中国の戦争ものドラマの考証は

 比較対象として日本のドラマも登場します。

http://war.163.com/12/0105/15/7N0V41DG00014J0G.html


新版「亮剣」の間違い探し

国産戦争ドラマには軍事常識がひどく欠けている

導入の言葉 近年来国内の映画・テレビ界に古典リメイクのブームが巻き起こり、非常に多くの古典的映画・テレビドラマがリメイクされてスクリーンに登場している。「亮剣」は近年すこぶる軍事マニアの高評価を受ける軍事を題材にしたテレビドラマで、その物語は起伏に富み、戦闘場面はスケールが大きく、最近浙江テレビでもリメイクされて放送された。

国産戦争ドラマの長期にわたる軍事常識の間違いは作品ごとに観衆をミスディレクションしている

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「国産軍事テレビドラマは道具の上でしばしば間違いが頻出し、非常に明らかなのは56式の出生期日がちょっと早いことである。」 ちょっとというのは皮肉で、要するに抗日戦ドラマにAKコピーが登場する、ということですね。)

我々が最近の映画・テレビドラマのクリック数のランキングを注意していると、新版「亮剣」は長期にわたりランキング1位の位置にあり、現在も社会各方面の関心を引き起こしている。周知のように、中国の多くの国産の軍事を題材にした映画・テレビ作品は長期にわたり、各種の穿幇(頑住吉注:撮影上のミスのこととされていますが、ここでは当時存在しないはずのものが登場することを指しているようです)や軍事常識の誤りが至る所にあると言うことができ、嫌というほど非難も受けている。こうした映画・テレビ作品は思想の上では全て非常にポジティブで肯定的だが、民衆に国防知識や軍事常識を普及させるという方面では逆に顕著な弊害がある。このため非常に多くのネット仲間や軍事マニアは国産の軍事映画・テレビ作品を見ると同時に、道具がよりリアルであることを希望し、歴史の引用により正確を希望するという期待と関心もより加えている。特にこのような視聴率が高く、受け手が広大な映画・テレビ作品に対しては、この種の期待はよりはっきりしたものになる。

筆者は新版「亮剣」を見た時に気付いたのだが、旧版の「亮剣」も新版の「亮剣」も、国内のその他の軍事を題材にした連続ドラマに比べ、道具使用への凝り方の上でずっと良いようだが、遺憾なのは依然少なからぬ穿幇のシーンや錯誤があり、中国国産の軍事を題材にした連続ドラマが軍事常識の上では依然ひどく欠乏していることを反映している。

この方面では、日本のNHKテレビ局の大河ドラマ(歴史的人物あるいは1つの時代をテーマとし、かつある程度考証し、比較的謹厳なドラマに属し、今年まさに放送されたのが日露戦争をテーマにした「坂の上の雲」だった)、およびアメリカのHBOが投資して制作した戦争ドラマ(例えば軍事マニアやネット仲間に古典的第二次大戦ドラマとして賞賛される「バンド・オブ・ブラザース」や去年放送された太平洋戦争をテーマにした「太平洋」)は、制作のレベル上および道具や歴史の考証方面で相当にプロフェッショナルと称するに堪える。国内の戦争ドラマはそれらに比べ優劣が歴然、隔たりは異常なまでに顕著と言うことができる。

続いて筆者は新「亮剣」の中の軍事常識の間違いと穿幇のシーンを選び出し、いくつかの典型的なものに説明を加える。

バグその1:手に軽機関銃を持って掃射 実際の結果は、手が機関銃のガス導入パイプで火傷するだろう (頑住吉注:原文では「端」という、体の前に捧げ持つ、といった意味である中国語独特の「持つ」を使い分ける語が使われており、ここでは肩当ても接地もせずに手に持って、といった意味です。)

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「画像は李雲竜と楚雲飛が機関銃を手に持って飛行機に向け射撃しているというものである。実際には真の戦争で機関銃を手に持って掃射することはごく少なく、まず射撃が不正確になり、次に自分が死ぬのが比較的早い。」)

新版「亮剣」第3集の中で、李雲竜と楚雲飛が各自1挺のチェコ式機銃を手に持って向かい合って対空射撃するシーンは小さからぬ穿幇だと評価される。2人の手はいずれも折り畳んだバイポッドを握っており、手の指はガス導入パイプ部分に近い。射撃後ガス導入パイプは無比に灼熱になり、手が焼け焦げないことこそ不思議と知る必要がある。この種の英雄の気概を表現するための場面は、国産の非常に多くのその他の映画・テレビ作品の中にも同様に存在する。例えば突撃時主役がZB-26軽機関銃を手に持って前面に対しひとしきり狂ったように掃射する、というものである。

軽機関銃を手に持っての射撃の命中率は実は驚くほど低い

実は軽機関銃を手に持って掃射するのは銃を持った本人が両手を火傷するだろうことにとどまらない。もし敵が近距離にいなかったら、この種の射撃方式の採用は安定性が欠乏するがゆえに、発射される弾の散布は驚くほど大きくなるだろう。この時もしちょうど銃を持った者の前方にさらに少なからぬ戦友がいたら、彼らは非常に注意深くしなければならない。

大いにあり得る1つの結果は、敵に弾があたらないだけでなく、一連の戦友を犠牲にするというものである。実は一般的な状況下では、軽機関銃チームが前方で突撃するという状況はごく少ない。軽機関銃は一般に常に分隊、小隊クラスの支援火力として使用され、使用時も多くはバイポッドを開いて安定した位置に設置して射撃し、このようにしてこそ射撃の正確性と連続性が保証できるのである。

手に軽機関銃を持つ正しい射撃の方法

もし本当に軽機関銃手本人が銃を手に持って射撃する必要があるならば、真に正しいやり方は2つある。バイポッドを開き、両足を用いてバイポッドを安定させる。このようにすれば銃を持つ者の手が火傷しないことが保証できる。もう1つは片手でキャリングハンドルを握り、もう一方の手で銃を構えて射撃することだ。あるいは対空射撃時は両手を用いて銃本体とストックを安定させて射撃することで、この3種の方式こそ正しいやり方と評価される。

バグその2:将兵が密集して突撃する 実際の結果は火砲と機関銃の究極的に理想の的

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「画像は劇中の八路軍がひとかたまりになって突撃しているところ。実際には人海戦術による突撃は兵力を集中し、複数の層がある戦闘隊形をもって一点あるいは数点に突撃するのであり、ひとかたまりになるのではない。」)

新版「亮剣」の中にはさらに、人を意外にさせないことだがしばしば将兵が密集して突撃する場面が出現している。これは国産戦争ドラマにしばしば見られるシーンでもある。人物が英雄的で恐れるもののないことを表現するため、大群の戦士が集中して前に向かって突撃するのである。だが真実の戦争の中では、これは常に敵の火砲、手榴弾、機銃の究極的に理想の標的であり、1発の砲弾あるいは手榴弾が飛んできたら、さらにあるいは1回の集中射撃でもうこうした人たちを殲滅できるのである。

八路軍は決して「人海戦術による突撃」を組織することはなかった

真の突撃の中では、歩兵は通常いつも散兵線をメインとした。事実の上で八路軍/新四軍および後の解放軍や朝鮮で作戦した志願軍はいずれも戦争中「人海戦術による突撃」を発動したことは全くない。ネット上の、共産軍が習慣的に「人海戦術による突撃」を発動したことに関する伝説は完全にミスディレクションである。戦争中共産党の軍隊は戦術の運用と兵力の移動配置によって戦闘中の兵力の優勢を実現したが、真の進攻時は一定の方式によって展開したのである。

朝鮮戦争時、米軍の第2歩兵師団は1950年11月の戦役に対する総括の中でかつて以下のように述べた。「志願軍は米軍の1個歩兵中隊陣地に対する進攻の中で、最初から攻撃の重点を主陣地側面、後方の有利な地形に選択し、攻撃兵力を1個小隊(約30人)の陣地上に集中させた。志願軍の初めての攻撃では1本の長い散兵線をなして進攻することはなく、攻撃線上には最多で60〜70名の散兵が見られ、通常は30〜40名だった。」

このことは共産軍が進攻時「人海戦術による突撃」を発動することはなく、長期の戦争の中で無自覚的に「ランチェスターの方程式」を遵守したに過ぎないが、局地的兵力の優勢をもって戦闘力の優勢を達成したことを説明しており、このことは他人の装備の優勢をも打ち消すことができた。第一次大戦の期間、イギリスの技術者ランチェスターは数学の方式を用いて推論演繹して発見を行い、後日「ランチェスターの方程式」と呼ばれる戦闘の数量に関するルールを総括して出した。簡単に表現すると次のようになる。「直接照準射撃の条件下では、交戦する一方の有効な戦闘力は、その戦闘単位数の平方とそれぞれの戦闘単位の平均の戦闘力(平均の損傷を与える率の係数)の積と正比例する。」

バグその3:至る所にステン 実際の状況は、解放戦争の後でやっと使用

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「画像は劇中で楚雲飛が手にステン式サブマシンガンを持って射撃しているところ。ステンサブマシンガンは絶対に中国の監督最愛のものである。」)

ステンサブマシンガンは中国の映画・テレビドラマ道具の穿幇の王として知られる。新版「亮剣」の中で、この銃はまず楚雲飛の手の中に出現したが、この銃は実際には解放戦争(頑住吉注:国共内戦)の期間にやっと国民党に提供されたもので、その前は基本的にイギリス人とさらにいくつかのヨーロッパの国だけが使用した。彼ら自身さえ使用に充分でなかったのに、どうして国民党軍に提供できるだろうか。ステンはまた華麗に歴史を超越したのである。

ステンサブマシンガンはその後さらにこのドラマの中の日本軍の特殊部隊の手中に出現した。だがその前と異なるのは、これがドイツ製MP18サブマシンガンの外形に改装されていたことだ。旧版の「亮剣」の中で日本軍特殊部隊が使用したアメリカ製M3式サブマシンガンはずっと軍事マニアの非難を嫌というほど受けている(第二次大戦で日本軍はいかなるアメリカの小火器も装備したことはない)。

新版の「亮剣」の中で日本軍が使用するのはドイツ製MP18サブマシンガンである。このサブマシンガンは国民党軍も少なからず装備し、このことは当時の歴史的状況に符合する。このためこの状況に符合させるためにステンサブマシンガンはMP18の様子に改装されたのだが、改装は決して徹底されておらず、外形から依然識別できる。筆者は国内に現存するMP18サブマシンガンは破壊されていなければ博物館入りし、一方小道具倉庫の中に現存するMP18サブマシンガンも長年が経過したために基本的に全て廃品になり、このためステンを用いて改装するしかなかったのだと見積もる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「抗日戦の時期比較的多かったのはやはりこの俗称花機関銃のMP18サブマシンガンである」)

ステンサブマシンガンとMP18サブマシンガン

ステンサブマシンガンはイギリスが第二次大戦の時期に大量に製造および装備した9mmサブマシンガンで、イギリス軍は1960年代までずっと採用していた。ステンサブマシンガンは低コストで生産しやすい武器で、全部で400万挺を超える銃が製造された。

この銃は構造が簡単で、外形を見ると非常に無様で普通ではない。ちょっと見たところでは大小の異なるパイプから組成されているようだ。バレルは円でこれはごく当然であり、ジャケット筒も円で、ストックも円で、コッキングハンドルも小さなパイプである。ある人はこの銃を、「水道管職人の傑作」と嘲笑した。だがこの銃には非常に多くのメリットもある。まずこの銃は威力がすこぶるある銃で、次にコストが低く、第3に迅速な大量生産に便利である。

1918年、ドイツの著名な銃器設計師シュマイザーはMP18サブマシンガンを設計した。ベルグマン銃器工場が生産したMP18型サブマシンガンの登場は、世界初の真の意味でのサブマシンガンであり、第一次大戦後、ドイツの余剰物資としてモーゼル拳銃とMP18は一緒に中国に流入した。

1925年に漢陽兵器工場は率先してMP18をコピー生産したが、口径は7.63mmに改められた。1926年には上海兵器工場と金稜製造局もコピー生産を開始し、2年のうちに全部で6,000挺が生産され、広東、鞏県兵器工場、大沽造船所でも相次いでこの銃がコピー生産され、かつある程度改良され、口径には9mm、7.62mm、7.63mmが含まれた。こうした武器は木製フルストック、左側にマガジンを横置きにした共通の外形を持ち、しかもバレルジャケット上にいっぱいに丸い穴が分布しているため、通常「花機関銃」と総称された。

バグその4:現代の照準鏡を装備した第二次大戦の狙撃銃 バグその5:07式軍靴、抗日戦まで時空を超える

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「日本の97式および99式狙撃小銃の照準鏡の位置は劇中の狙撃小銃の装着位置に比べ顕著に後ろ寄りである。上の画像は97式狙撃小銃、右下の画像は劇中の狙撃小銃である。また日本軍が解放軍の07式軍靴(左下の画像)をはいており、ソ連軍がノモンハンで日本の戦車第一師団を殲滅したこの段と共に、いずれも時空超越の産物である。」)

劇中、日本軍が使用する狙撃小銃も38式小銃を用いたパクリ品で、あの照準鏡は明らかに現代の製品である。現実に日本軍が使用した97および99式狙撃小銃は外観上一般の小銃と特徴を比べると非常にはっきりしている。当時日本軍の97式狙撃小銃は小倉および名古屋軍事工場でそれぞれ生産され、38式小銃の標準的な変形である。99式狙撃小銃は99式短小銃を基礎にバレルの肉厚を増し、照準鏡を追加装備した変形銃である。

真実の中の日本軍の97および99式狙撃小銃の装備する照準鏡は取り付け位置の上で顕著に後ろ寄りで、これは非常に便利に射手に視察を行わせることができる。だが劇中の狙撃小銃の照準鏡は現代の製品であるだけでなく、しかも装着位置が非常に前寄りで、射手は照準時、頭部をほとんど銃本体にくっつけ、このような装着方式は実際の戦闘の中では極めて不便である。

日本軍特殊部隊がはく軍靴も視聴者に中途半端なお笑いを提供している。日本兵士が足に何と解放軍の現役の07式軍靴をはいて、当時捕虜になった国民党軍兵士と格闘を行うのである。当然いままでのバグと比べてということで言えば、すでに見劣りするが。

これまでは新版「亮剣」のいくつかの典型的なバグを選んだだけで、さらに少なからぬ中途半端に史実と符合しないところがあり、紙面の制限のためここではもはや紹介しない。

同じ時期の日本のもう1つの大河ドラマである「坂の上の雲」は極力歴史における個人を表現している

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「この画像は清朝の北洋艦隊が日本を訪問し、戦闘艦が横須賀入りした時の劇中の画像である。」)

2011年12月25日、3年連続で放送された日本の大河ドラマ「坂の上の雲」がついにNHKテレビで全部の放送を終えた。「坂の上の雲」は2009年11月29日から始まって断続的に日本のNHKテレビ局で放送された13回の特別歴史ドラマである(「大河ドラマ」の系列に属す)。原作は司馬遼太郎の同名の長編歴史小説で、1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)までの間産経新聞に連載された。「坂の上の雲」自体の意味は「山の坂に沿って上昇する雲」で(頑住吉注:うーん、違うような気がしますが)、日本が明治維新の時期に発憤して強国になろうと企図し、学習して西方の列強を追いかけ、国力が不断に増強した情景を描いている。

「坂の上の雲」が改めて描写した歴史的個人

このドラマは日露戦争を表現することを重点とし、この戦争は中国東北の土地の上で行われた帝国主義の戦争であるが、このドラマはそれでも新たな角度に立ってかつての重点的な人物に対し改めての表現を行った。例えば日露戦争の中で最終的に旅順を手にしたがゆえに、かつて多くの日本人に「軍神」と讃えられた第3軍司令官乃木希典であっても、新たに定義付けられている。

実際上乃木希助の旅順攻略戦の中でのパフォーマンスは教条主義的としか評価できず、旅順に対し発動した3回の総攻撃は死屍累々と言え、人に賞賛させ得るのは乃木が戦役の中で見せた指揮官の堅固な決意だけである。第三次旅順総攻撃の失敗後、もし日本の満州軍総参謀長児玉源太郎が旅順第三司令部に来て、乃木の諒解を取った後で、自ら203高地に行って指揮し、かつ最終的に203高地を手にしなかったら、旅順攻略戦の結果はやはり非常に測り難かった。劇中でもこの時期の乃木に対しては客観的表現がなされている。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「この清国軍の砲台も非常に歴史に符合した作られ方をしている。」)

同様に、かつて対馬海戦ゆえに乃木希助と「軍神」と並び称された東郷平八郎も新たに定義付けられ、劇中では参謀秋山真之の作用を極めて大きく肯定しており、これは真実の歴史の中の秋山真之に対する承認でもある。秋山真之は対馬海戦直前に詳細に計画を行い、詳細な戦術を制定し、これは後の対馬海戦の中で極めて大きいカギとなる重要な作用を発揮した。

一方東郷はまさに秋山真之が指定した戦術方針に指導されて対馬海戦の中で帝政ロシアのバルチック艦隊に対する全滅を完成させた。当然東郷が当時自ら行った敵前大方向転換の冒険的決定も海戦の勝利のために不滅の作用を発揮した。

日本の戦争歴史ドラマは道具の使用に対しても同様に考証が厳格である

同時に劇中の道具や服装に対する考証もすこぶる厳格で、海戦の双方の艦艇だけでなく、双方の軍服も皆厳格に考証され、穿幇なところは存在し難い。国内の相応の軍事映画・テレビ作品のこれに対する隔たりの大きさが見て取れる。また提示しておくことを必要とするのは、最近大人気で放送中の「金陵十三釵」の中で、制作チームが日本の専門家を招聘して日本軍サイドの道具を指導させたがゆえに、ほとんど穿幇が存在せず、特に劇中で使用された94式戦車(頑住吉注:軽装甲車でしょうね)はすでに充分に真に迫っていたことだ。一方国民党軍サイドも相応の軍事顧問を招聘したが、依然間違いだらけだった。

結びの言葉

新版「亮剣」は、実は多くの国産テレビドラマと比べるとすでにずっと良く、穿幇があまり多いとは評価されない。これは国内戦争ドラマ制作レベルの進歩と評価することもできる。だが我々は、国内戦争ドラマの制作レベルは依然国外との隔たりが非常に大きいことを見る必要がある。上の文では日本の大河ドラマを列挙しただけだが、もしネット仲間と軍事マニアに古典と賞賛される「バンド・オブ・ブラザース」、「太平洋」と比べたら、ほとんど比較可能性はないと言える。

さらに重視を引き起こすことを必要とするのは、国内の戦争ドラマが長期にわたり軍事常識上間違いだらけであることがもたらした危害は、制作レベルでとどまってその域を出ないというように簡単であるにはほど遠いということである。それが直接的にもたらし得るのは公衆の国防や軍事的知識に対する間違った理解である。もし将来のいずれかの年に中国が止むを得ず全面戦争に直面した時、その時の中国民衆は機関銃を手に持って「人海戦術による突撃」を発動するのであろうか?


 いや別に日本にも小道具等の考証がいい加減な映画やドラマはいくらでもありますけど、それはたいてい予算不足や制作側の「そんなこと気にするのは少数のマニアだけで凝ったことをするのに見合うリターンはない」という制作上のいわば思想によるもので、また人物像などに関し歴史的事実と違う描き方をするのは当然に許される芸術的表現であり、「民衆に国防知識や軍事常識を普及させるという方面では逆に顕著な弊害がある」なんて批判が出ることは想像もしないでしょう。このあたり中国ではプロレタリア芸術論の影響がいまだ色濃く残っているようです。ちょっと論理的なつじつまが合っていないような気がするんですが、別に何十年も前の戦争ドラマに当時は存在したがその場所では使われなかった銃が登場したところで「民衆に国防知識や軍事常識を普及させるという方面では逆に顕著な弊害がある」ことになんかならないはずですし、もしそういった見地でドラマを作るなら、発足当時の経験の浅い共産軍が誤った戦術、戦法を取っていたら歴史考証的に正しくそれをリアルに表現するより正しい戦術、戦法を取ったように改竄するのが正しいことになるのでは。















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