「今月の弾薬」
http://munimichl.de/patrone_des_monats.htm
2007年10月
11.5mmRoth
セルフローディングピストル採用のための1902年におけるイギリスでのテストには、ウィーンのG.
Roth株式会社も2つの異なる構造をもって参加した。これらは共に却下され、イギリスはリボルバーの使用を続けた。このテスト弾薬のうち極度に少数が時を越えて残った。薬莢には小さな斑点がある。視覚的に非常に好感を与える、通常の薬莢形状とは異なる開発品である。
(頑住吉注:ほとんど普通の弾薬と変わらない感じですが、唯一底部にテーパーがついているのが珍しいです。ガス圧で包底面に押し付けられることによって気密性を増すという意図でしょうか)
2007年9月
9mmボーチャード
DWM(頑住吉注:ドイツ銃器および弾薬工場社)によって製造された極度にレアなテスト弾薬。変更を加えたボーチャードピストルであるルガーピストル「M1900」をもって同社はイギリスにおけるアーミーテストに参加した。この弾薬と銃は却下された。最低限口径である.40(約10mm)に達していなかったからである。極度に少量のみがテスト用に生産された。底部刻印は「D.
M. * K. *」。
(頑住吉注:これも全く知らなかった弾薬です。ボトルネックして9mmということはボディ部は7.63mmモーゼル弾薬とほぼ同寸である7.65mmボーチャード弾薬より太いはずで、だとすれば銃にはかなりの改造が必要だったはずです。ここまで手間をかけるならボトルネックなどにせず最低限口径を満たせばよかった気がしますが。これを使用する銃はスイス軍が制式化したルガーM1900ではなくボーチャードピストルを改造したものだったような記述ですが、詳細は不明です)
2007年8月
.39B.S.A
第一次大戦後、イギリスでは政府の発注がなくなったことにより銃器および弾薬産業の衰退が起こった。これら産業は新規開発または民間向け製品の製造に取り組んだ。B.S.A.(バーミンガム スモール アームズ カンパニー)の場合、セルフローディングピストルの開発を試みた。これは程度の差はあれコピー品をベースにしていた。ポピュラーな弾薬もテストされたし、完全に新しい構造、例えばベルト薬莢を持つ.28、.34、.39口径もテストされた。ベルト薬莢に関する1904年のイギリスパテントは第一次大戦後には失効していた。これは何故同社がこの開発を考慮に入れたかの理由らしい。このプロジェクトは失敗し、わずかな個々のピストルおよび弾薬の存在のみが世界中でまだ知られている。この弾薬はEleyによって作られたらしい。極度にレアである。
(頑住吉注:「ベルト薬莢」というのは後部に補強用の太くなった部分を持つマグナムライフル弾薬などに見られる薬莢です。多少強力だったとしてもピストル弾ではメリットはないと思われますが、承知の上で「強力そう」なイメージを強調したかったのかも知れません)
2007年7月
9mmx31.5ロケット弾薬
第二次大戦中にLangweiler氏によって開発された動力装置付き弾丸の駆動コンセプトは戦後さまざまな国で真似され、テストされた。1945年以後における世界での技術伝播は史上最大のものだった。西ドイツでもすでに1950年代にこのコンセプトが発展開発されていた。この弾丸はMeppenテスト場でテストされた。弾体は真鍮製で、銅製のプライマーの周りには(頑住吉注:この項目は辞書にない単語、慣用句らしきものなどが頻出して意味不明の部分が多いですが、どうも飛行中に安定させるため底部に噴流にひねりを加えるフィン状のものが6枚あり、これは薄い真鍮製の弾体のこの部分をプレスして作ったものではないかと思われます)。この弾丸には少なくない偽造品と、レプリカであることを示す特徴のない後の模造品が存在する。オリジナル品は極度にレアである。
(頑住吉注:画像と名前を見て第二次大戦中に作られたものかと思いましたが、戦後の西ドイツで作られた発展開発品だということです。戦後に本格的な研究が続いたということすら知りませんでしたが、結局ものにならなかったのは間違いありません)
2007年6月
11mmRiera
この「ロードされた弾丸」はマドリード在住のスペイン人Marino
Y. V. Riera y Pereraによって作られた。スペインでは1852年、フランスでは1853年にパテントが取得された。ショートアームおよびロングアームに使用された。回転可能なチャンバー内からピンが後方に突き出ている。このピンは半分弱が空洞で、点火薬が入っている。この点火薬は装着された鉛製の蓋の下に位置している。ピンの前部は2本のU字釘によって鉛弾内に固定されている。ハンマーはピンを打撃する。初期の、そしてレアな製造品である。
(頑住吉注:.22ショート弾薬が開発されたのは1857年で、つまりこれは本格的なメタリックカートリッジが出現する前に試みられたものです。ボルカニック弾薬のような、内部に発射薬を収めた弾丸らしいですが、詳細はよく分かりません)
2007年5月
.308Win、7.62mmx51
ライラック色の先端が特徴のこの弾丸はSSG=ステアースナイパーライフル用である。
2007年4月
.56-56スペンサー
25発のオリジナル弾薬入りのレアなUMC紙箱。100年をはるかに越える前から究極的に手つかずの状態。
(頑住吉注:紙箱を見るとスペンサーカービン用、コネチカット州ブリッジポート所在のユニオンメタリックカートリッジ社製、ということが分かります http://www.hackman-adams.com/guns/spencer.htm )
2007年3月
.22lfb(頑住吉注:LR)の紙箱
ニュールンベルグのRWS、Stadeln工場製。ペルシャ(今日のイラン)向け。
2007年2月
.450 Adams Dust Bin
この球状弾は溶接された先端を持っている。これは中間手段を刺し通すもので、ツーピースの火薬容器内に固定されている。(Dust
Bin)後ろの部分はセパレートに作られ、除去後はパーカッションプライマーの炎が発射薬の上の紙製カバーを貫通でき、点火に導く。このコンプリートな品はさらに浮き出しの刻印「ELEY
LONDON」も持つ。1850年頃のもの。
(頑住吉注:うーん、さっぱり分かりませんが、これもメタリックカートリッジ本格登場前の試みですね)
2007年1月
.54 Burnside
アメリカ南北戦争時代の非常に美しい、完全にオリジナルのパケット。
(頑住吉注:これは黎明期のメタリックカートリッジ仕様バーンサイドライフル用の弾薬です。パーカッションキャップはまだ別体でした。
http://armscollectors.com/mgs/cartridgebox.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Burnside_carbine )
2006年12月
11.5mmx35 Bayerisch Werder
カービンおよびピストル弾薬M69。極度の珍品! 非常に良好なコンディション。16発のオリジナル弾薬がコストのかかった作りの紙箱に入っている。
(1869年頃、バイエルン地方のものなんでしょうが検索しても詳しいことは分かりませんでした)
2006年11月
口径2.8cm(28/20mm)の重対戦車銃41
逆テーパー付きバレルとフランジ付き弾丸を持つシステム。当初の口径は2.8cm、砲身を去った後はこれがもはや2cmとなった。この品にはオリジナルのMagnevinキャップが付いている。
(頑住吉注:「Magnevin」とはマンガンを加えたマグネシウム合金のことらしいです。何度か触れましたがこれは「銃」とは名ばかりの、車輪付き砲架に載せられた小型対戦車砲で、砲弾の直径を砲身内で絞りながら圧力を上げ、超高速で発射するものです。サイズの割に高い貫通力がありましたが、砲身の寿命が短い、砲弾に当時のドイツで極度に不足していたタングステンを使う必要があるなどの理由で多用されませんでした)
2006年10月
驚異的に美しい6mmFlobert入りの缶
BarmenのHosterey製。
(頑住吉注:「o」はウムラウト。100発入りのようです。「弾丸付き」と当たり前のことが書いてあるのが時代を感じさせます)
20006年9月
2003年9月の弾薬のオリジナル品
2006年8月
15x96 MG151/15
試作対戦車グレネード40付き。これにはタングステンコアが含まれている。
(頑住吉注:広く知られているMG151は航空機用20mm機関砲ですが、当初は15mm弾を超高速で発射するものでした。たぶんこれは主に航空機から敵戦車を破壊することを主目的にした弾薬だったと思われ、ソ連の14.5mm対戦車ライフル弾より強力だったはずです)
2006年7月
15mmPichereau
知られている最初のパーカッション散弾弾薬らしい。この弾薬はノーマルな青染めされたピストンを持つ。スチール製の薬莢はPaulyの弾薬との親類関係を否定することができず、また見逃しようがない。ずっと以前にこのオリジナル包装および4発の弾薬と共に1挺の散弾銃が発見された。この散弾銃には「Invencion
Paulay / Perfectionne Pichereau」、すなわちPaulyの発明。Pichereauによるパーフェクト化」と刻印されていた。この価値に富んだアンサンブルは1820年代初頭のものと見られる。
(頑住吉注:ピストンとはワッズのことでしょう)
2006年6月
20発の弾薬M71。
1885年、シュパンダウ由来の古い紙箱。
(頑住吉注:弾薬M71とは、ドイツが初めて統一的に採用したメタリックカートリッジ式ライフルであるモーゼルM71に使用する弾薬で、11
mm x 60 Rとも呼ばれます。当然黒色火薬仕様で鉛ラウンドノーズ弾を使うものでした)
2006年5月
砲兵砲信管、カッタウェイモデル
これは155mm榴弾砲の着発信管(AZ)である。この信管は例えばM109、装甲榴弾砲2000、野戦榴弾砲FH70などに使用されるのが見られる。この信管は炸裂弾(HE)にねじ込まれ、ターゲットへの着弾の際に点火する。
(頑住吉注:「装甲榴弾砲2000」というのはこんなのです http://de.wikipedia.org/wiki/Panzerhaubitze_2000 )
2006年4月
サイレンサーなしの特殊銃器用「静寂」弾薬
ロード状態(左)と発射済み(右)のロシア製SP-4弾薬。正確に薬莢の先端で停止させられている駆動ピストンに注意。センターの円錐形のピンは、ロード状態の弾丸を薬莢内でセンターに位置させることに役立つ。
(頑住吉注: http://www.webspace-giant.com/patronensammlerde/spezialmunition_udssr.htm こんなロシアの特殊弾薬を紹介したページへのリンクがあります。この内容もそのうちお伝えしたいです)
2006年3月
Aus aktuellem Anlass(頑住吉注:うまく直訳できないんですけど、おおよそ「時事ネタ」というような意味で、2006年2月に行われたトリノオリンピックに関係したネタだということです)
ラプア ポーラー バイアスロン弾薬。紙箱入り口径.22lfB(ビュクゼ用ロング 頑住吉注:LR)弾薬50発。これは現在生産されている弾薬用のそれの1つ前のタイプの紙箱。これはフィンランドの会社ラプアがドイツの会社SKショーンベック(頑住吉注:「o」はウムラウト)と提携する前の時代のもの。この弾薬は今日ほとんど全てのバイアスロン選手によって射撃されている。この弾薬が極度に気温への抵抗力があり、信頼性をもって機能するからである。ドイツナショナルチームもこの弾薬をトリノオリンピックで使用し、非常に大きな成功を収めた。
2006年2月
11.5x50R Werder
1869年、バイエルンで採用されたドイツ初の軍用金属弾薬。
(頑住吉注:前述のM71以前、普仏戦争前にバイエルン王国ではメタリックカートリッジが採用されていたわけです。1870〜71年の普仏戦争でプロシアは射程がはるかに長いなどドライゼの点火針小銃より優れたシャスポー銃の前に苦戦を強いられましたが、もしこの弾薬を戦争前に採用していたらより少ない犠牲で勝利できたはずです。なお普仏戦争はドイツ語では「ドイツ・フランス戦争」と言うように、実際にはプロシアだけでなくプロシアを中心とするドイツとフランスの戦争であり、バイエルン王国もプロシア側について参戦しましたが、この弾薬がどの程度有利に働いたのかは残念ながら不明です。そもそも「採用された」からといって全軍に普及していたとは限りませんし。ちなみにこの弾薬も底部にテーパーがついてますね)
2006年1月
7.92x94 弾薬318
燐酸塩処理されたスチール製底部付きで赤いプラスチック製の極度にレアな軍事教練弾薬。この弾薬はごく少数が1945年にアメリカによって鹵獲された。ドイツ国内では全ての弾薬が処分された。中部および東部ドイツでは爆破、あるいは焼却された。
(頑住吉注:弾薬318というのはパンツァービュクゼ38および39用の弾薬で、13mmクラスの大きな薬莢に入った大量の発射薬を使って細い、ただし通常の同じ口径の弾丸よりはずっと重い7.92mm弾を超高速で発射するものでした)
2005年12月
4.7mmx21 Form D Ex用ストリップクリップ
唯一知られる10発の軍事教練弾薬Form「D」用ストリップクリップ。空。
(頑住吉注:何故軍事教練弾薬に専用のストリップクリップが必要なんでしょうか。それだけで大きな欠点だったような気がしますが)
2005年11月
13mm練習バレル(頑住吉注:用弾薬)
口径14/9mmの逆テーパー付きバレルを持つ対戦車ライフルのためには口径13mmの練習バレルが存在した。
高価なフランジ付き弾丸を節約できるように、このバレルからはここで示している弾薬が発射された。
2005年10月
9mmFlobert散弾弾薬缶
リグノーゼの生産のためのOberschleisischen株式会社のパテント開口付きの驚異的に美しいブリキ缶。Fullhorn(頑住吉注:「u」はウムラウト。ギリシャ神話に登場する花や果実で満たされた角のことだそうです)ブランド。非常にレア。
2005年9月
5.2x68モンドラゴン
メキシコの砲兵隊将校マニュエル モンドラゴンは1890年代初めにセルフローディングライフルの製造を試みた。これはメキシコでは技術的に不可能だった。彼はスイスのSIGおよび有名なスイス人弾道学者Rubinとの共同研究を試みた。
(頑住吉注:この銃の話は比較的有名でしょうが弾薬は初めて見ました。画像だけ見ると弾薬318などと同コンセプトの対戦車ライフル弾薬みたいですね。どうしてこんな巨大な薬莢に当時の軍用ライフル弾としてはとしては異例な小口径になったんでしょうか)
2005年8月
4口径(26.5mm)音響シグナル弾薬
1発の弾薬と1発の弾薬のカッタウエイモデルを持つダイナマイトノーベル株式会社による図表。
使用:テスト用。恐らく雪崩の爆破用
(頑住吉注:たぶん雪崩が起きそうな危険個所で大音響を鳴らしてあらかじめ崩落させることを試みたが、広く知られていないところを見るとうまくいかなかった、ということではないかと思います)
2005年7月
4.5mmx9.5 Leon Crottet
これは縮尺1/2に縮小された9mmパラ弾薬(9mmx19)。
この完全に機能する弾薬は同じメーカーのミニチュア銃器用である。
(頑住吉注:これはすごいですね。私は「ヒットラーの息子」という劇画を思い出しました。ちなみにこんなページがありました http://www.luger-genesis.com/detail_pisto.php?id=28&p=3 )
2005年6月
バチカン向け7.5mmスイス
1955年3月28日製造のバチカン向けトゥーン(頑住吉注:スイス、ベルン州の都市)造兵廠の10発入り紙箱。
2005年5月
7.62mmロケット弾
ロシアの試作品
(頑住吉注:残念ですがこれ以上の詳細は不明です。なお、私はP11水中ピストルのロケット説に対し、「7.62mmのロケットというのは細すぎでは」との疑問を提示しましたが、一応可能ではあるようです。ただ細さが大きな原因となったかは不明ながらこの弾薬が成功していないことは間違いないはずです)
2005年4月
9mmパラ近距離弾薬
サイレンサー付き銃器に使用するための第二次大戦当時のドイツ製弾薬。こうした弾薬は7.92mmx57でも製造された。
(頑住吉注:これはダミーらしいですが、たぶん通常より重い弾丸付きなんでしょう。上にあった弾薬318の「軍事教練弾薬」の底部と色が似ているので、あるいはこれも燐酸塩処理されたスチール製薬莢かも知れません)
2005年3月
4.5mmx50R ピストルSPP-1
ロシア製アンダーウォーターピストル用軍事教練弾薬。非常に長いスチール弾の付いた真鍮製薬莢。
2005年2月
Greifer(頑住吉注:語の成り立ちは「グリップするもの」で、「グラブ」、「警官」などの意味がありますが、この場合何を意味しているのか不明です)用4.9mm(4.9mmx20.4)スプリングボルトなしのラウンドノーズ弾
アルミホイルに入っている。これはゲベールG11用弾薬の最初のバージョン。アルミホイルはコック オフ遅延用に取り付けられたらしい。
(頑住吉注:常識的に、また後の弾薬に見られないところを見ても、ごく薄いアルミホイルでコックオフが遅延できるとは思えません。またアルミ製の薬莢というものがある以上完全に燃え尽きてくれるとも思えません)
2005年1月
.40-40Maynard モデル1873
この場合ニッケルメッキされたツーピースの真鍮製薬莢
(頑住吉注:こんな銃です。異常に大きいリムはバレルと包底面のギャップを埋めるものだということです http://www.pbase.com/halp/maynard12 )
2004年12月
Sellier & Bellot製散弾弾薬
レアな、恐らく手作業で着色された品。この弾薬は非凡に色鮮やかで、飛んでいるカモの図柄がある。これはごく少数しか生産されなかった。
2004年11月
「Taubentreffer」(頑住吉注:「鳩」+「命中弾」)ブランドの散弾弾薬
これは特別に興味深い散弾弾薬である。このタイプは心得のあるハンター用のシェルで、白い紙製薬莢と暗いグリーンの文字を持つ。
(頑住吉注:イラストですが、原ページの筆者がまだ持たず、現物を探しているものだそうです)
2004年10月
帝国空軍の教育目的のパネル。口径7.92mmx57。
(頑住吉注:かなり特殊な弾丸のようです。航空用でしょうか。右の説明文は不鮮明で読めません)
2004年9月
女性と弾薬開発
他の場合男たちに支配されている弾薬の開発という領域に、何人かの女性も興味を持ち、弾薬を作り出してきた。
例えば1970年代の初めに5.45mmx18弾薬を開発したソビエト・ロシアのA.D.Denisovaである。この弾薬はPSM(Samosarjadnij
malogabarinij=小型セルフローディングピストル)としてより良く知られているIICMピストル用に考えられた。
この小さな弾薬は、たった2.4gの弾丸重量で315m/sという印象的な銃口初速度と129ジュールというマズルエネルギーをもたらす。
(頑住吉注:このページで最も驚かされたのはこの項目です。この弾薬を開発したのが女性だとは全く知りませんでした。さすが第二次大戦中は女性の戦闘機パイロットや狙撃兵もいたソ連です。ただ、他の資料に全く見られない情報で、本当なのかという疑いも捨て切れません)
2004年8月
7mm Sarbacane Paquet
「schiesende Spazierstocke」(頑住吉注:「o」はウムラウト。意味不明です)用フランス製弾薬。私は残念ながらこの点火方法を知らない。恐らくはBlasen点火だろう(頑住吉注:英語のブローにあたる単語ですがこれも意味不明です)。
2004年7月
防御地雷PMN Ub(頑住吉注:「U」はウムラウト。「練習」の意)
これはNVA(頑住吉注:東ドイツ軍)およびソ連のPMNタイプ練習地雷である。この形式の地雷は特にドイツ-ドイツ国境(頑住吉注:かつての東西ドイツ国境のことでしょう)に敷設された。練習地雷の目印のため、この品には典型的な白いストライプとキリル文字の「u」(У)が入っている。この地雷は爆発可能なロードがなされていない。
2004年6月
12.7mmレミントンPapal(ローマ法王)
1868年頃の非常に興味深い品。1860年から1870年までの時代、ピウス9世とフランスおよびベルギーの部隊に支援された彼のスイス近衛隊がビットリオ エマヌエル王(このサイドにはガリバルディがいた)に対する戦争、今日言うイタリア戦争が支配していた。1867年、法王はベルギーのリエージュにいたナガン兄弟にシャスポーライフルを、その後ロンドンのWestley-Richardsにレミントンライフルを発注した。これらは後にナガンによってレミントンのスタッフたちの指揮監督の下に製造され、検査された。そのような銃の明確な印は十字の刻印である。伝説によれば12人のリエージュの銃器工によって作られ、代金が支払われた12挺の特別に美しい銃がバチカンに到着し、それらには12使徒の名がつけられていたという。1挺の特別製の銃は1869年1月24日にピウス9世に贈呈された。この銃には「in
cruce domine unico salus」、すなわち「唯一の救済は我らが主の十字架」の銘が入っていた。
戦争は、ナポレオン3世治下のフランスがプロシアとの戦争遂行を可能にするため部隊を引き上ざるを得なかった後、1870年9月20日に敗戦で終わった。
1929年になって初めて、ムッソリーニと法王との間の協定により、バチカンは独立国となった。……世界最小の。
この弾薬はブリュッセルのBachmannによるパテント点火方式を持っている。
(頑住吉注:こんな戦争があったことも、法王が銃器を発注していたことも知りませんでした)
2004年5月
Spruhbuchse(頑住吉注:2つの「u」はウムラウト)37用遅延信管
(Zt.Z.f.SpBu.37) 名称はぴったりである。多くのメカニックを伴う非常に興味深い品。理論的には任意に再使用可能。遅延時間は約5秒。
(そもそも「Spruhbuchse」が何なのか全く分かりません)
2004年4月
14/9mmx84 Viereck弾薬
これは第二次大戦時のフランジ付きテスト弾薬。この弾薬は逆テーパー付きバレルを持つ高初速銃器用に開発された。発射前の弾丸の径は14mm、バレルを去った後は9mmだった。この弾薬はその開発者Viereck氏にちなんで命名された(それゆえ底部にもViereckの刻印がある)。弾丸の開発者はGerlich氏である。
(頑住吉注:28mm/20mmの重対戦車重41を縮小したような1人の兵でも扱える14mm/9mm対戦車銃が試作されたようなんですが、詳細は不明です。想像するに、ソ連の14mm対戦車銃より貫通力が大きく、反動の小さいものだったが、やはりタングステンの不足やバレル寿命の短さと言った問題から試作に終わったんでしょう。それに9mmのライフル弾が仮に敵戦車の車内に飛び込んでも、即戦闘不能になる可能性は小さいでしょうし。なお、この銃の練習用逆テーパーなしバレルに使うのが2005年11月の弾薬なわけですが、当然弾道特性は異なるはずです)
2004年3月
発光投射体
このハンドグレネードに似た部品は主にSEK(頑住吉注:特殊投入コマンド)および対テロ部隊での使用が見られ、隊の突入直前に敵を眩惑する意図である。当然この品は装薬が抜かれている。
(頑住吉注:要するにスタングレネードですね)
2004年2月
口径12番散弾弾薬
この弾薬はイランから来たらしい。非常に美しい品である。
2004年1月
20mmx139
この種の弾薬は例えばドイツ連邦国防軍がマルダーの車載カノン、あるいは20mm野戦カノンで使用している。これは炸裂焼夷弾付き弾薬である。
(頑住吉注:マルダーとはこんなのです http://www.panzerbaer.de/types/bw_spz_marder_1a1-a.htm 戦後になって20mm野戦カノンなんて使っているのかなと疑問に思いましたが、 http://home.arcor.de/bmp1271/Bundeswehr.htm こんなので、対空機関砲のようです。ちなみにこの弾薬は第二次大戦時のMG151機関砲の弾薬よりかなり薬莢が長く、たぶん強力なんでしょう)
2003年12月
9.3mmx70
RWSのスーパーレアな弾薬。これはたった10発しか知られていない。1960年から1965年の間頃に行われたテスト用である。薬莢は8mm延長された9.3mmx62のようである。弾丸はこの弾薬用に特別に開発されたものである。
2003年11月
口径12番散弾弾薬 Beduine(頑住吉注:アラビアの遊牧民族、ベドゥイン人)ブランド
この弾薬はSellier & Bellotによる非常にレアな、そして非常に美しい品である。これは試作品である。作られた時代は正確には特定できない。一方でこの弾薬は典型的な底部刻印*
12 * 12 * 12を持ち、他方プライマーはNeroxin刻印を持たない。
2003年10月
.230リボルバー用弾薬紙箱
これはUtendoerffer社の50発の空砲が入った紙で梱包されたブリキ箱である。
2003年9月
発光弾薬 システムEisfeld
この弾薬は極度の珍品である。これは第一次大戦当時のピストルシステムに起源がある。この銃は通常の意味でのバレルやチャンバーを持たない。押しボタンの操作によってグリップフレーム上端にある開閉式の蓋が開かれた。その後この中に弾薬が入れられた。発光弾体の発射薬および「キャリア」としては9.3mmx72(有名な狩猟用弾薬)の薬莢が役目を果たした。蓋の閉鎖後、ピストルは発射準備状態となった。この構造は主に民間の飛行士に使用されるのが見られた。このピストルは今日レアであり、弾薬はもはやほとんど「出版証明用見本」しか存在しない。
ここに示した弾薬はスイス由来の遅い時期の製造分である。
(頑住吉注:弾薬の左端がリムのようになっていますが、これを蓋を開けた中に入れ、閉じると挟み込まれるように保持され、太い部分は銃の前に突き出、トリガーを引くとここから照明弾が発射される、という感じでしょうか。これは後の外国製で、2006年9月の弾薬がオリジナルだというわけです)
2003年8月
ロシア製S5破片ロケット
このロケットは破片ジャケット(予定破壊個所を持つスプリングスチール製バンド)を持ち、例えばヘリコプター(Mil
Mi24のような)から発射されたし今でもそうである。
2003年7月
20番口径 Waidmannシェル イエロー
Waidmannシェルファミリーの中で非常にレアなバリエーション。この口径でしか作られていない。
2003年6月
スチール薬莢付きMG131/8
有名なMG131/13弾薬をベースにより小さい弾丸を使うというドイツ空軍用の実験が実施された。これよりより高い初速の達成が期待された。これは真鍮製薬莢付きのより有名なこの弾薬の型と共に作られたスチール製薬莢付きの弾薬である。
(頑住吉注:そもそも7.9mm機銃より威力が大きい航空機銃が欲しくてMG131
13mm機銃を開発したはずなのに、戦争中の忙しい時にドイツ人もわけの分からんことをしたもんですね。たぶん結果的にできた弾薬は「弾薬318」と大差ないものだったはずですし)
2003年5月
7.9mmx57 SmK Ub 自爆装薬付き
これは練習弾薬であり、空中および曳航ターゲットへの射撃に使用するためのものだった。曳光剤の燃焼後自爆装薬に点火され、弾丸は爆発した。これにより600m以上の距離での弾丸による危険が回避された。
2003年4月
5.7mm Voere UCC(Usel Caselカートリッジ)
この弾薬は試作品で、Usel氏によってVoere社のために開発された。口径5.7および6mmのハンティングライフルがマーケットに持ち込まれた。スポーツライフルのプロトタイプ1挺も知られている。さらに各口径用のターゲットピストルも関係していた。この試作品はエキストラクター用のミゾを持たない。その下の黄色い弾薬は実際に販売された妥当なバージョンである。
(頑住吉注:極端に大量に持ち運んだり消費したりするわけではないハンティング用、ましてや競技用にはケースレス弾薬のメリットはないと考えられ、当然成功しませんでした。まああわよくば軍用に、という考えもあったのかも知れませんが)
2003年2月
Simon Heimによる16番口径散弾弾薬
2003年1月
10.5mmx73 Miller & Greissマグナム
この非常にレアな弾薬はバイエルン由来の開発品である。より正確に言えば、この弾薬はミュンヘン由来であり、1910年から1920年の間のものらしい。2人のミュンヘンの銃器工MillerとGreissは銃器と弾薬でパテントを取得した。底部刻印は「MILLER
& GREISS MUNCHEN」(頑住吉注:「U」はウムラウト)。
2002年12月
口径4.7mmx21仕様のケースレス弾薬
この弾薬はショルダー弾薬としても、「丸の上の四角」という名称フォームでも知られる。これはプラスチック製トレーニング弾付き弾薬である。こうしたものは極度に少数しか知られていない。使用銃はG11(14番目くらいのプロトタイプ)。
(頑住吉注:こんな段階でプラスチック弾付きトレーニング弾薬を作っていたというのは意外です)
2002年11月
口径.335H.V.スーパーマグナム仕様のライフル弾薬
Halgerによる。設計者たちにちなんでHalbe
und Gerlich。H.V.はハイベロシティすなわち高速を意味する。事実この弾薬は第二次大戦前最高速のライフル弾薬に該当した。
(頑住吉注:ポーランドやドイツには13mmクラスの薬莢を7.9mmに絞って高速弾を発射する対戦車ライフル弾薬がありましたが、これは「民間用では」という意味でしょうか。ゲルリッヒは逆テーパー付き特殊砲の開発者ですが同名異人でしょう。画像を見ても普通の弾薬としか見えませんし)
2002年10月
16番口径の散弾弾薬
「Plastomenit」ブランド。