ラドム Mag 95およびMag 98

 「Visier」2004年8月号の「スイス銃器マガジン」ページに、ポーランド製ラドム モデルMAG95、および98に関する記事が掲載されていました。この名前を聞いて正しい銃の形が頭に浮かぶ人はほとんどいないと思います(もちろん私もそうでした)。ちなみに比較的有名なラドムVISwz35とはまったく別の銃です。この銃は床井雅美氏の「現代軍用ピストル図鑑」P247、「現代ピストル図鑑 最新版」P156にそれぞれ掲載されているので参照してください。

 ネット上ではこれしか見つかりませんでした。

http://www.ipscszczecin.pl/ipscszczecin/nasza_bron/bron_mag98.html

 これは普通のグリップの上からラバーグリップをかぶせ、フレームをグリーンに塗装したカスタム品のようです。たぶんポーランド語だと思いますが内容はデータの一部などを除き全然分かりません。


ポーランド製ラドム セミオートピストル モデルMag 95およびMag 98 口径9mmパラベラム

ポーランドは以前からずっと独自の小規模な銃器産業を有している。冷戦時代には特に同盟諸国向けに生産を行っていた。共産主義の衰退とともに新たな調整が行われた。すなわちこのケースの場合「西側の弾薬」9mmパラベラム仕様のピストルの生産である。スイス銃器マガジンライターのMartin Schoberがこの短命に終わった銃の歴史を描写する。

 第一次大戦後の1918年、ポーランドは初めて自主独立の共和国となった。1919年には戦勝国によりポーランドの東国境が新たに定められた(Grodno−Brestライン)。この際、皇帝が直前に殺害され、ボルシェビキ(共産主義者)たちと皇帝の後継政権の間での内乱の真っ只中だったロシアは、戦勝国である連合国によって広大な領土を没収され、そして自主独立の共和国となったポーランドの所有権が認定された。この理由から、直後にロシアとポーランドの間に戦争が勃発した。特に内乱のせいでロシアは内的に著しく力を弱めており(しかもロシアはそれまでの4年間のドイツ、オーストリアとの長い戦争で計り知れない人員と資材を喪失していた)、ポーランドは立派な勝利を収め、Riga講和条約が結ばれた。

 1920〜30年の間、ポーランド陸軍はごたまぜの小火器やハンドガンを装備していた。これはポーランド共和国が第一次世界大戦後、世界マーケットからかきあつめて購入した、入手に都合がよかった製品群だった。しかしまもなく国を万一の外部からの侵略から有効に守るため、未来に向けて独自の強力な軍需産業を持つ必要があるという認識が熟した。首都ワルシャワから約120km南に所在する都市ラドムにこの試みのための施設が移設された。ここでは特に口径8mmx57ISのドイツ製カービンK98(WZ.29としてライセンスなしで)が大量に模造された。さらにアメリカのブローニングオートマチックライフル Mod.1918がWZ.28/38B軽機関銃として約2万挺、そしてFNからライセンスを受けたWZ.28/38Tが生産された。この他さらに中機関銃WZ.30(ベルト給弾、水冷式のブローニングM1919のコピー)およびポーランドで開発された対戦車ライフルがラドム銃器工場において第二次大戦前、大量にポーランド陸軍向けに製造された。
 ラドム銃器工場が大戦間に生んだ最も注目すべき銃は、口径9mmパラベラムのピストル モデルVIS35である。このピストルはWilniewzycとSkrzypinsky両設計者によって開発された。この銃はジョン・モーゼス・ブローニングが第一次世界大戦前にアメリカ陸軍向けに開発したアメリカ製コルトM1911A1に大部分似ており、またそれをベースとしていた。だが同時にブローニングM1935FNハイパワーの構造的特徴も有していた。ハイパワーは1926年にブローニングが死ぬ直前までなお開発作業を続けていた銃である。VIS35がハイパワーに似ているのは特に、コルトM1911A1の可動式リンクの代わりにバレル下に設けられたロック解除カムである。これによりバレルは引き降ろされ、スライドとのロックは解除される。ポーランド人の設計者たちはさらにリコイルスプリングに(頑住吉注:ガバメントやハイパワーのような短いものではなく長い)ガイドを設け、分解もコルトシステムと違った方法で行う必要があった。スライドには射手から見て左後方にセーフティレバーが1つあり、2つめはその直下のフレームにある。だが実際にはこれらは真の意味でのセーフティレバーではない。このピストル唯一のセーフティはフレーム後方のグリップセーフティである。スライドのレバーを押し下げると、まずファイアリングピンが(頑住吉注:ハンマーにあたらないようスライド内に)引き込まれ、その後ハンマーの支えが解除される。ハンマーは遅れて倒れ、デコックされる。使用者がVIS35ピストルを素早く発射準備状態にしたいときはハンマーをコックするだけでよい。フレームにある2つ目のレバーは単に分解時、スライドを固定する補助として役立つだけである。VIS35は1939年にポーランドがナチスに占領された後、1944年に赤軍がラドムを奪取するまで、25万挺以上生産された。戦争が長引けば長引くほど、それに比例してナチ政権下で製造されるVIS35ピストルの加工スタンダードの低下は激しくなった。その上バレルなど特定の重要な銃器部品はオーストリアでステアー社によって製造され、銃も一部はそこで組み立てられた。これにより例えばポーランド人自身の「アンダーグラウンドアーミー」(パルチザン)がこのレギュラーなナチ生産品の横流し品で武装することはできなかった(頑住吉注:要するにラドム工場内の抵抗運動の闘士がこっそりパーツを少しづつくすねて持ち帰り、完成品のピストルにして使おうにもバレルなどがないので不可能だったし、さすがに完成後のピストルをくすねたら発覚を免れなかった、ということのようです)。

 第二次大戦後、「ポーランド社会主義人民共和国」となったこの国は、勝利を収めた兄弟国ソ連によって強制的にワルシャワパクトに編入された。これに基き、1989年における共産主義社会の崩壊までポーランドはラドムで45年間、ソ連のそれをモデルとした大量の歩兵用銃器を生産せざるを得なかった。しかしそれに際してもポーランド社会主義人民共和国製のこれら銃器は、東ドイツ製と並んで鉄のカーテンの背後における最高の加工スタンダードを示していたことが確認されている。これらの銃はポーランドで開発された特別な手際としてバレル内にハードクロームメッキが施されていた。ポーランドのスタンダードがこうした点において全ての他の東側ブロック諸国製品を上回っていたことはこのバレルのクオリティが物語っている。

共産主義没落後の銃器工場ラドムの衰退
 東ヨーロッパにおける共産主義の崩壊以後、ポーランドはラドムからの西ヨーロッパマーケットに対する銃器提供をも開業することを試みた。しかしカラシニコフのような軍用小火器は西ヨーロッパマーケットにおいて実際上ゼロまで人気が低下していた。何故なら明らかに西ヨーロッパ各国はコスト面の理由から自国の陸軍の再検討を開始していたからである。結局のところ東からの「赤い脅威」がなくなったことによる。東ヨーロッパ各国も同様に冷戦以後備蓄していた(主に自国製の)大量の銃器を解体、処分した。唯一警察公用マーケットに、「長く暗いトンネルの終わりの小さな光明」が存在するのが見えた。ただし大規模なマーケットが開拓できるのはハンドガンに限られていた。しかし従来の東ブロックではハンドガン用としてロシアの9mmマカロフピストル弾薬が神聖不可侵な存在であり、ポーランド人はこれを西ヨーロッパで使用されているより強力な弾薬、9mmパラベラムに切り替える必要に迫られた。マカロフ弾薬と異なり、9mmパラベラムはロック機構つきのスライドを持つ重量の重いピストルを前提とした。

SIG P220にならって
 ラドム社はそのピストルの開発を、遠大な道程の第一歩から始めることをせず、「車輪は新発明しなくてもよい」のモットーの下、すでに存在するプルーフされたピストルをモデルとした。口径9mmパラベラムの15連発ピストル、モデルMag95(オールスチールで装填時重量1100g)、またはMag98(フレームが鍛造アルミ合金製で装填時重量950g)を見れば、その人はただちに開発の原型としてSIGモデルP220シリーズがあったと認める。このピストルの全長は200mm、全幅は35mm、全高は140mmである。全長115mmのバレルは内部および外部にハードクロームメッキが施され、ライフリングは右回り4条だ。ロッキングはバレル後部のチャンバーが四角いブロックになっており、これがスライドのエジェクションポートにはまることで行われる。このブロックの下部にはカムが配置され、フレームと対応してバレルのスライドからのロック解除をあやつる。スライド内のバレル下方にはガイドに通されたリコイルスプリングが配置されている。リコイルスプリングガイド後部には、さらに追加のバッファーエレメントが取り付けられ、スライド後退の最後において移動する銃パーツの衝撃を和らげる(頑住吉注:回りくどい書き方をしているのは、弾丸発射の反作用であるリコイル自体を和らげるものではない、ということを明確にしたいせいでしょう)。
 幅30mmのスライドはスチール製で非常にマッシブに設計されている。排莢は射手から見て右方向に行われる。エキストラクターはスライド右サイドによく見える形で設置されている。銃がロードされている場合、すなわち1発の弾薬がチャンバー内にあるとき、エキストラクターはスライド側面から明らかに突き出し、使用者は暗中でも触って感じることができる。スライド自体には操作レバーは取り付けられていない。操作エレメントは全てフレームの左または右に配置されている。装填のためスライド両側面には、垂直から約15度傾斜したつかみやすいミゾが前後にフライス加工されている。スライド右サイド、エジェクションポート下には銃器ナンバーが刻印されている。スライド左面にはポーランドの鷲の紋章、MAG95(スチールフレームの場合)またはMAG98(アルミフレームの場合)というモデル名、弾薬名称の9x19mmが刻印されている。スライド上部には、前に幅3.5mm、高さ4mmのブロック型フロントサイト、後ろにU字型リアサイト(叩くことで左右に動かせる)が取り付けられている。リアサイトの切り込みは幅3.2mm、深さ3.5mmである。照準長は143mmだ。
 四角いブロック状チャンバー右面にも銃器ナンバーがあり、これはスライドのエジェクションポートから見えるようになっている。銃器ナンバーはさらにあと2つ、フレーム左右にもある。両グリップパネルはグリップフィーリングのいいプラスチックで作られ、それぞれ下部で頑丈なネジによってフレームに固定されている。両グリップパネルは弓の射手のトレードマークで飾られている。マガジンキャッチはトリガーガード後方、フレーム左面にある。これは左利き射手用として反対側に差し替えが可能だ。ノーマルマガジンは15発だが、オプションとして20連マガジンも入手可能だった。
 フレームのスライド誘導ミゾはコルトガバメントに似た設計である。誘導ミゾはフレーム全長にわたってあるわけではなく、2つの部分に分かれて配置されている。誘導ミゾはトリガーガードの上(フレーム中央)から始まり(頑住吉注:実際には前から1/3あたりです)、マガジンの入るスペースで中断し、マガジンの入る穴の後部からフレーム後部まで走っている(頑住吉注:ガバメントのレールは中断しておらず、この銃の形式はハイパワーの方に近いと思われます)。ディスアセンブリーレバーはフレームのトリガーガード上にある。分解するには銃を完全に非装填状態とし、このディスアセンブリーレバーを水平位置から90度、スライドと直角になるまで回す必要がある。するとスライドはフレームから前方に抜ける。リコイルスプリングをガイドごとスライドから取り除くと、さらにバレルも取り出せる。これ以上の分解はクリーニングのためには不必要である。結合は分解の順番を逆に行う。フレーム後部両側にはリング状ハンマーのためのデコッキングレバーがある。ハンマーコック時にこれを押し下げると、まずスライド内のファイアリングピンが固定され、続いてハンマーが倒れる。このピストルのトリガーシステムはSA/DAである。SAモードではトリガーはスムーズな1.8kgのプルで作動し、DAモードではまずまずの4.5kgで作動する。
 約50発の「ショートテスト」で、私は両手保持の射撃姿勢でターゲットの致命ゾーンに問題なく集弾させることができた。片手保持でもリコイルは非常にマイルドで、速射でも正確な命中が得られた。

結論
 残念ながら計画されたマーケット参入はならなかった。ラドム社は45年来の共産主義的計画経済から西側の市場経済へのハードルを飛び越えることができず、倒産した。だが、両15連発の9mmパラベラムDA/SAピストル モデルMAG95、および98は間違いなく劣った製品ではなかった。しかし残念なことにラドム社はこれら両モデルに革新的なさらに先への一歩を盛り込まず、平凡なものに留まった。モデルMAG95は約500挺がポーランド税関に購入された。また同数のMAG98がポーランド林業庁に引き取られた(頑住吉注:ポーランドでは林業庁の役人が不法な伐採をする業者と撃ち合いをしたりするんですかね)。これにより、これら両ピストルモデルは合計1000挺強と非常に少ない生産数に終わったと考えられる。近い将来コレクター向けに非常に価値あるものになる。

 これらの銃の価格は約500ユーロである。ポズナニのMAGNUM社はまだ少数のこれらピストルを有している。ただしこの商社の従業員はポーランド語しか話さない…。
 

テクニカルデータ
モデル:ラドムMag95/Mag98
銃器タイプ:改良型ブローニング閉鎖システムを持つSA/DAピストル
メーカー:銃器工場ラドム(ポーランド共和国)
口径:9mmパラベラム
銃身長:115mm
マガジン装弾数:15+1または20+1発
サイト:U字型リアサイト(左右調節可)、角材型フロントサイト
照準長:143mm
セーフティ:ハンマーに作用するデコッキングレバー
全長:200mm
全高:140mm
全幅:35mm
重量:スチールフレームのMag95は1100g、アルミフレームのMag98は950g
価格:約500ユーロ


 外観はややもっさりしているというかシャープさに欠ける印象を与え、これがポーランド風味なのかラドムVISwz35と一種似たデザインのトーンになっているようです。個人的にはカッコ悪いように思いますが、記事にあるように実力的にはなかなか優秀だったようです。

 ご存知のようにドイツ人は「これの元祖はドイツ人の作った〜だ」と主張するのが好きです。これはまあドイツ人に限らずどこの国にもこういうことを言いたがる傾向はあるでしょう。ドイツ人の主張の場合は言い方が嫌味に感じることはあっても、「まあそうだね」と同意できることが多いです。しかし例えばフランス人は「アメリカのシャーマン戦車のデザインの元はフランスのソミュア戦車だ」と言っているそうで、これに対しては「う〜ん。まあちょっと似てはいるけど違うんじゃないの」と言いたくなります。日本では「アメリカのM79グレネードランチャーは旧日本軍の擲弾筒が元になった」とか「グラマンF8F戦闘機はゼロ戦を研究した結果」とか言われますが、これも外国から客観的に見たらどう言われるかをちょっと考えてみた方がいいかも知れません。M79はどちらかというとカンプピストル、シュツルムピストルに近いような気もしますし、F8Fに最も強い影響を与えたのはフォッケウルフFw190だという説もあります。
 スイス人の書いたこの記事には「モデルMag95、またはMag98を見れば、その人はただちに開発の原型としてSIGモデルP220シリーズがあったと認める。」と書いてありますが、そうでしょうか。まあ確かにP220に影響を受けてはいるでしょうが、全体としてみればいろいろな銃から取った寄せ集めデザインと見るのが正しく、明確にP220を元にしたデザインであるとまでは言えない気がします。

 エジェクションポートにチャンバーがはまりこむ「SIGロッキング」、デコッキングレバーとオートマチックファイアリングピンブロック(記事に明記してありませんが分解状態の写真でそれらしいものが確認できます)のみでマニュアルセーフティを持たない即応性に優れた安全機構、ワンタッチで分解できるディスアセンブリーレバー(ここまでは確かにP220シリーズの影響が強い部分でしょう)、スライド前後にある滑り止めミゾ、アンビのデコッキングレバー、露出しておりローディングインジケーターとしても機能するエキストラクター、左右差し替え可能なマガジンキャッチ、トリガーガード前面の指かけ、タフなスチールフレームと軽量なアルミフレームが自由に選択できるなど、西側で好まれそうな特徴をうまく組み合わせて盛り込んであります。開発当時は西側の情報がまだなかなか入ってきにくい状況だったはずであることを考えれば感心に値するほどいい線を行った設計のように思われます。必要以上に伸びないユニット化されたリコイルスプリングとリコイルスプリングガイドに組み込まれたショックを吸収するバッファーはラドムVISwz35から引き継がれた特徴で、これも長所と評価していいはずです。細かい分解までしていないのでよく分かりませんが、フレーム右面にはトリガーガードが露出しており、トリガーシステムのデザインはP220シリーズとは大きく異なるのではないかと思われます。

 この筆者は「残念なことにラドム社はこれら両モデルに革新的なさらに先への一歩を盛り込まず、平凡なものに留まった。」と書いていますが、これは難しいところで、ご存知の通り変にそれをしようとしたためにダメになった銃もたくさんあります。「特別なメリットはないが西側一流品と同じグレードで安価」、という狙いが間違いだったかどうかは簡単には判断できないところでしょう。結果的にこの銃の品質以外のところで西側マーケット進出は頓挫してしまったということです。
 ちなみに床井雅美氏の「現代軍用ピストル図鑑」では、この銃はNATOに加盟する新ポーランド軍制式拳銃とするために開発されたとされており、西側への輸出のために開発されたとするこの記事の記述とは異なっています。

 驚いたことにポーランドでごく少数生産に終わったこの珍銃がスイスで入手可能だということです。税関を簡単に通過できるのかどうか分かりませんが、500ユーロといえば同じようなクラスの一流プラスチックフレームピストルよりやや安いくらいです。修理用パーツが充分にあるとは思えないので実用には向かないでしょうが、確かにコレクターズアイテムとしては非常に魅力的ですし、将来大きく値が上がる可能性もありそうです。しかし購入にはポーランド語しか話せない現地の商社との直接交渉が必要だということです。スイスにはナチの迫害を逃れてポーランドから移住したユダヤ人の子孫とかが一部いるかもしれませんが、まあポーランド語を話せる人はごく少数でしょうね。









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