S&W ニューモデルNo.3

 「Visier」2005年6月号に、S&Wの初期大型リボルバーであるニューモデルNo.3に関する記事が掲載されていました。モデルガンにもなっているスコーフィールドに近いモデルですが、紹介されているタイプはターゲットシューティング仕様であり、当時のスポーツ射撃に重点を置いた記事でした。


ほとんど撃つのがもったいない

スミス&ウェッソンの名はドイツシューター界ではほとんど高品質のスポーツリボルバーと同義語として存在している。‥‥そしてほとんど把握できないほどのモデルバリエーションがある。その始まりは全くたいしたことのないものからだった。すなわち、左右調節可能なリアサイトとターゲットフロントサイトつきの銃である。

のスプリングフィールドの企業(頑住吉注:S&W)は、すでに早くからスポーツシューターの利益のために努力していた。その投資は今日まで報われている。もしこれがモデル686で始まったと思う人は、ほとんど100年誤っている。ハンドガンによるスポーツ射撃は1880年頃にはすでに大いに尊重されていた。疑いもなく、この時代アメリカでターゲットシューティングは緊急事態のためのトレーニングとも見られていた。結局のところ、この1880〜1890年の10年間は、静かで平和な時代とは全く違っていたのである。だが、ちょうどこの期間、希望を持つ情熱的なターゲットシューターはますます純実用銃器携帯者の大衆から際立った存在になっていた(頑住吉注:ハンドガンによるターゲットシューティングは不穏な時代における実用目的と見られていたが、スポーツに純化する動きもあった、ということです)。当時、今日そうであるようにS&Wのリボルバーは「先端の品」に該当した。伝説的モデルであるNo.3によってS&Wはきわめて頑丈で、今日の要求のためにも極度に命中精度の高い銃を持った。

スタートの困難
 S&Wが1870年に「アメリカン」と、同名の弾薬によってラージフレームつきセンターファイアーリボルバーのサクセスストーリーを歩み始めたとき、開発部門にとっての慌しい歳月が始まった。このモダンな銃のクオリティは威力を示し、需要は上昇した。James E. Porter中尉はプライベートに調達した1挺のアメリカンを愛用していた。しかし彼はSioux(頑住吉注:辞書を引いたら「スー族」のことだそうです。こんな綴りなんですね)に対する小規模な懲罰行動にリボルバーを持たずに出動した。だから彼のFort Abraham Lincoln(カスター将軍指揮下の第7騎兵隊第1中隊が配備されていた場所)に置いていった銃は今日「Little Big Horn Battlefield National Museum」に置かれている(頑住吉注:カスター将軍の部隊が優勢なネイティブアメリカンに包囲され、全滅させられた有名な戦闘の際、この中尉が出動前に置いていったS&W No.3がこの博物館に展示されているということですね)。

 続いて間もなく小規模な変更が行われた。ブレイクはロシアの購入委員会の希望に応じて変更されたバリエーション「ロシアン」と、小規模な変更が加えられた弾薬によって成し遂げられた。(頑住吉注:それまでの).44アメリカン弾薬は薬莢先端と弾丸直径が同じであるヒールタイプの弾丸を持っていた。この弾丸はかかと部によって薬莢内に差し込まれていた。この弾丸タイプは.22LRでまだ存在している。(頑住吉注:要するに、



こんな感じで弾丸の後部が薬莢の肉厚分細くなっているということです。ちなみにコルトM1877の弾丸もこういうタイプだったそうです。何度も出てきたように、弾丸のバレル内に接する前後長が長いほど命中精度上有利になる傾向があり、このタイプは理論上不利ということになりそうです)。(頑住吉注:一方新しい).44ロシアンはいくらか上の成績を提供し、今日普通であるようにノーマルに薬莢内に設置された弾丸を持っていた。これにより、S&Wは信じられないほど素晴らしい命中精度を示す弾薬を作り出したのである。‥‥そして.44スペシャルの(それにより.44マグナムのでもある)直接の前身をである。最終的にロシアンはそれに属する弾薬ともども1871年にお目見えし、そしてその前身であるアメリカンは3年後に絶版となった。

 これに反し、ロシア人にならってアメリカの軍人もモデルNo.3で魅了する試みは失敗した。軍の検査刻印を持つスコーフィールド(ジョージ スコーフィールド大佐にちなんで名付けられたモデル3のバリエーション)は今日レアである。非常に良好なコンディションの銃には5万ドル以上覚悟しなくてはならない。だが、これはわずかしかなく、たいていは民間マーケット用に製造されたものである。生産は1877年までしか続かなかった。

新しい遊び 古い幸せ
 1878年に登場した「ニューモデル ナンバー スリー」によって、S&Wは同社の成功したモデルにいくつかの変更を行った。そのエジェクターケースはより短くなり、ヒンジ上のエキストラクターリングはもはや1つの歯しか持っていなかった。このリボルバーは民間版ナンバー3の頂点となった。この銃は1908年まで品揃えの中に留まった。

 正確には、このタイプ用に1887年以後シンプルな、左右のみ調節可能なリアサイトも提供された。それにはいろいろなタイプさえあり、さまざまなフロントサイトもあった。そして当時は今日同様多くのシューターがメーカーの提供品では足りず、特別なサイトの製作を自分の手で行うか、あるいは有能なガンスミスに託した。我々のテストリボルバーのフロントサイトも、おそらく当時の付属品マーケット由来らしい。

子供靴の中(頑住吉注:全く意味不明なので辞書を見ると、これは「発展途上」という意味らしいです)
 ニューモデルNo.3とターゲットサイトにより、メーカーによるそのための特別な装備が施された銃を使ったスポーツライクなリボルバーシューティングが始まった。熟練した女性シューターAnnie Oakleyはこの新しい顧客サークルに属しており、彼女の夫Frank Burlerと共に同型の3挺を所持していた。シリアルナンバー13303はWilliam F. 「Buffalo Bill」 Codyの所有物だった。今日までアメリカで知られており、初期オリンピック参加者でもあるトップシューターIra PaineとWalther WinansはニューモデルNo.3で(頑住吉注:ターゲットシューティングを?)スタートした。

 どうしても.44口径でスポーツライクな射撃をしたくない人は、1887年以後特別なニューモデルNo,3「ターゲット」を注文することもできた。このリボルバーには口径.38-44および.32-44仕様のみがあった。調節可能なサイトはもはや特別に注文しなくてもよく、すでにスタンダードにこの銃に属していた。

 我々のテスト銃は、全てのスポーツ用S&Wリボルバーの曾祖母であるにもかかわらず、依然として美人である。この理由はほとんどパーフェクトに維持されたニッケルフィニッシュにだけあるのではなく、黒色のハードラバーグリップとのコントラストにもある。ニッケルはブルーイングよりサビに強いフィニッシュであるため、19世紀半ば以来好まれていた。しかしニッケルは長い実用の後にはがれる傾向があった。工場渡しで提供されたニューモデルNo.3の銃身長は、3.5〜8インチだった。我々のテスト銃は6.5インチであり、ミドルサイズである。これは今日なお普通である.44口径S&Wリボルバーの最もポピュラーな銃身長と正確に一致する。

 .44ロシアン弾薬はリローダーに高い要求をしない。リロード器具、薬莢、弾丸といったお買い得なロード用コンポーネントには不自由しない。その上.44ロシアンはときおりFiocchiによってまだ製造されている(頑住吉注: http://www.fiocchiusa.com/specialty.htm )。.44ロシアンオリジナル弾薬の.429/430の弾丸直径と245〜250グレインの重量領域は、今日普通に流通している.44鉛弾の全多様性そのままである。

古いスタイルで
 シューティングレンジで使用者はサイトによってまず初めに黒を見る。この理由は、19世紀のターゲットシューターがこの銃を比較的強く曲げた腕で非常に顔の近くに保持したことである。伸ばした腕では、髪の毛のように細い光の線は非常に良い照明のときでしか見えない(頑住吉注:よく分からんのですが、これはたぶんこういうことだと思います。


「精密射撃を行うサイトでは、左のようにリアサイトの切り込みの幅がフロントサイトの幅より少々広く見えることが望ましい。当時は手を曲げて銃を顔、つまり目の近くで構える射撃姿勢が一般的だったので、S&Wはこういう目との距離で左のように見えるようサイトを設定した。だからこれを現在一般的であるように手を伸ばして目から遠い場所に置くと、右のようになって左右の狙いを合わせにくくなってしまう」 フロントサイトの左右から光が漏れてこないことを「黒を見る」という言い回しで表現しているんでしょう)。だが、これは些細なことである。このサイト像はターゲットシューティング用として(頑住吉注:実用向けの?)新しいS&Wリボルバーよりベターである。トリガーキャラクターは約1300gの作動抵抗を持ち、理想的である。

 射撃後のクリーニングのためには工具さえ必要としない。シリンダーは閉鎖テコの持ち上げの後、単純にねじって外すことができる。何秒もかからない操作である。いくらか小さな、そしてスムーズなグリップにもかかわらず、グリッピングはきちんとしたものである。約1100gの重いリボルバーは良好な重さで、水平に手の中に位置し、撃ちやすい。たまたまのことかもしれないし、極端に狭いリアサイトの切込みが逆に幸いしたのかもしれないが、適切に狙えば10点が多発した。シッティング、依託で、モダンなスポーツ銃でもほとんど上回れないほどのグルーピングが成し遂げられた。(頑住吉注:古い銃に許される)ガス圧を考慮に入れて意識的により軽く、あるいは径を小さくした無煙火薬用の弾丸タイプでさえ卓越した射撃結果になった。約200グレインおよびそれ以下の弾丸重量で、着弾点は25mにおいてほぼ狙点通りとなった。240グレインのセミワッドカッターは約10cm上を狙う必要があった。

ショーケース用だけではない
 純コレクターにとってはたっぷり115歳の銃をシューティングレンジに引き出すのはほとんどカニバリズムであるかもしれない(頑住吉注:非常に野蛮な行為、という意味でしょう)。シリアルナンバーからして、この銃はほぼ1888〜1890年に製造されたものであるに違いない。しかし、歴史的銃器を愛好するカウボーイアクションシューターはきっと違う見方をする。というのは、S&Wパフォーマンスセンターによって製造されたNo.3スコーフィールドはたっぷり2000ユーロする。この銃は真のS&Wでありながらレプリカには違いなく、その上レアな.45スコーフィールド弾薬仕様でさえあるからである。

 その上、それは我々のテスト銃のようにパーフェクトに維持されたオリジナル(むしろ3000ユーロ以下で買える)と間違いなく等しくない。いくらか状態の悪いフィニッシュだが、シューティング用にはこれでも明らかにベターである、全く魅力的なNo.3なら、約2000〜2500ユーロである。だからくよくよ考える余地がある。

モデル:S&WニューモデルNo.3
口径:.44S&Wロシアン
装弾数:6発
全長:300mm
バレル:165mm(6.5インチ)、ライフリングは20(約508mm)インチで1回転。5条右回り。
重量:1110g(エンプティ)
型:ニッケルメッキ。初期のパートリッジフロントサイトおよび左右調節可能なリアサイト。1887年以後は顧客の希望でターゲットサイトつきがスポーツバージョンとして導入された。ニューモデルNo.3「ターゲット」は口径.38-44および.32-44仕様のみで、ターゲットサイトはスタンダードとして装備された。



S&W ニューモデルNo.3の射撃成績

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s)
Hornady 180grs LTC .430 Pd.d' Aub 14.0grs No.2 53 198
Hornady 180grs LTC .430 Alliant 3.6grs Bullseye 62 189
Lyman 195grs LRN .428 Pd.d'Aub 14.0grs No.2 51 219
Lyman 195grs LRN .428 Alliant 3.6grs Bullseye 57 208
Laue 240grs LSWC .429 Pd.d' Aub 14.0grs No.2 56 202

注釈:「Pd.d' Aub」はPoudrerie d' Aubonneのメーカー工場製黒色火薬。「L」は鉛。「RN」はラウンドノーズ。「SWC」はセミワッドカッター。「TC」はTruncated Cone。195グレイン弾はLyman Kokille製。全ての弾薬はStarline製.44ロシアン薬莢、ウィンチェスター製ラージピストルスタンダードプライマーつき。グルーピングは25mでシッティング、委託射撃、5発で計測。


 今回の主役であるニューモデルNo.3の生産時期は1878年から1908年までとされており、期せずしてまた現在の製品であるM1877ライトニング(1876年から1909年まで生産)と同時期の銃に関する記事を読むことができたわけです。コルトパイソンの項目でも触れられていたように、現在スポーツ用のリボルバーといえば完全にS&W製品が主流となっていますが、これはリボルバーによるスポーツ射撃が盛んになった当時からそうであり、ニューモデルNo.3の命中精度は現在の基準からしても非常に優秀と言いうるものだった、というのは意外でした。これもたまたまですけど、S&Wの.44リボルバーといえば「Thunder-Ranchスペシャル」を紹介したばかりです。銃身長が4インチ、固定サイトの実用銃ということでストレートに比較するのには無理がありますが、あの記事の射撃結果のデータと比較すれば、100年以上前の技術で製造されたニューモデルNo.3の方が明らかに命中精度が優れているのが分かります。一般にヒンジドフレームのリボルバーは命中精度が低いとされていますが、必ずしもそうとは言い切れないということですね。

 




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