「世界初の金属一体弾薬用制式後装短銃」
「Visier」2000年1月号に、表題のような評価がなされている銃に関する記事が掲載されていました。
海軍
フランスは19世紀においてそのピンファイアリボルバーを使って技術的基準を設定した。…ピンファイアリボルバーをこうしてセンターファイアに適合させるという方法をやってみせたのである。
すでに1858年におけるその進水の際に、Dupuy
de Lomeによって設計された「Gloire」はセンセーションを巻き起こした。これは完全に新しい船舶タイプだった。すなわちぐるりと厚い鉄板で装甲され、自己の選択により蒸気でも帆の力でも走行できた(頑住吉注: http://de.wikipedia.org/wiki/Henri_Dupuy_de_L%C3%B4me )。
進歩的な構造方式は1859年3月4日に採用されたフランス水兵の短銃にも当てはまった。1860年以後、彼らは徐々に「Pistolet
Revolver Modele 1858」を手にした。当時この銃はGloire同様技術的に実に画期的なものだった。というのは、このピンファイア弾薬用に作られたリボルバーはそもそも世界で初めて制式採用された金属一体弾薬用後装短銃だったのである。
そしてこのガリア人(頑住吉注:フランス人)たちはその最初の軍用モデルを複数十年の長きにわたって実直に使い続けた。何回ものモデファイが行われたにしても。
この鎖の最後の1片を形成する(頑住吉注:この銃器系列の最終発展型)のがMle
1858 Transformeである。この銃は1870〜71年の普仏戦争の2年後になって初めて誕生した。今日この銃は1858系ファミリーで最もレアなバージョンに数えられている。ここで写真掲載した銃はHartmut
Burgerアンティークファイアアームズの商品であり、「5000〜6000マルクの間」とのことである。それでも編集締め切り前に早くも1人の購入者が現れた。だがこの堂々とした価格はまだ氷山の先端ではない。フランスではコレクターは選りすぐりの銃には10,000マルクまで支払うのである。
この銃器種類の歴史は、Eugene Gabriel Lafaucheuxが父Casimirの助けを得て初めてピンファイアリボルバー用ダブルアクションぺッパーボックスを作った1846年に始まった。サミュエル コルトのシングルアクション前装リボルバーにインスパイアされ、Lefaucheuxジュニアは1852年から1854年の間に自分のリボルバーを作り出した。この6連発銃は全てフランスの工場Imperiale
du Sainte Etienneで作られた。その装備はウォールナット製グリップ、黒色にブルーイングされた、または白磨き仕上げ、特徴的なバレルサイドにマウントされたエジェクターといったものだった。St.
Etienneは諸バリエーション(たいてい最小限のモデファイがなされただけ)のメーカーでもあり、フランスは1863年以後それらをスペイン、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、そしてアメリカに供給した。
しかしこのMle1858のデビュー直後にはすでに、フランスのマドロスたちはこの6連発銃の問題点に関するクレームを訴えた。エジェクターが弱すぎ、すぐに曲がってしまうというのである。このエジェクターは特にサイドがガードされていないのが問題だった。その上ネジが塩分を含んだ空気の中で急速に錆びて動かなくなった。結果として海軍省は鋳鉄製のエジェクターロッドを鋼鉄製に換え、バレルとエジェクターロッドの間に誘導ノッチ付きの頑丈な鉄製レールを溶接した。フランス語ではこのエレメントを「canal
de baguette」と言う。技術者はグリップを、バックストラップと底板が互いにひっかけて固定できるよう設計し、こうして3本のネジが節約された。
しかしこの変更は首尾一貫して行われなかった。新しいグリップ、鋼鉄製エジェクターロッド、エジェクターロッド用レールを持つバージョンとならんで、前に挙げた2つのディテールのみ変更されたものも存在する。そして1860年代末には黒褐色にブルーイングされ(「Bronze
noir de guerre」)、新しい形状のグリップ底板を持ち、バレルの太くなった部分にマウントされたリアサイトを持つ(スタンダード品はサイトを持たなかった)、コレクターが喜ぶ変種が誕生した。1868年頃には技術者Felix
Escoffierがすでにダブルアクションバリエーションの実験を行っていた。
だが海軍がDAリボルバー モデル1870に切り替えた時、そのデザインは(頑住吉注:Felix
Escoffierではなく)再びLefaucheux由来であり、いくつかの発火機構部品はベルギーのJ.
Chaineuxから借用したものだった(頑住吉注: http://www.patrice-reboul.com/preboul/preboul.nsf/0/D832FD7A04591156C12571CD0033A411 )。これによりLefaucheuxは彼の最初のセンターファイア弾薬用軍用銃を発表したのである。彼は1872年までパリ所在の自分の工場で約4,000挺の銃を海の男たち用に製造した。その後注文はSt.
Etienneに移行した。
このときピンファイアバージョンの改修が決定した。こうして登場したのがMle1858Transformeである。バレル、シリンダー、グリップ、エジェクターは流用され、他全ては交換された。単純にするため、M1870のダブルアクション発火機構はたいてい1858/59、62、64バージョンのピンファイアリボルバーのフレーム内に適合するまでモデファイされた。第2の要素は新しいハンマーだった。その打撃面にはファイアリングピンが位置し、このファイアリングピンはフレーム前面に特別にフライス加工された開口を通ってプライマーに到達した。
さて口径はどうなのか? 複数のハンドブックによればMle1858ピンファイア弾薬は12mm弾を発射することになっているが、アメリカ人たちの間で11mmフレンチネービーセンターファイアとして知られるM1870センターファイア弾薬の弾丸は11.1mmである。この矛盾は簡単に説明できる。一体弾薬の初期、バレル内や弾薬の公差を埋め合わせるため、オーバーサイズのソフト鉛弾が好まれた。そういうわけでこのセンターファイア弾薬の弾丸は確かにむしろ11.35mm(.447)の寸法で、重量12.8g(198グレイン)なのである。リロードする人は理論上長さ約18.8mmの薬莢を.44-40または.44スペシャルの薬莢から作れる。しかしバレル、チャンバー、カウンターボア部を徹底的に計測し尽くさねばならない。
モデル:Pistolet-Revolver Modele 1858 Transforme
価格:5000〜6000マルク
口径:弾薬1870:11.1mmx18.8
キャパシティ:6発
寸法:290x47x143mm
銃身長:158mm
重量:1130g
型:白磨き仕上げ。木製グリップ。DA発火機構(LefaucheuxおよびChaineux式)。誘導レールの付属したエジェクタ。ランヤードリング。差し込まれた板状リアサイト。パール型フロントサイト。刻印はグリップ底板に錨のモチーフ、「Manufacture
Imperiale de St. Etienne」、「S.1864」(年号とSt.
Etienneの略)
短い割にいまいち流れがつかみにくいんでまとめましょう。Mle1858は実際には1859年に採用され、実際に配備されたのは1860年からだということですが、これが世界初の金属一体弾薬用後装短銃であるとされているわけです。このリボルバーはピンファイア式(開発したのもピンファイアの発明者であるLafaucheux。正確には弾薬の発明者とされるのは父Casimir、この銃の開発を主に行ったのは息子のEugene
Gabrielということらしいですが)、シングルアクションでローディングゲートとエジェクターロッドを持っていました。この銃のローディングゲートは上に開く方式ですが、こうした形式は10年以上後に登場するコルトSAAに間接的に影響を与えたのではないでしょうか。ピンファイア弾薬にはファイアリングピンが付属しているのでこの銃のハンマーにはノーズがなく、ハンマーの打撃面はシリンダー後端の真上を上から叩く形式で、一方チャンバー後端にはピンがシリンダー外に突き出るための放射状のミゾがありました。
http://www.france-militaria.net/documentation/eclate/poing/1858modn.jpg
これがMle1858の図面です。アメリカ人は「ピンファイアは別」ということにしたがる傾向があるようですが、こうしたピンファイアリボルバーの構造は後のリボルバー構造を決定付ける、歴史的に非常に重要なものです。この銃には不具合の是正などを目的とした何回ものマイナーチェンジが行われました。軍がダブルアクションリボルバーを求め、この銃のダブルアクション化がLafaucheux以外の技術者によって試みられていましたが、結果的に採用されたのはLafaucheuxが新規に設計したモデル1870でした。この銃はDAであるだけでなくすでにセンターファイアになっていました。この銃の登場はコルトSAA(1873年)よりまだ早く、しかもダブルアクションだったわけですからかなり進んだものだったと言っていいでしょう。ちなみにライバルのドイツは8年も後の1878年にシングルアクションのライヒスリボルバーを採用しています。
http://www.france-militaria.net/documentation/eclate/poing/1870.jpg
これがモデル1870の図面です。ローディングゲートは下に開く形式に改められていますし、全体にかなり洗練されたデザインという印象です。ちなみにDAシステムはコルト1878などと同じくDAシアがハンマーではなくトリガーに付属した、現在は廃れた形式です。
モデル1870の採用後、旧式化したMle1858のセンターファイア化、DA化の改修が行われ、こうして誕生したのが今回主に取り上げられたMle1858Transformeです。ただ、このバリエーションが最も新しいにもかかわらず最もレアだとされている以上、あまりたくさんの銃が改修されたわけではないんでしょう。登場時期はあいまいな書き方になっていますが1873年頃、つまりSAAと同時期のようです。DAシステムは基本的にモデル1870のそれを単純化したものだということで、シリンダーは流用されているのでピンファイアのピンが通るためのミゾが残ったままです。シリンダーが流用なら口径も同じで、バレルも流用でいいはずですが実際には交換されています。これはピンファイア時代にはバレルや弾丸の製造技術がまだ未熟で、バレル内径より大きな12mmの柔らかい弾丸を無理やり通して多少のゆがみなどをごまかしていたのに対し、センターファイア時代には技術が進歩して正確に作られたバレル内にやや小さい約11.35mmのより硬い(と言っても鉛合金に変わりないですが)弾丸を通すようになったからだということです。
ブレイクオープンもスイングアウトもしませんがフレームはソリッドではなく前後に分割されていますしシリンダーの上をフレームが通っていないデザインなのでSAAよりタフネスは劣るでしょう。
さて、私は以前フランス人の作る銃にろくなものはないみたいなことを書いたことがありますが、あれは無知からくる大間違いでした。フランス人が銃器発達史に残した業績を挙げると、
1.前装銃発達の頂点となったミニエー弾の開発
2.基本的にはドライゼ銃の改良型だがそれより決定的に進歩し、金属一体弾薬以前のライフルのうち最高度に発達したものと言え、モーゼル銃や村田銃開発の基本ともなったシャスポー銃の開発。
3.欠点はあったものの初の実用的かつ商業的に成功した金属一体弾薬であるピンファイア弾薬の開発。
4.「世界初の金属一体弾薬用制式後装短銃」であるMle1858の開発。
5.世界初の無煙火薬仕様制式小銃であるレベル1886の開発。
6.独立したロッキングラグ、リセスを持たず、チャンバーがエジェクションポートにはまりこんでロックされるという現在主流のショートリコイル形式を初めて採用したM1935Sの開発。
主なものだけでこんなにあります。今回冒頭で触れられた史上初の装甲艦もフランスが作ったものですし、現在の戦車のレイアウトを決定付けたとも言われる第一次大戦に参加した戦車の最高傑作ルノーFTを作ったのもフランスです。第一次大戦当時のフランス戦闘機はイギリス、ドイツに引けをとりませんでしたし、総合的に最も優れていたという評価もあります。フランスの軍事技術が衰退したのは大戦間の時代であり、それ以前は最高水準の軍事技術を持った国だったわけですね。