コンバットショットガン

 「Visiser」2004年2月号に軍用ショットガンの歴史と現在、そして展望に関する記事がありました。


コンバットショットガン

連発ショットガンは百年前から伝統的な軍用銃である。しかしこの火力の強い接近戦兵器は、たいていの場合アウトサイダーとしての地位に留まっている。

 「近距離戦でショットガンに勝るものはない。あるとしたら火炎放射器くらいだ。」これはトム・クランシーの「Die Stunde der Patrioten」(頑住吉注:直訳すれば「愛国者達の時」でしょうか。私はこの人の小説読まないんで日本語題名は分かりません)の中で、アメリカ海兵隊のBreckenridge一等軍曹が述べた見解だが、これは小説の中だけのことではない。実際軍用ショットガンはアメリカ軍、特に海兵隊の歩兵の間で絶大な信頼を得ている。そのコンセプトはハンディで大口径の軍用銃であり、発射ごとに短いバレルから単一の装薬を使って大粒の散弾を発射するというものだ。その歴史は17世紀の「Blunderbuss」(頑住吉注:いわゆる「ラッパ銃」。ちなみにドイツ語の辞書には載っておらず、英語の辞書に載っていました。)の形にさかのぼる。いくつかの国が一時「Blunderbuss」を全連隊の武装としたこともある。しかしヨーロッパでは近距離用の特殊軍用銃としてのショットガンは、遅くともパーカッションロック、ライフルバレルの普及によって姿を消した。

メイド イン アメリカ
 一方アメリカでは、ショットガンは植民地時代からずっと猟銃、そしてインディアン(頑住吉注:少なくともここでは「ネイティブアメリカン」というような表現は使われていません)や危険な野獣から身を守る武器という両方の役割を同時に果たし続けた。そしてアメリカでは2世紀以上前からショットガンが兵士の手に握られてきた。第一には民兵の武装としてだが、正規軍の偵察隊にも使われたし、対インディアン戦争時には多くの士官、下士官によって補助的な兵器として使われた。アメリカでも軍用銃はマスケット銃やのちのライフルバレルを持つ銃があればすぐ散弾銃と交換されたが、特別な目的のために散弾銃は常に使われ続けた。例えば船上での使用、警備目的、捕虜監視、奇襲攻撃用などに支給された。

トレンチガン
 第一次世界大戦の塹壕戦では、ショットガンは歩兵兵器の主力とはなりえなかったが、ポンプアクション連発銃がいわゆる「トレンチガン」として使われた。あるいは「悪名高い」と言った方がいいかもしれない。アメリカのヨーロッパ派遣軍の司令官、ジョン・J・パーシング将軍は、1917年の参戦直後、西部戦線における陣地戦に適したショットガンを発注した。「ブラックジャック」パーシングはフィリピンにおける暴動鎮圧、および1916年の騎兵隊によるパンチョ・ビラ軍との戦いを通じて、高い火力を持つ6連発ポンプアクションショットガン、ウィンチェスターM1897の有効性を確信していた。
 トレンチガンは民間用のポンプアクションショットガン、例えばウィンチェスターM1897、レミントンモデル10、ウィンチェスターM12といったモデルをベースにしており、根本部分に差はない。手頃な「ライアットガン」の変種とも言え、約50cmの短いバレル、チョークがない(シリンダーチョーク)などの特徴を引き継いでいる。西部戦線の塹壕戦に軍用銃として投入するため、着剣装置と穴の空いた金属製ハンドガードが追加された。ハンドガードは歩兵が激しい戦闘時、射撃によって過熱したバレルをつかんでも指をやけどしないためのものだ。バヨネットとしてはエンフィールド連発銃M1917用が採用された。スプリングフィールドM1903用ではなくこちらが選ばれたのは単に参戦によって制式ライフルM1903用が多数使用され、M1917用の方が在庫が多かったというだけの理由である。
 このエンフィールド用バヨネットは第一次世界大戦後も典型的なショットガン用バヨネットとしてその役目を果たし続けた。ベトナム戦争時代でさえまだそうだった。1970年代の遅い時期になって、とうとう米軍はショットガン用着剣装置をM16アサルトライフル用M7、後のM9用に変更した。1918年終わりまでにウィンチェスターがアメリカ陸軍に供給したトレンチガンは97、12シリーズ合わせて早くも2万丁となった。これに加え、約5千丁のコンベンショナルなライアットガンが民間市場から買い上げられて供給された。
 トレンチガンはフランスで初めて実戦に使われた。ブラックジャック指揮下のアメリカ軍部隊はトレンチガンをコマンド部隊用や機関銃陣地の防御用に使っただけではなかった。いくつかの前線報告によれば、特殊な場合敵がこちらに投げた空中の手榴弾を撃つ「防空用」や、敵の伝書鳩を撃ち落とす目的にも使われた。コンバットショットガンはフランスにおいてアメリカのヨーロッパ派遣軍の兵士間で大評判になっただけではなく、意外な反響をも巻き起こした。ドイツは1918年9月、ワシントンのスイス大使を通じてアメリカ政府に外交上の抗議文書をつきつけた。

ドイツの反応
 その抗議は、1918年7月に捕虜にした第77および第5歩兵師団の兵士が、トレンチガンとそれに使用する散弾を所持していたことに関するものだった。その内容は、ドイツ帝国ではショットガンは一般に不必要な苦痛を引き起こす武器と認められていること、またその使用はハーグ陸戦規則に抵触することを指摘し、再度アメリカ兵がショットガンまたは散弾を所持しているのを見つけたら、ただちに処刑すると警告していた。これに対し、アメリカ陸軍における最高位の法律家、軍の法務担当将官は短時間で回答した。その内容は、ショットガンは何百年も前から慣用的に使用されている陸戦兵器であり、ドイツの抗議は理解できない、というものだった。その上、散弾はその効果においてハーグ陸戦規則が禁じているさまざまな弾丸、例えばソフトポイント弾、ガラスの詰め物をした弾丸、感染症を引き起こす皮膜をかぶせた弾丸などに含まれず、適用範囲外だった。結局ショットガンの使用は続行され、ドイツもショットガンや散弾を所持していたという理由で捕虜を処刑することはなかった。アメリカ軍は今日に至るまで1918年の法務将官の見解を維持し、ショットガンの戦争への使用を続けている。

古い散弾の問題点
 第一次大戦時、すでに口径12/70で、直径8.4mmの鉛製球状弾9個を詰めた現在と同じ弾薬が戦闘用として使われていた。この弾薬はアメリカでは「ダブルオーバックショット」と呼ばれ、100年前同様今日でも威力、ターゲットを密にカバーする能力、そして貫通力の最善の妥協点と評価されている。より小さな散弾は40〜70mの範囲のあらゆる距離においてより密にターゲットをカバーし得るが、速度、そしてその結果エネルギーを急速に失いすぎる。
 1917〜18年の戦争への使用により、トレンチガン自体は原則として頑丈で信頼性が高いことを実証した。しかしそれでも兵士たちは作動不良と戦うことになった。その原因は弾薬にあった。その紙製の薬莢は、一日中塹壕内に置いておくと非常に早く湿り、その結果膨張した。こうなるともはや連発でチャンバーに送られなくなり、ひどいときにはチューブラーマガジンにすら適さなくなった。
 まもなく、戦闘の前に必要量の乾いた弾薬を用意し、それを使い尽くすようにして送弾不良の問題は起こらなくなった。1918年8月になって初めて海兵隊の将校が紙製の薬莢を真鍮製に変えるよう要求した。しかし大量生産が始まったのは戦後になってからだった。

第二次世界大戦
 1940年代の始め、アメリカ陸軍はあらゆる種類の銃を欲しており、ショットガンも例外ではなかった。1940年7月1日時点で、アメリカ軍が在庫しているショットガンは全部で21847丁だった。しかしこれらのうちの高いパーセンテージは銃身が長いスポーツ、トレーニング用の機種で占められていた。これは例えば航空機に搭乗する旋回機銃の射手がトラップおよびスキート射撃を行うことによって空戦時の前方偏差をつかむためのものだった。戦闘用のショットガンの調達は優先順位トップではなかったが、それでも1941年の半ば、多数の機種が軍のスタンダードな装備として公認された。クラシックなウィンチェスターの97、12に、イサカ37、レミントンモデル31A、スティーブンス520、620が加わった。続く2年間で、アメリカ政府は22万丁近いショットガンを購入した。その大体の内訳はトレーニング用が1/3、トレンチガンスタイルのコンバットモデルが1/3、そして残る1/3はアメリカで典型的な警察武装として通用しているシンプルなライアットガンだった。
 当時の新しいコンバットショットガンは、技術面、装備面で第一次世界大戦時のそれとほとんど変わっていなかった。米軍は短いバレルを持つライアットガンスタイルのセミオートモデル、例えばレミントン11やサベージ720なども調達したが、その数は比較的少数だった。アメリカ兵はショットガンをヨーロッパでは主に捕虜監視やミリタリーポリス用の武器として、そして太平洋では海兵隊が硫黄島など島における戦闘で全員用の銃として使用した。ショットガンはジャングル戦にぴったりであり、日本兵の突撃をストップするのに大きな威力を発揮した。これに勝る武器として海兵隊が認めたのは水冷式重機関銃だけだった。

新しい戦争、古い問題
 彼らの父の世代が第一次世界大戦でそうだったように、彼らもまた紙薬莢が膨張する問題に悩まされた。米軍は1943年、真鍮薬莢の散弾カートリッジを注文した。しかし、この結果スタンダード弾薬M19(シェル、ショットガン、オールブラス、12ゲージ、ナンバーダブルオーバック)が登場したのは1945年3月のことであり、しかも初めて大量に実戦部隊の手元に届いたのは終戦後のことだった。M19弾薬が初めて大量に使用されたのはベトナムで紛争が生じた年だった。しかしこの弾薬も1年単位でこの地に貯蔵されたものはやはり問題を起こした。最終的にこの問題はプラスチックカートリッジによって解決した。

ジャングル戦
 アメリカ以外の西側諸国では、第二次世界大戦後もショットガンが兵士の手に握られていることはほとんど見かけられなかった。唯一イギリスは(比較的少数ではあるが)ショットガンを使用した。例えば1950年のマレーシアでの反乱鎮圧戦で使用されている。イギリス部隊はそこで、ジャングル戦では最初の数秒で勝負が決するということ、そして使用するショットガンの数が倒す敵の数とダイレクトに結びつくことを学んだ。
 特にイギリスのスペシャルエアサービス(SAS)ではブローニングのセミオートショットガンA-5が非常に好評だった。パトロール隊のいわゆる「ポイントマン」の接近戦兵器として、ショットガンは最高の選択だった。しかし、4+1という少ない装弾数では敵と接触するとあっというまに撃ち尽くしてしまった。多くの場合イギリス部隊が使ったのはA-5の通常のハンティングモデルであり、軍での使用に適したバレルジャケット、着剣装置、延長マガジンといった装備を持たなかった。
 米軍でも第二次世界大戦後、接近戦用の特殊兵器としてのトレンチガンは衰退した。それでもアメリカ政府はベトナム戦争の間、この東南アジアにおける不可解な戦争用として新たに10万丁のショットガンを購入した。その約半数はポンプアクションのスティーブンスM77Eで占められていた。アメリカ陸軍は1960年代、さらに大量のイサカ37、ウィンチェスターM1200をオーダーした。これらの一部はいまだに陸軍の在庫として存在する。ウィンチェスターはこれらの一部をなお典型的なトレンチガンスタイル、すなわちバレルジャケット、エンフィールドM1917用着剣装置付きで供給した。しかしベトナム戦争中は供給が間に合わなかったため、新しい型のものも作らざるを得なかった。スティーブンスやイサカのショットガンも本来求められるより多数をよりシンプルな5連発のライアットガンスタイルで供給せざるを得なかった。

現代
 今日、軍の特殊部隊はたいていコンバットショットガンを装備している。だが、小口径のアサルトライフルが主流を占め、ショットガンやマシンピストルといった他の銃は少数になっている。しかし、いわゆる「ローインテンシティコンフリクト(低烈度紛争)」勃発時は普通まず警察や警察特殊部隊が任務につくことが多い。
 そこではコンバットショットガンの欠点、例えば射程が短い、装弾数が少ない、チューブラーマガジンに手で1発づつロードせねばならず、時間がかかるといったことは比較的小さな問題にしかならない。むしろ彼らにとってショットガンは切り札的存在として使われる。今日ではもはやショットガンは火力の大きい接近戦用火器として使われるだけではない。12ゲージの特殊弾薬が多数供給され、あらゆる選択肢に対応しうる銃として使われる。というのは、この弾薬は容積が大きく、収容能力が高いからである。例えば5.56mmx45弾薬の弾頭にはほとんど収容スペースがないし、アサルトライフルではせいぜい単発のランチャーを装備できるだけだ。12/70または12/76ならば、非致死弾薬も含め、信号弾、催涙ガス弾、ゴム製の散弾、ミニグレネード、そしてドアを撃ってこじ開ける目的、また爆弾を撃って処理する目的に使う金属粉をプレスして作った特殊スラッグ弾などが使える。また、壁面にロープつきの弾を撃ちこむ目的にさえ使えるのだ。

ネクストジェネレーション
 大部分の陸軍部隊は50年前に比べ、ショットガンに関してきわめて保守的である。ブルパップ(ハイスタンダードモデル10A、モスバーグ500ブルパップ)、デーウーのUSAS12といったフルオートモデルなど新しいコンセプトのショットガンは原則として何年かの間量産された。しかし実際のところそれらは失敗に終わったように見える。着脱式のボックスマガジンすらいまだ定着できずにいる。だが、もしかすると今後は違うかもしれない。目下アメリカ陸軍は新しい世代のコンバットショットガンをテストしている。この銃はモジュール形式で作られ、着脱式のマガジンを備え、手動連発式である。全長は40cm、重量は約1200gしかなく、コンベンショナルなショルダーストックはなく、M203グレネードランチャーのようにアサルトライフルのバレル下にマウントされる。
 これが採用されるまでの間、少なくとも海兵隊は新しいショットガン、ベネリM4のニューモデルの使用によってリフレッシュする。このベネリは第一次および二次の世界大戦で使われたライアットガンやトレンチガンの旧世代と比べ、セミオートシステム、プラスチック製伸縮ストック、ダットサイトやナイトビジョンを装着するためのピカティニーマウントレールによって区別されるだけだ。他の点では第一次大戦の塹壕戦で軍馬のように使われた12ゲージショットガンときわめて似た存在である。

(頑住吉注:以下は囲み記事内のユニークな特徴を持つショットガンの紹介です。)

デーウーUSAS12
 韓国のデーウーコンツェルンのセミ、フルセレクト可能なUSAS12は、アメリカの銃器メーカー マックスウェル アッチソンが1970年代に開発したモデルをベースにしている。公用としてはあまり大きな反響はなかった。それは空虚重量が5kgを越えるUSAS12は特殊部隊用としてあまりに扱いにくいものだったからだ。そして軍用には今日ミニミのパラトルーパーモデルなどの支援火器が存在し、寸法や重量が似ている韓国製品に勝ち目はない。一時デーウーは民間用セミオートバージョンも提供していた。米軍は1980年代、すでにフルオートショットガン「CAW(クローズアサルトウェポン)」に興味を示していたが、CAWプロジェクトは失敗に終わった。
口径:12/70
システム:ガス圧によるオートローダー
全長:960mm
銃身長:460mm
重量:5500g
発射速度:360発/分
装弾数:ボックスマガジン10発
ドラムマガジン20発


MAG-7
 1994年、南アフリカ共和国の会社テクノアームズはあるUZIマシンピストルスタイルのポンプアクションショットガンをマーケットに登場させた。このスタイルではグリップ内にマガジンを収納しなければならない。グリップを限度を越えて握りにくくしないための救済策は、特別に短縮した12/60弾薬を使用することだけだった。この弾薬では散弾は約25gしか入らなかった。12/70に比べかなり威力が劣る結果になったにもかかわらずMAG-7のリコイルは激しかった。ストックがなかったせいもあり、率直に言って耐えられるものではなかった。マーケットでの成功は得られなかった。
口径:12/60
システム:ポンプアクション
全長:550mm
銃身長:320mm
重量:4000g
装弾数:ボックスマガジン内に5発

クロスファイア
 他の多くのコンベンショナルでないコンバットショットガン同様、今のところクロスファイアも成功が得られていない。この銃は口径.223レミントン(5.56mmx45)のセミオートライフルと、4連発の12/70ポンプアクションショットガンを一体化したものだ。両システムは単一のトリガーとストックでなんとか済ませており、このことによってコンビネーション銃でありながら重量は我慢できる範囲に収まっている。ショットガンのマガジンはショルダーストック内部にあり、.223口径システムはショットガンの下部に位置している。コンバットショットガンとアサルトライフルのコンビネーション銃を使用する潜在的な顧客はそもそも特殊部隊だけと思われる。しかし特殊部隊はこれまでクロスファイアのような異色な銃に手を出さず、単にストックなしのポンプアクションショットガンをM16アサルトライフルのバレル下にマウントして済ませている。
口径:12/70、.223レミントン
全長:1022mm
銃身長:560mm(ショットガン)、510mm(ライフル)
重量:4100g
マガジン装弾数:4(ショットガン)、ライフルはM16用マガジンが使用できる。


フランキ スパス15
 スパス(スペシャルパーパスオートマチックショットガンの略)15はスパス12の後継機だ。スパス12も同じだが、この銃はセミオートとポンプアクションが選択できるのがきわだった特徴である。スパス15は、スパス12と違い、バレル下の固定したチューブラーマガジンではなくシングルローの着脱ボックスマガジンを使用する。ポンプアクションモードは圧力が異なる特殊弾薬使用時だけでなく、銃がひどく汚れたり、極端な低温時にも純粋なセミオートショットガンに勝る長所となる。欠点はマガジンの重量が重いことだ。予備マガジン10個の重量は空の状態でさえ4kgにもなり、これは現在兵士が携行せねばならない装填したライフルの重量に相当する。公用モデルはストックがサイドに折りたため、全長が750mmに短縮する。しかしドイツ国内で入手可能な市販モデルのストックは固定されている。
口径:12/70
システム:ガスオートおよびポンプアクション
全長:1001mm
銃身長:450mm
重量:3900g
マガジン装弾数:6発

ストライカー
 この南アフリカ共和国製ショットガンは、ローデシア(現ジンバブエ)の努力家ヒルトン ウオーカーが考案したコンセプトに基づいている。この銃の作動原理はダブルアクションリボルバーを拡大したようなものだ。12発という非常に大容量のドラムマガジンと、ダブルアクションオンリーのトリガーメカを組み合わせて作られたストライカーは、最初の数秒間極度に大きなファイアパワーを発揮する。しかしこういう使い方をすればストライカーのドラムマガジンはごく短時間で空になってしまい、再装填には極めて長い時間がかかる。コルトピースメーカーに似たエジェクターロッドで空薬莢を1個1個押し出し、新しい弾薬を装填していかなくてはならないからだ。トリガープルは我慢できる範囲に収まっている。これはドラムマガジンを通常のダブルアクションリボルバーのようにトリガーの力で動かすのでなく、ゼンマイの力で動かすからだ。装填時にドラムマガジンを回す時も、セーフティをかけた銃のトリガーをいちいち引かなくてはならないのは不快である。
口径:12/70
システム:リボルバー
全長:500mm
銃身長:300mm
重量:4200g
マガジン装弾数:12


サイガ12
 ロシアのメーカーIzhmashは外観上カラシニコフに似たセミオートショットガン、サイガシリーズを製造している。プラスチック製シングルロー、着脱ボックスマガジンを使用し、8および5連から選べる。ドイツ国内向けにはハンティング用の2連マガジンもある。国内での価格はモデルにより649〜780ユーロだ。サイガ12のマガジン重量はスパス15より軽く、ベターである。空の8連マガジンは290gしかない。OMONなどロシアの特殊部隊はこの銃のノーマルなショルダーストックのバージョンと、折りたたみストックが装着できるプラスチック製ピストルグリップのバージョンをすでに採用している。掲載した写真は第三のバージョンであるハンティング用ストック付きのモデルだ。ガスシステムは二段階調節が可能で、強装、弱装の弾薬に対応できる。フォアグリップ上部には単純なビーズサイトが付属したマウントレールがあるが、レシーバー左側面にもさまざまなスコープ類が固定できる原型のAKのそれに似たマウントベースがある。
口径:12/76
システム:ガスオート
全長:910mm
銃身長:430mm
重量:3400g
マガジン装弾数:8、5、2発


ネオステッド
 この銃は1990年代に開発され、現在はTruveroが製造しているが、南アフリカ共和国のメーカーNeophytou and Steadとの合作である。コンベンショナルなポンプアクションショットガンと比べると、ネオステッドは全てが逆になっている。装填のためには、まず移動するバレルと一体のフォアグリップを前に押し、ついで後ろへ引く。これによりバレルの上に隣り合って2本あるチューブラーマガジンから新しい弾薬が供給される。マガジンに弾薬を補充するには、水平2連ショットガンを上下逆にしたような感じに、2本のチューブラーマガジンを上にパタンと跳ね上げる。切り替えスイッチにより、必要に応じて2本のマガジン双方から(頑住吉注:交互に?)の送弾と、片方からのみの送弾とを選択できる。
口径:12/70
システム:ポンプアクション
全長:690mm
銃身長:570m
重量:4100g
マガジン装弾数:バレル上方に位置する2本のチューブラーマガジンに各6発


 この記事はこういう内容ですが、この号には速報のコーナーにこういう記事もありました。


 コンバットショットガンに関する寄稿の編集を終えたまさにそのとき、ピカティニー・アーセナルから編集部にもう一つの情報が届いた。「LSS」(ライトウェイト ショットガン システム)の最初の生産シリーズ199丁が、アフガニスタンに投入されている第10山岳師団所属の大隊に引き渡されたという。この銃はM16A2またはM4カービンのバレルの下に取りつけて使用するもので、口径は12ゲージ/76、開発はC-MoreとコルトマニュファクチュアリングカンパニーInc.が行った。LSSは手動連発式で、コッキングハンドルは左面にある。
 LSSには2つのバージョンがあるが、両者の差は銃身長のみだ。M16アサルトライフル用のLSSは銃身長21.5インチ(546mm)、M4カービン用は16.25インチ(412mm)だ。レシーバーはアルミニウム製で、空虚重量は1200gしかない。部隊には目下3および5発入りマガジンが配備されている。この銃は主にドアの錠やヒンジを撃ってこじあける目的(英語ではbreaching)で使われる。このため、マズルにはアタッチメントがねじ込まれている。これは特殊弾薬に最適の3インチの距離に設定するためである。この他非致死、または通常の散弾を発射することもできる。

LSS


 速報で紹介されているこの銃がまさに特集で触れられている、アメリカ陸軍がテスト中という新ショットガンに違いありません。しかし速報の寸法はちょっと変じゃないですか? 特集では全長40cmとされ、そんなもんだろうなあと思いますが、銃身長のみで速報の数値だったらとんでもない大きさになり、M16シリーズのバレル下にマウントするのは無理でしょう。これはたぶん全長の間違いだと思うんですが。ちなみにイラストはM4に装着する短いバージョンです。
 制式採用されたという記述も、Mなんとかという名称もないんでたぶんまだ制式採用されてはいないんだと思いますが、199挺というのはテスト段階にしては多すぎ、実用段階に入っているのは間違いないようです。先端部にあるバードケイジフラッシュハイダーのようなものは、実はドアを破壊する特殊弾薬が最も有効な3inの距離を確保するためのアダプターだということです。この先端をドアの鍵やヒンジに押し付けて撃つとマズルからの距離がちょうど3inになるというわけです。この特殊弾薬はおそらく特集に出てくる金属粉をプレスして作った特殊スラッグ弾というものでしょう。金属粉をぎゅっと押し固めて1個の大きな弾丸状にしてあり、発射すると砕けながら飛び、ごく近距離からドアを破壊する威力はあるが、跳弾の危険は少ない、というものだと思います。もちろんLSSは通常の散弾で戦闘用にも、非致死弾で暴動鎮圧にも使えるわけです。検索して得た情報によればこのLSSはXM8にも装備可能だということです。

 歴史に関する記述の中で知らなかった点がいくつかありました。
 アメリカがトレンチガンに使用したバヨネットはM1ガーランドの先代制式ライフルであるスプリングフィールドM1903用ではなく、エンフィールドM1917用であり、これがベトナム戦争時代ですら使われ続けていたんですね。
 MGCがモデルガン化したレミントンM31Aはアクションバーが片方にしかないので再現に都合がよく、最もメジャーなM870に似ているからということで選択されたマイナーな機種であるとされていますが、数は多くないにしても第二次大戦で使用されていたんですね。シンプルなライアットガンスタイルのものもあったようですから、二次戦のコスプレでMGCのM31Aを持っていても考証的に間違いではないことになります。ちなみに頑住吉ホームページのトップからリンクされているバクレツパイナップルのホームページに「イサカ ベトナム戦タイプ」というカスタムの画像があります。これは基本的にKTWのイサカにタナカのトレンチガン用バレルジャケットまわり、バヨネットをつけたものですが、これは考証的に正しいということです。
 フルメタルジャケットではないショットガンが何故戦争に使えるのか以前から疑問でしたが、この記述を読むと鉛の散弾は違反ではないということらしいです。昔クレームをつけた当のドイツ人の記述ですらこうなんですからまあ間違いないんでしょう。いまいち釈然としない部分もあるんで、暇があればハーグ陸戦規則というのが実際どういう文面になっているのか調べたいと思います。「ガラスのつめものをした弾丸」「感染を引き起こす皮膜をかぶせた弾丸」というのは聞いたことありませんが、一時実際に使われたんですかね。
 弾薬に関して、12/70と12/76という2種が出てきていますが、これはどちらもいわゆる12ゲージ散弾カートリッジのうち、長さが異なるものです。アメリカ式で言うと23/4inと3inで、口径12/76と書かれているものは長いマグナム弾が使える、つまり.38スペシャルと.357マグナムのような関係だと思えばいいようです。
 挙げられている機種について触れておきます。イギリスのSASが使用していたブローニングA-5という機種は大きな画像がなかなかみつからなかったんですが、
http://www.wetdogpublications.com/auto.html
 これはこの銃に関する専門書の紹介で、銃に関する説明もありますし、本の画像を拡大すれば銃の形もほぼ分かります。

 アメリカの海兵隊が使用を始めるらしいベネリのオートマチックショットガンはこんなのです。 http://www.benelliusa.com/firearms/m4.tpl
 これはベネリUSA公式サイトです。ここの画像のはチューブラーマガジンが途中でくびれていますが、「Visier」の写真に掲載されているのはくびれがなく、違いはそれくらいのようです。けっこうカッコいい銃ですね。しかしLSSが採用され、評判がよければこっちの方がいいやということで少数の使用になる可能性もあるかもしれません。

 USAS12は以前アームズ用に作ったことがあります。映画「沈黙の要塞」でも迫力あるフルオート射撃を見せていました。しかし実際のところ普及はできなかったようです。個人的に非常に好きな銃ですが、あまりに重く、かさばり、こんなものを持つくらいならミニミのパラトルーパータイプでも持った方がよほど汎用性がある、と言われればまあそうかなと認めざるを得ません。ドラムマガジンは非常に大きくて予備を持つのは困難ですし、大きなドラムマガジンでも装弾数はたった20発です。USAS12に限らず、フルオートのショットガンは発射速度が極端に小さく抑えてあります。これはたぶん技術的にこうしかできないということではなく、このくらい遅くしないと人力ではコントロールできないということだと思います。USAS12の発射速度は毎秒6発で、これはリコイルが小さくて撃ちやすいセミオートの銃を思いきり速くラピッドファイアした場合とさほどの差がありません。これではそもそもフルオートにする意味自体が薄いと思われます。

 MAG-7という銃は全く知りませんでした。詳しい説明のあるページは見つかりませんでしたが、
http://www.entropyinaction.com/catalog/ia_catalog.php?category=SHOTGUNS
 このページの一番下に画像があります。成功しなかった理由は「Visier」の記述の通りでしょう。

 「クロスファイア」に関してはいい情報が見つかりませんでした。ということはあまり成功していないんでしょう。アサルトライフルとショットガンが一体不可分より、必要な場合だけショットガンが装備できる方が汎用性が高いのは分かりきったことで、今後LSSが普及すればますます出番はなくなると思います。

 スパス15はGUN誌でも以前レポートされましたし皆さんご存知ですね。ちょっと驚いたのはマガジンの重量で、空マガジン10個で4kgというのは確かに大きな欠点ですね。ちなみに機構上スパス15をフル・セミ切り替え可能とし、ドラムマガジンを装備することは簡単なはずです。スパス15の登場からかなり時間が経過してもこういうバリエーションが存在しないということは、やはりUSAS12のようなモデルの需要はないということなんでしょう。

 「ストライカー」も以前GUN誌でレポートされました。この銃の場合ドラムマガジンが非常にかさばるのに装弾数は12発だけで、しかもこれを撃ちつくしたら戦闘中にリロードするのは困難ですからちょっと実戦に使うには苦しいと思います。例えばチームで凶悪犯が潜伏する場所に突入するとき、1人が持つなどの場合は有効かもしれないですが、汎用性は低いでしょうね。

 サイガ12に関してはここをご覧ください。バリエーションも紹介してあるメーカーの公式サイトです。
http://www.izhmash.ru/eng/product/saiga12.shtml
 正直ここで紹介されているユニークな機種群のうちいちばんつまらない銃ですが、実用性はこれがいちばん高そうな気がします。ちなみにこれもフルオート可能でドラムマガジン装備のバリエーションを作ろうと思えば簡単なはずですが、存在しないようです。

 「ネオステッド」のメーカー公式サイトはここです。
http://users.iafrica.com/n/nj/njj741t/index.html
 こちらには構造図もあります。
http://world.guns.ru/shotgun/sh08-e.htm
 この銃は国内の専門誌では紹介されたことがないはずで、そういえば銃器ショーのレポートとかでちょっと写真が載っていたかなあぐらいの認識しかありませんでしたが、検索してみると結構たくさんの情報が出てきますし、意外に成功しているのかも知れません。形もへんちくりんで素敵ですし、全長は短いのに銃身長は長く、このコンパクト、スリムさで12連発というのはなかなか使えそうじゃありませんか。ポンプの操作が通常と逆で戸惑いそうですが、これは訓練で克服できるでしょう。全長と銃身長の差があまりにも小さいこと、銃身を前進させ、後退させる作動であることから、ブローフォワードを手動化したものと考えられます。ハンドガンで言えばセマーリンがそうですね。

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