中国軍人の実体験による「インド軍はダメ」論 その2

 続きです。

http://military.china.com/important/11132797/20170709/30946100_all.html#page_2


だがインドの大隊は我々に対し最も親切な部隊で、ほとんど半月ごとに必ずメールを出し、電話し、我々が彼らのところへ行き週末一緒に食事をするよう招待した。私が行くごとに、彼らは必ず軍楽隊を手配してクラブの門前で演奏して歓迎し、帰る時も演奏して歓送した。彼らの戦利品の陳列から見て、この部隊は8カ国連合軍の北京侵略(頑住吉注:義和団の乱ですか)に参加したことがある。指揮官はかつて中印両軍が対峙している洞朗地域のナトゥ・ラ峠で大隊長をしていた。彼は離任し帰国する時、私に別れの宴会に参加するよう招待した。途中私に即席に挨拶を請い、私は次のように語った。「ヒマラヤ山脈がどんなに高くても、中印両国人民の感情を遮ることはできず、ヒマラヤ山脈がどんなに寒くても、中印両国人民の友情を凍らせることはできない‥‥」 彼らのあらゆる将校の「万歳」を引き起こした。

実際上、インド軍部隊の少なからぬ人は中国と戦争したがっていない。何故なら彼らの待遇が良すぎるからで、インド軍旅団長の国内での政治経済上の待遇の水準は、比較して言うと我が軍の上将を超えていると言える。戦争することは、この一切を失う可能性があることを意味する。このため、かの指揮官は私の挨拶の後で私と乾杯する時次のように語った。「戦争は政治家の需要であって、大多数の人の需要ではない。もし以後我々二か国が戦争をし、もし我々の部隊がちょうどぶつかったら、我々双方の銃口を両方こうしようじゃないか?」 彼は銃口を天に向ける動作をし、しかる後に我々2人は大笑いして一口でワインを飲みほした‥‥

基本的論拠

上述の2方面の受け止めと体得に依拠し、私は多方面からインド軍最大の致命的弱点を研究し、このため「もし再戦したら、インド軍は同様に一撃にも堪えない」との結論を出す。

まずは植民体制である。インド軍の体制は植民地時代の濃い色彩を帯び、これは統治体制、貴族の享受体制で、戦争をする体制ではない。国家の政府から軍隊まで、全体の上でまだイギリス植民地時代の古典的体制を踏襲し、階層が密すぎ、プロセスが多すぎ、このため効率が非常に低下し、かつ非常に融通が利かず、これは作戦行動の中の大タブーである。我々はインド軍の植民地時代から残されてきた古典的礼服を見、シーク族の将兵のかの長さ20mにも達するターバンをちょっと見さえすれば、すぐに彼らの観念と体制がいずれもどんな程度まで硬直化しているかがすぐに分かる。

次に伝統的体制である。特にインドのカースト制度は深刻に平等が欠乏し、民主性と柔軟性が欠乏している。カースト制度は人材を制限するだけでなく、軍隊の中に階級、職務外の煩雑な等級を建立しており、このためインド軍は全世界でルールが最も多い軍隊で、これは非常に融通が利かず硬直化し、普遍的に柔軟性が欠乏し、さらに自主性がなく、いかなる状況に遭遇しても必ず上級の命令を待つ必要があり、変化する状況に遭遇して独立して思考、独立して決策し、遅れず調整できず、主観的能動性を発揮する習慣がなく、往々にして戦機を誤る。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インド軍高級将校がブータンを訪問」)

次は階層体制である。インド軍はカースト制度と伝統的観念を基礎にした軍隊階級制度を建立しており、これは絶対の等級の区別で、合理的に説明できない程度の区別である。例えば、副旅団長から旅団長事務室まではまず副官の報告を経る必要があり、同意後やっと行ける。その後副旅団長は座ることはできず、直立不動で報告し、指示を聴取することが必須である。さらに例えば、同様の中佐が一緒にいても、1年任官が遅かった中佐は1年先輩の面前でもう下級であり、古い中佐が言いつけなければ、新しい中佐は四角四面が必須である。同じ中佐でも、カーストが高い中佐はカーストが低い中佐に比べ一段上である。このように兵士の階層を類推すれば、インド軍が一糸乱れぬ機械装置であって、人が組成する戦闘群体ではないことは推して知るべしである。この種の部隊の業務および作戦効率はスーパークラスに低下すること必定で、戦闘力が欠乏しているのである。

第4は宗教的信仰である。インド軍人は普遍的に信仰を持ち、ヒンズー教を信奉していなければ仏教を信奉し、不殺傷の宗教的信仰が心の中で根深く堅固で、パニックと恐れの情緒が非常に強い。

第5は思想観念である。インド人は事物をコントロール可能とコントロール不可能の2大種類と見なし、コントロール可能な事物のみ努力してやり、コントロール不可能と考えるものは自然に任せ、一般に問題を困難を押してまで解決しようとしない。例えば我々はしばしばインドの汽車の上にいっぱいの人がいる動画を見るが、死傷事故が繰り返し発生しているにもかかわらず、政府はこれは仕方ないことで、コントロール不可能なことだと考え、誰も解決しようとは思わない。この種の理念は軍隊の中でも同様に盛んに通用し、このためインド軍は何度もの戦争の中で形勢悪しと見るや、戦闘意志は迅速に崩壊し、徹底的に死を賭して戦うことは非常に難しい。これは1962年にインド軍が一瀉千里、兵敗れること山が崩れるがごとしとなった根本原因である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「2013年4月、中印の軍隊は両国西部国境で3週間にも達する『テント対峙』を行った。」)

2017年のインドは、確かに1962年のインドではない。何十年の戦備を経て、インドの中印国境第一線および縦深の戦備基礎施設には確かに非常に大きな見直しがあり、武器装備にも飛躍的発展があった。国境の第一線と東北部に配備される作戦および保障兵力は甚だしきに至っては中国を超える。だが、現在の中国人民解放軍も1962年の解放軍ではなくなっており、増してや中国の経済と軍事の実力は1962年の状況ではなくなっている。

上述の状況に、インド軍の作戦地域での「上向きに守る」、「上向きに攻める」不利、シリグリ回廊の弱点の脆弱さ、平均の幅が10kmを超えるブラマプトラ川がその東北部とベンガルに対し形成する天然の障害のその兵力の機動と保障行動に対する制約等々の要素をプラスすれば、もし中印間で再度開戦したら、作戦の規模がどうだろうと、インド軍は依然一撃にも堪えない。


 インド海軍と合同演習した海上自衛隊はインド海軍を高く評価していましたし、偏見の部分もあると思うんですがね。

















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