戦車大会の内幕

 またこの関連の記事? と思われそうですが重複部分は少ないです。

http://military.china.com/important/11132797/20140915/18785662.html


中国の96A戦車のロシアに赴いての競技参加の秘密を明らかに:火砲の命中率極限を突破

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「戦車大会に参加した中国の96Aメインバトルタンク」 なおこの記事のキャプションは全てこれと同じです。)



モスクワ郊外では白樺の木が風に揺れ、さらさらという音を発し、天空は青く澄み切り、小川も澄み切って波の光をきらめかせていた。「モスクワ郊外の夜」という歌のように人を陶酔させた。しかし装甲旅団旅団長の王向東にはそれを楽しむ暇はなかった。「戦車両項目-2014」国際競技に参加する中国人民解放軍代表団のリーダーとして、彼は国のために栄光を争い、軍のために威風を示す重任を帯びてモスクワに来ていたのである。しかし、世界の戦車大国であるロシアおよび元独立国家共同体の戦車強国たちと勝負ししてどんな結果になるか、彼の心中では予想がつかなかった。

競技ルート上から戦車が試走する轟音が伝わってきた。中国、ロシア、カザフスタン、アルメニア、セルビア、インド、モンゴルなど12カ国から来た36台の戦車がひとしきりの砂塵を巻き上げていた。アラビノ大点兵が開始されたのである! (頑住吉注:「点兵」は古典に使われた用語で閲兵に近い意味のようです)

初めて解放軍を代表して出国した競技に参加する若い戦車兵たちには、逆にその心に秘められた憂いはなかった。彼らは若者らしく恐れを知らず、闘志満々で、心から戦いを求め、鞘の中でちゃりちゃりと音を鳴らす宝刀のように、世界の人に向け鋭利な光芒を見せようとはやっていた。

旧暦の正月9日から、こうした若い戦車兵たちは皖東の某訓練基地に集合し、期間5ヶ月の高強度の選抜訓練を開始した。汗水、出血、擦り傷、虚脱が集中的な訓練の常態となった。あらゆる人が歯を食いしばって脇目も振らず踏ん張り、「陸戦の王」の王の中の王の座を勝ち取ることを誓った。選抜は残酷で、42の車両チームが不断に淘汰され、最後には4チームだけが残った。この4つの車両チームの12名の乗員のうち、2人はアメリカのウェストポイント軍学校で行われたサンドハースト競技に参加したことがあり、2人は操縦専業特級で、その他は全て操縦、通信、射撃専業一級だった。

こんなに久しく待ち、こんなにも多くの代償を支払ったのは、この日に出征するためだった。

8月4日午前、「戦車両項目-2014」国際競技がついに開幕した。アラビノ上空には12枚の国旗が掲揚され、1万名余りの観衆が四方八方から湧くようにやって来た。競技ルートの出発ポイント上にはそれぞれ緑、赤、青、黄という4色の戦車が停車し、それぞれの車両の3名の乗員はいずれもその勇姿を車両の前にまっすぐに立て、競技開始の号令を待っていた。こうした競技参加チームは続く13日の時間内、誰の戦車が速く走り、誰の戦車が正確に撃つかを競うのである。これは3つのカギとなる重要な言葉に凝縮された。速度、力量、精度、である。

ちょうどこの時、あるエピソードが発生した。ホスト国ロシアが予定の9時になっても競技を開始せず、9時半になっても依然動きが見えなかったのである。車両の前に屹立する異国の軍人はだらけ始め、ある者は耳を寄せてひそひそ話をし、ある者はあっさりと戦車にもたれかかった。中国を代表して戦いに出た809号車の乗組員王春衛、代田財、孔祥宇だけが終始微動だにせず、観衆席の各国軍事視察員の賞賛を呼んだ。


806、807、808、809は中国の競技参加車両チームのコードナンバーだった。彼らはいずれも国産の96Aメインバトルタンクで、エンジン出力は800馬力だった。一方ロシアが今回の競技で操縦したのはT-72B3M戦車で、出力は1,130馬力だった。その他の10カ国はいずれもロシア製T-72B戦車で、出力は905馬力だった。

誰が速くて誰が遅いかは明らかのようだった。だが元気の盛りで意志がきっぱりとした中国チームには全く恐れの色はなく、山を越え川を越え万里の道のりをモスクワにやって来た96Aはむしろ腕前を見せつけることを渇望していた!

(頑住吉注:これより2ページ目。)



時は皖東某訓練基地の緊張した日々にさかのぼる。

本部は江南水郷に駐留し守備する全軍で軍事訓練が一級の旅団である、装甲某旅団に中国人民解放軍を代表して競技に参加させることを決定した。しかも操縦するのは我が軍のメインバトルタンク96Aであり、これはこの旅団が全軍で最も早く96Aを装備、使用し、訓練レベルが高いからである。

我が軍はこのため12の代表チームのうち唯一自ら装備を持って出国し競技に参加する隊伍となった。7月1日、96Aは訓練基地から隊員たちに先んじて輸送が始まり、6,000km余りの道のりを21日間レールの上を揺られ、目的地に到着した。96Aに比べより疲労したのは輸送を担当した副旅団長許為国で、さらに5名の曹長と四級軍士長の修理工がいた。

将兵たちは国内で戦いに備えている時もうすでに理解していた。1941年6月22日に勃発したソ連とドイツの戦車大戦は、鋼鉄と重砲の勝負だった。ソ連は8万両の戦車という悲惨、重大な代価を支払ってやっと勝利を得、結果的に第二次世界大戦における受け身の局面を逆転させ、戦車強国の地位もこれにより固められたのである。2013年はちょうどその中のカギとなる重要なクルスク戦役の勝利70周年で、ロシアはこのために第1回「戦車両項目」国際競技を行い、今年は継続して競技の陣容を拡大した。

今回の「戦車両項目」競技は全部で4つの段階に分かれた。第1段階は単一車両競技で、これには水場、地雷原の道路、土の峰、段差などの障害のあるルートの段階を越え、ルート沿いに各項目の射撃を完成させることが含まれた。第2段階は短距離および速度を競う競技で、障害のあるルートの段階と射撃任務は単一車両競技に似ているが、競技ルートが短縮されている。第3段階は身体能力競技で、腹筋、腕立て伏せ、100m、障害などの項目が設置された。上述の3つの段階で4つの成績が最も良いチームが勝ち抜け、第4段階の決勝に進む。リレー競技であり、最終的にチーム優勝者が決定されるのである。

疑いなく、ロシアは中国チームのこの競技での最強の相手だった。

勝負はこんなにも早くやって来た。第1試合で中国チームはもうロシアと同一グループに分けられたのである。第1車両ルートの809は率先して出発し、1分間後、第2車両ルートのロシアがすぐに続いて出発した。

7km一周の速度の勝負の中で、時速65kmのT-72M3Mと時速45kmの96Aはほどなくぴったりとくっつき、半周後には相手に軽々と抜かれた。さらにまずかったのは、ロシアがルートの湾曲したところで内側から追い抜き、自らより何トンか重い96Aのスカート板を衝突で脱落させ、泥除け板を変形させ、キャタピラのひび割れをもたらしたことだった。

視察台上のロシアの司会者はたまらず興奮して放送の中でその場全体の観衆にからかいの言葉を発した。「代田財の車両がぶつけられた。彼はきっとひどく怒っているだろう!」

実は809号車の操縦員代田財はロシア語を聞いても分からず、むしろ怒っている暇もなかった。半周したところで相手に抜かれ、彼はあせり、また悔しがっていた。国内では演習でも訓練でも、操縦員は装備を命のごとく愛し、どうして戦車を使って戦車にぶつけるのを惜しいと思わないことがあるだろうか。

第2周目が始まったばかりのところで、カーブが急すぎたため、809のキャタピラに石が挟まって完全に断裂し、戦車は停止した! 現場はひとしきり騒動となり、視察台上の中国軍人は内心どきっとしない者はいなかった。

「車両交換!」 予備車両チーム806の操縦員林徳華は車両に飛び乗り、最高速度をもって車両を困難な状況に陥った第1車両グループに送り届けた。時計の針は刻々と回り、車両を交換する時間さえ成績内に計算されるのだった。

この試合が終わると、809はロシアに比べ時間を6分間多く使い、競技に参加した36台中の順位が27位でしかなかった。幸い中国チームはこの段階の試合全部で唯一主砲を目標に全部命中させたチームで、多少メンツを挽回した。

第1日目の競技は若く血気盛んな中国チームに衝撃を与えた。夜に分析会が召集開会された時、809車両グループは心情が沈鬱で、3点の敗北の原因を自己批判した。故障を報告する反応が遅く、カーブで速度を落とさず、機械ターゲットの発見が遅かった、と。

団長の黄旭聡、リーダーの王向東、教練員穆江超などの人は連夜相談し、「操縦で得点を失わず、射撃・身体能力で得点を追加する」戦術を制定した。

第1段階の競技が終わり、中国チームは第8位しか得られなかった。

(頑住吉注:これより3ページ目)



これは夢や幻のような始まりではなく、やや人をがっかりさせ、某種の程度上外国軍に対する見方を変えた。実は中国軍はたいしたことはなかった。そうだ、他人は強者だけを尊重するのだ。ある国家、ある民族、ある軍隊が世界の林に屹立したいなら、実力に頼るしかない。

第2段階の競技で、中国チームは依然総合評価第8位にランクされていた。

王向東は部屋の中に横たわってものも言わず1本また1本とたばこを吸い、彼の顔は心配でいっぱいだった。明日は第3段階の身体能力競技であるが、上位4位に入れなければ競技からは閉め出される。自分や戦士たちが昼も夜もなく訓練場で支払ってきた代償を考えてみよ。彼にはそれが我慢できなかった。この時、屈強なこの中国人は祖国の方向を望み、耐えきれずに涙を流した。

夜の決起大会で、黄旭聡団長はきっぱりと言った。「装備が他人のもののように速く走れないのは客観的要素で、情状酌量の余地がある。だが身体能力も他人に及ばなかったら、我々にはまだ何か弁明の余地があるだろうか?」

「○の一字だ!」 王向東は血往上撞(頑住吉注:「○」は日本語にない漢字で「死にもの狂いでやる」といったような意味。「血往上撞」は例によって検索すると無数にヒットするのに意味を説明したページは全く見つからない慣用句です)。

「○! ○! ○!」全隊員は何日か前からの無念とむしゃくしゃを最後の一勝負の闘志に転化した。

8月14日、アラビノは永遠に記憶している。中国軍人がここで新たな記録を創造したことを。

「頑張れ! 頑張れ!」 100名余りのモスクワで仕事や勉強をする中国商人、留学生が現場に来ており、彼らの叫び声と振るう五星紅旗がここ何日かの「中国風」が欠乏した重苦しさを一変させ、隊員たちをより攅足了勁にした(頑住吉注:これも検索すると無数にヒットするのに意味を説明したページは全く見つからない慣用句です)。

王春衛、この卒業してやっと1年の、サンドハーストでの競技に参加したことのある中尉は1分間に56回の腹筋を行い、この種目全体の個人第1位を手にした。曹長代田財は一息に73回の腕立て伏せを行い、また全会場の第1位を手にした! 最も意志と忍耐力が試される障害物競技は、中尉侯鵬が25kgの弾薬箱を持って地面に打った杭と網の障害から率先して匍匐前進で出てきた時、後方の多くの外国の隊員はすでに息も絶え絶えで動けなくなっていた。王向東は感動して熱い涙をあふれさせ、サングラスをかなぐり捨て、前に出て自分の隊員をきつく抱きしめた。

障害物競技に要した時間は3分47秒で、平時の訓練を非常に大きく超越する最高の成績だった! 3つの車両グループはそれぞれ1、2、7位を獲得し、総合評価第1位だった。この時の大逆転は、中国を成功裏に第3位にランクさせ、決勝戦へと進ませた。

「中国人が何と身体能力第1位を手にした!」 各国代表団は驚嘆して止まなかった。世の人は皆、西方の人は体格が大きく、身体能力が強く、東方の人は「チビ」だと思っていたが、意外にも中国人が身体能力で第1位を奪った。実は、中国軍人は戦闘精神に勝り、戦闘の作風に勝ることを知らなかったのである。

「凄い、凄すぎる!」 中国駐ロシア大使、武官、各国の視察員は次々に中国チームに熱烈な拍手を送った。

この勝利の一時のため、どのくらいの人が汗水、甚だしきに至っては肉親の情の代価を支払ったことだろうか。

軍曹陳小竜は出国し競技に参加する1ヶ月前、父親が癌で世を去った。競技の期間、中隊長 李超林の妻ウージンティンは出産したが、彼は世話できなかった。

競技場で中国チームの維持修理保障隊は「夢の工場」だった。

全競技の期間、4台の戦車が全部で2つのエンジン、1つの変速ボックスを交換した。エンジン交換は心臓移植手術に相当し、高級技師兼教練員の穆江超は5名の士官を連れ、一晩で1台のエンジンを交換したが、この作業量は修理大隊の8〜9人の中堅人員の一晩の作業量に相当する。

(頑住吉注:これより4ページ目)



英雄たることを最も感じる人はしばしば壮麗ではなく悲壮である。この種の深い感銘を与える滋味は、全隊員が間もなく勝利するという時に味わわれた(頑住吉注:最終段階でいい結果が出せなかった中国チームは勝ったチームより英雄的だった、と言いたいようです)。

決勝段階の最後の一周、806号があと200mでもう終点に到達しようとしており、中国チームは3位を保ち2位を争うことが有望だった。視察台の上の隊員たちは皆すでに興奮して座っていられず、次々に視察台から飛び降りて終点まで走った。

だが運命の神がタイミング悪くいたずらをした。戦車がまた立ち往生したのである! 今回は砂、土、石ころがキャタピラに巻き込まれてキャタピラの脱落がもたらされたのである。

まさかこれが運命だというのか? まさかこれこそが結果だというのか? それとも勝利の喜悦をもう少し骨に刻み心に銘じさせるためか‥‥

あらゆる中国軍人はこの突如やってきた意外事に直面して涙をこらえられなかった。王向東は泣いた。彼は何年か流していなかった涙をロシアにおいて1回で流し尽くした。穆江超は泣いた。彼はこんなに速く走ったことは全くなかった。口の中で「どうしてこうなのか」と言いながら戦車に向かって走り、故障を調べた。張越は泣いた。6回予備用車両操縦員が緊急に車両を送り届けたが、この1回が最も耐え難かった。何故なら罰として一周加えられることが必須だからである。彼は泣きながら車両を送り届けた。劉子亮は泣いた。ここ何日か彼はずっと指揮所で高倍率の望遠鏡を用いて中国チームの標的射撃の状況を視察していた。命中が失中と判定されたら、彼というこの中国の小兵があえて総審判長で中将のビデロフに抗議さえするためにである。

悲しみが中国隊員の体に漂った。1つ1つの苦痛な顔、1つ1つの赤く腫らした目、1つ1つのしっかり握った拳‥‥皆後方のカザフスタンが追い上げてきて、終点を突っ切るのを見ているだけでどうすることもできなかった。

奮起してまっしぐらに追う! 操縦員林徳華は予備用車両を受け取ると、スロットルを猛烈に踏み、1時間30分56秒の成績で終点を突っ切った。この成績は最終的な順位第3位で、第2位のアルメニアの1時間20分03秒の成績との差は10分53秒で、戦車強国ロシアは望み通り王座を手にした。

これは中国戦車部隊の初めての国を出ての競技で、しかも戦車強国たちと勝負したのである。装備、ルール、競技場をよく知らないなどの不利な要素の影響下で、依然団体第3位、身体能力第1位、最良教練員および最良車両グループ賞を得た。また、中国チームの火砲は競技全体で命中率が最高だった。28発の徹甲弾のうち26発が命中し、命中率は92.8%に達し、ロシアの60%という命中率をはるかに超えた。96A戦車のメーカーさえ大いに驚嘆し、この成績はすでにこの装備の命中の極限を突破していた。

96Aの設計定型時、運動中の距離2,000mの目標に対する命中率は最高でも50%でしかなかったが、今回中国チームは1,600m、1,700m、1,800mの距離でのランダムに姿を現す目標に対する命中率が90%を超え、さらに停止している間の命中率は驚くべき100%に到達した。

これはどんな原因からか? これこそ中国軍人の訓練レベルの真実の反映なのである!

アラビノ大点兵が中国軍人になにを残したかを語る必要がある。それは疑いなく貴重な精神の財産、特に「打出来」の自信である! (頑住吉注:実際の経験で作り出された、といった意味でしょうか)

曹長代田財は自信をもって言う。「もし来年も競技に参加できたら、私は彼らに我が車両のけつが巻き起こす灰燼さえ見せないだろう!」

南京軍区 喬暉 タイトル画像:賀勇 挿入された画像:倉小宝


 感動物語的に脚色されてしまっている気配が濃厚ですが、それでも中国戦車と戦車兵の実態をうかがい知る情報が豊富だったのではないかと思います。














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