イラン国防省、詐欺にあう

 映画のネタになりそうな事件を取り上げた「歴史秘話」ものの記事です。

http://military.china.com/important/11132797/20141030/18910273.html


イラン国防省、台湾の会社によって1,500万アメリカドルだまし取られる 損害賠償請求33年で実りなし

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「台湾空軍が装備するF-5E型戦闘機」)

秦鴎

イランは33年前、台湾の「ペテン集団」に遭遇した。このニュースは先日国際メディアの中で熱い議論を引き起こした。台湾の「連合報」の報道によれば、イラン国防省は1980年代にかつて台湾の兵器商に間接的に装備を獲得することを委託したが、思いがけないことに1,500万アメリカドルの商品代金が何とちょろまかされ、納得できないイラン政府と台湾サイドは何十年もの法廷闘争を行ったが、最終的な結果はやはり「有冤無処申」(頑住吉注:意味不明)だった。

1979年のイスラム革命勃発後、イランとアメリカの関係は奈落に落ち、アメリカはイランが武器を購入することを禁止しただけでなく、さらに極力その盟友がイランに向け軍事援助を提供することを阻止した。イラン・イラク戦争勃発後、イランはすぐに武器の損耗が補充し難い困った状況に陥った。対戦車ミサイルはほとんど消耗し尽くし、飛行機は部品が欠乏して正常に飛べず、火砲には適合する砲弾がなかった‥‥特にアメリカ製武器に用いる特殊電池、消耗材および砲弾の信管などは自ら生産することはできず、国際ブラックマーケットの供給に頼るしかなかった。イラン国防省は迫られてヨーロッパや中東の兵器ブラックマーケットで、一切の「現品供給」できる装備を探し求めた。

1981年6月、ある黄色い肌をした中年男性がパキスタン航空社の飛行機に搭乗してテヘランのマハディアバド飛行場に到着し、彼はタクシー運転手の助けの下にイラン国防省のビルを捜し当て、困難な「ゼスチャー+英語」の交流を経た後、イラン当局者はやっとこの人が兵器の商売をしたくて来たのだと理解した。この招かれざる客は自称「呉福久」で、台湾の彊欣貿易社の担当責任者で、彼はイランに代わってアメリカ製武器の部品を手に入れるルートがあり、またさらに性能がアメリカのオリジナル装備品に劣らない台湾制式武器を手に入れられる、と言明した。

イランイスラム政権と台湾当局には平素往来がなかったが、形勢が差し迫っていたため、また特に呉福久は台湾当局は素早く現品を供給でき、ことに台湾空軍航発センター(現在の漢翔社)は1973年には早くもアメリカの授権を獲得しており、「虎安計画」の名目でF-5E/Fを組み立て生産し、かつレーダー、航空電子、電子戦、自衛装置、武器システムなどの製品を自ら生産でき、これはイラン空軍の同型機と完全に互換性がある、と自称したのだった。呉福久は、台湾が自主生産する米軍制式装備はアメリカの制裁の拘束を受けないと自慢し、これがついにイラン国防省の心を動かした。すぐに双方は金額1,500万アメリカドルの武器販売契約を締結し、呉福久はイランサイドに商品代金が台北にある彰化銀行大同支店に振り込まれて金が入ったら、即商品引き渡しを行う、と提示した。イラン政府は同意を表明したが、その前提は大同支店に振り込まれる金はイラン政府が派遣した特派員によってのみ引き出され得る、というものだった。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「台湾地域は先進的な戦闘機を生産する能力を持つ」です。なおキャプションは7ページ目までこれと同じです。)

7月10日から11日、イラン政府は約束通り3回に分けてイギリスのミッドランド銀行経由で大同支店に向け1,500万アメリカドルの資金を振り込み、全部3名のイラン公民連名の口座に注入され、この3人はまさにテヘランの特派員だった。約2週間後、呉福久は3名のイランのパスポートを持った中東の人物を連れて大同支店のカウンターにやって来て、資金の引き出しを要求した。銀行サイドはパスポートの姓名、番号、口座が一致したのを確認した後、彼らの要求通り資金をそれぞれ香港、アメリカ、サウジアラビアの銀行口座に振り込んだ。

4日後、また3名の顧客が大同支店にやって来て現金引き出しを要求したが、彼らのパスポートの番号と銀行が掌握する口座の情報が不一致で、このため銀行サイドは受理を拒絶した。だが交渉と調査を経て、銀行は最終的にこの3人こそ真のイランの特派員であると確認した。実は彼らは台湾の入境ビザを取得するため、シンガポールでまるまる2週間逗留し、思いがけないことに金は何と持ち去られていたのである。イラン人は素早く台北警察に向け事件を通報したが、その謎の呉福久はとっくに家族を連れて「蒸発」していたのである。警察は彊欣社の登録された所在地を捜し当てた‥‥台北市南京東路五段62号7階である。だがそこには1人の従業員もおらず、改修工事の工員がまさに忙しく事務室の看板を交換しているところなのを発見した。

憤怒したイラン政府は2度調査団を台湾に派遣し、イラン国防大臣ムハンマド シャリムは現地の弁護士に、台北地方裁判所に民事訴訟を提起することさえ委託し、彰化銀行大同支店の業務がミスをし、送金した金が人に奪われる結果をもたらしたと告発した。イランはさらにハーグ国際商務裁判所に彰化銀行を提訴した。だが原告が自らの正当な身分を充分に証明できなかったため、結果的にいずれも訴えは却下された。今日まで、外界は終始本当のイランの特派員のパスポートの番号がいかにして変えられたのか、呉福久がどんな手段でイラン当局代表の前にやってきてこの行動を取ったのか、はっきり分からない。

だが国際兵器市場で詐欺に遭ったことは、イランが自力更生の決心をすることを促した。1981年末、イラン最高の精神的指導者ホメイニは「自給自足委員会」の成立を批准し、麻痺状態に陥った国内軍事工業システムに対し改組を実施し、国防工業組織を成立させた。この後多くの資金が脈々と不断に革命防衛隊の独立した財政システムの中から流入し、多くの生産設備も革命防衛隊が海外に設立したダミー会社によって秘密のうちに導入された。1985年になると、イランはすでに独立して軍用ジープ、戦車牽引車、火砲牽引車を組み立てることができ、蓄電池、飛行機のタイヤ、ヘリのローター、装甲車の風防などの武器の部品を生産することを試みていた。イランイラク戦争末期になると、イランは多数の武器の自給自足を実現し、これはあるいは古くから言われる「恥を知った後の勇」に応じたものかもしれない。

(頑住吉注:8ページ目)台湾空軍が装備するミラージュ-2000戦闘機


 言葉もろくに通じない国に行って大金を見事にだまし取って逃げおおせるって凄いですね。

http://tuku.military.china.com/military/html/2014-11-14/227617_2569023.htm

 直接の関係はありませんけどイランがコピー生産したRQ-170の試験飛行の画像です。イランが自力更生の努力をした結果とも言えますな。













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