シュワルツローゼピストル その15

 シュワルツローゼはこの分野における彼の最後の発明(ただしライフルのためのもの)を1912年10月9日(頑住吉注:45歳頃)に申請した。これは「固定されたバレルを持つセルフローダー用のシリンダー閉鎖機構」に関するもので、その後ナンバー266553の下に彼にこれに関するパテントが与えられた。

 これは次のような内容だった。

この発明の対象は固定バレルを持つセルフローダー用のシリンダー閉鎖機構であり、弾薬の底部圧力により圧部品の仲介下でオープンさせられるものである。これはシリンダーの縦軸がバレルの軸と異なる位置にあり、一方その前面が自分の軸を中心に外側へと向きを変えられることによって特徴付けられる。この構造方式により発射時の駆動ガスが薬莢の底部を一方において圧することができるが、閉鎖機構は簡単にロック解除され得る、何故なら後方に強く押された薬莢がシリンダーの前面に適合するくさび面を形成し、そしてそういうわけで回転の際にひっかからないからである。

 図ではこの発明が表現されており、図1はこの新しいシリンダー閉鎖機構を持つライフルの閉鎖機構ケースの垂直縦断面を示している。図2は図1の1−2における横断面、図3は圧部品を示している。

 閉鎖機構シリンダーcは既知の方法で突起wによって閉鎖機構ケースhとロックされている。閉鎖機構が閉鎖されている際、シリンダーの前面はバレル内に存在する薬莢の底部と平行に位置せず、角度がつけられているため、底部は発射前ワンサイドのみでシリンダーに堅くあてがわれている(図1)。

 発射の際薬莢底部はガス圧によってシリンダー内のフリーな空間に押し下げられる。この際圧部品dsが連れて行かれる。この圧部品は閉鎖機構シリンダーのえぐり内部でスライド可能であり、その後端ds1は閉鎖機構ケースおよび閉鎖部品に収納されているレバー軸v1にあてがわれている。これにより回転させられたレバーv(図2。他の端には軸が位置している)はその後さらに後方にスイングし、閉鎖機構を自動的にオープンする。

パテント請求


1. 固定バレルを持つセルフローダー用の、弾薬の底部圧力によって圧部品の仲介下でオープンされるシリンダー閉鎖機構であり、シリンダーの縦軸がバレルの軸線と違う位置にあり、一方その前面は自身の軸の中心にあり、この結果発射済み薬莢の底部がガス圧によって対置される圧部品の一方のサイドを運動のためにより強く押すが、閉鎖機構シリンダーは簡単にロック解除され得ることによって特徴付けられる。




 同時期にシュワルツローゼは彼のマシンガンモデル1907の改良に取り組んでいた。これはいろいろな国で採用され、ここから彼のMG モデル1907/12が生じた。

 第一次大戦中彼はさらにサブマシンガンおよび口径13mmのマシンガンの設計に取り組んだが、この両発明は採用されるに適するほど熟成されることはなかった。

 第一次大戦後、ベルリン所在の彼の銃器工場は解散させられざるを得なかった。ベルサイユ条約の制限および続くインフレにより、この分野における会社はもはやいくつかしか存続できなかった。シュワルツローゼはこれに含まれなかった。彼のMG1907がチェコスロバキアでさらに製造され、そして1924年にはモーゼル弾薬用に改造されたが、この他ではこの極度に活動的で着想に富む銃器設計者は完全に静穏の状態に置かれた。彼は1936年4月18日に死んだ(頑住吉注:68歳で、当時はすでにヒトラーが総統に就任しており、ベルリンオリンピック、日独防共協定締結などが行われた年です)。


 ブローフォワードピストルM1909までのパテントはどれも大筋理解でき、前回紹介したパテントは意図、メリットは不明ながら動きそのものは大筋理解できたつもりです。しかし今回の最後のパテントは意図も動きも全く理解できません。包底面が傾斜しており、発射前薬莢の下部は支えられていない状態に置かれ、発射と同時に薬莢が高いガス圧でゆがんで下部が後退し、「圧部品」を押すことによってロック解除される、ということでしょうか。しかし「閉鎖機構シリンダーcは既知の方法で突起wによって閉鎖機構ケースhとロックされている」とされ、図からはM16のような回転閉鎖ボルトに見えます。「圧部品」の後退でv1が回転することによって何故ボルトがこれとは違う方向に回転するのか、バレルとボルトの軸線が異なることに何の意味があるのか、「閉鎖機構は簡単にロック解除され得る、何故なら後方に強く押された薬莢がシリンダーの前面に適合するくさび面を形成し、そしてそういうわけで回転の際にひっかからないからである」というメリットは一体どういう意味なのか全く分かりません。このパテントがどういうものなのか理解できた方はぜひ教えてください。ちなみにどういうものか理解できていない以上単語の複数ある意味の選択などが間違っている可能性も高いのであまり文章自体を読んで悩まないでくださいね。

 まあこの発明がどういうものであるにせよこういう銃は全く知られておらず、前回同様ナンセンスアイデアであったのは間違いないはずです。

 ほとんど死ぬまで発明を続けたと言っていいブローニングに比べ、シュワルツローゼは40代半ばの発明が最後となり、しかも製品につながったパテントは40歳頃のものが最後になってしまったわけで、どう見ても全体的にブローニングよりはるかに格下だったばかりでなく才能の枯渇も早かったことになるでしょう。だだかなり長い間にわたって彼の発明を見てきて、決して天才とは呼べず、実際ピストルの分野で成功作と言い切れるものはついに作れなかったものの、ユニークな発想を持った興味深い銃器設計者であったことが分かり、ちょっと愛着がわきました。











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