スホーイ-30MC戦闘機

 ロシアの新型戦闘機を画像を中心に紹介しているページです。

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ロシア空軍、最新型のスホーイー30MC戦闘機を明るみに

最近ロシア空軍はスホーイー30MC戦闘機を初めて明るみに出した。スホーイー30MC戦闘機は輸出型のスホーイー30MKI型戦闘機を基礎に改良を行ったもので、ロシアが自ら生産した航空電子設備を装備し、ロシア空軍への装備に用いられるとされる。

技術装備の老化、軍事費の欠乏は、飛行訓練の大幅な減少をもたらし、戦闘力の低下は深刻で、しばしば起きる飛行訓練事故は飛行員の手中の武器に対する信頼を喪失させており、その悪い結果はロシアとグルジアの衝突の中でのパフォーマンスに特に突出した。全面的に自分たちより弱い相手に直面し、開戦5日で6機を喪失し、大量に使用された非制御誘導武器の機能は低下し、相手を有効に制圧できず、空・地の協同、かみ合いは一貫せず、指揮コントロールの手落ちは百出し、電子妨害設備のない爆撃機が偵察任務執行に行き撃墜されたケースすら出現した(頑住吉注:これバックファイアのことですかね)。この時の衝突の中での航空隊使用機能に対する分析が、ロシア軍のその後の大規模改革の直接の動力となった。

(頑住吉注:2ページ目)「新たな顔」の軍事改革は空軍の古い顔を新しい顔に変えた

2008年秋に開始された「新たな顔」を作り出す主旨のロシア軍事改革は、主に編成、体制の根本的変革にある。空軍と防空部隊の改革の意図に基づき、本来の「空軍集団軍-軍(師団)-連隊」の構造を放棄し、独立した空防司令部、遠距離航空隊司令部、軍事輸送航空隊司令部をもって空軍集団軍に換え、防空軍(師団)はこれを基礎に建設された空天防御旅団に取って代わられ、司令部は空軍基地、空天防御旅団、より小さな保障部隊を管轄する。同時に、空軍基地は空軍の基本戦術単位である大隊から組成され、空天防御旅団は連隊から組成される。このように、「司令部-空軍基地(旅団)-大隊(連隊)」という3層構造への変化が完成した。

(頑住吉注:3ページ目)特殊司令部を基礎に(第16空軍集団軍を含む)地位が向上した空天防御戦役戦略司令部が組織され、モスクワ防空区とほとんど全てのモスクワ軍区の対空防御が担当される。区域の原則に基づき、4つの司令部が組織され、本来のそれぞれの6つの軍区に隷属した6つの空防集団軍に取って代わり、空防集団軍は徐々に合併し、あるいは一部の地は新たに責任区に区分される。

(頑住吉注:4ページ目)理解されているところによれば、2010年11月までにロシア空軍と防空部隊は1つの総司令部、7つの戦役司令部、7つの一級空軍基地、8つの二級空軍基地、13の空天防御旅団を持った。空軍の総兵力は約17万人で、このうち将校は4万人、契約兵(頑住吉注:契約により雇用される兵、という意味らしいです)は約3万人である。改革後のロシア空軍は前線航空隊、軍事輸送航空隊、遠距離航空隊、陸軍航空隊、防空ミサイル部隊、無線電信技術部隊を含み、反撃、援護、打撃、保障作戦行動を完成させる主要任務を担当する。

(頑住吉注:5ページ目)新型武器装備はこれまでずっと軍事変革の重点であり、ロシア空軍総司令はここ10年でロシアの防空システムの中の現代航空設備の数は空軍現役装備の80%を占めるはずだ、とする。

(頑住吉注:6ページ目)前線航空隊方面では、すでに多数回の飛行テストを終えている第5世代ステルス戦闘機Tー50およびその派生型はロシア空軍の今後何十年かの制空権奪取の主要な手段となり、ロシア空軍は当面2015年までに10機のT-50を購入し、2015〜2020年に60機の量産型を購入する計画である。現役のスホーイー27をスホーイー27SMにグレードアップする、またミグー31迎撃機をミグー31BMにグレードアップする計画は現在着実に推進されている。いくつかの第5世代機の先端技術を採用したスホーイー35S戦闘機は、スホーイが研究開発した第4世代++超機動性多機能戦闘機であり、ロシア空軍は2020年までに約90機購入する計画である。

(頑住吉注:7ページ目)軍事輸送航空隊方面では、A-50早期警戒機の近代化改良がすでに開始され、将来数十機のイリューシンー476軍用輸送機の購入が計画され、今年さらにイリューシンー76MD-90A輸送機の初飛行が行われることになる。

ロシアは世界で最も早く空軍を建設した国の1つである(頑住吉注:ご存知のようにアメリカにも日本にも第二次大戦終戦まで陸軍航空隊と海軍航空隊だけで空軍はありませんでした)。1912年8月12日、ロシアのツァーは命令を発し、空軍発展のあらゆる問題をロシア武装力量総参謀部の処理に移し、このことがロシア空軍の起点となった。100年間、ロシア空軍は帝政ロシア、ソ連、現在のロシアを経てきて、それぞれの段階全てで不朽のページを紡いできた。

(頑住吉注:8ページ目)1912年にロシア空軍が成立した時、ロシアはまだ自分で飛行機を生産できず、100機余りのフランス、ドイツなどの旧式機を装備するだけだった。「ロシア航空の父」と賞賛されるジューコフスキーが空気動力学を新たに作り出し、シコルスキーが世界初の重爆撃機「イリア ムロメッツ」を研究開発したが、帝政ロシア時代のロシア空軍は全体的に言えば相当に立ち後れ、航空技術の発展は相当に緩慢で、ロシア空軍はまだ「萌芽の段階」にあった。

(頑住吉注:9ページ目)1917年の十月革命の勝利後、ソ連は帝政ロシアから残された航空工場、作業場を引き継ぎ、ソ連中央空気流体動力学研究院が成立し、ソ連の航空発展は正しいレールに乗って走り始めた。西側の先進的な航空技術の学習から始まり、不断に国外のサンプル機を導入し、消化吸収してさらに新しいものを作り出し、さらには徐々に本国の設計者の独立した設計能力を強化し、第二次大戦勃発前、ソ連の航空業はすでに基本的に世界一流の飛行機を独立して設計製造する能力を具備していた。1941年6月22日、ソ連人民の恥辱の日、ドイツ軍はソ連を奇襲し、ソ連空軍は一夜にして70%(1,200機)以上の軍用機を喪失した。祖国防衛戦争の勃発である。だがソ連空軍は決して再起不能にはならず、緊密に世界の空軍の発展、運用を追いかけ、適時に戦略を調整し、重点を何種かの主要な戦闘機の生産に置き、しかも前線の必要性に基づき生産に改良を加えた。第二次大戦の期間全体で、ソ連空軍は全部でのべ312.5万機を出動させ、敵機5.7万機を殲滅した(このうち空戦でのものは4.4万機を占める)。赤軍航空隊は全部で10.5万機の飛行機を装備した。ソ連赤軍は少しずつ小さな戦績を積み重ねて自分の不屈性を証明し、祖国防衛戦争勝利のために不滅の貢献をなした。戦後ソ連はドイツが研究した技術の継承を基礎に、ジェット時代に入った。1946年、ソ連空軍司令はソ連空軍総司令に格上げされ、空軍は真に陸軍、海軍と対等となり、独立した軍種となった。1980年代になり、旧ソ連は強大な空軍戦力を持ち、その軍事的実力と作戦能力はアメリカと対等となった。

(頑住吉注:10ページ目)1991年にソ連が解体され、ロシアはその大部分の航空機材を継承し、その教育、訓練、作戦方式は基本的にソ連と同じだった。だが国家戦略の調整により、1990年代初めのロシア空軍は「冬眠」期に入った。ソ連解体後の最初の何年か、新たな飛行機とヘリの供給量は激減し、その最新の航空技術装備の就役時間も15〜20年以上で、大部分の飛行機と防空システムの「年齢」は、甚だしきに至っては操作者に比べさらに上だった。大部分の技術設備はすでに老化し時代遅れとなり、使用寿命が尽きていた。

かつて世界の同時代のいかなる飛行機にも比肩し得たミグ戦闘機は、一度はソ連の強大な空軍の代名詞であり、数十年世界の天空に覇を唱えた。しかしミグー29以後は二度と挽回できず、最後には何と破産という結末になった。一方スホーイは単にソ連時代に累積してきた技術に頼ることができるだけで、不断に貯金を食いつぶし、維持に苦しんでいる。


 スホーイ-30MCという新戦闘機について知りたかったのに具体的説明はほとんどなかったです。まあ一定の知識がある人は画像からいろいろなことが読み取れるでしょう。私にも最後のページの写真から、ベクトルノズルを採用しているらしいことくらいは何となく分かります。










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