ショーシャ機関銃 その2

 後篇です。

http://www.360doc.com/content/11/0217/23/160778_93929760.shtml


(頑住吉注:最初の画像のキャプションです。「情景再現写真。1918式制服を着たあるフランスのショーシャ射手が塹壕内で活動しているところ。彼の左手は機関銃の折りたたんだバイポッドを握り、右手はフォアグリップを握っている。彼はさらに左肩のスリングで自分がショーシャの重量バランスをとる助けにすることができている。」)

アメリカ人が来た

「1918年5月、アメリカ軍の最初の12個師団がフランスに到着した。彼らは全てホチキス重機関銃とショーシャ軽機関銃を装備していた。この2種の武器はいずれもフランス政府が提供したものである。5、6月の間、さらにアメリカ軍11個師団がフランスに旅立ち、彼らが装備していた重機関銃はアメリカ製のビッカースだったが、軽機関銃は依然フランス製のショーシャだった。1918年6月以後、ヨーロッパの戦争地域に向かう全てのアメリカ軍部隊はブローニング機関銃を装備し、これにはM1918BAR軽機関銃とM1917重機関銃が含まれた。」

「アメリカの弾薬 1917〜1918」 1919年発行、Benedict Crowell著

「黒のスペードのA」(頑住吉注:ブラックジャック)というあだ名のパーシング将軍率いるアメリカの遠征軍がフランスに到着した時、彼らは身に着けた制服、背負った小銃および弾薬の他、ほとんど何も携帯していなかった。これらの壮健な、自信を持った、だが実際のところ戦争に関して素人であるアメリカ兵に完備された装備と訓練を提供するための仕事は、当然かのすでに塹壕戦の硝煙の中でまるまる4年いぶされた英仏の古参兵に任された。派遣された地域の差により、各アメリカ軍部隊はそれぞれ彼らが駐屯する地の受け入れ国の責任で装備、訓練、兵站が提供され、これら初めて戦場に足を踏み入れるアメリカ兵は自分たちの戦術および兵站体系に組み込まれた。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「第一次大戦期、アメリカの第32歩兵師団の兵隊が自分のショーシャM1915機関銃をクリーニングしているところ。1918年6月。」 続いて2枚目。「アメリカ兵がドイツ軍から鹵獲した機関銃手専用のスチール製防弾衣を着ている。1918年、フランスで撮影。」 たぶん右のショーシャにかぶせられているのが前篇で触れられたキャンバス製の防汚カバーでしょう)

アメリカ兵たちはショーシャの使用を喜ばなかった。彼らはこの銃の名称のフランス語を訛って「Show-Show」と発音した。彼らが国内で接したことのあるルイス機関銃と比べて、ショーシャの見た目はずっと粗削りだった。さらに、間もなくアメリカ軍兵士たちはこの銃の信頼性、射撃精度がいずれも充分良好ではなく、銃の重心が前寄りで、しかも重量が大きいことに気付いた。さらにアメリカの戦史の中にはこんな記載さえあった。フランス軍防衛区に新加入したアメリカ海兵隊兵士はまるで鹵獲されるかのように強制的にフランス軍に手にしたルイスを捨てさせられ、フランス製ショーシャに換えさせられた。名目上、換装の理由は現地でアメリカ製の.30-06小銃弾薬が欠乏していることだったが、実際にはさらに重要な原因は協商国部隊は強固な協力精神を必要とし、彼らの装備、兵站体系には統一が必須だ、ということだった。‥‥たとえ1、2機種の高品質な装備を犠牲にしても。

多くのマイナス評価はあるが、以下の記述はそれでもショーシャの優秀な一面を表わしている。この他にも多くの大戦中のショーシャ射手たちに関する英雄的な称賛される事例がある。

「昼間にドイツ軍は砲撃を停止したが、濃い霧ともうもうたる煙は我々にさほど遠からぬマルヌ川を見えなくさせていた。我々にはショーシャと小銃、そしてその他の機関銃の銃声が聞こえたが、これらの武器はまだ見えるに至らなかった。我々の前方、数ヤードのB中隊の何人かの兵士が濃い霧の中から飛び出してきた。彼らはドイツ人が我々の前方の浮橋に湧き出ているところだと言った。たった今B中隊Arthur S. Savage中尉が戦死したショーシャ射手と交代して浮橋のこちら端を防御し始めたところだった。サベージ中尉は激烈な作戦中に戦死した。」

The Keypoint of Marne。1930年刊行、Edmund L. Butts著

Lawrence Stallingが書いた「アメリカ兵」という本の中に次のような内容がある。ムーズ・アルゴンヌ戦役においてアメリカ軍第35歩兵師団のあるショーシャ射手は犠牲を払って4つのドイツ軍機関銃火力点を始末し、彼は戦死した時、まさに5つ目の機関銃火力点を突破しようとしているところだった。この本にはさらにアメリカ海兵隊の伝令兵Frank Bartの英雄談も記録されている。戦場でドイツ軍の機関銃が中隊の進攻のための道路を完全に遮断していた。バートはショーシャを手にして2組のドイツ機関銃チームを続けて始末し、占領のために前進すべき道路を切り開いた。その後彼は栄誉勲章(Medal of Honor)を授与された。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「堅固なフロントサイトはねじ込みのバレルジャケット上に完全に固定されて外すことはできず、もしフロントサイトに調整を行いたければ、ねじ込みのジャケット全体を軽く回すことができた。」 続いて2枚目。「ショーシャのリアサイトにはV字ノッチがあり、調整間隔は200m、200mから2000mまでだった(この最遠距離は楽観的過ぎかもしれない)。照準ライン全体は左側にオフセットされ、もって射撃時に射手の体の姿勢に適応する。」 続いて3、4枚目。「ショーシャのマガジンに装填する時は、弾薬を片手で持ち、まず弾薬の底部をマガジンに入れ、もう一方の手でスプリングのテンションがかかったフォーロワを下にスライドさせる。ショーシャの20連マガジンが半円形になってしまった理由は、テーパーのきつい8mmレベル小銃弾薬が決定的要素である。画像のこのマガジンは明らかにフル装填されていない。そのマガジンスプリングは使用時間が比較的長くなるとテンションが弱まるからである。ショーシャの操作ハンドブックは、マガジン装着前にボルトを後方まで引いておくべきこと、セーフティもかけておくべきことを規定している。ただしこのようにすると容易に外部の塵や土がエジェクションポートから銃内に進入し、潜在的な故障可能性という危険を作り出す。この他雨水や戦場の各種の砕けた屑も極めて大きなマガジン側面の切抜き部から銃内部に進入する可能性がある。この切り抜き部の設計は本来弾薬手が行進の間にショーシャの弾薬の残りの状況を視察しやすいためで、もって適時にマガジン交換するのに便利とするものだった。フランス人はひたすらショーシャに行進間の火力を提供させたのである。マガジン装着時、まずマガジンの前端をレシーバー下方の窪み部分に挿入し、しかる後に他の端をロックされ固定されるまで上に持ち上げた。」)

まずいこと極まりない改造

数量の充足したアメリカ製の.30-06弾薬が続々とアメリカ本土からヨーロッパの戦場に送られるにつれ、フランスはこのアメリカ製弾薬を発射できる改造型ショーシャの開発を決定した。このようにすればアメリカ軍陣地に物資が補給された時、必ずしも小銃(アメリカ軍が使用する小銃は依然アメリカ製弾薬を発射した)と機関銃(8mmレベル小銃弾薬を使用)のために2種の異なる弾薬を準備しなくてもよく、多くの面倒が省ける。フランス人は楽観的に改造型を作ることを朝飯前と見た。そして必要なのは正確なチャンバーとバレルの寸法を備えた新しいバレルだけで、それさえあれば即万事めでたしだと考えた。この作業は直ちにGladiator社に与えられた。改造後のショーシャは本来のC字型マガジンがより普通な長方形の16連マガジンに換えられていた。フォアグリップの装着位置にもこれに合わせて調整が行われ、バイポッドがより後方寄りになった。アメリカ製弾薬の特性に合わせるため、サイトにもこれに合わせた調整が行われた。アメリカ陸軍と海兵隊は正式にこの改造型ショーシャを採用し、1918式0.30インチ口径ショーシャ自動小銃と命名した(頑住吉注:BARもオートマチックライフルと名付けられてますからね)。

ショーシャの当初の設計と製造における1つの重要な前提はまさに低威力の8mmレベル小銃弾薬の使用だった(頑住吉注:.30-06は約3900ジュール、8mmレベルは3364ジュールでそう極端には離れていないんですが)。M1886式8mmレベル小銃弾薬のテーパーはきつく、かつ底部に非常に厚く突出したリムがあるため、薬莢引き抜きの動作に少なからぬ便利さを提供し、ロングリコイル自動方式の正常な完成が保証された。しかしこれに比べ、アメリカ製の.30-06小銃弾薬の威力はより大きく、後座もより激烈で、薬莢にはほとんどテーパーがかかっておらず、リムもより薄かった。こうした差異はショーシャの構造と製造方面の瑕疵をさらに大きくし、最終的にもたらされた結果には間違いなく少し「災難性」の色彩が伴った。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コッキングハンドルをレシーバー最後部まで後方に引いてロックすると、ショーシャは発射準備状態となる。もし射撃が必要なら、射手は右手の親指を使ってセーフティをオフにするだけで即オーケーである。」)

ショーシャ1918は射撃時、バレルとボルトユニットが8mmレベル小銃弾薬に比べずっと強大な力で後方に猛烈に押され、射撃時間がやや長くなった改造型ショーシャは加熱によりジャムし、あるいはもっと極端にボルトの受ける力が過大で断裂がもたらされた。薬莢が細長く、しかもテーパーが乏しいアメリカ製弾薬は非常に容易に薬莢引き抜き時に動きが鈍くなる現象が発生し、エキストラクターが自分から折断した。さもなければリム全体が引きちぎれて開口した。ショーシャ1918のもう1つの問題の張本人はDemaison & Buffetaut社だった。この無名下請けメーカーがGladiator社に提供したショーシャのバレルは大部分チャンバーの加工が不正確だった。ショーシャ製造中の無頓着といい加減な検査は、致命的問題の存在する機関銃を、このことを全く知らないアメリカ軍の手に支給させた。

見たところ8mmショーシャを蔑視してもよい充分な理由があるようだが、実際にはこれらのひどい0.30インチ口径のショーシャ1918こそショーシャを激烈な批判に遭わせている元凶である。アメリカの遠征軍に提供された18,000挺のショーシャ1918の大多数はほとんど使用するに耐えず、指を折って数えられる少数の銃が幸運にも今日まで保存されている。まさにショーシャ1918のアメリカ軍内での悪名ゆえに、後の初めての性能優秀なM1918ブローニング自動小銃BARが部隊に装備された時、アメリカ軍将兵は歓喜に湧いたのである!

第一次大戦期における8mmショーシャの総生産数はおおよそ247,000挺で、このうちGladiator社が227,000挺、サンシャモンが20,000挺を生産したとされている。戦後ショーシャは依然フランス軍内で、後により先進的なChatellerault M1924式軽機関銃に取って代わられるまで現役を続けた。指摘しておく価値があるのは、大戦間の時期、フランス軍から淘汰された余剰のショーシャがさらに相前後してベルギー、ギリシャ、ポーランドおよびその他のいくつかの国の軍隊に採用されたことである。

(頑住吉注:原ページのここにある1、2枚目の画像のキャプションです。「8mmレベルM1886D(am)普通弾薬は48グレインの無煙発射薬と空力性能が比較的良好な198グレイン(12.87g)ボートテイル型弾頭を採用していた。テーパーのきつい薬莢の設計は射撃時の薬莢引き抜きを比較的容易にしたが、この弾薬の突出したリムは給弾に深刻な問題ももたらした。」 続いて3枚目。「皮革と帆布で作られた射手用備品袋にはショーシャ機関銃の維持メンテナンスに用いる多くの必要な工具が収納できた。1917年にアメリカ軍が発行した使用ハンドブックによれば、備品袋内には通常次のものが装備されていた。3本のクリーニングロッド、バレルクリーニング用ブラシ、オイラー、石油缶、薬莢を手動で引き抜くための工具、バレル保護ジャケットクリーニング用工具、バレル螺箍、クリーニング用工具、M1917式薬莢切れ処理工具。その他の物品にはさらに対空サイトやマガジン検査修理工具が含まれた。」 「螺箍」は検索しましたが意味不明です)

ロングリコイル自動原理

多くの人が頻繁に、自動火器に使用される後座式(recoil)と自由ボルト式(blowback)という2種の自動原理を混同する。簡単に言えば、自由ボルト自動原理は一般に拳銃弾を発射する自動火器(つまり厳密な意味でのサブマシンガン)にのみ用いられる。例えばMP18/Iである。こうした火器ではボルトはロックされない。撃発後、ボルトは自身の重量とリコイルスプリングのテンションの助けを借りて短時間内この位置にあることを維持し、その後すぐ火薬ガスによって後方に向け押し動かされる。ボルトがリコイルスプリングによって再び押し戻されると、次の1発がチャンバーに押し込まれる。これに比べ、後座式自動原理は小銃弾薬を発射する武器(例えばマキシムやビッカース)により適している。この種の自動原理を採用した火器のボルトはバレルにロックされている。撃発後、ボルトはバレルと共に1つの部品としてレシーバー内で後座する。あらかじめうまく設計された位置で、バレルとボルトはロックを解かれて分離し、ボルトは後退を継続、そして復帰し、自動的作動が完成する。ショーシャが採用しているのはロングリコイル自動原理で、文字通りショーシャは発射時ボルトとバレルが共に後方に向け運動する距離がより長い。弾薬1発の全長と比べてさえより長い。この後ボルトは後方に停止し、一方バレルは前に向け復帰前進する。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「フルオート射撃状態のショーシャ。右側のエジェクションポートから放出される大きなレベル空薬莢に注意されたし。これは現代に撮影された情景再現写真である。写真の中でこの射手は頬をショーシャのレシーバー後方に固定された栓の前方に当てているが、こうすれば顔に痛みを感じることが避けられる。90年前の第一次大戦期、これは多くのショーシャの新人射手が遭遇しなければならなかった問題だった。」 続いて2枚目。「ショーシャ機関銃手専用のキャンバス製マガジンバッグは非常に厚いキャンバスを使って作られ、しかも皮革で補強されており、その中には4つのマガジンが収容できた。写真中の射手の腰のベルトに工具と備品の袋があることに注意されたし。」)

自動過程

もしショーシャの自動過程を細かく描写する必要があるなら、筆者はやはり〜中佐の古典的大作「機関銃」第1巻から引用するのが適切だと思う(頑住吉注:人名は原文の中で一体どこから人名なのかも含め不明です。見当をつけて検索しても全くヒットしません)。

「発射前、まずフル装填したマガジンの前端をバレル下部の側板の間に挿入し、その後後端を上に、ロックされ固定するまで回す。もしセミオート射撃の必要があれば、射手はセレクターをSからCに回さねばならない。もしフルオート射撃の必要があれば、セレクターをMに回す。

射手がフルオート射撃しようとしており、かつすでにセレクターを正確な位置まで回し終わっていると仮定する。この時コッキングハンドルを最も後方の位置まで引き、シアをボルトのミゾにかませる必要がある。この時トリガーを引けば、作動機構が解放され、ボルトはリコイルスプリングの作用下で前に向け運動する。推弾ユニットは前に向けた回転運動によって1発をマガジン内から押し出し、その後ボルトはこの弾薬をチャンバーに押し込む。この過程でさらに導引器の作用の助けを借りる必要がある。導引器は弾頭部を上に持ち上げさせて、これをチャンバー入り口に進入させる。その後、カムが導引器を駆動してマガジン口部の送弾ルートを開かせる。

ボルトの前進運動に付随して閉鎖突起が垂直位置になる。ボルトが暫時この位置に停止することを保証するため、ボルト支持ブロックを使用する必要がある。ボルト支持ブロックは槌型の挿柱で、一部はボルト本体に位置し、一部はボルトヘッドに位置する。このようにすればトリガーを引いた時、ボルトとボルトヘッドの間にねじれ運動が生じることが防止できる。弾薬がチャンバーに入ると、ボルト支持ブロックはチャンバー内部に進入し、ボルトヘッドの回転を強制し、したがってボルトヘッドとボルト本体は堅固にロックされる。リコイルスプリングはファイアリングピンが付属したボルト本体を駆動して前進を継続させ、閉鎖突起の最後の回転がファイアリングピンを解放して弾薬のプライマーを撃発する。

ボルト、バレル、バレルエクステンションは一緒に後座を開始する。この時ボルトとバレルは依然固定され一体になっている。ボルトとバレルが一緒に後退する長さは弾薬1発の全長を超える。ストロークいっぱいまで後座すると、ボルトの突起はボルトをバレルおよびバレルエクステンションからロック解除する。この後ボルトはシアによって後部に固定される。一方バレルとバレルエクステンションは前向きの運動を開始する。ボルト前端面のエキストラクターは空薬莢のリムをしっかりつかんでいるので、このように前向きの運動を開始したバレルおよびバレルエクステンションは当然空薬莢をチャンバーから離脱させる(頑住吉注:通常と逆にボルトは動かずバレルが前方に「脱げる」形ですね)。バレルの前向きの運動が一定距離を過ぎると、スプリングを備えたエジェクターが空薬莢をレシーバー右側のエジェクションポートから放り出す。

もし射手がトリガーを緩めていなければ、バレルユニットは最も前に至る直前にシアを駆動してボルトを解放し、そこで新たな1発の送弾と撃発が再び新たに開始される」

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「ショーシャ機関銃を分解するには、まずマガジンを外し、チャンバーを点検してチャンバー内に弾薬がないことを確保する。その後コッキングハンドルを引いてトリガーを引き、ボルトをゆっくりと前方に滑らせる。その後指でリコイルスプリングガイド向柱にあるロックを押し下げて、ガイド向柱管カバーをねじって外す。」 部品名称がよく分かりませんが、画像と見比べれば大体分かります。ロックは指で押し下げているところなのでほとんど隠れてますが、次の画像で確認できます。 続いて2枚目。「バレル復帰スプリングとガイド向管ユニットを取り外す」 続いて3枚目。「バレルを持ち上げ、リコイルスプリングライナーを取り出す」 続いて4枚目。「後部固定栓を引き出す」 続いて5枚目。「前部固定栓を下に向け1/4回転させ、銃本体の分離を完了させる」 続いて6枚目。「コッキングハンドルを後方まで引き、バレル保護ジャケットユニットを後方に向け移動させる。続いて給弾カムを滑り出させると、保護ジャケットユニットも銃本体から分離する。」 続いて7枚目。「コッキングハンドルを後方に引き続けると、このように給弾部品がレシーバー後部の長いスリットから取り出せる。」 続いて8枚目。「ボルトとバレルをバレル保護ジャケット後部から取り出す」 続いて9枚目。「分解されたバレルおよびその補強リブを持つアルミ製放熱器。バレル末端に非常に長い延長部分が付属しているのに注意。ボルトはこの延長部分内に位置し、これもロングリコイル自動原理を採用した自動火器の最も顕著な1つの構造上の特徴である。」 続いて10枚目。「野外分解状態のショーシャ機関銃。上から下、左から右に、レシーバーユニット、バレルジャケット、リコイルスプリングライナー、バレル、給弾カム、リコイルスプリングガイド向管ユニット、後部連結栓、マガジン、ボルト。」 続いて11枚目。「この写真ではボルト端面と8mm小銃弾薬底部の位置関係がはっきり示されている。ボルト端面7時の位置のエキストラクターと2時方向のエジェクター、この他3時および9時方向に非常に厚い閉鎖突起もあることに注意されたし。」)

傷は玉を覆うことはできない(頑住吉注:短所より長所の方がずっと多い、という慣用句だそうです)

今日ショーシャをコレクションしている少数の人々はほとんど全てショーシャへの厳しい批判意見に対する最もきっぱりとした反対者である。彼らのうちの多くが、自分はショーシャ1915式機関銃を射撃したことがあるが、この銃のパフォーマンスは非常に素晴らしかったと語る。ただしどう言おうと、ショーシャにはちょっとした問題が間違いなくある。

ショーシャを射撃する時、射手はこの銃は射撃コントロール性が充分良好ではないと気付く。バレルユニットおよび関係する部品が後座するストロークと速度がいずれも比較的大きく、銃本体が不断にバイポッドを支点として動揺を起こし、射手から見ると照準線が目標をめぐって絶えず回転する。ショーシャの発射速度は比較的遅く、毎秒4発しか発射できない(頑住吉注:大口径機関砲はともかく小火器のフルオートでこれ以上遅い銃ってあるでしょうか。よく遅いと言われる九二式重機関銃やグリースガンでも7発程度あり、4発というのは撃ちやすい銃ならセミオートでも充分可能な速さです)。これと比べてルイス機関銃は毎秒10発発射できる。このことは本来ならばショーシャの射撃コントロール性をより良くするはずである。だが実際にはショーシャは射撃時、前輪がソリッドな自転車に乗って階段の上から下に突進するがごとしである!

ショーシャ機関銃の人間工学方面の設計には間違いなく少なからぬ問題が存在する。この銃は携行およびスタンディングでの腰だめ射撃の快適性がいずれも良くない。この他この銃の装填と使用も不便で、ジャムが起こった時の排除がより困難である。

ショーシャのバイポッドの構造はシンプルで、2本の支持脚は長さの調節ができない。ただし折りたたんでレシーバー両側にまとめることはできる。バイポッドは基部をめぐって回転運動でき、このようにすれば銃本体を少し振ることができ、照準具の水平を保証するのに便利である。遠距離射撃時、射手はバイポッドを前に伸ばして地面で支える。ただしその安定性は射手にプローンの姿勢で長時間正確な照準をさせるには不足である。

V字型ノッチのリアサイトと削って尖らせたポスト式フロントサイトは各種の光線条件下で射手に目標に対する正確な照準を行わせる。だがショーシャの照準具の設計には依然改良の余地がある。リアサイト本体はより高いプラットフォーム上に設置してもよい。こうすれば射手は首を縮めてフロント、リアサイトに正しく相対する必要がなくなる。しかもこうすれば銃本体が初心者の頬にぶつかって痛みを感じさせる可能性も減らせる。もしショーシャの400m以遠の目標に対する射撃精度が比較的劣るにしても、この銃の2000mという最大射程はやはり相当に魅惑的である。遺憾なのは、ショーシャの照準具には風による偏差の修正機能が設けられておらず、多くの工場から出荷されたばかりのショーシャの着弾が照準点の右上方に偏向したとされていることだ。

ショーシャにはまだ見かけ倒しのアクセサリーがある。それは対空用照準具である。この照準具はリング型で、着脱式が採用されている。平時は射手の工具バッグの中に収納され、もしもかの空を飛ぶブンブンいうものが接近したら、射手は直ちにこれを取り出して装着するのである。だが歴史の記録から見て、ショーシャがかつてこの照準具を利用していかなる敵機をも撃ち落としたことを示す確実な証拠はない。

ショーシャのグリップの造形は粗削りで、見たところレシーバーにリベット止めされた加工の終わっていない長方形の木の塊のようである。グリップの装着角度は比較的ちょうどいいが、造形のためそのグリップフィーリングはよくない。トリガーガードは比較的大きく、冬季に手袋をしていても操作できる。同時にこのガードは堅固でもあり、戦地の環境においてぶつけてトリガーを破損することが防止できる。ショーシャのフォアグリップは見た感じちょっと滑稽である。これはむしろ何らかの工具(例えばキリなど)のグリップに似ており、その装着位置になったはスタンディングやプローンでの射撃により良好な支持を提供するためではなく、マガジンがちょうど銃全体の重心点に位置しているためである。アメリカが後に使用したショーシャ1918のフォアグリップは装着位置が変更されており、マガジン前方に移動していた。これはショーシャ1918における唯一の真に有効な改良と言えるかもしれない。

発射準備状態でない時、コッキングハンドル後方のレシーバーにある大きな長方形の開口は、外界の塵や土等の異物を銃本体内に進入させるかもしれない。コッキングハンドルが最後まで引かれている時は、長方形のエジェクションポートも異物の進入をもたらす。人にいぶかしく思わせるのは、1917年にフランスはショーシャの使用専用に供する金属製防護カバーを製造したのに、最終的に採用されなかったことである。

ショーシャのスチール製のパイプ状バレル保護ジャケットには多くの丸い穴が開けられている。これはバレルに優れた放熱性能を提供するためである。だが実際の使用では多くの外界の雑物がこれらの穴を通って進入し、使用性能に影響もした。ショーシャの銃身長は17.5インチしかない。このため大型のフラッシュハイダーを配備する必要があった。マズル部にまだ完全燃焼できていない火薬ガスが存在するからである。だがフランス人はこのことに対し充分に重視しなかったようで、1917年初めになって、新たに工場から出荷されるショーシャにやっとこの重要な夜戦機材が配備された。

ショーシャのマガジン交換は、他の機関銃と比べてより面倒である。何故ならショーシャのマガジンは半円形で、しかも位置が比較的特殊だからである。もし何らかの長所について触れるなら、マガジンキャッチレバーは優秀な設計と言える。その両端はレシーバー両側に突出し、バイポッドをたたんでこの突出部位にひっかけることができた。

レシーバー左側、グリップ上方には寸法が比較的大きいセレクターが設けられている。その機能と設置に関してはすでに紹介した。ショーシャのスリングリングは銃本体の左側に装着され、設計は比較的合理的で、便利に肩に背負い、あるいは首にかけて行進間の射撃に用いることができた。

称賛する者の少ない開拓者

軍事史学界のある人は、ショーシャは世界最初の実用型アサルトライフルと言えるに違いないと考えている。この視点には当然自分なりの根拠がある。ショーシャは金属プレス部品による製造を使用し、火力選択能力を備え、大容量着脱マガジンを採用し、全体のレイアウトは基本的に直線型である。ショーシャと今日の厳密な意味でのアサルトライフルとの間の最大の差異は、ショーシャが中間口径弾薬を採用していないところにある。当時威力が比較的低いレベル弾薬はまだ出現していなかったのである。

こうした理論上の期待はさておき、事実は依然として事実である。すなわちショーシャは戦術需要を満足させるにはほど遠かった。また当時まさにこの種の戦術需要こそがショーシャを生み出させたのである。根本的に言って、ショーシャの設計は戦場の現実の環境に対してなされたものではなく、正確さの不完全な対策だった。しかも製造に使用された新技術も充分成熟していなかった。多くの方面でショーシャは使用者に対して充分フレンドリーではなく、この銃の使用は射手に一定の危険性をもたらすことになった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ショーシャM1915を背負い前線に赴かんとするアメリカ軍兵士がまさにフランスの村民に別れを告げている。彼らは自分の肩の上の機関銃が彼らに愛されもし、恨まれもすることを知らない。」)

ショーシャ機関銃の技術的データ

名称:ショーシャ1915式自動小銃(Fusil Mitrailleur Modele 1915 CSRG)

メーカー:Gladiator社、パリ

発射弾薬:8mmレベル1886D(am)小銃弾薬

使用される弾薬の種類:普通弾、トレーサー

自動原理:ロングリコイル自動方式

冷却方式:空冷

火力選択:フル/セミオート

給弾方式:20連半円形着脱マガジン

全長:45インチ(1143mm)

重量:フル装填したマガジン込みで21ポンド(9.5kg)

銃身長:17.5インチ(445mm) 4条右回りのライフリングあり

照準具:フロントサイトはポスト式、Vノッチのリアサイトは調節可能。調節範囲は200〜2000m

発射速度:250発/分

銃口初速度:2375フィート/秒(723m/s)

最大有効射程:400m(点目標)、600m(面目標)


 欠点の多い銃であることは認めながらも、不当と言えるほどの批判を受けており、当時まだ使用に適する軽機関銃がごく少なかったことも考えあわせてのことでしょうが、短所より長所の方が多かったのだ、という論評です。そして最後に、史上初のアサルトライフルであるという意外な説を紹介しています。

 フェデロフM1916が史上初のアサルトライフルであるという説は比較的よく知られています。フェデロフM1916が史上初のアサルトライフルであるとする根拠は、

●比較的低威力の6.5mm弾薬を使用する。

●セミ・フルオートが可能である。

 まあこれだけです。しかし私は、

●使用された6.5mmアリサカは短小弾薬に分類されるものではないし、しかもフェデロフはこの弾薬の威力が不足であると考え、より強力な弾薬を開発していた。つまりフェデロフはアサルトライフルの方向性からはむしろ遠ざかろうとしていた。

●ショートリコイルという後にアサルトライフルには成功例のない作動方式を用い、全体レイアウト的にも曲銃床であるなど後のアサルトライフルの特徴を全く持たない。

 といった理由から、史上初のアサルトライフルはMP44であり、フェデロフM1916はまあ「ちなみにこんなのもあった」といったこぼれ話程度に挙げる価値しかないと考えています。

 一方ショーシャが史上初のアサルトライフルであるとする根拠は、

●スチールパイプ、スチールプレス、リベット接合など後のアサルトライフルで多用される技術が多用されコストの切り下げが明確に意図されていた。

●準直銃床ともいうべきストックなど直線的なスタイルで、少なくともフェデロフM1916よりは近代的アサルトライフルに全体レイアウトが近い(特により短くマガジン形状がノーマルに近いM1918)。

●セミ・フルオートが可能である。

 といったもので、また8mmレベル弾薬の画像を見ると、リムドであることを除けば太短い薬莢は7.62mmx39にやや似た印象を受けます。少なくとも6.5mmアリサカよりはるかに近いイメージです。ただしあくまでこれは印象に過ぎず、実際の薬莢の長さは8mmレベルが51mm、6.5mmアリサカが50mmで、エネルギー的にも8mmレベルの方がずっと大きく、完全にフルサイズの領域です。また重量9s以上というのは現代アサルトライフルとしては重すぎると批判されるL85系の2倍に相当します。また言うまでもありませんが、ロングリコイルを採用したアサルトライフルの成功例もありません。

 面白い説だな、とは思うものの、全体的にはフェデロフM1916が史上初のアサルトライフルであるとする説よりもさらに根拠が薄く、同意はできません。













戻るボタン