ナチ・ドイツ軍の潜射ストック

 「Visier」2004年10月号に、塹壕内に完全に身を隠したまま敵を狙撃できる、ライフル用の特殊アタッチメントに関する記事が掲載されていました。ドイツ語ではこれを「Spiegelkolben」、直訳すれば「反射鏡ストック」と呼びます。


完全な遮蔽物内

塹壕の上で見渡す行為はしばしば致命的な結果に終わる。このため両世界大戦において反射鏡ストックが兵士たちを敵スナイパーたちの銃火から守った。


942年の終わりに旧ドイツ軍の前進がますます停滞するようになり、部隊は常により頻繁に防御陣地で銃を構えて狙うという状況になった。この際彼らは何週間もの間塹壕内や簡素な宿泊所で辛抱強く敵を待ち受けた。敵襲とならんで、特に東部戦線ではさらなる危険が加わった。すなわち多くのロシア軍スナイパーである。

 そこで陸軍首脳部は「反射鏡ストック」を思い出した。これは隠れて狙うための機械装置で、すでに30年前にプルーフされていたものである。ライフル射手は銃を架台に乗せ、頭を安全な遮蔽物から出すことなくフロント、リアサイトを使って狙うことができた。第一次世界大戦の塹壕におけるこのアタッチメントの開発と普及は暗がりの中に留まっているが(頑住吉注:はっきり分からない、といった意味でしょう)、フィールドで(頑住吉注:現場の創意工夫により手作りで)作られた品とならんで、少なくとも1機種の工業製品として作られたモデルがあった。というのは、それに関して「ゲベール98用装填レバー付き反射鏡ストックB.A.F.のための使用説明書」が存在するからである。この器具はライフルストックのための「コック設備」、トリガーの付いた第2のストック、そして潜望鏡からなっていた。トリガーを引くだけではなく(両トリガーは鎖がつないでいた)、「テコ棒」のおかげで遮蔽物内から連発することができた。塹壕内からのスコープを使った射撃にも問題はなかった。潜望鏡は下の反射鏡に「スコープおよびカールツァイス製ガラスサイト」のためのネジを持っていた(頑住吉注:後者がどんなものを指すのか不明です。また「下の反射鏡部に」というのも解せません。スコープを装着するなら当然上だと思うんですが。あるいはスコープを装着した場合のサイトラインの変化に合わせて潜望鏡の上下位置を調整するための調節ネジが下の反射鏡部にあったということかも知れません)。イギリスおよびフランスも同様にそのような、敵を狙い撃ち、殺すための潜望鏡ストックを持っていた。

934年以後の新しい旧ドイツ軍(頑住吉注:変ですけど意味は分かりますよね)の軍備増強に際し、そのような防御的器具の需要はなかった。そして初期における電撃戦の成功はそれが正しいように思わせた。しかし第二次大戦が計画どおり推移しなくなってから、再び「Deckungszielgerat」(頑住吉注:「a」はウムラウト。直訳すれば「遮蔽物ターゲット器具」といったところでしょうか)の略である「DZG」として反射鏡ストックが採用された。1943年1月8日の服務規定D.1852によれば、この器具は「遮蔽物からゲベール41、ゼルブストラーデゲベール(頑住吉注:セルフローディングライフル)259(r)、および98系銃器のストック形状を持つライフルを撃つため」に使われたとされている。これはこの時期ロシア製鹵獲銃器が一定の価値を持っていたことも明らかにしている(頑住吉注:ナチ・ドイツ軍では鹵獲兵器を数字の後ろの括弧内に小文字の原産国の頭文字を入れた名称で呼ぶことが慣例になっていたようです。最も有名なのはチェコスロバキア製戦車「38(t)」でしょう。もっともこの場合鹵獲というより占領後にドイツ向けに新たに生産させたものですが。で、この「259(r)」とはトカレフSVD40自動小銃のことらしいです)。しかしゼルブストラーデゲベール41(M)および(W)はその後継モデルG/K43もそうだったようにより少ない数でしか実戦投入されなかった。遮蔽物内から手動で連発する装置が欠けていたので、射手はこの器具をオートローダーとともに使った場合のみ合理的に使うことができた。何故ならさもないと射手は毎回射撃の後で全装置を陣地内に引っ込めるか、塹壕の縁の上でボルトハンドルを握らざるを得なくなるからである。ゼルブストラーデゲベールのリコイルはほとんど影響を及ぼさず、器具は比較的良好にターゲットを捕らえ続けた。器具はその頭でっかちの形状から予想させるようには跳ね上がらなかった。この器具は構造上皇帝時代最後の年に存在した先駆者と本質的に異ならなかった。この器具もストックの付属した単純な薄板プレス製ケースと潜望鏡からできていた。ライフルのストックは上部からケースのサイド壁に押しつけられ、差し替え可能なボルトおよび「Exzenterhulse」(頑住吉注:辞書に載っていませんが、偏心した太い円筒形のパーツのようです)の上に停止させられていた。これは取っ手のついた軸に差し込まれており、兵士は取っ手を回すことで「Exzenter」を外部から回し、いろいろなストック形状を接続した。ゼルブストラーデゲベール259(r)用のボルトのための穴には、特に大文字の「R」で印がつけられていた。ストック受け入れ部分のフタには銃のストックを上からも挟み込むために「圧部分」の付属した2本のネジがあった(頑住吉注:形状の異なるストックを固定するため、プレス鉄板2枚からなるケースの下部を左右に貫通するボルトを複数の穴に差し替えて位置を変え、この上にストックを乗せ、補助的に偏心した円筒形のパーツを回すことでフィットさせ、上からフタ状のパーツをかぶせて締め付けて固定した、ということのようです)。ケース内ではトリガーが働いており、これがテコと鎖によって銃のトリガーを引いた。DZGのストックはケース内の2本のネジを外した後でトリガーごとケース内にたたんで収納するか、完全に外すことができた。この器具は折りたたみ状態では全長480mm、全高290mm、約3.6kgの重量だった。その背面には潜望鏡がクリンプされて固定されていた。この技術は全く単純なもので潜望鏡は無倍であり、高さは調節可能だった。このことはスコープ付きライフルのセットも可能にした。潜望鏡のフタにある穴は迷彩マテリアルの装着に役立った。

スナイパー用のみではない
 マシンガンや対戦車兵器(囲み記事参照)用にも塹壕や窪地からのより安全な射撃のための「遮蔽物ターゲット器具」の入手が意図された。約3.5kgの重さのMG34およびMG42用DZGは今日アバディーン実験場にあるUSアーミーオーディナンスミュージアムに保管されている。この器具には刻印はなく、工業製品ではなく、フラットな角棒を溶接して作られており、ネジで銃に挟んで固定された。第二のトリガーのため、前面の狭い側が空洞になった棒がマシンガンのトリガーガードから下に導かれ、ピストルグリップ方向に伸びていた。約60cm伸びた後にこの棒は下に折れ曲がり、ショルダーストックとしての単純化されたマシンガンストックに導入されていた。この棒の左側に反射鏡が差し込まれ、この反射鏡の後上部はサイトライン直後の第2の斜めの反射鏡面を指していた(頑住吉注:要するに

こういうことです)。使用者はこれを使って1000mにおいてフィールドの左右200m、上下100mを見渡すことができた。

 戦争の終わり頃にはさらにストゥルムゲベール44用のDZGさえ現れた。1945年3月、湾曲バレル(アタッチメントJ)に関する試みの枠内で、この器具も軽量な構造方式でいろいろなテスト部隊に投入された。テスト器具とともに送られた調査票は1945年5月1日までに回答されるはずになっていた。しかしそれに対する回答はもはや帰ってこなかった…(頑住吉注:ヒットラーは4月30日に自殺、ドイツの降伏は5月7日のことです)。

奴らはOfenroflとともに待ち伏せている(頑住吉注:囲み記事 「Ofenrofl」とは本来はストーブの煙突のことで、転じていわゆるバズーカ等を指します)

 ライフル用の遮蔽物ターゲット器具から刺激を受け、旧ドイツ軍の対戦車兵器にもそのような構造のものが生じた。この対戦車兵器は「ラケッテンパンツァービュクゼ54」(頑住吉注:違和感がありますが素直に訳せば「ロケット対戦車銃54」、実際はいわゆるドイツ版バズーカです)の正式名称の下に1943年末以後大量に前線に登場したが、パンツァーシュレックまたはオフェンロフルの名でよりよく知られている。この兵器は尾翼で安定される、電気発火式ロケット推進装置の付属した8.8cm成型炸薬弾を発射するための全長1.64mのパイプのことである。その弾丸は160mm厚までの鉄板を貫通した。

 「前線から前線へ」、部隊の改良提案が掲載されたある内的定期刊行物はそう呼ばれた。1944年10月10日発行の第15号には、こうした対戦車防御兵器用の遮蔽物ターゲット器具の取り扱い説明書が掲載されていた。このアタッチメントは簡単に、軍手持ちの資材で組み立てることができた。使用者はロケットパイプの後部領域に長さ約20cmの、C字型の肩当ての付属した垂直なパイプを止め輪で固定した。その前には同様に止め輪で固定された潜望鏡(2枚の単純な反射鏡か量産品のゼルブストラーデゲベール用DZGの潜望鏡か)が位置した。このサイト設備の前には、トリガーシステム下部にネジ止めされた短い丸棒が左に突き出していた。射手はこのグリップでこの兵器を左手を使って保持した。このグリップと潜望鏡を反対側に移せば、この器具は左利き射手にも役立った。使用者は不使用時には全ての部品をパンツァーシュレックロケット用の空の木箱に詰め込んだ。この器具は1945年始めに採用された1.35mのショートバージョンにも適合した。
 この器具の助けにより、射手は敵の視界から逃れ、遮蔽物の中からターゲットを狙うことができた。せいぜい200mという短い射程のため、効果的な着弾をくらわすためには射手は敵戦車に充分近づかねばならなかった。これは最高度に危険な冒険行為だった。というのは戦車は150mを1分未満で乗り越えるからである。需要を満たすため、量産さえ考慮された。しかし1945年2月に注文された10万の遮蔽物ターゲット器具はもはや生産されなかったと思われる。


 この器具は多数の機関銃を据えた塹壕で両軍が膠着状態に陥った第一次世界大戦時に開発されたものです。塹壕の上に身を乗り出す行為の危険は映画「西部戦線異状なし」でも描かれていましたね。ナチ・ドイツが電撃戦で成功している時期にはこうしたものは必要とされず、守勢に回った時になって再び必要とされたというのもなるほどと思いました。特に東部戦線においてはロシア軍スナイパーの脅威から兵が身を守るために必要とされたとありますが、これは映画「スターリングラード」のような状況ですね。
 これはまあ「Visier」が作図したわけではなく歴史的文書の複写ということでスキャンしてアップしてしまいますが、
第一次世界大戦時の潜射システム 
 これが第一次世界大戦時に使用された潜射システムの図です。射手は潜望鏡でサイトをのぞき、身を隠したまま射撃できます。銃のトリガーと器具のトリガーはあきれるほど単純にチェーンとレバーで連結されているだけです。潜望鏡は単にサイトを見るための手段ですから原則として命中精度には影響しませんが、例えば長いワイヤーなどでトリガーとシアが連結されているブルパップライフルではトリガープルが迂遠な感覚のものになりやすいのと同じで、精密射撃に不利な、がさつなトリガープルになるのは避けられなかったはずです。銃身の軸線と近いところを握るいわゆるハイグリップの銃ほどマズルジャンプが小さくなりますが、このシステムはいわば極端なローグリップにあたるわけで、マズルジャンプが大きくなりそうですが、実際はそうでもなかったということです。これは器具自体がかなり重かったからでしょう。潜望鏡のそばにクランクのようなものが見えますが、これを操作すると力がボルトに伝達され、身を隠したまま連発することも可能でした。

 第二次大戦時のものは基本的にはこれと近いものですが、オートライフル用なのでコッキングシステムは省略でき、その分シンプルになっていました。ただし、形状の異なるストックを受け入れるため、ボルトの差し替えなどで対応する必要が生じたわけです。
MP44用潜射ストック
 こちらは終戦間際に作られたMP44用潜射システムの図です。ストック部はMP40そっくりで、それまでのものより生産性が高く、折りたたんで携帯しやすいものになっています。松栄さんで作ってくれませんかね。輸出用も含めればペイするのでは?

 ちなみに「フリーゲルファウストB」の項目でも出てきましたが、このシステムでも同時に「Fragebogen」(「o」はウムラウト)が配布されたとあります。これはアンケート用紙のことで、兵器を実際に現場で使用した兵士にアンケートを行い、問題点などを調査して改良に生かすシステムがあったわけです。「アンケート用紙」と訳すと何だか悠長でユーモラスな感じになってしまうので「調査票」と訳しましたが、ナチ・ドイツ軍には一般的イメージとは異なり、妙に民主的な一面もあったんですね。これは日本軍では到底考えられないことですし、たぶんソ連でもありえなかったんではないでしょうか。アメリカならあってもおかしくないですが、実際にあったかどうかは知りません。

 このような潜射システムは日本にもありましたが、試作のみに終わったようです。その理由は高価だったからとも、「このようなものは臆病者の使うものだ」という反対意見があったからだとも言われています。
 床井雅美氏の著作「アンダーグラウンド・ウェポン」P167には第一次大戦時にスプリングフィールド造兵廠で試作された当時の制式ライフルM1903A3用潜射システムの写真が掲載されています。この銃もボルトアクションなので上の図に似たクランクによるコッキングシステムが付属しています。採用されなかった理由は「重く、塹壕戦以外には役に立たないため」と説明されています。

 これはパンツァーシュレック用潜射システムの図です。こういうものがあったことは全く知りませんでした。ロケット兵器は反動がほとんどないので銃よりもむしろ問題は少ないでしょう。パンツァーシュレック自体は殺到する膨大な数のソ連、アメリカ製戦車に対して有効な防御手段になりうるものでしたが、射程が短く、命中精度が低いので近づかねばならないのが欠点でした。近づけば戦車から発見されて機銃掃射を受ける可能性だけでなく、随伴する歩兵に発見されて攻撃を受ける可能性が高く、このシステムはその可能性を低下させるのが狙いだったと考えられます。確かに砲身の先端と潜望鏡の上部のみ見えている状態では危険な敵であると判別するのはなかなか難しかったでしょう。








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