中国軍人の実体験による「インド軍はダメ」論 その1

 ご存知の通りインド軍の悪口はいつも言ってますけど。

http://military.china.com/important/11132797/20170709/30946100_all.html#page_2


もし中国とインドがもう一度戦ったら:規模の大小はどうあれインド軍は依然一撃にも堪えず

表題のこの視点は、筆者が10年前の2006年7、8月の期間にレバノン・イスラエル戦争の中で体得したもので、その後1年の時間内インド軍と密接に交流した中での深い認識でもある。

今日、筆者はまず自身で体得したことを語り、さらに身に染みて感じ取ったことを語り、しかる後に基本的論拠を語ってみるつもりである。

自身で体得

2006年7月12日、突然レバノン・イスラエル戦争が勃発した。これは典型的な非対称の近代化された戦争で、世界で最も先進的な武器と最も強大な作戦能力を持つうちの1つであるイスラエル国防軍と、世界で最も強大なゲリラ隊の性質のレバノンのヒズボラ武装勢力との対戦だった。この戦争はヒズボラ武装勢力が国境でイスラエルパトロール部隊を待ち伏せ攻撃し、4名のイスラエル兵士を射殺し、2名の負傷兵を連れ去ったために引き起こされた。イスラエルはレバノンに対し全域の爆撃を実施し、かつ地上から進入しレバノン南部地域を占領した。戦争中、国連駐レバノン平和維持部隊は数十人死傷し、中国の軍事視察員だった杜照宇は彼の3人の同僚と共にイスラエルの爆撃の中で不幸にも軍事視察所の中で難に遭い、私が率いる平和維持工兵大隊も同様にロケット弾攻撃に遭い、3名の将兵が負傷した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インド軍の閲兵(資料画像)」)

戦争の前、国連駐レバノン臨時部隊(今まですでに39年「臨時」である)には全部で6つの出兵国があり、全部で1,900人あまりいた。フランスは最大の出兵国で、このため司令および参謀長はフランス人によって担当された。インドは第2番目に大きな出兵国で、このため副司令および作戦所長はインド人によって担当され、まさにこのため、司令部内でインド軍将兵はほとんど半分の人数を占めていた。

インド軍人の英語水準は非常に高いため、いかなる佐官級将校の英語水準も母国語と大差なく、このためインドが選抜した平和維持部隊の将兵は全て国内のエリートクラスの、体験型将校で、訓練、管理、作戦指揮能力は全てインド軍内の敏腕家で、インド軍内で総合的な質が比較的高い群体だった。ごく明らかに、この作戦所長はインド軍のエリート中のエリートと言うことができた。そして作戦所長は、当然戦争の期間の主要な人物の1人だった。

この所長に代表されるインド軍将校たちの戦争期間のパフォーマンスは、帰納すれば「三低」に他ならなかった。すなわち、判断能力が低い、業務効率が低い、指揮能力が低い、であり、平和維持部隊を非常に危険で不利にさせた。

判断能力が低い

例えば、戦争勃発後第5日目、かの作戦所長が起草した国連本部向けの報告は、戦争の形勢と発展方向に対する判断が、長時間持続せず、イスラエルの主要な動機はレバノンのヒズボラ武装勢力に教訓を与えることだと考えていた。一方私が戦争勃発翌日に国内に報告した判断、結論は、「衝突はさらに一歩拡大し、衝突は比較的長時間持続する可能性が極めて高く、イスラエル軍は出兵しレバノンの領土を一部占領する可能性がある。」だった。実践は私の判断が完全に正しく、一方彼の判断は偏差が非常に大きかったことを証明した。正確な判断、結論は我々の後の正確な処置、戦争への対応の基礎となった。

業務効率が低い

例えば、戦争が始まったばかりで、司令部がまだレッドアラートを下令していなかった時、我々はたまたま運よく国境で開戦したばかりだとの情報を知り、直ちに多方に事実確認し、事前に戦備状態に入ることに関する通知を下令した。後に我々はやっと、何故司令部がレッドアラートに入るよう下令する時間が半時間遅滞したのか知った。インド軍を主導する司令部の作戦の伝達作業の業務階層は特別に多く、無線員は国境の無線局の通報に接した後、記録し報告し、しかる後に無線局の責任者が署名し、しかる後に交通通信部門責任者に渡し、責任者が署名した後作戦当番室に渡し、当番の参謀が記録した後さらに当番室責任者に報告し、責任者は作戦所当番参謀に報告し、当番参謀は副所長に報告し、副所長がさらに所長に報告し、所長が参謀長に報告し、最後にやっと司令部内に到達したが、しかる後にまた作戦所に返され、さらに作戦当番室に到達して部隊に通知された‥‥何故このように多くの階層の指揮を持つのか? これには後に言及することになるだろう。

指揮能力が低い

例えば、戦争中我が部隊は命令を受け前進し人道主義救援を執行し、難に遭った国連の業務人員の死体を捜索し、途中前方の陸空の激烈な交戦に遭遇した。イスラエル軍の飛行機も爆撃中で、我が部隊は前進が阻害されており、交戦の状況から見て、司令部がいかに交渉しようと、イスラエル軍が戦事を停止しルートを開けることはあり得ないことを報告し、直ちに撤収するよう提案した。だがこの所長はその場で待つことを命令し、ちょっと待つとは半時間あまりだった。爆撃区域がどんどん近づくのを目の当たりにし、私は再度即時撤収を請求した。この所長は、自分たちはイスラエル軍と安全なルートにつき協調しつつあると語り、私はこの激烈な交戦の時、イスラエル軍はどうあろうと作戦行動を停止し安全なルートを留保することはあり得ないと言った。彼はもうちょっと待てと言った。私は国連の「忠誠を誓わずの原則」(必要な時は命令の執行を拒絶できる)を根拠に、自分で部隊の営区へ向けての撤収を下令し、途中彼は電話してきてイスラエル軍は確かにルートを与えなかった、命令は撤回だと言った。これは非常に危険な行動で、撤退途中イスラエル軍の砲火と航空爆弾はほとんど我々の後方にくっついて打撃され、周辺をめぐって爆発した。

切実に感じる

インド軍平和維持人員との交流、接触の中で、私は2つの大きなことを感じ取った。1つ目にインド軍将兵の私に対する態度は二極分化していることをはっきり感じ、2つ目はインド軍将兵は中印開戦を決して希望していない、ということである。

インド軍将校の大多数の人は非常に親切、友好的に我々とつきあったが、冷淡、甚だしきに至っては恨みをはっきり示す状態の一部分もあった。司令部内で、副司令は中国の部隊に対応することまるで自らの部隊同様に関心と愛情を持ち、態度が友好的で、非常に親切で、方法を講じて我々がああしたこうした困難を解決するのを助けた。一方かの作戦所長は、それにもかかわらずごく冷淡で、顕著に仇敵視し、業務中何度も故意にいじめをし、戦争の時期いいかげんに指揮し、私が電子メールを用いて抗議を退出し、彼が司令と副司令の批判を受けた後にやっとあるい程度収まった。後に私はやっと側面から、インド軍将兵には父親あるいが祖父が1962年の中印国境戦争に参加経験があるという者がいることを知った。結果は推して知るべしである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「中印両軍代表が国境で会話」)

















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