リバレーター

 「Visier」2004年5月号の「スイス銃器マガジン」ページに、以前モデルアップしたこともあるリバレーターに関する記事が掲載されていました。ちなみにこの記事は「サブコンパクト.45ACP」シリーズの番外編です。これを読み、この銃に関して大きな誤解をしていたことが分かりました。


PP-45「リバレーター」ピストル

「リバレーター」ピストルは、口径.45ACPのサブコンパクトピストルにおいて間違いなく特別な地位を占める。第二次大戦中、アメリカによって大量に作られ、一部はこの銃によって占領軍に対する抵抗を強化することを意図して戦地の上空から投下された。今日、個々の銃は時代の証人として、そして人気のあるコレクターズアイテムとして現存している。

 の恐ろしげな外観の、.45ACP用スムーズボアバレルを持つ小型単発ピストルは、元々ワシントンD.C.にあるアメリカ陸軍のJoint Psychological Committeeの会議室に端を発している。出発時点においてこの銃は、1939年9月1日におけるナチの急襲によるポーランド共和国の敗戦に対応するためのものだった。スターリンの赤軍は、開戦の2、3日後東から同様にポーランド進駐を行った。赤い独裁者は1918年以来ポーランドの東部分を狙っていた。この地は1918年以後、つまりつまり第一次世界大戦でロシア陸軍が敗北した後、かつてロシアの領土だったものが国際連盟によってポーランド共和国に与えることが裁定された地である。ポーランド陸軍は1921年にはソ連の共産主義者たちに対する血まみれの戦争を成功裏に戦い、この国際連盟からポーランド共和国に譲渡された地域を守った。スターリン支配下のソ連はポーランドを決して忘れてはいなかったのである。
 敗戦以後、ナチと赤軍に抗してイギリスに避難したポーランド亡命政権は、祖国にいる愛国者たちを両占領軍に対する武装レジスタンスとすることを計画した。しかし、軍事的に征服された国民が抵抗の意志を持つことは、武装の強化なしには不可能だった。その上このための銃は、占領軍に対し、敵占領地域のあらゆるところで充分な大きさの脅威ポテンシャルを及ぼすことができるように、膨大な数が使用可能でなければならなかった。
 第二次大戦時、アメリカに新設されたOffice of Strategic Service(OSS)は、特別なトレーニングを必要とせず、占領テリトリー内で実際上誰もが占領軍に対して使える単純なスムーズボアバレルの単発ピストルというこのアイデアをテーマとして取り上げた。アメリカ陸軍のOrdnance Departmentは研究を行い、全部で23パーツからなる、大部分薄い鉄板のプレスでできている銃の設計図を作成した。インディアナ州Andersonのジェネラルモータース社GUide Lamp工場が製造のための注文を手にした。他のGM子会社であるInland-Divisionは当時、自動車とならんで同時にM1カービンの製造もフル稼働で行っていた。GUide Lamp工場は何週間もしないうちに、より正確に言えば1942年5月から6月17日までの間に百万丁のこのピストルを、1丁につき1.72ドルで製造した。

構造および操作は単純
 FP-45(秘匿名称は「Flaire-Pistol=信号拳銃」)「リバレイター」の操作は、銃全体の設計それ自体と同様に単純だった。これを使って行えるのは単発の射撃だけだった。装填のために射手は後方に位置した一種のマグネシウム合金製の「打撃部品」をつかみ、バレル下に位置するコイルスプリングの圧力に逆らって後方に引かなくてはならない。これにより、誘導ピンをバレルのチャンバー部後方の垂直に上下に動かせる「閉鎖プレート」の上部センター位置にある穴から抜くことができ、その後左サイドに向きを変える。続いて「U」字型リアサイトが一体化した「閉鎖プレート」を開いた装填位置まで上に引き、スムースボアの4インチ(102mm)バレルのチャンバーに1発の弾薬を入れる。次に「閉鎖プレート」を下、すなわち閉鎖された出発点位置まで戻す。
 発射するには、「打撃部品」を後方に引き、右、すなわちその本来の位置に戻るように向きを変える。その際上の誘導ピンが「閉鎖プレート」の対応するセンターの穴に入るよう注意しなくてはならない。この誘導ピンは2つの役割を持っている。第一に、「閉鎖プレート」が意図せずに開くことを防止すること。第二はファイアリングピンが正確にファイアリングピン穴に向かって位置するよう誘導ピンによって「打撃部品」のセンター出しをすることである。この状態では、リバレーターピストルはコックされ、発射準備ができている。「打撃部品」が作動すると、ファイアリングピンはコイルスプリングの力でファイアリングピン穴を通って中に入り込み、弾薬後部のプライマーを発火させる。発射後は「打撃部品」を改めて後方に引き、左に向きを変えなくてはならない。そして「閉鎖プレート」を上に引き、これにより装填開口穴はフリーになる。この銃にはエキストラクターはないので、発射済みの薬莢はマニュアルで取り除かなくてはならない。これは同封された木または金属の棒による銃口側からの突きによってなされる必要がある。緊急時はマズルからバレル内に強く息を吹き込むことでも充分である。これにより発射済み薬莢はチャンバーから放出される。
 それぞれの「リバレーター」はFrankfurt-Arsenalsによって(製造コードFA42)、10発の弾薬とともに茶色の紙箱に入れられ、さらに透明な防水のプラスチック製袋に詰められ、溶着された。漫画形式の絵による取り扱い説明書が銃に同封された。この手引き書は世界至る所における全ての自由の戦いに「リバレーター」ピストルが役立ち、効果的に使えるようにするのに充分なものだった。グリップフレーム下内部の空洞には、さらなる予備弾薬が詰め込まれた。このグリップ内収納スペースは、「舌」状部分付きの単純な薄い鉄板製スライド式蓋で閉鎖された。FP-45は短距離から発射されなければならなかった。すなわち、最適の効果を達成するためには、6〜20フィートの射撃距離でなければならないということだ。このピストルはヨーロッパおよび東アジアの占領地域のパルチザンの上にパラシュートによって大量に投下することを意図していた。「リバレーター」のコンセプトは1964年に改めて生き返らせるに足るほど充分良好なものだったと思われる。当時大きく近代化された、同様に単発で口径9mmパラベラムの「Deer Gun」という「等価のもの」がCIAの武器庫の中に現れたのである。

射撃テスト
 前提として、この「リバレーター」は良好な機械的コンディション(錆はない)であり、いわゆる「専門著述家」の主張とは反対に、もちろん自己責任においてであるが、これを使って実射すら可能であった(頑住吉注:少なくともスイスの専門家の多くの著述では、この銃は非常に粗雑で現在では危険すぎて撃てないとされているようです)。
今日の視点から、FP-45は本来的に3つの重大な弱点を示している。
●この銃は単発に過ぎない。つまりディフェンスガンとして素早い連射ができない。
●トリガープルが8〜10キロポンドの間である。だが、これは「パッシブセーフティ」(受動的安全装置)と見なされてもよい。ただし、正確な命中には全く有利に働かない。
●この銃はスムーズボアバレルを使っているにすぎない。このため命中精度は非常に悪くなり、その弾丸は2、3m以後の弾道ですでにひっくりかえり、ターゲットに底を先にして命中する。

少しの練習の後、FP-45を使って6〜8秒後には次の発射が行えるようになる。この際重要なのは銃を再装填のために同じ手で保持し続けることである。空薬莢を突き出すための木の棒は閉じた歯の間に突っ込んでおくのがベストである。そうすれば射手は必要な時そこに直観的に、そして素早く銃を保持しているのと反対の手を到達させることができる。
 (頑住吉注:片手で保持して発射している絵が掲載されている)取り扱い説明書とは違い、この銃は射撃の際片手でなく両手を使った「ウェーバー」射撃姿勢で射撃されるべきである。片手を使ったターゲット射撃姿勢をとらず、両手を使えばとんでもないトリガープルを最もよく克服することができる。この保持方法なら6mの射撃距離でピストルターゲットの10および9点圏に全てまとめることができる。そのためにはU字型リアサイトとブロック状フロントサイトも役立つ。

占領地域内でのわずかな普及
 1941年12月の日本人によるパールハーバーアメリカ海軍基地奇襲以後、アメリカの軍需産業は強力に納入を行った。最も重要な、そして戦争において最も決定的なポイントは、「不沈空母」たるイギリスに生命を保つために必要な食料や軍事物資を送ることだった。
 この目的で、特に50万丁の「リバレイター」がイギリス向けに調達された。この銃は続いて落下傘投下によってヨーロッパ大陸のパルチザンたちに送り届けられることになった。しかし双発のアームストロング ワーズワース ウィズレーのような中型爆撃機でさえ、パルチザンへの必要物資の投下といったより緊急性の高い作戦に使われていた。この50万丁のピストルを梱包されたまま落下傘投下によってヨーロッパのパルチザンに分配するには、有効積載量約2.5トンのこの爆撃機の場合、およそ1650フライトが必要だった。しかしこの当時連合軍側には、この任務の達成を可能にするための飛行機のキャパシティーが単純に全く不足していた。その上、小さなグループで作戦行動を行っているパルチザンにこの銃の存在が全く気付かれないこともあったし、これを運び去り、隠すことができて初めて役立てることができるのだった。それができなかった場合の大部分はナチ占領軍の手に落ちた…。
 私が推測するに、このピストルが少数しか伝播しなかったこの他の理由として、1899年のハーグ協定が考えられる。この中では、不必要な重い傷や苦しみを引き起こす全ての銃が禁止されている。FP42のスムーズボアの4インチバレルにより、.45口径の大きな弾丸は銃口を出た後3〜4m以後においてすでに転倒し、ターゲット媒体に横向きの「キーホール」を残す。6〜8mまでの射撃距離ではすでに80%の弾丸がフラットな底面を先にしてターゲットに命中する。言うまでもなくそのような底を先にして飛ぶ弾丸は(ハーグ協定以後戦争への使用が禁止されている)ホローポイント弾のような効果を持つ。第一次世界大戦においてすでにアメリカ陸軍とドイツ帝国陸軍の間でこの規定をめぐる議論が起きていた。より正確に言えば口径12/70の6連発ウィンチェスターポンプアクションショットガン、モデル1897をアメリカ部隊サイドが塹壕戦に使用したためであった。第二次大戦時、占領地域内で「リバレーター」を所持してナチスに逮捕され、捕虜状態に陥った人間には生き延びるチャンスはなかった。こうした人はハーグ協定に合致しない銃器1挺を所持していたということがすでに銃殺される理由とされたのである。
 連合国側の判断として、一人のパルチザンの貴重な生命を、1.72ドルの安物の銃1挺と引き換えにするわけにいかなかったのはもちろんのことである。この微妙なニュアンスは極東における日本人に対する戦争では問題にならなかった。特に日本人はハーグ協定をほとんど考慮に入れなかったからである。
 1944年1月から11月、つまり6月6日の連合軍フランス進攻の前後、フランスのパルチザンに特に重要なものとして以下の物資がパラシュートによって投下された。16807挺のM1カービン、498挺のM1−A1カービン(落下傘猟兵型)、2挺のM1928トンプソンサブマシンガン、2405挺のマーリンサブマシンガン、15692挺のコルトガバメントピストル、56挺のM1ガーランドライフル、2516門の2.36インチバズーカロケットランチャーと43892発の成型炸薬ロケット、150トンのプラスチック爆薬、300km分の爆薬用コードなど。この際イギリスのロイヤルエアフォースが多くの銃器(特に数百のステンサブマシンガンMKUおよびV)とマテリアルをフランスのパルチザン向けに投下したことも重要である。しかし貨物の内訳を示した書類を見てもこのマテリアルの中に、ただの1挺のFP-45も見られない。これが示すことは明らかである。連合軍側は、第二次大戦の遅い時期においては充分な輸送マシンと航空機乗組員が使用でき、パルチザンに量的に多いだけでなくグレードの高い銃を供給することができたのである。
 その結果ヨーロッパでは「リバレイター」は非常に少ない数でしか使用されなかった。すなわちフランスとベルギーでそれぞれ2、3ダース、ギリシャとユーゴスラビアでそれぞれ2、3百である。占領下のデンマークとノルウェーには、このピストルは空輸されていない可能性が高い。
 極東での使用状況はこれと異なるようである。中国に10万挺が供給されたことはまったく確実である。同様に8千挺がオーストラリアに船で送られた。オーストラリア人たちは彼らのビルマにおける協力者たちをこれで武装した。これらの銃はビルマ人たちに「カンガルーピストル」または「オーストラリアン.45」 と呼ばれた。アメリカは極東において日本に占領されていたガダルカナル島、フィリピン、Tulgai、ニューカレドニア、ボルネオ、ニューギニア、ベトナムのパルチザンにこのピストルを供給した。中国への大量の供給と合わせ、東アジアに15〜20万挺が送り込まれた。アメリカのGIがその地で初めてこのブリキのピストルに出会ったとき、この銃は日本の安価な自殺用ピストルであると思った。

まとめ
 FP−45「リバレーター」は第二次大戦の最大の危機の時期にその任務を成し遂げることを期待された。この銃は1942年、ナチ占領地域のパルチザンに与えるために充分な多数が製造された。残念ながら連合軍はこの銃の落下傘投下による有効な提供の実施を可能にするための航空機を少なすぎる数しか持たなかった。
 占領下のポーランド共和国のパルチザンは、本来この銃で真っ先に装備されることが意図されていた。1944年晩秋、勇敢なポーランドの住民たちがナチ占領軍に対し立ち上がったとき、赤軍がすでにワルシャワ門の前に達していたにもかかわらず、ドイツ軍はワルシャワを2、3週間のうちに根こそぎ破壊することができた。その際赤軍はそれに対し断固とした処置を取らなかったのである。この時点でポーランドのパルチザンはごく少数のこの単発ピストルを入手して熱狂した。しかしこの銃が優勢な進駐軍兵士に対して大量に使用されることはなかった…。

リバレーターFP−45
銃器タイプ:スムーズボアバレルを持つ単発ピストル
メーカー:アメリカ、インディアナ州AndersonのGuide Lamp Plant
口径:.45ACP
銃身長:102mm
ライフリング:なし
実用距離:1.8〜6m
装弾数:グリップ内に10発収納可能
サイト:U字型リアサイト、フロントサイト
照準長:98mm
セーフティ:「打撃部品」のマニュアルによるコック
全長:141mm
全幅:28mm(グリップ部)
全高:120mm
重量:453g(未装填)
素材:スチール薄板、スチールパイプ(バレル)
価格:1.72ドル(銃のみ)
10発の弾薬、排莢棒、マニュアルがカートンに入った水密パックされたキットでは2.10ドル


 有名なリバレーターのマニュアルです。
 
リバレーターのマニュアル

 私はリバレーターはナチと戦ったレジスタンスの銃であり、ヨーロッパが主でアジアが従であるようなイメージを持っていましたが、最初の意図はそうだったものの実際に使用された数ではアジアが圧倒的だったということで、これは意外でした。

 緊急時には銃口から強く息を吹き込んで排莢することもできた、というのも全く知りませんでした。もちろんたとえ単発ピストルでも銃口をくわえるなどという操作は望ましいことではないですが、次弾の発射までのわずかなスピードの差が生死を分けるという時にはそんなことは言っていられません。普通はこんなことをしても排出されないことが多いはずですが、.45ACPは元々低圧であり、しかもスムーズボアのバレルは弾丸が抵抗なく抜けるので普通よりさらに圧力が上がりにくいということでこういうことができたんでしょう。

 このスムーズボアバレルにより近距離で弾丸が横転、さらに逆向きになり、ホローポイント弾のような効果を生んだ、そしてこれがヨーロッパでの使用を躊躇させる原因になった、という指摘も(推測であると断っていますが)意外でした。
 確かにDr.Beat Kneubuehlによれば、1899年のハーグ協約の中で「平面的圧力を加える弾丸」の禁止が定められており、大きな弾丸の底を先にして命中するリバレーターに協定違反の疑いがあるのは確かなようです。

 また、リバレーターはそれが必要とされた時期には航空輸送力が足りなかったため供給できず、航空輸送力が充分になった時期にはこんな粗雑な銃ではなくより高性能で強力な銃が大量に供給できた、というのもヨーロッパに多数が行き渡らなかった原因だったということです。











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