありそうです)

フロントサイトはガス導入リング上面に設置されている。簡単なブレード状の設計を採用しており、比較的厚く、フロントサイトガードは装備されていない。リアサイトはレシーバー後端上方に設置されている。この銃は拳銃弾薬を使用し、射程が短いので、使用するリアサイトは弧型で、調節幅は小さい。マズルには円柱形の制退器が追加装備され、その後方にはぐるっと小さな穴が開口し、火薬ガスを後ろに向けて排出するのに用いられ、もって制退作用が引き起こされる。ストックにはクルミ材での製造が採用され、取り外しや折りたたみはできない。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「マズル部分には大型の制退器が追加装備され、後方にはぐるっと噴気穴があって制退作用をなす」)

この銃がノルウェーでいつパテント取得されたのか、現在では知り得ない。ただし関係する資料は、ブロンディが1938年4月20日にはこの銃のガスピストン構造をアメリカでパテント申請し、しかも1940年12月3日に認められていることを示している。ドイツがその後の1943年に開発したG43半自動小銃で採用したガスピストンシステムは、ブロンディが設計したガスピストン構造に非常に似ている。だがG43小銃のガスピストンの設計がブロンディのパテントを参考にしたかどうか、この点は不明である。

(頑住吉注:これより4ページ目)

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「フロントサイトはガス導入リングの上面に設置されている。簡単なブレード状の設計を採用し、比較的厚く、フロントサイトガードは追加装備されていない」)

イギリス小火器委員会は1938年3月8日にブロンディM1933サブマシンガンに対しテストを行った。だがイギリス軍は最終的に種々の原因によりこの銃を採用しなかった。しかもブロンディの祖国ノルウェーもこの銃を採用しなかった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「トリガーガード「右側上方にはセレクターレバーが設置されている。セレクターは3つの位置が選択でき、最も上がセーフティ状態、中間がセミオートモード、下(図の状態)がフルオートモードである。」)

ブロンディM1933サブマシンガンはとっくに歴史に埋もれているが、その独特の設計はやはり銃器愛好者に探求の喜びを残している。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ストックにはクルミ材での製造が採用され、取り外しや折りたたみはできない。」)


 非常に珍しい、興味深い銃です。何故か使用弾薬が何だったのか書かれていませんが、まあ種々の状況からして9mmx19パラべラムである可能性が高そうです。だとするとこの弾薬仕様でガスオペレーションという銃は他にないかも知れません。まあこのくらいマイナーで知られていない銃なら他にあってもおかしくありませんが。

 これを読んで、稲垣式の設計者である稲垣氏を思い出しました。彼は比較的強力な8mm南部仕様の自衛拳銃を要求されて中型オートを単純に大型化したものを提出して却下され、それにもかかわらず同様のものを再度提出しました。使用弾薬の威力が大幅に変われば、当然最適の設計も変わってくるわけですが、そのあたりに融通がきかせられなかったわけです。この銃の設計者ブロンディも、自動小銃をサブマシンガンに変えるにあたって拳銃弾薬仕様のサブマシンガンには明らかに適さないガスオペレーションをそのまま使用しました。自動小銃がどういうものか不明ですが、まるで対戦車ライフルのような大げさなマズルブレーキも基本的に引き継いだものでしょう。薬量の少ない拳銃弾薬をロングバレルで発射すれば当然マズル部での圧力は低下しており、こんなマズルブレーキがコストや重量、体積などの増加に見合わないことはちょっと考えれば分かりそうなものです。回転角度が極端に小さいセレクターも暗闇でどこにセットされているか分かりにくいなど、いろいろ突っ込みどころの多いデザインです。ショーシャ開発当時にプレスによるコストダウンが明確に意識されていたというのは意外でしたが、この銃は20年近く後の銃なのに非常にコストのかかる機械加工中心で作られたようです。珍しいというのは要するにダメだったということで、興味深い銃ながら評価はできないですね。









戻るボタン