ツポレフ-2Sh掃射機

 トンデモ兵器として言及されることが多い機種ですが。

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毎分7.9万発! 実戦機、88挺のサブマシンガンを装備し敵を殲滅

この画像を見るとまず「密集恐怖症」を思い出すかもしれない。この第二次世界大戦のソ連軍爆撃機の弾薬庫架台上の「銃アレイ」には全部で88挺のサブマシンガンが装備され、1回の一斉射撃で毎分7.9万発という恐るべき発射速度に到達でき、正真正銘の「火のハリネズミ」だった。実際この「低空掃射システム」の二人の「主役」は皆非常に熟知しており、それぞれツポレフ-2爆撃機とペペシャサブマシンガンである。この画像集はこれにつき解読する。

まずツポレフ-2(国内ではかつて杜-2と訳された)中型爆撃機を語ろう。この系列の爆撃機はソ連の著名な航空設計師ツポレフによって1940年5月に研究開発され、1941年1月に初飛行に成功し、1942年にソ連軍への就役に投入された。生産量は2,200機を超え、作戦性能が信頼できたため公認の「第二次世界大戦で最良の中型爆撃機」の一つである。画像は芸術家が描いた第二次世界大戦末期、ドイツの首都ベルリン上空を飛行するソ連軍のツポレフ-2爆撃機編隊の油絵。

ツポレフ-2中型爆撃機は全長13.8m、全幅18.86m、全高4.13m、最大離陸重量11.7トン、最大水平飛行速度528km/h、最大航続距離2,000km、内部弾薬庫には最多で1.5トンの航空爆弾が搭載でき、主翼にはさらに2門の20mm航空機関砲があった。画像はツポレフ-2爆撃機の透視図。

提示しておくに値するのは、ツポレフ-2はさらに新中国空軍建設の初期、初めて大規模装備された爆撃機で、建国後多くの戦役に参加したこともある「功績機」だということである。

次はソ連軍によって「溌弾雨」(頑住吉注:強いて言えば「弾丸のシャワー」ですかね)と呼ばれたPPSh-41(PPはロシア語のサブマシンガンの略)、「ペペシャ」とも呼ばれたサブマシンガンである。この銃は全長843mm、ドラムマガジンへの装弾後の全体重量5.45kg、7.62mmx25トカレフ弾薬を使用し、理論上の発射速度は毎分900発で、給弾には71連ドラムマガジンを採用し、有効射程は150mだった。画像は芸術家が描いたPPSh-41。

PPSh-41はソ連の著名な小火器設計師シュパーギンが1941年に設計を完成したもので、目的は構造が複雑なPPD系列サブマシンガンに取って代わることだった。ステンと同工異曲なところがあるのは、PPSh-41も大量にプレス部品を採用し、大規模量産に非常に便利だったことで、1940年代末、この系列の銃はすでに600万挺生産されており、第二次世界大戦中生産数最大のサブマシンガンだった。

この両者を組み合わせようという考え方は1944年に始まり、当時ソ連の技術者は短時間内に多くのドイツ軍歩兵に重大な損害を与えることのできる対地攻撃機(つまり後日の「ガンシップ」)を研究開発し得ることを希望し、ツポレフ-2は最良の試験「対象」となった。ソ連軍は全部で2機のツポレフ-2を改装し、ツポレフ-2Sh型と称し(Shはロシア語のShturmovik、低空攻撃機、奇襲の略)、それぞれの機の弾薬庫内にはいずれも専用の「サブマシンガンアレイ」が吊り下げ装備され、内部には88挺のペペシャサブマシンガンが装備され、それぞれはいずれも独立してドラムマガジンを用い、かつ銃口は斜め45度下向きに配置されていた。

この「火のハリネズミ」というあだ名の低空掃射システムは視覚効果でも、理論上の発射速度でも「震撼」効果を達成できたが、実際の試験結果は決して理想的ではなかった。

欠点の一つはシステムの準備時間が長過ぎたことで、それぞれのペペシャはいずれも71連 ドラムマガジンを有し、全システム合計6,248発の弾薬で、全て手作業で装填する必要があり、1回の作戦に少なくとも100時間かけて弾薬を装填する必要があり、明らかに実戦の要求に符合しなかった。画像はPPsh-41サブマシンガンの生産ライン。試しにちょっと考えてみよう。毎回ツポレフ-2Shの出撃前必ず大量のマンパワーと時間費やして弾薬の装填をを行う必要があり、効率が低すぎる。

またソ連軍技術者はシステムを設計する時、大量のサブマシンガンの密集した一斉射撃は一つの非常に大きな区域内に弾雨を降り注がせることができると考えたが、試験では弾雨が往々にして一つの非常に狭い区域に散布されることがはっきり分かった。最も致命的な点は、ペペシャの200mという有効射程が非常に限られており、ツポレフ-2に超低空飛行を必須なものとして迫りそれでやっとシステムに作用を発揮させることができ、疑いなくツポレフ-2が敵軍の地上砲火によって撃墜される確率を高めた。画像はゲームの中のツポレフ-2爆撃機の投弾のキャプチャー画像。

以上の何点かに基づき「火のハリネズミ」システムが実戦に投入されたことは全くなく、最終的には何回かの試験が行われただけで後に開発は終了したが、「ガンシップ」に似た概念は1960年代のベトナム戦争の時期、米軍がそれに対し改良を加えた後に「復活」し、第1世代「ガンシップ機」AC-47を登場させ、最終的に成功獲得した。画像は芸術家が描いた米軍のAC-47Dガンシップ機が地上に対し掃射する場面。


 どうなんですかね、いろいろな欠点が挙げられていますがローダーを開発することもできるでしょうし、わずかに設置に角度をつけて拡散させることもできるでしょうし、一般にオープンボルトサブマシンガンの有効射程は200m程度かもしれませんが類似の弾丸を使うモーゼルミリタリーピストルには1000mのタンジェントサイト付きのものもありましたし、特に上から下に撃つ場合200mの高度を大きく超えても当時の防弾衣など普及しておらずヘルメットもスチール製の歩兵に対しては充分な殺傷力があったのでは。
















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