台湾のスパイが大陸で処刑された事件

 5年前の事件です。

http://military.china.com/history4/62/20140904/18762979.html


中国の戦略ミサイルの絶対秘密の情報が盗み取られる:2008年台湾スパイ事件のいきさつ

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「資料画像:娘の結婚式での沃維漢(左)」)

11月28日、中国公民の沃維漢は台湾のスパイに充当され、戦略ミサイルなどの絶対秘密の情報を盗み取り、スパイ罪をもって死刑を執行されたが、西側諸国の神経を逆立たせた。アメリカ国務省は「深く不安と失望を感じ」、オーストリアは「驚愕を表明」した。このスパイ事件の犯罪事実ははっきりしており、証拠は確実にして充分で、司法機関は法によって審理し、過程は合法で、判決言い渡しは公開され、法律の規定に完全に符合していた。中国を非難するのには全く道理がなく、背後に別の非常に深い隠された事情があるのである。

国により派遣される前にドイツに留学に行く

沃維漢が盗み取った戦略ミサイルに関する絶対秘密の情報は、新中国成立以来の特大のスパイによる秘密盗み取りの事件となり、国家の安全と国防建設に対し特別に深刻な結果をもたらした。スパイ事件の主役の名は外電の報道の中の「伍維漢」では決してなく、沃維漢だった。

沃維漢、男、1948年に黒竜江のチチハル市で生まれた。1981年にハルビン大学医学部を卒業し、大学入学試験が再開された後の初めての大学生だった(頑住吉注:たぶん文化大革命で中断していたということだと思います)。1981〜1984年、中国科学院生物物理研究所の修士課程で学んだ。卒業後研究所に留まって研究院助手となった。

1987年、沃維漢はドイツのミュンヘンに公費留学生として派遣された。1991年に博士号を獲得した。学習期間が終わっても沃維漢は決して帰国せず、継続して医学科研業務に従事することもなく、滞留して帰らず、オーストリアに行って商売をし、かつ妻と2人の娘を全てオーストリアに連れて行った。

後に夫妻は離婚し、沃維漢の元妻と娘はオーストリア国籍に加入し、かつそこに定住した。1990年代初めから、沃維漢はしばしば祖国である大陸とオーストリアなどのヨーロッパの国の間を往復して商売をし、その出入国はいずれも中国のパスポートをもって行った。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「沃維漢」です。)

台湾スパイ機構によって裏切りを扇動される

ドイツで学んでいる期間、沃維漢は経済的に決して豊かではなく、政治的にもまた民主活動家と一緒になっていた。いわゆる民主活動家である費良勇の紹介を経て、1989年10月、沃維漢はドイツで台湾のスパイ機構によって裏切りを扇動され、台湾軍情報局のスパイとなった。この組織は彼に「楊東」の仮名と毎月1,000アメリカドルの給料を与えると規定した。沃維漢はさらに関連のノートパソコン、デジタルカメラ、スキャナーなどのスパイ設備を受け取った。彼は大陸でスパイネットワークのメンバーを積極的に発展させ、大陸の政治、経済、軍事などの情報を捜索収集し始めた。また、台湾軍情報局は沃維漢を完全に支配するため、30万アメリカドルを投資して、彼のその時の妻陳淑坤のためにオーストリアにレストランを開設した。

1990年代初めから今世紀初めまで、沃維漢は台湾スパイ組織によって派遣され、何度も大陸に行って情報収集を行い、かつたまにうまくやり遂げた。これには解放軍の某夜間作戦装備の獲得、発展を準備するメンバーの状況を台湾スパイ組織に向け報告するなどが含まれた。

後に、活動の便のため、沃維漢は北京で薬物担体会社を登記して成立させ、彼は自分に会社の「主席科学者」というこの響きのよい肩書きを与え、少なからぬ西側メディアはこのため彼を「医学研究人員」、「科学者」と描写した。実は彼は全く科学者とは評価できず、まともな商人でもなく、隠れ蓑を着てごく深く隠れた正真正銘のスパイだった。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「解放軍の戦略弾道ミサイルが真っ直ぐ立った状態」です。)

ミサイル専門家を買収

郭万鈞、男、1942年生まれ、南開大学物理学科を卒業。当時は優秀な学生で、後にはミサイル技術専門家となり、某いくつかの機種の戦略ミサイルの設計に参加した。

郭万鈞と沃維漢が知り合ったのは、2人が親戚だったからである。1990年代初め、ある遠い親戚の結婚式で、沃維漢は帰国してお祝いに行き、2人はこのようにして知り合った。

沃維漢は本来意識的に各方面の人員に引っ張り込んでいたが、郭万鈞がことのほか親切なことに気付き、あらゆる手を尽くして注視して放さず、自らの見てくれをひけらかしもしたし、また各種のメリットを請け合った。

一方郭万鈞は、留学から帰り、洋服を着て革靴を履き、高級セダンを運転する沃維漢を見た時、あふれる蠱惑によって正気を失わされ、沃維漢と非常に親密になった。

その後、沃維漢はすぐに郭万鈞の状況を台湾軍情報局に報告し、得た指示は重点的にその人と関係を結べ、というものだった。

一定の時間が過ぎた後、沃維漢は時機が熟したのを見て、台湾軍情報局の要求通り、郭万鈞に対する行動に出た。沃維漢は郭万鈞に、ミサイルの状況は大金と引き替えにすることができる、と教えた。郭万鈞は金に目がくらんだ。

1990年代中、後期から今世紀初めまで、郭万鈞は一歩一歩深淵に陥り、小心から大胆に変わっていった。後には沃維漢が外部のスパイ組織の工作員だとはっきり知っているという状況下で、郭万鈞は沃維漢に向け大量の戦略ミサイル関連の情報を提供した。

(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは「資料画像:第二砲兵部隊が東風-31A戦略ミサイルを発射」です。)

戦略ミサイルなどに関わる7項目の絶対秘密の情報

沃維漢がミサイルの専門知識を理解できるように、郭万鈞はさらに彼にミサイルの専門知識を「科学普及」した。沃維漢は聞きながら記憶し、筆記は非常に総裁に行われた。こうした筆記はすでに携帯されて国外に出、ヨーロッパ某国で台湾軍情報局に渡された。

まさにこうした情報ゆえにでもあるが、台湾軍情報局の某副局長はさらにわざわざヨーロッパ某国で沃維漢と会った。彼は沃維漢に、沃維漢の情報をアメリカが非常に重視していると教えた。このため台湾軍情報局はさらに相次いで沃維漢に40万アメリカドル余りを奨励金として与えた。

郭万鈞が漏洩させた情報は我が国の安全に対する影響が非常に大きかった。沃維漢の供述によれば、台湾サイドはこの情報の処理のため、郭万鈞が提供した情報に照準を合わせわざわざ分析チームを成立させた。彼らは明確に沃維漢に、こうした情報は主にアメリカに提供されるのだと教えた。毎回情報を手に入れ、かつ研究を経た後、分析グループはいつもアメリカサイドが提出した需要を根拠にわざわざ問題のリストを作り、沃維漢はこうした問題を携えて再度大陸に戻り、直接郭万鈞に問うた。

裁判所の審理を経て、郭万鈞は相次いで沃維漢に向け戦略ミサイルなどに関わる7項目の絶対秘密の情報を提供した、と認定された。このため、沃維漢は相次いでスパイ情報組織から郭万鈞に提供された数万アメリカドルと腕時計1つを渡した。沃維漢はスパイ機関の指導の下に、商人の外観を隠れ蓑にし、活動は非常に隠蔽されていた。沃維漢と郭万鈞の活動は親族への連絡ということで人の耳目を避けてもいた。だが国家安全機関の警戒の目はやはり遅れず彼の罪悪である活動にしっかり向けられ、2005年初めに沃維漢、郭万鈞は逮捕された。

裁判所の審理は、沃維漢、郭万鈞の獲得した情報の漏洩は、国家の安全と国防建設に対し特別に巨大な危害をもたらし、結果は特別に深刻であると認定した。

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「資料画像:解放軍の東風-4遠距離弾道ミサイル部隊が命令を待つ」です。)

法により判決 過程は公正

事件全体が解決し、審査は国家安全機関の予審を含み、検察機関と裁判所の審理の過程の中で、司法機関はいずれも厳格に法によって事を行った。被告沃維漢、郭万鈞はいずれも法によって各種の権利を享受し、これには弁護士を招聘しての自己弁護が含まれた。

事件の審理の期間、沃維漢はかつての古い病を再発させたが、遅れず有効な入院治療を受けた。入院の期間はさらに一度保証人を立てて審理が何ヶ月も中断され、北京で休養した。一定の時間の審理を経て、繰り返しての証拠の照合を基礎に、2007年5月24日、北京第二中級裁判所は法により沃維漢スパイ事件に対し判決の言い渡しを行い、沃維漢は我が国の刑法の関連の規定に違反し、犯罪事実は明確で、証拠は確実にして充分であるとされた。

裁判所はスパイ罪でその刑事責任を追求し、沃維漢は死刑判決を受け、郭万鈞は我が国の刑法の関連の規定を犯し、国外向けに不法に国家の秘密を提供した罪で刑事責任を追及され、死刑判決を受けた。

国家機密に関わるため、中国の法律の規定通り、裁判所は沃維漢スパイ事件に対し公開審理を行わなかった。郭万鈞事件に対しても公開審理はなかったが、いずれも法によって公開での判決言い渡しが行われた。

一審の死刑判決後、2人は不服として法により上訴を提出した。2008年1月29日、北京高級裁判所は審理を終えて裁定し、一審の原判決を維持した。

最高裁判所の審査の上での許可を経て、2008年11月28日、沃維漢、郭万鈞は死刑を執行された。死刑執行前日、沃維漢は妻と娘と面会し、法によって面会の権利を行使した。

外交部スポークスマンの秦剛は、中国は法治国家である、とした。沃維漢は中国公民であり、その犯罪行為の証拠は確実で、中国の司法機関は法によって判決を出し、これは完全に中国の司法の主権範囲内の事情であり、この事件の審判の過程は公正で、被告人の各項目の訴訟上の権利は充分に保障された、と。

(頑住吉注:これより6ページ目。画像のキャプションは「外交部スポークスマン秦剛:沃維漢のスパイ事件は、外国に親族がいるからといって特別扱いはしない」です。)

某いくつかの国、恨めしさと恥ずかしさで怒り出す

この件は本来ここで終わっていた。だが、沃維漢の娘はオーストリア公民で、事に先立ってオーストリアが前面に出て沃維漢に死刑判決を出さないよう中国に圧力をかけるようアピールした。このため、オーストリア駐中国大使館はさらにわざわざ中国に外交照会を発したが、この種の無理な要求は理の当然に拒絶された。

沃維漢の娘の1人はアメリカの男性と結婚していた。このアメリカの男性もアメリカが自分の義父の事件に関与するよう希望した。こうした事件の審判とは全く関係のない要素がごっちゃになり、最終的に普通のスパイ事件を中国の人権状況に対する非難に発展変化させた。オーストリアは先日声明を発表し、沃維漢が死刑執行されたことに対し強烈な不満を表明した。アメリカサイドも沃維漢事件に対する関心を表明した。

分析者は、戦略ミサイルは中国の最も重要な遠距離威嚇戦力であり、国家の安全を維持保護する戦略力量である、と指摘する。その中国の国家の安全に対する重要性は言わずとも明らかである。そして某いくつかの国の真の目的は恐らくやはり「受託」と「受益」であり、「功」を立てたスパイのためにできる限りの責任を負う必要があるのだ。ただこれに関する隠れた事情をはっきり語ることは難しい。

西側諸国と組織の今回の中国批判は死刑の問題に波及した。全世界のいくつかの国は死刑を廃止しているが、国情は異なり、アメリカ、日本などの国を含め、依然死刑を留保している。中国も国情を根拠に死刑を留保しており、同時に法によって厳格に掌握し、あらゆる死刑は最高人民裁判所の審査の上での許可を経ることが必須である。

秦剛は、中国の司法機関が法によって出した判決に対し四の五の言うのは、中国の司法に対する粗暴な干渉であり、法治の精神を踏みにじるものだ、と語る。我々はこれに対し強烈な不満と断固とした反対を表明する。中国サイドは彼らが直ちに間違いを正し、他国の司法に干渉する一切の言動を停止するよう懇切に促す、と。

(頑住吉注:7ページ目)資料画像:解放軍の東風-3戦略ミサイル

(頑住吉注:8ページ目)資料画像:解放軍の新型東風-25型中距離弾道ミサイル


 これは中国の記事ですから書いてありませんけど、少なくともドイツやオーストリアで自由な生活を体験した沃維漢の動機の中には中国の非民主的な政府に対する反発があったものと思われます。麻薬事件で外国人が死刑になるのはまあしょうがないなと思いますが、こうした件ではやはり割り切れない感じが残ります。またあまりにも必死で、手続きが合法的に進められ被告の権利が保障されたと繰り返す記述も、逆にやや不気味な印象を与えます。















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