中国人から見た「台湾人が親日的な理由」
日本にもこういう議論はありますが、中国人から見た理由は当然全く違います。
http://military.china.com/critical3/27/20131111/18139716.html
深く分析:台湾人は何故かくも「親日」、「媚日」なのか!
台湾社会には流行文化の中の「親日」現象が特に突出している! この種の変態的「日本コンプレックス」は、一度台湾に自らの帰属を見失わせた! 台湾の青少年群体の中には日本のマンガ、日本のドラマ、日本の流行音楽、日本のスターに対する追っかけが満ちており、一部の若者は日本の流行の服飾、生活用品を購入し、日本で流行するスラングをしゃべることをもって、自分の物言いと振る舞いをより日本人に似せることを光栄とする、等々である。だがこの他にも、台湾本土社会にはうすぼんやりした日本に対する一種複雑にして特殊な感情があり、台湾の社会生活にも、政治領域にも、この種の「日本コンプレックス」は特に突出している! 社会生活の中で人々はしばしば、一種特別深刻かつ変態的な「媚日」意識を感じ、しかも非常に深刻にである! 台湾における日本の痕跡は随所に見ることができる。例えば台湾各地に点在する日本式建築、日本語が話せる老人、さらに「化粧室」、「幼稚園」、「おばさん」、「おじさん」など日本式習慣用語、これら種々の全てがごく容易に、日本という異郷にいる錯覚を起こさせる! 関連の民間の調査は、台湾民衆の日本に対する感情は非常に曖昧で、親近感を感じる割合は7割前後にも達し、近年来台湾の日本に赴く留学生の人数は着実に増加し続け、日本は台湾の海外留学生の真っ先に選ぶ目的国の座を安定して占めている! 政治領域では、一部の政治家の「媚日」傾向が時として表れる。1949年以来、台湾当局の異なる時期における日本に対する態度は非常に考えさせられるものである。老将(頑住吉注:文脈からたぶん蒋介石のことでしょう)時代は「反共」と経済発展の必要により、日本と親密な「外交関係」を建立した。特に幼い頃から日本式教育を受けた断固たる売国奴である李登輝の政権担当後は、より赤裸々に露骨な「媚日」感情を露出させた。1988年に李登輝が政権につくや、彼は矢も盾もたまらず日本との関係強化を宣言した。1994年に李登輝が日本の作家司馬遼太郎の訪問を接待した時、さらに公然と「自分は22歳以前は日本人だった」と言明した。彼は両岸の同胞の民族感情さえかえりみず、日本に赴いて靖国神社を参拝さえした。陳水扁就任後は対日工作への力の入れ方が増し、「日台軍事安全協力」の発展が加速し、「対日工作グループ」、「台日友好協会」などの機構が成立し、積極的に台湾と日本の「実質的関係」発展が推進された。このため、李登輝および陳水扁時代は日本当局から台日関係の「蜜月期」と定義されてもいる。2008年に国民党が政権に復帰すると、馬英九は日本の彼に対する「親中反日」傾向の疑いを消し去るため、いわゆる「台日は特別なパートナー」との概念を提出し、ハイテンションで「大陸と関係改善するのと同時に、日本との長期にわたる友好に絶対に影響させない」とし、かつ積極的に台湾と日本の貿易、文化、青少年交流、安全保障などの方面の交流を推進した。馬英九の重要な高級参謀で台湾の元「国家安全会議」事務総長の蘇起も、「中国と和し、日本を友とし、アメリカと親しむ」必要があると言明し、「将来台日関係は当然維持し続けていく必要がある」と指摘した! 馬英九はさらに、中国大陸が積極的に釣魚島を回復しようと日本と激烈に対抗している時、日本と一方的に権利を失う国辱の「台日漁業協定」を締結し、形を変えて日本の釣魚島に対する領土主張を支持したのである!
台湾の「日本コンプレックス」の原因と結果に関しては、1895年の甲午戦争(頑住吉注:日清戦争)から語り起こす必要がある。1895年清朝政府は甲午戦争の敗戦後、迫られて日本と権利を失う国辱の「馬関条約」に署名し、台湾、澎湖列島を日本に割譲した。これより台湾はその身を半世紀もの長きにわたって日本植民統治の下に置いた。台湾の統治を維持保護するため、日本の植民者は高圧専制と文化教化が相結合した台湾統治手段を採った。一方において警察機構を拡充し、警察のネットワークを広く張り巡らし、島内の抗日の波を鎮圧した。他方においては台湾民衆が日本に「忠誠を尽くし」その対外侵略戦争に奉仕することを迫るため、日本の植民者はいわゆる「皇民化」運動を推進し、植民地教育体系を建立し、大和精神を植え付け、天皇を崇敬するよう提唱し、凶暴、負けず嫌い、服従、勇敢、残忍、野蛮という日本式「国民性」を培養し、「教育の力をもって台湾人およびその先住民を同化することを欲し」た。また、日本の植民者はさらに中国を悪し様に描き、日本語の普及を強制し、中国語および地方言語の使用を厳禁し、中国伝統の祭日をなくし、中国語の新聞を廃止し、生活方式の日本化の宣伝と教育を行い、民衆が日本の神社を参拝することを強制し、日本式の姓名に改めさせるなどの手段によって、台湾と祖国大陸との感情と文化的関係を引き裂いた。植民者の高圧政策の下で、民衆は止むを得ず日本語を学び、和服を着、畳の上で生活した。「皇民化」運動は一部の台湾民衆の民族、国家的アイデンティティーに変異を発生させ、甚だしきに至っては日本に対し徐々に好感を発生させた。これが台湾社会の「日本コンプレックス」の根元に違いない!
1945年の抗日戦勝利後、台湾は日本の植民統治から離脱し、改めて祖国に抱擁された。だが国民党の暗黒、腐敗の統治は歓喜で胸一杯の台湾民衆に強烈な心理的ギャップを生じさせ、「二二八事件」は台湾民衆と国民党当局との間のわだかまりを激化させ、甚だしきに至っては一部の島民は「犬は豚にしかず」の情緒を発生させ、国民党統治は日本の植民統治よりさらに悪いと思わせた。台湾民衆の思想と感情の上での脱植民化は深刻に挫折させられ、極めて少数の人をこれにより「台湾独立」の分裂の道へと走らせ、かつ日本を「台湾独立」の大本営と考えさせた。普通の民衆の中の、本来台湾回復と共に没落すべき「日本コンプレックス」も徐々に台頭した! 1949年に国民党の台湾退却後、国共内戦および国際冷戦構造の下に、両岸は長期にわたり政治的隔絶と対立の状態に置かれ、島内民衆は大陸に対し非常に頑固な敵対心と紋切り型の印象を形成させ、両岸の相互信頼の基礎は脆弱である。これと同時に、台湾と米日は軍事上三角同盟関係を構築し、経済貿易上緊密な互恵関係を形成した。この種の日本に対し相当な依存性を持つ政治経済構造はさらに一歩台湾社会の「日本コンプレックス」を助長した。また「老皇民」李登輝の庇護下で、歴史教科書は改訂され、台湾同胞の抗日英雄の愛国主義精神は抹殺され、一定数の親日右翼学者は言いたい放題のことを言い、日本の台湾統治をむやみに持ち上げ、「日本は自分たちの心の故郷だ」と言明した。日本の植民統治は合理化、甚だしきに至っては美化され、非常に大きな程度上台湾青少年の民族、国家意識を撹乱し、台湾社会の「日本コンプレックス」の発展に対し助長作用を引き起こした!
当然、台湾社会特有の「日本コンプレックス」を一概に論じるのはよろしくない。台湾の主流のイデオロギーを見れば、「日本コンプレックス」が社会が普遍的に受け入れる社会意識として一般化することはないし、また有り得ない。日本の「皇民化」の植民時代も、多元化して不断に発展する現代でも、中華文化は終始島内社会の主流たる文化である。「親日」、「媚日」の「日本コンプレックス」はせいぜい台湾社会の少数の人の考えるところなのである! 島内社会の日本文化の痕跡について言えば、日本の台湾植民の時期、台湾と日本の民衆は大量に婚姻し、双方の民間社会の関係は蜘蛛の巣のように密であるが、この特殊な歴史的過程によって伝えられてきた婚姻関係は、今すでに台湾の多元化した発展の中の微少な一元素となり、しばしばわき起こっても不思議はない文化的さざ波でもある。この種の「日本コンプレックス」は、ああした日本に対し絡み合った関係を持つ同胞にとって、とっくに切っても切れない複雑な愛憎となっている。李登輝など「台湾独立」分子に関して言えば、その「日本コンプレックス」は根深く堅固で、自国の歴史を知らない奴隷化された心理と「台湾独立」分裂思想の主要な表れとを深く説明している! 一方現在の台湾の政治フォーラムの「媚日コンプレックス」に関して言えば、主要なそもそもの原因は両岸の長期にわたる分離分割がもたらした相互信頼の不足である。この種の両岸の間の不正常な現象と政治領域の特殊な「日本コンプレックス」は、最終的には両岸関係の平和的発展の深入りした推進と共に、徐々に歴史、政治の舞台から消えていくことになると予見できる! 半世紀の植民占拠はとっくに終わったが、事実として時今日に至り、台湾にはまだ少なからぬ日本の痕跡がある。上述の日常用語の中に少なからぬ日本語の痕跡がある他、最も直接的な影響は地名である。例えば台北の若者が最も好んで行く西門町は、ちょっと聞けばすぐその名のルーツが日本にあることが分かる。高雄は元々「打狗」という名だったが、日本占拠時代にやっと現在の名に改められた。似たものにはさらに元々の名が「阿猴」だった屏東などがあり、いずれも今日までそのまま使われている。また飲食方面では、台湾の刺身および各種各様の弁当にはいずれも日本の痕跡がある。さらにスーパーで売られている簡便な食品「関東煮」は日本の軽食である。温泉は台湾人の好きな休暇の過ごし方であるが、これも最初は日本人によって始められたものである。客観的に言って、日本文化は台湾に対し非常に大きな影響があるが、影響力は何千年の歴史がある中華文明に遠く及ばず、台湾の街頭に行って聞かれるのは中国の普通話と福建語であり、よく見られるのは関羽の像、媽祖を祭った祠であり、重大な問題を考える時には孔子にお参りする! 両岸関係がどんどん緊密になるにつれ、こうした残留する日本文化の痕跡は、ついには消え尽くすことになるのである!
いやでも世界の大部分の旧植民地だった国は旧宗主国に対して好意的ですし、文化的影響も極端に薄れはしませんよね。世界全体、歴史全体の中で自国を客観視する、もちろんそれは難しいことで完全には恐らくできないことなんでしょうが、そういった努力の必要性を感じさせる、余りに主観的な論でした。