ロシアのアサルトライフル その2

 まだメジャーな機種ですね。

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小口径 AK-74アサルトライフル

口径:5.45mm
全長:928mm
重量:3.9kg
マガジン容量:30発
戦闘発射速度:650発/分
有効射程:400m

AK-74は旧ソ連が装備した初の小口径アサルトライフルで、世界で大規模部隊装備された第2種目の小口径小銃でもある(第1種目はアメリカの5.56mmのM16)。初めてのお目見えは1974年11月7日のモスクワ赤の広場の閲兵式においてで、1980年代に旧ソ連の制式装備となったAK-74は非常に多くの国でも装備し、これにはライセンス生産およびコピー生産型、例えば東ドイツのMPi-KM-74、MPi-KMS-74、MPi-AKR-74やポーランドのWZ.1988 Tantal、1989Onyks、ルーマニアのAI-74、AIS-74、ブルガリアのAKK-74などが含まれる。

AK-74はAKMの小口径型で、そのレシーバー、銃本体、ボルトシステムはAKMと同じである。5.45mm弾薬は7.62mmx39弾薬と長さがほとんど同じで、口径がより小さいだけだが、この2種のマガジンは共用できない。この銃の1つの顕著な特徴はラミネートプラスチックおよびグラスファイバーを採用したマガジンで、さらにはAKMの設計に細微な改良をしてある。

もう1つの特徴はマズルブレーキを採用し、もって後座力を下げかつ自動火器に普遍的に存在するマズルの跳ね上がり問題を軽減したことである。この措置は後座力を下げまた射撃安定性を高めることに対し非常に有効である。AKS-74型はスチール製折りたたみストックを採用し、レシーバー左側に折り畳める。後のAK-74は非常にコンパクトなプラスチックストックを採用し、この変形銃はAK-74Mと称する。

1960年代、ソ連の2人の弾薬設計家ヴィクター サバニコフとリディア ブラフスカヤは5.6mmx42口径の小銃弾薬を研究開発し、現在M74と呼ばれる5.45mmx39小銃弾薬に発展した。同時にカラシニコフも1960年代から始まってAKMに対し改良を行い、口径を縮小し、もって小口径弾を発射し、いくつかの5.45mm弾を発射する試験銃を研究開発した。

同時に、Izhmash社の2人の設計師も2種のAKMを基礎に改良したアサルトライフルを設計した。AL-4とAL-7で、この2種の銃は独特の後座システムを採用し、有効に命中精度を向上することができた。

だが対比を経て、ソ連軍は最終的にカラシニコフが研究開発したアサルトライフルの採用を決定し、何故ならこの新しい銃の部品の中には53%AKMの部品をそのまま使ったものがあり、生産および換装の角度から言って最も経済的に実利があったからである。

新しい銃の定型後の機種名はAK-74で、同時に5.45mmx39小銃弾薬も1974年に大量生産が開始されたため、これも1974型小銃弾薬と呼ばれ、全AK-74銃器ファミリーにはアサルトライフル、ショートアサルトライフル、軽機関銃が含まれる。

AK-74の使用はすでに30年近く、アフガニスタン戦争およびチェチェン戦争の実戦の試練を経ている。

AK-74は東欧のいくつかの国でも装備されかつ某いくつかの改良がなされ、アラブ首長国連邦、ヨルダン、シリア軍の中にもAK-74が装備されている。

航空降下兵の最愛 AKS-74U自動小銃

口径:5.45mm
全長:720mm
重量:2.7kg
マガジン容量:30発
戦闘発射速度:700発/分
有効射程:200m

AKS-74U(AKSU-74あるいはAK-74SUとも呼ぶ)はソ連が1975年に設計および生産したショートアサルトライフルで、AKS-74Uの中の「U」(ロシア語:Укороченный)は「短縮」の意味で、AKS-74Uは1970年代後期に旧ソ連軍にAKS-74のカービンバージョンとして装備された。その全体寸法および有効射程はサブマシンガンに似ている。AKS-74UはまたAK-74の独立した変形バージョンでもあり、同様に5.45mmx39(M74)弾薬を発射するが、その銃口消炎器は比較すると異なり、消炎器の尾部はラッパ型で、もって射撃時の後座力を下げ、また鉄線に引っ掛け、弾丸発射時の威力をもって鉄線を切断できる。

AKS-74Uは銃身長が206.5mmに短縮されているため、銃口に大型カバーを添加し、もって発射時の火炎を減少することが必須である。AKS-74Uはショートバレルを装備しているため、銃口消炎器は排気口のない単室構造に改められ、まだ充分燃焼していない火薬ガスが充分に膨張し、もって銃口の火炎を減少できるようにさせている。この消炎器には制退機能はなく、AKS-74Uの後座力を増加させ、照準器の照門は500mまで調節できるが、有効射程は200mしかない。

AKS-74Uはまたレシーバー左面のレール部品によって各種照準装置を装備することができ、照準鏡を装備したものはAKS-74U-Nと称する。またこの銃にはプラスチック製ハンドガードを使用したバージョンもあるが、生産に投入されなかったため決して頻繁には見られない。

AKS-74Uはソ連軍に装備された他、少数のワルシャワ条約機構加盟国や第三世界の国も採用し、さらにはテロ分子、武装分子および反乱軍の装備で、1979年のアフガニスタン戦争でのアフガニスタン軍も採用した。旧ユーゴスラビアのZastava M85およびZastava M92もまたAKS-74Uを手本に研究開発された。

ソ連解体後、AKS-74Uは継続してロシアおよび多くのソ連継承国の軍・警察の中で就役し今に至る。また近代化の需要に基づき、一部のAKS-74Uはさらにタクティカルレールが付属したハンドガードに換えられ、もって各種タクティカルアクセサリーに対応し、およびM4カービンに似た伸縮ストック、かつ照準鏡を装備した。

インドネシア軍の戦闘偵察小隊は5.56mmのAKS-74U派生型を使用し、ブルガリア、中国およびロシアによって製造された。テロ分子アルカイダの首領ラディンおよびアブ・ヤサブのザルカウイもショートフィルムの中でAKS-74Uを手にしていた。この銃はラディンがソ連のアフガニスタン侵入戦争の時に鹵獲したもので、ラディンはこの銃は自分に幸運をもたらすと考えていた、とされる。


















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