スナイパーの特殊装備

 「Waffen Revue」48号に潜射狙撃アタッチメントなどのスナイパー用特殊装備に関する記事が掲載されていました。


スナイパーの特殊装備

前文

 第一次大戦の特別な特徴は今日いわゆる陣地戦争と見なされるだろう。それ以前、そしてその後も、戦争が1914〜1918年の記憶すべき数年ほどわずかな動きで行われたことは決してない。特に西部戦線では複数週、そして複数カ月の期間、歩兵たちはその塹壕で、たった1mの土地も手にいれることができないまま敵に相対していた。この塹壕は互いに近い距離しかなかったので、他のサイドの兵士の顔が分かり、ほとんど名前で呼ぶことができるようになった。ある中隊が他の中隊と交代した時、敵兵たちは即座にそれを知った。当然兵が敵の塹壕を占領する突撃を試み、しかし短時間後には敵サイドの攻撃が開始され、前にいた自分の陣地に再び退却するということがしばしば起こるのに充分だった。

 何十万もが無意味にその命を失った戦争のこの形式を考え出した頭脳が存在したことは今日ほとんど理解できない。戦争のこの形式はいわゆるタンクが戦争に参入した時からも根本においては大きく変わらなかった。主な負担は砲兵に支援された歩兵にあった。

 我々が「Illustrirten Zeitung」(頑住吉注:英訳すると「イラストレーテッドニュースペーパー」)から引用した何枚かの写真は、この塹壕戦争がどのように進行していたか、そして歩兵たちがどのような状況下で戦っていたかを示すはずである。たいていはほとんど防御されず、最初の年にはスチールヘルメットなしで塹壕の中で敵と相対していた。写真1に全く印象的に記録されているようにである。幸運なことに、この時点において敵サイドにはスナイパーは配置されていなかった。さもないとこの撮影は全く異なった結果になっていただろう。



写真1
:Aisneにおける前線の塹壕。1915年。(頑住吉注:撮影者は明らかに兵たちよりも高い位置から撮影しており、もし敵陣にスナイパーがいたら「西部戦線異状なし」のラストのようにその餌食になっていたはずだ、ということです)

 写真2の兵たちはいくらかよりよく防御されている。この銃眼が理想的な解決法ではなかったにしてもである。ここでは頭部カバーにも注意せよ。



写真2:排水設備のある塹壕。1915年。(頑住吉注:上の写真より深く掘られた塹壕で、その分地下水が湧き出るので排水設備が設けられたようです。中央の将校は地面に開けられた穴から敵を見ているようです)

 我々は写真3に危険なシチュエーションを見る。一方写真4の銃眼につけられた鉄板はすでにいくらかより強い前方からの防御を与えていた。



写真3
:庭に通じるバリケードで封鎖された戸の中の射手。(頑住吉注:これでは敵のスナイパーにやられてしまうおそれがありそうです。)



写真4:塹壕内の冬支度。1915年。(頑住吉注:右上の兵は鉄板に開けられた小さな穴から銃を突き出すとともに敵を見ており、これまでの兵よりは安全そうです。)

 写真5の兵たちは家屋を小さな要塞に拡充している。彼らはそこで2つの階で配置についている。



写真5:家屋内の防御場所。1915年。(頑住吉注:非常に厚い壁に開けられた穴から銃を突き出すとともに敵を見ています。)

 敵の視察用としては我々が写真6に見るペリスコープが全く良好に真価を示した。



写真6:塹壕内の壁面反射鏡使う観測者。1916年。(頑住吉注:塹壕の上には写真4と同じような鉄板が置かれ、その下にはマキシム重機が見えます。)

 敵サイドもペリスコープを使用した。我々は写真7でイギリスの2つの異なる型が分かる。

 

写真7
:写真が小さく、また右のは上が切れているので、左のは断面が円、右のは角型であることくらいしか分かりません。少なくとも左のは手で持って保持しているだけのようです。)

 写真8および9で示されている運搬可能な防御シールドは元々プロパガンダ的目的により役立っていたようだ。これは使用のため多くの機会を持たなかったらしい。それにもかかわらず写真群は(銃眼付きのロシア製装甲遮蔽板を我々に示す写真10もそうであるように)たいていのケースにおいて死につながり恐れられた頭部命中弾を避けるための試みが全ての陣営に存在したことを示す。



写真8:イギリスの運搬可能な防御シールド。走行状態。1915年。(頑住吉注:これを見ると単なるリヤカーのようですが‥‥)

  

写真9:写真8の器具。使用状態。(後端の持ち手を持ち上げるだけで装甲板がほぼ直角に立ち、小さな穴から銃を突き出して撃てるというわけです。)



写真10
:鹵獲されたロシア製の銃眼付き装甲遮蔽板。1915年。(頑住吉注:戦車が初めて実戦に登場したのは1916年ですが、イギリス、ロシアのこうした試みを見れば戦車の登場はやはり時間の問題に過ぎなかったのだという感じがします。)

 そして写真11に見られるスコープ付きライフルを持つスナイパーも必ずしも価値あるポジションを持っていなかったため、それを使って遮蔽された位置からライフルで射撃できる構造を作り出すという選択にある時点で至った。



写真11
:いわゆるターゲットスコープ銃を持つスナイパー。

 こうしてある器具が誕生し、それは

装填レバー付き反射鏡ストックB.A.F.

 という名称を得た。取り扱い説明書では、この器具がスコープと一緒にも使用できることが明確に指摘されている。つまりこれは第1にはスナイパー用と考えられ、使用のため充分な量がなかったことは間違いない。

 残念ながら我々は兵たちの間でこの実に複雑な設備にどんな評判があったのかを知らない。ゲベール98の強いリコイルショックではこの形成物が長期間機能状態になかったとは想像できる。また恐らくこれは発射時、しばしば頭部損傷を与えただろう。イラスト9および10をよく見た時よく想像できるようにである。

 いずれにせよこのゲベール98用取り扱い説明書は興味深い。

反射鏡ストックのライフルへの結合

1.折り畳まれた反射鏡ストックとペリスコープを取り出す(イラスト1)。



2.補助ストックを下げる(イラスト2)。



3.保持ピンを差し込み、トリガーチェーンをローラー上に位置させる(イラスト3)。



4.接続設備をライフルストックにしっかりと当てる(ライフルのバットプレートは直接接続設備の横ボルトに当てなければならない)。瓶型留金をかぶせ、留める。ライフルの支えを探す(イラスト4)。



5.トリガーチェーンのフックをライフルのトリガーに掛ける(トリガーチェーンの延長および短縮のためにはフックの前の調節設備が役立つ)。トリガーチェーンがピンと張ったら、次にローレット付きナットを調節設備に固く締め込む(イラスト5)。



6.装填棒受け入れのためのケース上の位置ネジを緩め、装填棒を入れ、装填棒の穴の中に位置ネジをねじ込み、保持リングをボルトハンドルにセットする(イラスト6)。



7.接続設備のプレス加工されたレール内にペリスコープを挿入する。
この際、1.反射鏡を、スコープ用ネジを先にして(つまりギザギザの付けられたレールとかみ合う部分を右にして)入れる。
2.接続設備の阻止スプリングを外側に圧し、この結果右側のギザギザがレールを通って行く(イラスト7)。



 適合する歯内のペリスコープの調整によってサイトラインをテストする。この際スプリングを外側に圧し、すぐに調節し、スプリングをパチンとはめなくてはならない。グラスサイト(およびスコープ)使用時にはグラスサイトなしの時よりもペリスコープをいくらかより高く位置させる必要がある。最も都合の良い位置は常に試用によって確かめよ!

8.ライフルの装填
装填棒の頭部を掴む。装填棒を力強く左に回し、後方に引く。力強く装填棒を前進させ、右に倒す(ライフルのボルトを開放、閉鎖する際の動きのように)。(イラスト8)



9.射撃姿勢、サイティング、射撃
補助ストックを肩に当て、左手はストック下部を支え、反射鏡またはスコープによって狙い、補助トリガーを引く(イラスト9および10)。

 

反射鏡ストックのライフルからの取り外しおよび折りたたみ

1.トリガーチェーン付属のフックをライフルのトリガーから外す。

2.阻止スプリングを軽く外側に圧し、ペリスコープを上へと引き抜く(必ず先にスコープを外す)。

3.保持リングの切り替えによって装填棒を取り外す。位置ネジをオープンし、装填棒ケースから引き抜く。

4.瓶型留金をオープンし、補助ストックを軽く押すことによってライフルは接続設備から取り除ける。

5.保持ピンを引き抜き、補助ストックを上に跳ね上げる。

6.トリガーチェーンを内部に収納する。ペリスコープを接続設備のオープンによって誘導し(ネジなしの反射鏡をあらかじめ下に回す)、反射鏡のネジが接続設備に固くあてがわれるまで後方にスライドさせる。

7.チェーン付き保持ピンを差し込む(イラスト1のa)。

 この取り扱い説明書だけで我々は全てのコメントを省くことができる。

 フランスも似た器具を使用していた。我々がイラストAに見る表現は(本来よりシステマチックであるはずだろうにもかかわらず)、第1次大戦に関するフランスの公式な書類由来である。



イラストA
:フランスのスナイパー用塹壕反射鏡。1916年。(頑住吉注:公文書の説明に使われる図にしてはあまりに絵画的というか芸術的ということのようです。)

 これではこうした器具を作り出す際に誰が誰からカンニングしたかは推測できるのみである。残念ながら我々はデータ上の何らかのヒントを持たない。

遮蔽物ターゲット器具

 「遮蔽物ターゲット器具」と呼ばれた類似の器具が第2次大戦中もナチ・ドイツ軍で使用されたことは我々にとってすでにいくらか納得行くことであるように思われる。我々はこれについて1942年12月6日のOKW/Org.AbtV(頑住吉注:「陸軍総司令部第3組織部門」?)の戦争日誌に次のような内容を読む。

Org.Abtは陣地戦の拡大に伴い塹壕反射鏡の開発と製造を要求した。

 奇妙なことにライフル用のこの型の取り扱い説明書はすでに1943年1月8日に発行されている(頑住吉注:開発要求から1ヶ月余で取扱説明書までできているのは変だ、という意味のようです)。我々はこれを全文引用する。

A.全般

1.この遮蔽物ターゲット器具(DZG)はゲベール41、セルフローディングライフル259(r)および火器98のストック形状を持つライフル群の遮蔽物からの射撃にために役立つ。

B.説明

2.この遮蔽物ターゲット器具は外装ケース、ストック、視察パイプからなる。外装ケースa1は両側壁の間の上部に、装着される銃のストック用の支えとなる差し替え可能なボルトa2を受け入れる。前部では偏心筒上に支えがあり、これはいろいろなストック形状への適応に役立ち、調節レバーa3の差し替え可能な軸上に位置する。これは蝶ナットで締めて固定される。上部にはヒンジ付きのカバーが固定され、留金によって保持される。このカバーは内側に装着される銃のストックを2つの圧ネジa4が付属した支えにしっかり引き付けるための圧部品を持つ。カバーの後方では蝶ナットが付属したボルトa5によってリコイルショックが受け止められる。後部には視察パイプ用カバーがヒンジと留金で固定されている。下部には、回転用のスプリングが付属したトリガーレバーのリベットボルト、カラビナフック付きチェーンa6、トリガーチェーンa7が収納されている。

3.ストックbはケース下部で蝶ナットが付属した2本のボルト上に折りたたみ可能に固定されている。ストック内には後ろのボルト上にトリガーガードで保護されたトリガーa8が収納されている。

4.視察パイプcは後ろからケースのカバーに上下左右に調節可能に圧着されている。視察パイプは光学器具を受け入れ、上下はカバーで閉じられている。上のカバーの穴は偽装に役立つ。部隊における光学器具の取り外しは禁止されている。

C.取り扱い

5.取り扱いは次のような方法で行われる。

a)銃をアンロードする。

b)支えおよび調節レバーのボルトはセルフローディングライフル259(r)の場合はRと表示された、他のライフルでは表示のない穴に差し込む。

c)カバーを開き、銃のバットプレートをボルトにあてがい、調節レバーの回転によって支えをストック形状に合うよう調節し、蝶ナットで固定する。

d)カバーを閉め、圧ネジを締める。

e)銃のトリガーにトリガーチェーンを掛け、カラビナフックで遮蔽物ターゲット器具のトリガーのための正しい長さに調節する。

f)視察パイプを調節する。

g)装填する。

h)銃を陣地に持って行く。

i)遮蔽物内に引っ込められた銃は常にセーフティをかけるかアンロードする。

6.視察パイプは損傷から守る。この遮蔽物ターゲット器具はオイルを使わずにクリーニングする。回転ポイントのみ軽くオイルを差す。

D.寸法および重量

遮蔽物ターゲット器具の折りたたみ状態(ストックを支えのボルトの間に位置させた状態)
全長:480mm
全高:290mm
全幅:130mm
重量:5.6kg






左はゲベール41に装着した状態。右はロシア製セルフローディングライフル259(r)に装着した状態。

残念ながら我々はこの器具のより良い写真を持っていない。

MG34用遮蔽物ターゲット器具

 銃の独自性に適応してMG34用の完全に異なる遮蔽物ターゲット器具が作られた。残念ながら我々は1枚の写真しか紹介できない。これは我々の読者がすでに知っているものである。ここに記録されているのはイギリス将校が使用しているところである。より詳細な細目は知られていない。



MG34およびMG42用遮蔽物ターゲット器具

 我々はEからGまでの写真に第3の型を見る。写真Eは我々にこの器具のMG42への取り付けを示している。ストック左にはスイング可能な弾薬コンテナが取り付けられているように見える。何故弾薬がラウンドノーズ弾を持っているのかは残念ながら知られていない。少なくとも射手がこの器具を使って単発射撃できたことは確かである。このためには弾薬はコンテナから取り出された。例えば対戦車ライフルでも行われたようにである。これに関してもさらなる細目は知られていない。



写真E



写真F




写真G


 潜射アタッチメントに関する「Visier」の記事は以前紹介しました。今回はむしろそれ以前の戦場写真や移動式シールド、機関銃用のアタッチメントなどの方が興味深かったです。機関銃用のアタッチメントはいずれもベルトリンクが装着されておらず、対戦車ライフルのような弾薬コンテナが付属していることから見て単発射撃専用だったのではないでしょうか。保持位置よりずっと上にバレル軸線がある構造からして、フルオート射撃が物理的に可能でもマズルジャンプを押さえ込むことが事実上不可能ではなかったかと思われます。

 塹壕戦などということがあまり考えられなくなった現在ではこうした兵器そのものは存在しませんが、アイデアそのものはこんな形で引き継がれ、対テロ戦争などに使われているわけですね。

http://www.israeli-weapons.com/weapons/small_arms/corner_shot/Corner_Shot.htm












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