052級駆逐艦建造秘話

 かなりの曲折があったようです。

http://military.china.com/history4/62/20140506/18485913.html


052駆逐艦建造に意外事が起きる:あやうくアメリカのガスタービンエンジンが装備できなくなるところに

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「LM2500ガスタービンエンジンは体積が小さいだけでなく、それ自体の放熱、ガスや液の漏れもごく少なく、操作員はタービンエンジンの近くで作業ができ、このため艦船の設計師は一般的に必ずそのために動力室を「オーダーメイド」し、できる限り艦内の体積を浪費しないようにする。」)

051から052までは、中国の駆逐艦発展史上においてまるまる1世代をまたぎ越えた。当時の中国海軍の構想によれば、ミサイル駆逐艦が「第2世代」グループに入るか否かの最も主要な指標には3点があった。1つは対空ミサイルがあることを必要とする。2つ目には艦載対潜ヘリがあることを必要とする。3つ目はガスタービンエンジンがあることを必要とする。052型艦のチーフエンジニアである潘鏡芙の視点によれば、もう1点加える必要がある。すなわち、艦全体に高度に自動化された集中式指揮システムがある必要がある。第2世代駆逐艦のこうした要素は、当時の中国の造船工業ないし全体的武器工業にとって、全てが非常に大きな挑戦と言えた。052型の建造、就役の過程は、最初からもう茨の道が運命づけられていたのである。

ガスタービンエンジンの危機

1980年代初期、海軍は第2世代ミサイル駆逐艦にガスタービンエンジンを使用することを決定した。当時国内で自ら研究開発する数機種のガスタービンエンジンは、あるいは信頼性が要求を満足させられず、あるいは出力、効率などの性能が理想的でなく、このため国外からの機種の導入が決定された。アメリカのゼネラルダイナミクス社のLM2500は総合性能の上でイギリスの同類機種より優れ、しかも1980年代中期、アメリカは徐々にLM2500の技術移転を許し、中国にLM2500コピー生産の能力を獲得させていた。このため中国は052駆逐艦上にLM2500ガスタービンエンジンを装備することを決定した。

だが1989年、052型第1号艦「ハルビン」号の着工時、事情にはすでに変化が発生していた。西側は中国に対する武器技術、装備輸出の禁令を再始動させ(頑住吉注:重要な情報を書くことができないようですが言うまでもなく天安門事件の影響です)、LM2500の導入は阻害を受け、中国は4台の完成品のLM2500および訓練養成、実験に用いるLM2500のサンプル機1台を獲得しただけだった。当時の情勢から判断して、中国はすでにさらに新たな艦船用型LM2500ガスタービンエンジンを獲得することは非常に難しくなっており、技術の授権や移転も不可能だった。甚だしきに至っては、このエンジンの後続の大修理作業に対しても、アメリカサイドがもはや援助を提供しない可能性が高かった。

この状況下で、中国は止むを得ず052型艦の建造計画を考慮し直した。ガスタービンエンジンの核心機は航空用ジェットエンジンがルーツであり、就役期間において細かい予備部品に対する必要量が比較的大きく、アメリカが技術援助や維持保護への援助を断絶している状況下では、052型艦が継続してLM2500ガスタービンエンジンを採用することには一定のリスクがあった。当時一部の装備部や設計チームの専門家は1つの方案を提出した。052型第1号艦「ハルビン」号にのみLM2500ガスタービンエンジンを装備し、全部で艦に2台装備し、残る2台は艦には装備せず、後の予備部品庫とし、必要な時には部品を外して「ハルビン」号に供給する、というものだった。

この方案は「ハルビン」号のガスタービンエンジンの部品供給は保証できたが、これによってもたらされた問題は、052型の第2号艦にはメインエンジンとして何を装備するのかだった。「ハルビン」号の着工時、第2号艦「青島」号はもうすぐ船台に上がって建造されようとしていた。この艦が用いる作戦システム、艦体構造の材料はすでに相当の数量が生産されており、正式着工を待つのみだった。

まさか第2号艦「青島」号の建造を取り消す必要があるのか? もし建造を取り消したら、疑いなく相当に大きな浪費であり、それまでに「青島号」建造のために生産したシステム、材料は基本的に棚上げになることを意味する。また、海軍の第2世代駆逐艦に対する需要も相当に急迫しており、必要とする量も非常に大きく、1隻の第2世代駆逐艦のみ建造したのでは海軍の需要を満足させることは絶対に不可能だった。第2号艦が国産蒸気タービンエンジン動力システムに回帰することも不可能で、この艦の動力室はガスタービンエンジンのために設計され、動力室の総容積は051型艦の2/3に満たず、051型艦の蒸気タービンエンジンシステムを収納することは不可能だった(頑住吉注:最初の画像のキャプションはここと関連しているわけですね)。

第2号艦をいかにして建造するかという問題に対し、一部の人はまた1つの方案を提出した。すなわち、第2号艦をその他の機種のガスタービンエンジンを用いるよう改めるというものだった。だが米英など西側諸国からガスタービンエンジンを導入することはすでに不可能であり、この時ソ連あるいは東欧の国から使用に適した機種を探すしかなかった。だが1989年、中ソの軍事貿易協力はやっと歩みを始めたばかりであり、双方は探りを入れる性質の接触を行っているところで、第3世代高性能戦闘機の導入に関する談判だけが行われており、艦艇の装備、特にガスタービンエンジンの導入に関しては、ソ連サイドもしばらくのところ門戸を開けようとはしていなかった。もしこの時ソ連に向けガスタービンエンジン購入、導入の計画の提出を開始していたとしても、中国が製品を手にするのは非常に長い年月の後になるはずだった。このことは第2号艦が長期にわたって船台の上に不使用状態で置かれ、「メインエンジン待ち」の状態になることを意味していた。また、動力システムの大きな変更により、艦全体にも設計のやり直しをする必要があり、作業量は比較的大きくなる。海軍の需要が急迫していることを考慮すれば、第2号艦のガスタービンエンジンを変えることはやはり受け入れられなかった。

躊躇している時、国内の研究開発部門からいくつかの良い情報が伝わってきた。図面作成、研究を経て、LM2500ガスタービンエンジン上の一部のあまり複雑でない部品は国内で自ら組織的に生産することができる、というのである。こうした部品は小さいが、多くはLM2500上での使用率が比較的高く、最も容易に損壊する交換部品だった。また、052型艦がディーゼルエンジン・ガスタービンエンジン交代動力装置を採用することを考慮すると、就役後の大部分の時間はディーゼルエンジンを使って推進し、作戦あるいは実戦演習の時だけ高速航行が必要とされ、ガスタービンエンジンの使用率は決して高くない。最終的に、4台の導入されたLM2500は全部艦に装備して使用し、第2号艦は設計を変更せず、やはりLM2500ガスタービンエンジンを装備することが決定された。第2号艦着工からほどなく、アメリカはまた一定程度上対中国装備輸出を緩和し、艦用LM2500は依然禁輸リストにあるが、電力ピーク調節用のLM2500ガスタービンエンジン発電システムは1990年代にひっそりと中国に定住した。これより、052型艦上のガスタービンエンジンの予備部品供給問題はすでに基本的に解決された(頑住吉注:アメリカのザルぶりもかなりのもんですね)。

(頑住吉注:これより2ページ目)

中国がソ連からガスタービンエンジンを導入する談判も同じ時期に始動し、これは中国の第2世代駆逐艦の動力装置の代替方案としてのものだった。ソ連の解体と共に、談判の対象は元ソ連のガスタービンエンジンの主要な製造地だったウクライナに変わった。中国は当初最大出力が導入されたLM2500と似たAM-50ガスタービンエンジンを選び、かつAM-50ガスタービンエンジンをベースにワンセットのディーゼルエンジン・ガスタービンエンジン動力システムを設計し、最終的に052A型艦の初歩設計方案を形成したが、時間の推移と共にウクライナは中国がより大きな出力の艦用ガスタービンエンジンを導入するのを許し、052A型艦の方案もこれにつれ中止され、建造には入らず、これに取って代わったのは排水量がより大きい052系列駆逐艦のその他の改良方案だった(頑住吉注:結局052A型は欠番となり、052型の次は052B型となっています)。

建造中の意外事

052型駆逐艦は建造中多項目の新技術を応用し、艦載武器、装備も多くが新製品で、このため建造を行う工場に非常に高い要求が提出された。質と量を保証して052型駆逐艦の建造を完成させるため、造船工場は精鋭の中核的人材を抽出して派遣し、最強の施工隊伍を組成し、建造中もより厳格に工程と質を要求した。だが052型第1号艦の建造過程では、それでもいくつかの意外な状況が出現した。

1990年、052型第1号艦はメインエンジン取り付け段階に入った。だが取り付けの過程で、艦に装備されるLM2500ガスタービンエンジンの寸法が機関室の予定の寸法に比べ15cmオーバーし、2台のガスタービンエンジンが艦に装備できないという結果がもたらされた。この重大な事故は造船工場と設計側の重大な関心を引き起こした。調査チームの詳細な再調査を経て、造船工場の工程問題がもたらした誤差という可能性は排除され、最終的に問題は方案の設計段階に生じていたことが分かった。実は、052型艦の設計開始時、中国サイドはアメリカサイドに向けLM2500型ガスタービンエンジンの寸法、重量、重心などのパラメータを要求し、もって052型艦の艦体設計の参考データとした。アメリカサイドはすぐに相応のデータを提供したが、アメリカサイドが提供したデータは中米が導入に関する談判を開始した時、当初気に入ったLM2500のバージョンで、一方最終的に契約を締結した時、中国サイドが選択したのはLM2500ガスタービンエンジンのもう1つの亜種だったのである。

汎用のLM2500ガスタービンエンジンは極めて膨大なファミリーであり、生産量が非常に大きいだけでなく、改良型も多くて複雑である。中国サイドが最終的に選択したLM2500の改良型はより良い信頼性を持つが、寸法に関するパラメータにも「やや」変化が生じていたのである。この時設計側と対外貿易導入部門との意志疎通にいくつかの問題があったため、導入される機種の変更が遅れず設計側にフィードバックされず、設計側は依然本来のパラメータ通りに動力室の寸法を計画し、したがって機関室の寸法とガスタービンエンジンの寸法がマッチしないという「オウンゴール」が発生したのである。

動力室は艦体底部の中心に位置し、このため寸法を変えようというのは非常に困難だった。艦のその他のシステムの建造とテストを保証するため、建造側と設計機関の意志疎通を経て、第1号艦「ハルビン」号はまずガスタービンエンジンを装備せず、2台のディーゼルエンジンを装備した後即進水して試験航海を開始し、同時に設計機関は052型艦の動力室の改修方案を制定することが決定された。1992年初め、「ハルビン」号は艤装を完成させ、海に出て試験航海した。ディーゼルエンジンを使用して相応の試験航海科目を完成させた後、設計機関も動力室に対する改修方案を基本的に確定させ、「ハルビン」号は再度工場に戻り、動力室の隔壁を改修し、ガスタービンエンジン機関室の寸法を拡大し、LM2500ガスタービンエンジンを装備した。この艦の動力システムの試験とすり合わせは1995年までずっと続いた。これに比べると第2号艦「青島」号の問題は比較的少なく、計画通りの着工が決定された後、「青島」号はスムーズに建造され、メインエンジンを装備した。設計上、「青島」号にはまたやや改修があり、その煙突は改良設計を経て、赤外線輻射の強度が低下し、艦上の一部の武器システムと作戦システムも国内でコピー生産に成功したばかりの機種に交換された。

ガスタービンエンジンの他、ディーゼルエンジンの製造と取り付けにも非常に大きな曲折があった。1988年、ドイツのMTU社は中国向けに052型艦に使用する12V1163TB83型ディーゼルエンジンを引き渡した。だがこのディーゼルエンジンが中国に到着した後の1988年12月、作業場でのテストを行っている時に比較的深刻な共振問題が出現し、テスト結果は、このエンジンをもし艦体に取り付けたら、共振は動力システムを正常に作動できなくさせ、甚だしきに至っては艦全体のレーダー、ソナー設備も影響を受けるだろう、ということを示していた。ディーゼルエンジンに問題が起きたため、中国サイドは急遽MTU社の専門家を中国に招いて診察を行わせた。この一連のディーゼルエンジンの修理と調整は1年近く続き、艦全体の建造にも一定の不利な影響を構成し、このため中国サイドはMTU社に向け80万マルクの損害賠償を請求した。だがこの時のディーゼルエンジンの共振という欠陥の補修は、その後中国サイドが12V1163TB83型ディーゼルエンジンを導入、生産することに対し貴重な経験を累積し、国産化された12V1163TB83型ディーゼルエンジンではもはや類似の共振の欠陥が出現することはなかった。

ギアボックスの国産化

MTU社は中国サイドに向け052型艦に使用するディーゼルエンジンを提供した他、さらに052型艦のディーゼルエンジン・ガスタービンエンジン交代動力方案の設計に参加し、またもう1社のドイツの会社であるレンク社もディーゼルエンジン・ガスタービンエンジン交代動力システムの変速ボックスの設計に参加し、かつ一部の部品の生産を担当した。だがレンク社はMTU社とは違い、中国サイドに向け関連技術を全面的に移転した。1998年、第2号艦「青島」号が海に出て訓練した。埠頭で航行の準備をしていた時、左のギアボックスが突然損壊した。国内の関連機関の専門家やドイツのレンク社の専門家の共同の鑑定を経て、この艦の左ギアボックスの損壊は深刻で、すでに使用できなかった。このうちポンプ用の大きなギアと3つの小さなギア、軸に潤滑油をもたらすポンプはすでに修復できず、新たな部品との交換が必須だった。「青島」号のギアボックスはディーゼルエンジン・ガスタービンエンジン交代動力システムの核心的な部品で、当時世界でも比較的先進的で、国内では修理の経験がなかった。関連の部品の製造、取り付けはそれまで全てドイツサイドによって完成され、関連の製造工程、データをレンク社はまだ国内向けに提供していなかった。この時のギアボックスの修理では、レンクが提供した修理方案は非常に奇怪で、費用が2,500万人民元以上にも達するだけでなく、期間も長く、費用が高く、より深刻なのはこの方案がほとんど元々のギアボックスの全交換に等しく、新たなギアボックスのパラメータはそれまでと異なり、艦の全体性能に対し不利な結果をもたらす可能性があることだった。

(頑住吉注:これより3ページ目)

ドイツサイドの修理方案は受け入れ難いため、中国は国内の専門家を組織してギアボックスの修理方案を研究するしかなかった。703所は哈夫ギア(頑住吉注:検索しても英語名見つかりません)の方案を提出した。この方案は全体的な円盤状ギアの通常の軸向きのセット方式を半径方向にブロックに分けての取り付けに改め、取り外し時の船室の面積、高さに対する要求がごく低く、大型部品の取り外しの必要がなく、特に狭い艦内スペースで改装を行うのに特別に適していた。方案の提出後、703所はレンク社の専門家を招聘して技術指導を行わせることを企図したが、レンク社は専門家の派遣を拒絶し、技術的支持の提供も拒絶し、かつ中国が自ら行う修理作業に対しいかなる技術的責任も負わないと言明した(頑住吉注:そりゃ当たり前では)。

左ギアボックスの損壊前、海軍はすでに「青島」号の年度内に行う多項目の任務を手配しており、これには演習、ミサイル定型試験、重大な訪問任務等々が含まれ、ギアボックスの修理の遅延は許されなかった。そこで中国は国外の元々のメーカーの協力がない状況下で完全に自分の手に頼ってギアボックスに対する修復を開始した。大変な努力を経て、関連の設計機関と施工機関は11日前倒しでギアボックスの修理任務を完成させ、「青島」号にその年の各項目の演習と訪問任務を遅延させることはなかった。左ギアボックスの修復後、1年半、1,485時間の実際の運行を経て(これには太平洋横断の遠距離航行が含まれた)、性能、信頼性を証明し、各種技術指標はいずれも元々の設計要求を達成した。しかも、修復作業全体で560万人民元しか費やさなかった。

衛星通信システムの電磁両立性を解決

1991年8月28日、052型第1号艦「ハルビン」号が進水し、1992年、ガスタービンエンジンを装備していない状況下で試験航海が開始された。国産第2世代駆逐艦の第1号艦として、「ハルビン」号の試験航海は国内の多くの設計生産機関の心を動かした。試験航海の期間、052型艦のチーフエンジニア潘鏡芙が先頭に立ち、各主要作戦システムの研究開発機関、造船工場も関連の人員を派遣し、全過程で「ハルビン」号の試験航海を追跡した。

潘鏡芙チーフエンジニアは052型艦を設計する時、システム工程の視点にしたがって創新設計を行い、大胆に国内の最新の科研成果を採用し、陸上の試験場を建立し、あらゆる新たな設備は陸上試験の合格後にやっと艦に搭載されることができた。彼は武器システムのドッキングしての試験を重視し、毎回必ず自ら主宰し、多くの技術問題を解決した。海上試験の中で、潘鏡芙は艦上の各システムの運行状況にも密接に関心を注ぎ、レーダーと電子システムの運行には特にだった。

052型ミサイル駆逐艦の電子設備は多く、各種アンテナが林立し、いかにして艦上の電子設備を互いに干渉させず、協調、相互の受け入れを達成させるかは、設計時にはもうずっと重視されていた問題だった。潘鏡芙チーフエンジニアは上層建築とマストの設計段階で、各レーダーの電磁両立性を考慮し、できる限り相互に干渉する状況の発生を避けた。

1980年代、イギリスとアルゼンチンのマルビナス島戦争(頑住吉注:フォークランド紛争)の教訓が特に人の心に深く入り込んだ。海戦の中で、イギリス海軍の防空駆逐艦「シェフィールド」号は先進的なレーダーシステムと「シージャベリン」艦対空ミサイルを装備していたが、アルゼンチン空軍の「エクゾセ」ミサイルによって撃沈された。その主要な原因は、42型駆逐艦の電磁両立性がうまく解決されていなかったことに他ならない。この艦は衛星通信時、レーダーをONにすることはできず、ひとたび0Nにすれば衛星通信システムは正常に作動できなくなった。攻撃に遭遇した当日、「シェフィールド」号はまさにイギリスのロンドンと衛星通信を行っていた。艦長はレーダーをONにするよう命令したが、結果としてこの時アルゼンチンの攻撃機はイギリス艦隊に接近し、かつ「エクゾセ」空対艦ミサイルを発射済みで、レーダー早期警戒がなかった「シェフィールド」号は迎撃が間に合わず、命中弾を受けて沈没したのである。

052型艦も42型に似た大出力の衛星通信システムを装備しており、これは我が国の水上戦闘艦艇で初だった。設計時にもレーダー干渉の問題が考慮されたが、「ハルビン」号試験航海後第1回のテストで、依然問題が発見された。艦上のそれぞれのレーダーの間の電磁両立性問題はまあまあになり、レーダーをONにしての試験の時に大きな電磁両立問題は発生しなかったが、レーダーと衛星通信の相互干渉は依然非常に深刻だった。潘鏡芙は大量の国外の技術資料と専門書籍を翻訳して読み、国内外の電磁両立性問題に関する最新の解決方案を探し求めた。彼はさらに小グループを率いて妨害源の原因とルートを探し求め、改良の措置を提出した。

当時はちょうど酷暑の夏で、60歳の潘鏡芙は上海、南京、石家庄を奔走し、それぞれの科研機関とメーカーで反復して試験結果を視察したが、何回かの航海試験で、電磁システムの海上協調はいつも理想的ではなかった。ある人は、衛星通信システムの問題は難し過ぎ、艦艇と距離が自分から36,000kmの静止衛星との直接通信では、ちょっとの雑電波があればもう通信中断があり得るのだ、と考えた。逆にこの問題難度が非常に高かったので、無理に問題にぶつかる必要はなく、以後海軍に規則を制定させ、2隻の艦が艦隊を編成して前に出ることが必須で、それでもうOKであると規定した(頑住吉注:距離を置いて1隻がレーダー、1隻が衛星通信を使えばよい、ということですかね)。だが潘鏡芙は依然投げ出すことはなく、難関攻略チームを組織し、自ら参加し、抗妨害設備の効果が良くない各種のあり得る原因を分析し、それをリストにし、その後1つ1つ、1点1点ふるい分けのテストを行い、ついに数百の疑わしい原因の中からカギとなる重要な原因を発見し、妨害源を探し出した。何日かの研究を経て、問題解決の最も良い方案を制定し、再度テストを行い、妨害源は消失し、衛星通信とレーダーは同時にONにできるようになった。

自動化された指揮システムのテスト

052型艦の前には、国内で建造された駆逐艦・護衛艦上のあらゆる武備は単一で艦に装備され、相互に関連はなく、指揮員の口頭の命令に頼って全艦の合成された作戦を実現し、総合作戦能力が劣り、快速反応能力が劣った。052型艦を設計する時、潘鏡芙はこの古い伝統の打破を決心した。全艦のあらゆる武器を有機的に結合し、システムを形成するのである。051G型艦の設計の経験があったので、これを基礎に052型艦はさらに一歩進み、ついに国内において艦載武器をシステムとして艦艇に装備する技術問題を解決し、武器をシステムとして研究開発を行うために創新性の貢献をなし、指揮の自動化、快速化がよりハイレベルに向け発展するために基礎を打ち立てた。

(頑住吉注:これより4ページ目)

052型艦上では、各種武器システムと電子装備は有機的に関連した作戦システムを組成し、艦上は西側の先進的な艦艇の様式にならって作られ、戦闘状況センター(CIC)が設立され、艦上のそれぞれの作戦システムの端末はいずれも戦闘状況センター内に体現される。このことは艦の全体、システム、設備に有機的な協調を生じさせ、早期の早期警戒、即時の判断、集中指揮、分散コントロール、硬軟武器の総合使用を達成し、作戦自動化の程度と快速反応能力を大幅に向上させた。

だが、先進的な設計方案が最終的に先進的な戦闘力を実現するには、非常に長い道を必要とし、設計方案を戦闘艦に変えるのは第一歩に過ぎないのである。試験航海開始後、作戦指揮システムに対するテストは試験航海の最重要項目の1つで、甚だしきに至ってはこの艦の就役後も、作戦指揮システムの訓練、使用、実践経験のフィードバック、改修設計はずっと持続していくのである。

造船工場による試験航海を行う時、「ハルビン」号は即全艦の作戦指揮システムのテストを開始した。初めてシステムを始動した時、ごく少ない一部分の作戦システムを活性化しただけでは、テストはまだ順調と評価された。だが始動時に活性化されるレーダー、ソナー、武器システムがどんどん多くなるにつれ、やはり徐々にいくつかの問題が暴露された。

「ハルビン」号が装備する作戦システムの中で、大型レーダー、艦対空ミサイルなど重要な作戦装備は設計時の優先順位が比較的高く、総設計師とメーカーの協調は最も密接で、戦闘情報センターの中で、こうした作戦装備の端末も目立って重要な位置にあり、このためこうした重要な作戦装備が暴露する問題は比較的小さかった。逆に、問題が生じたのはいくつかの二の次に重要な装備、あるいはいくつかのより旧型の艦載武器だった。そのうちの1つの典型が、艦首に装備された12本バレル250mmロケット式対潜爆雷だった。

ロケット式対潜爆雷発射システムは051型駆逐艦にはもうすでに装備され、海軍での就役時間が非常に長い。国産第1世代駆逐艦、駆潜艇上では、ロケット式対潜爆雷の操作は自動化された指揮システムを必要とせず、甚だしきに至ってはシステム全体に1つの半導体部品もなかった。作戦時、ロケット式対潜爆雷システムの操作人員はいずれも戦闘持ち場にいて、電話から射撃諸元を得て、しかる後に指揮員の「発射」の一声を聞いてから、予定された海域に向けカバー射撃を行った。だが052艦上では、この種の作戦模式は変更を行うことが必須だった。

ロケット式対潜爆雷を052型艦の自動化された指揮システムの中に収めるため、設計機関はそれに艦内通信ケーブル、ディスプレイシステム、専用の指揮回路を追加装備し、ロケット式対潜爆雷システムのリアルタイムの状態を戦闘情報センター内に表示できるようにさせ、駆逐艦の指揮員が遅れず作戦システムの状態を掌握し、かつ素早い判断、指揮を行うのに便とした。だが試験航海の中で、ロケット式対潜爆雷システムに枠外で「追加装備」された自動指揮設備にはしょっちゅう運行の故障が出現し、しばしば軍艦がちょっと動くと、ロケット式対潜爆雷システムはすぐ「失われ」た。艦橋内ではシステムのリアルタイムの状態を監視コントロールできず、自動化指揮システムを通じてそれに向け作戦指令を発することもできず、ロケット式対潜爆雷システムはまた「通信は基本的に大声に頼る」状態に戻った。検査を経て、これはロケット式対潜爆雷システムの自動化改装時、急ぎすぎて設備が両立性を持たない結果がもたらされたのだと分かった。設計、配線のやり直し、成熟した通信部品への換装を経て、ロケット式対潜爆雷システムが「探し出せなくなる」問題にはやっと解決が告げられた。

052型艦の研究開発過程で、全艦には総設計師がいて、10余りのシステムそれぞれに総設計師がいたが、最終的にあらゆるシステムの設計は総設計師潘鏡芙の下で協調され、このことは個体の性能の最良を争うのではなく、システムの組み合わせの最優秀、最良を作ることをしっかり守り、システムの艦上の作用を突出させた。総設計師はそれぞれのシステムをいかにして連合して最も良い全体とするのかに対し科学的選択を行い、ああした戦闘力、生存能力に影響するカギとなる重要問題を解決した。こうした設計過程の改良は、第2世代ミサイル駆逐艦が総合性能の優秀さを兼ね備えることを保証した。試験航海の中で、個別のシステムの故障が比較的多かった他は、大部分の作戦システムが自動化指揮システムの中に組み込まれた。052型艦のその他の作戦システムも、航海試験中に徐々にテストと調整が行われた。

訓練も技術的飛躍の一部分

052型艦の艦内データリンクシステムは10余りのレーダー、10種近い艦載武器を「数珠繋ぎ」にしており、そのうち半数近くはそれまでの中国海軍将兵が全く接触したことのないものだった。またデータリンク自体も中国海軍にとって前代未聞のものだった。1980年代、アメリカでもインターネットを民間に対し開放しておらず、増してや中国ではコンピュータが珍しいものだった。1980年代の大連艦艇学院では、学員は卒業までずっとコンピュータに接触しない可能性さえあったのに、彼らが海軍入りした後ほどなく、もう052型艦に配置されて就役する可能性があり、こうしたものとの接触は彼らにとって「別の天体の科学技術」同然と言えた。

「ハルビン」号の初代艦長呉洪楽はこのような中国海軍駆逐艦・護衛艦を一緒に「モデルチェンジ」させたベテラン海軍軍人である。彼は2つの高等軍事院校に進んだことがあって造詣が深く、「ハルビン」号に移動する前、かつて国産第1世代ミサイル駆逐艦の艦長を担当した。呉洪楽は第1世代国産駆逐艦から第2世代国産ミサイル駆逐艦に異動し、同じく駆逐艦ではあるが、非常に大きな差異があった。第1世代駆逐艦の艦長は露天に近い操縦台の上で艦を操り、艦長は四方を見渡せ、「見たいものは何でもすぐに見られた」。だが「ハルビン」号に来ると、状況は大いに変わった。艦長の作戦と艦の操縦は全て密封型の船室内で操作され、彼の前に置かれたのは円形の大きなスクリーン1つだけだった。現在、呉洪楽は1人の大変な神通力を持つ「知恵ある参謀」を持っている。コンピュータである。それは彼に戦闘方案を提供し、艦長の決策を補助できる。艦長はごく軽くいくつかのボタンを押すだけで、すぐ指示や作戦命令が下せ、かつ瞬間的に執行できる。だが、どうやってこの「参謀」を自在に操るのか?

これは苦痛を伴う変革である。「ハルビン」艦の将兵は多くの繰り返してなれっこになったやり方を投げ捨て、近代化の需要に適応することが必須である。

真っ先に来るのは言語の障害である。艦上の近代化された装備のパネルには大量の英文が氾濫し、甚だしきに至ってはいくつかのレーダー、ミサイルの画面に表示される文字も英文である(作戦システムの漢字化は「ハルビン」号就役の数年後になってやっと完成された)。支給される資料、図表、ハンドブックも全て英文である。「ハルビン」艦の引き渡しから、「英語学習」は全艦の将兵の必須科目となった。また、それまで海軍の第1世代艦の上で就役したことのある将兵が、いかにして訓練、演習の中の不良な習慣を克服するか(ややもすれば大声を出し、たびたび艦橋内をあちこち動き回ろうとする)も日常的な話題となった‥‥


 現在では052Cが戦力の中核であり、さらに052Dも登場しつつあり、この状況からは相当な進歩があると思われますが、中国海軍装備のレベルアップの経緯を知る有用な資料になるのではないでしょうか。



















戻るボタン