1.14 初期段階におけるセルフローディングピストルの発達

 商業的な基準において製造された初のセルフローディングピストルは1892年、Steyrに所在するオーストリアの銃器工場から登場した。この銃はLaumannのパテントに起源を持ち、その設計者にちなんでSchonberger(頑住吉注:「o」はウムラウト)ピストルと呼ばれた。マガジンはトリガーの前に位置し、閉鎖メカニズムとトリガーメカニズムはボルトヘッドの下、トリガーの上に位置していた。この配置はスペースを非常に無駄なく使うものではなく、この結果バレルは手から高く位置した。このピストルは(そのボルトはすでにロックされていた)は強力な8mm弾薬を発射した。

 1893年、ベルリン所在のLudwig Lowe & Cie(頑住吉注:「o」はウムラウト)によってあるピストルの製造が始まった。これはHugo Borchardによって設計されたものだった。この銃は多数販売することのできた、そしてマガジンがグリップ内に収納された初のセルフローディングピストルだった。この銃は(ロックされた)膝関節閉鎖機構(図1-62を見よ 頑住吉注:この図は次々回登場しますが、要するにいわゆるトグルジョイントです)を持っていた。これはMaximが彼のマシンガンの場合に使ったのと同じ原理だった。ボーチャードによって使われた弾薬は、後にモーゼルによってモデルC96に使われた7.63mm弾薬と同じ寸法を持ち、その弾道学的成績が下回っているだけだった。

 この銃は今日の概念からすれば非常に大きかった。特徴的だったのはグリップ後方の長いオーバーハングであり、ここには閉鎖機構の一部とそのスプリングが収容されていた。わずかに後、Georg Lugerはこのボーチャードの設計から、ドイツのアーミーピストル(Pistole 08,Parabellum)として有名になることになる膝関節ピストルを開発した(頑住吉注:ボーチャードとルガーについては次々回詳しく触れられます)。

 Ferdinand Ritter von Mannlicherは、世紀の変わり目頃に活動した大銃器設計者群に属する(頑住吉注: http://www.austro-hungarian-army.co.uk/biog/mannlicher.htm )。今日なお彼はその名をつけたライフルによって多くのハンターに知られている。最初のマンリッヒャーピストル(同時にまた最初のダブルアクションセルフローディングピストルでもある)は1894年に作られた。この銃のシステムは図1-58(a)で表現されている。図1-58(b)はマガジンの配置を示している。ボルト(包底面)はフレーム(1)に固定されている。マガジンはグリップ上側、銃の中央に位置している。発火機構はその右である。薬莢保持部品(エキストラクター)は左サイドに位置している。メインスプリングの下の脚は、いくつかのリボルバー発火機構に似てハンマー(5)の張り出しを圧し(ハンマーをリバウンドさせるため)、そしてダブルアクションシアを介してトリガー(4)を圧している。このスプリングの上の脚はリンクを介してハンマーと結合されている。ハンマーは手でコックするか、ダブルアクションリボルバーのような方式でトリガーへの圧力によってレットオフするまでコックできた。ほとんど全てのセルフローディングピストルと違い、このマンリッヒャーピストルの場合バレルが発射時に前方に走った。その後バレルはバレル保持レバー(6)によって前方で保持された。トリガーを放すことによってバレル保持レバーがバレル下側にあるノッチから押し出されるまでである。後退の際にチャンバーは、マガジンスプリングによってストッパー(7)まで持ち上げられている1発の弾薬を受け入れた。


図1-58 マンリッヒャーピストル94の断面図。a)はシステム。(1)=フレーム、(2)=バレルケース、(3)=バレル、(4)=ダブルアクションシアを伴うトリガー、(5)=ハンマー、(6)=バレル遮断レバー。 b)はマガジンの配置を示している。(7)=弾薬支え
(頑住吉注:この銃に関してはこんな詳細な紹介ページがありました。 http://en.wikipedia.org/wiki/Steyr_Mannlicher_M1894 ちょっと分かりにくいですが、この銃の固定マガジン、ハンマーの打撃部分、トリガーはセンターにあり、ハンマーとトリガーのコンタクト部分は右にオフセットされているわけです。このトリガーとハンマーの関係はまさにダブルアクションリボルバーそのもので、射撃前にコックすることはできますが、作動時にハンマーはコックされず、連射時にはダブルアクションオンリーとなります。6のパーツは著者の悪い癖で文中では「バレル保持レバー」、イラストの説明では「バレル遮断レバー」と名称が統一されていませんが、ここでは英語の「バレルホールディングレバー」とします。このパーツには板バネによって時計方向に回転する、つまりバレルをひっかける前部が上昇するようなテンションがかけられています。トリガーと「バレルホールディングレバー」のコンタクトの仕方がこの図では不明確なんですが、上のページの図なら分かるので参照してください。要するにトリガーを引いていないときは「バレルホールディングレバー」の前部はトリガーにひっかけられて下降しており、トリガーが引かれるとスプリングのテンションによって上昇します。装填のためバレルを前方に引いても、ハンマーダウン、つまりトリガーが引かれていないときにはバレルはロックされませんから、ハンマーをコックしてからバレルを引く必要があります。装填はストリップクリップによって行われます。7のストッパーはスプリングのテンションで前進しようとしていますが、ストリップクリップを差し込むと押されて後退し、装填後にストリップクリップを抜くとすかさず前進して弾薬が上方に飛び出すのを抑えます。トリガーを引くとハンマーがレットオフしますが、「バレルホールディングレバー」の後部にひっかかって倒れきることはありません。トリガーを放すと、「バレルホールディングレバー」の前部は下降し、バレルはバレルに巻かれたリコイルスプリングによって後退し、その際装填が行われます。完全閉鎖時、ストッパーはバレルに押されて後退します。発射準備の整ったピストルのトリガーを引くと撃発し、バレルは前進します。閉鎖時に薬莢はこの図では示されていない左サイドのエキストラクターによってひっかけられており、7のストッパーによって前方に押されていますが、発射後にバレルが前進すると空薬莢はエキストラクターにひっかけられたままストッパーによって前に蹴られて左方向に転がり落ちます。ストッパーがいわゆるプランジャータイプのエジェクターを兼ねているわけですね。発射後はトリガーを引いた状態なのでバレルは前方でひっかけられて停止しますが、トリガーを放すと後退して装填が行われます。‥‥何と申しますか、試行錯誤期のものだからしょうがないと言われればそれまでですが、いろいろと迂遠で気持ち悪いメカですね)

 マンリッヒャーは彼の後の設計において他の閉鎖システムを使った。モデル1900は単純な質量閉鎖(頑住吉注:ストレートブローバック)機構を持っている。モデル1901は遅延された質量閉鎖(頑住吉注:ディレードブローバック)機構、そしてモデル1902では最終的に閉鎖機構がロックされている。モデル1900および1901ではマガジンはグリップ内に位置している。両方ともストリップクリップによって装填された。

 セルフローディングピストルの初期において、多くの軍人がそのような構造(頑住吉注:固定マガジン、ストリップクリップによる装填)を好都合と見なした。固定して組み込まれたマガジンは失う可能性がなく、ストリップクリップは(ノーマルな)ボックスマガジン(そのアメリカ人の発明者にちなんでLeeマガジンとも呼ぶ)より安価だったからである。モデル1903はすでに当時普及していた7.63mmモーゼル弾薬用に作られ、トリガー前方に位置する着脱マガジンを持っていた。

 Schonbergerピストル、マンリッヒャーピストル94、そしてボーチャードピストルは実験モデルより一歩足を踏み出した設計である。だがそのいろいろな構造要素の互いに最適な配置、機能方法の批判的な価値判断、そして個々の構造要素を完成の域まで形作ることはまだ成し遂げられていなかった。


 今回の記述によれば、個人発明家がせいぜい数挺手作りしたといったレベルのものではなく、商業ベースで作られた初のオートピストルはSchonbergerピストルというものであるとされています。検索しましたが画像は見つかりませんでした。手持ちの「PISTOLS OF THE WORLD」(Ian Hogg、John Weeks著)という本に写真があったのでお見せします。

 この本には今回の記述と反する、とうてい看過し得ない内容が含まれているので簡単に触れます。なお、この本は「Faustfeuerwaffen」よりも約10年新しく、しかも「Faustfeuerwaffen」の内容のような説が存在することに触れながらそれを打ち消しているので、どちらかと言うとこっちの方が信用できるのではあるまいかという気がします。

 この本では、「この銃は一般に最初の実用向きなオートマチックピストルデザインと受け取られているが、これが最初に商業的に提供された銃であるのどうかは熱い論争の中にある。」、「50挺以上が作られたかどうかは疑わしい」とされています。要するに頑住吉製品くらい、あるいはもっと少数しか作られなかった可能性も高く、真に商業的に販売が行われたうちに含めていいのか確証がないというわけです。

 また、今回の記述では「Schonberger」は設計者の名とされていますが、この本ではその名がどこから来たのか明らかでなく、メーカーのマネージャー説と、この銃の元となったパテント保持者であるLaumannの財政的後援者説を挙げ、後者の方がより信憑性が高いだろうとしています。

 そして「この銃はかつてロックドブリーチと信じられたが、ディレードブローバックであったことは疑いの余地がない」とされています。なお、この銃に関しては「HANDGUN OF THE WORLD」(Edward C. Ezwll著)という本にも記述があるんですが、詳しく読む時間がないのでこれはまたの機会に回したいと思います。

 いずれにせよ本格的な構造と機能を持ち、かつ本格的に販売されて成功した最初のオートピストルがボーチャードであったことは間違いないようです。

 マンリッヒャーM1894は非常にユニークなメカで興味深く、上に示したページを資料にすればモデルアップできそうです。バレル内に強力なスプリングを入れ、バレルを後退させて閉鎖した後、トリガーを引くとバレルが前進して排莢し、バレルがひっかけられて前方で停止し、トリガーを戻すと弱いリコイルスプリングの力で後退する‥‥いかんいかん、作りたくなってしまいますけど絶対売れませんよね。

















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