対戦車制圧手段 ( http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Waffen/panzerbekampfungsmittel.htm )

 重圧になり続ける戦車における連合軍の優位と、強化された装甲によって無力になり続ける歩兵を考慮して、1942年夏、HASAG社において「パンツァーファウスト」の開発が始まった。

 最初のモデルとして「Faustpatrone klein,30m」(頑住吉注:「拳骨弾薬 小、30m」)が重量3.2kg、全長985mmで誕生した。重さ54gの発射薬は、長さ360mmの弾頭を長さ800mmのパイプから発射した。この弾頭は0.4kgの成型炸薬を搭載していた。弾頭は木製シャフトに取り付けられた、巻かれた尾翼によって安定させられた。この尾翼は発射後に広がった。弾頭は速度28m/sでターゲットに向かって飛んだ(頑住吉注:これはまた通常のエアソフトガンと比べてもずっと遅い、実用兵器としては異常な低速ですね)。ターゲットは遠くても30mで、約140mmの装甲を貫通した。この兵器の弱点は照準設備の欠如と、弾頭形状によるターゲットにおける横滑りだった(頑住吉注:リンク先の写真でも分かるように、後のタイプと違ってこの最初のタイプは弾頭の先端が尖っており、低速とも合わせて命中角度などによっては装甲の表面で滑り、直角に噴流が吹きつけた場合より貫通力が弱まってしまうことがあった、ということのようです)。

 改良および発展開発の結果として「Panzerfaust 30m」が開発された。弾頭の直径は140mmに拡大され、弾頭には直径50mmのフラットな命中面が与えられた。このタイプでは成型炸薬は0.8kgの炸薬を持ち、200mmまでの装甲を貫通できた。発射パイプの口径は44mmとなり(長さは変わらなかった)、95gの発射薬によって長さ495mm、重量2.9kgの弾頭が速度30m/sに達した。射程は30mで変わらなかった。この場合も短い射程が不利に影響した。戦車が射手に向かって走行してくるとき、30mはとてもとても短かった。1943年8月、この機種の最初の兵器が引き渡された。

 当初毎月400,000基が要求されたが、この量は1944年10月になって初めて達成された。しかしその後要求数は急速に上昇し、1944年9月以後は毎月1,500,000基が要求され、12月には1,296,000基とほとんど達成され得た。1944年、7月生産分においてある重大なミスが発生した。マテリアルの欠陥により247,200基のパンツァーファウストが前線から呼び戻されねばならなかった。

 より大きい射程を達成するため、「Panzerfaust 60m」が開発された。発射薬は134gに増量され、速度は45m/sに上がった。これにより60mの射程が達成された。最初の兵器は1944年9月に製造された。

 射程をさらに増大することを可能にするため、1944年11月以後ツーピースの発射薬(合わせて重量160g)が組み込まれた。この型は速度が60m/sに上がり、射程100mが達成された。この新しい型は「Panzerfaust 100m」という名だった。

 当初この新方式の弾薬にはまだ大きな問題があり、この結果兵器局は全兵器のうち5〜6%を却下しなくてはならなかった。

 1945年1月、HASAG社では「Panzerfaust 150」の開発が始められた。この兵器ではパイプを再使用可とし、10発まで使用できることが意図された。新しい長さ560mmの弾頭は強い円錐形に成型された弾頭フードを持ち、その直径は106mmだった。炸裂弾頭の速度85m/sで射程150mが達成され、弾頭は200mmまでの装甲を貫通できた。サイトは200mまで達していた。小数のテスト用見本品を除き、部隊はもはやこの兵器を手にしなかった(頑住吉注:画像を見ていただければお分かりのように、この兵器は現在でも米軍に脅威を与えているRPGシリーズにそっくりです)。

 「Panzerfaust 250」の開発はもはや終了しなかった。この兵器も再利用できるパイプとピストルグリップを持ち、150m/sの速度を得ることが意図された。

 最も厚い装甲をも貫通できるように、HASAG社は大型のパンツァーファウストを提案した。パンツァーファウスト250のパイプを持つこの兵器は、400mmの装甲を貫通できることが意図された。

 1943年春以後、「Panzerschrecks」あるいは「Ofenrohr」(頑住吉注:「ストーブの煙突」)とも言う兵器の開発に関する研究が行われた。この兵器はチュニジアで鹵獲されていたアメリカのバズーカにならって作られたものだった。ただしドイツサイドでは口径が60mmから88mmに引き上げられていた。この兵器は制式名称「Raketen-Panzer-Buchse」を持ち、重量は9.25kgだった。全長は1,640mmで、重さ3.25kgのRaketen-Panzer-Buchsen-Granate 4322を発射した。このグレネードは重量0.66kgの成型炸薬を搭載していた。飛行中このグレネードはリング状尾翼によって安定させられた。火の放射から身を守るため、射手は防火のポンチョとフィルターなしのガスマスクを後方に飛び戻る火薬の残りに対して身につけた。この規則は実戦使用上は守ることがひたすら困難だった。発射薬はグレネードを2m後には105m/sの速度に加速し、命中角度60度の場合60mmの装甲板が貫通された(頑住吉注:160mmの間違いでしょう)。最初のシリーズはわずかな兵器のみが作られた。

(頑住吉注:原サイトにはここに、1944年3月14日における第225歩兵師団の「Ofenrohr」に関する使用経験レポートへのリンクが貼られていますが、文字だけです。)

 改良された「Raketen-Panzer-Buchse 54」は36x47cmの大きさの防御シールドを備え、これがポンチョとガスマスクを不要とした。この兵器の重量は11kgで、新しい射程180mのR.Pz.B.Gr.4992を発射した。

 さらなる改良はRaketen-Panzer-Buchse 5411をもたらした。これはもはや1,350mmの長さしかなく、改良された照準設備を持っていた。部隊のこの新兵器による装備はゆっくりしか進行せず、弾薬にはかなりの問題があった。弾薬の13%以上が兵器局と部隊によって却下された。

 1944年7月におけるナチ・ドイツ軍の退却の際、Raketen-Panzer-Buchseの損失レートは急速に上昇した。このためBrunn(頑住吉注:「u」はウムラウト)所在のSS兵器アカデミーでは防水加工された圧縮紙製のサンプルが開発された。この兵器は2kg軽かったが、大量生産はもはや行われなかった。

 射手をその「パンツァーシュレック」とともにより良く防御するため、いわゆる遮蔽ターゲット器具が開発された。これは1945年2月においてなお100,000基が注文されていた(頑住吉注:これに関しては「ナチ・ドイツ軍の潜射ストック」の項目に詳しい記述があります)。

1945年3月までの生産に関する表

名称 1943 1944 1945
Faustpatrone 123,900 1,418,300 2,351,800
Panzerfaust 227,800 4,120,500 2,351,800
Raketen-Panzer-Buchse 54 50,835 238,316 -
Raketen-Panzer-Buchse 54/1 - - 25,744
グレネード4322および4922 173,000 1,805,400 240,000

 口径を10.5cmに拡大した「パンツァーシュレック」が1944年8月に提案された。この長さ2,400mm、重量18kgの兵器は重量6.1kgの成型炸薬グレネードによって300mの距離で180mmを貫通することが意図された。しかしこのとき240mmの貫通能力が要求され、その上より軽くするべきであるとされた。次のいくらか変更が加えられたサンプルでは砲身が2,000mmに短縮され、兵器重量は13kgに軽減することができた。この型では今や重量6.3kgのグレネードが1.3kgの新しい成型炸薬を搭載し、これは220mmの装甲板に対して充分だった。しかしこれでは反動力が強すぎになり、小型の砲架の試験が開始された。10.5cm「パンツァーシュレック」のサンプルはもはや実戦に登場しなかった。

 モーゼル社は同様に、秘匿名称「Igel」(頑住吉注:ハリネズミ)および「Stachelschwein」(頑住吉注:ヤマアラシ)の名の下に、後に器具ナンバー26および28の名を得る、2つの「パンツァーシュレック」類似の兵器を提案した。ただしこのタイプでは反動を多数の小さな追加ロケットによって相殺することが意図された(頑住吉注:発射と同時に発射筒に取りつけたロケットを前方に向けて噴射するということでしょうか。よく分かりません)。Ruit所在の研究機関からは口径10.5cmのショルダーウェポンの提案がなされたが、このW22と命名された対戦車防御兵器の細目は存在しない。


 パンツァーファウストに関してはこんなページがありました。

http://www.geocities.com/Augusta/8172/panzerfaust2.htm

 ここには各タイプの断面図などの他、非常に珍しい発射の瞬間の画像もあります。

http://www.waffenhq.de/infanterie/panzerfaust.html

 ここはドイツ語ですが、成型炸薬の原理を連続イラスト化したものがあります。

http://www.pkymasehist.fi/panzerfaust.html

 ここはそもそも何語か私には分かりませんが、照準装置の鮮明な画像が貴重だと思います(ここを見ている方から教えていただきました。フィンランド語らしいとのことです)。

 ミニ電動ガン並みの初速で30mの射程しかない最初のモデルから、(完成しなかったそうですが)最も低速のピストル弾に近い初速とRPGに似た外観を持つに至るまでの発達史も興味深かったです。

 パンツァーシュレックに関しては「Waffen Revue」の記事を紹介しましたが、紙製のパンツァーファウストや口径105mmの拡大型に関しては触れられておらず、知らない内容でした。105mm版は「Hammer」とは明らかに別ものですが、どうも混同されることもあるようですね。また、これを書いたのはドイツ人のはずですが、パンツァーシュレックはバズーカを元に開発されたものであると明記されています。














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