AAV-7は鉄の棺桶

 「こんな高い金を出して旧式な水陸両用装甲車を買うのは日本くらい」という批判はありましたが、よりエスカレートしているようです。

http://www.junshi.com/guojijunqing/107148/


日本が購入するAAV-7戦闘車、鉄の棺桶だと指摘される:機関銃でも打ち抜ける

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「2013年、AAV-7がアメリカ海軍の上陸演習に参加」)

AAV-7戦闘車は日本が購入する「鉄の棺桶」

張亦馳

海中のAAV-7戦闘車、撮影時間、地点不詳(頑住吉注:これ本来はキャプションだったようです)。韓国の「朝鮮日報」は先日、日本の防衛省は次の財務年度に海兵隊の予備部隊を成立させ、海兵隊創設の第一歩を踏み出す、と報道した。

海兵隊の創設と組み合わせるため、日本の防衛省は今年4両のアメリカ製AAV-7水陸両用戦闘車を買い入れ、2015年には全部で50両のこの戦闘車を購入して配備を行う見込みである。

「皮が薄くて餡が大きい」

AAV-7水陸両用戦闘車の研究開発は1960年代に始まった。1964年3月、LVTP-5水陸両用戦闘車の欠陥に焦点を合わせ、アメリカ海軍は新型水陸両用上陸人員輸送車を研究開発する要求を提出し、食品機械会社の兵器部門がこの作業を引き受けた。研究開発作業は1966年2月に開始され、1971年8月に最初のLVTP-7が海兵隊に引き渡された。1982年に食品機械化学社はアメリカ海兵隊とLVTP-7就役寿命延長計画の契約を締結した。主な項目には改良型エンジン、伝動システム、武器システムへの換装、および車両全体の信頼性向上が含まれた。

米軍の他、相次いでこの戦闘車両を装備した国にはさらにフィリピン、アルゼンチン、ブラジル、韓国、タイ、ベネズエラ、スペイン、イタリアがあった。このように多くの国に歓迎されたのは、アメリカ人が軍事援助の形式で強力にセールスしたからだけではなく、さらにこの戦闘車がこれらの国が購入できるほとんど唯一の水陸両用戦闘車だったからである。

1985年、海兵隊はLVTP-7の装備コードネームをAAV-7に改めた。AAVの意味は「水陸両用突撃車」である。当然、これは名称変更に過ぎず、ネジ1本、あるいは電気メッキ板1枚すら変更されてはいない。

現在およそ3種のAAV-7派生型がある。それぞれAAV-7A1人員輸送車、AAV-7C1指揮車、AAV-7R1戦場救出車である。

このうちAAV-7A1が最も主要なタイプで、乗組員は全部で3人である。装備する主要な武器はMK19-3型ランチャーあるいはM242チェーンガンで、その水上機動性は平々凡々と形容するほかなく、時速13kmの水上速度は基本的に当時の水陸両用車両の基本パラメータである。

AAV-7戦闘車は米軍の「信頼性、実用性、維持メンテナンス性と性能を再建する」の理念に照らして生産され、「ブラッドレー」歩兵戦闘車のエンジンと懸架システムを使用するよう改められている。だが生産ラインを再開する必要があるため、価格は600万アメリカドルにも達する可能性がある。これは国際的に主流を占める市場におけるメインバトルタンクの価格をはるかに超える。

AAV-7A1最大の特徴は搭載量が非常に突出していることで、25名の完全武装の海兵隊員を搭載できる。こんなに多くの人を搭載できるのは、その立派な図体が最も重要なカギで、その車体は長さ8m近く、全幅と全高はいずれも約3.3mである。

だが戦場では図体の大きいことは何ら良いことではない。このことは被弾率が大きく上がることを意味する。現在の12.7mm重機関銃はその側面装甲を打ち抜けるし、ロケット弾、および広範に装備される23mm以上の口径の機関砲はいずれもやすやすとその前面装甲を打ち抜くことができる。

だが日本の防衛省はそれでも、日本には争いある島嶼で専守防衛を行う必要はないが、もし島奪取上陸作戦を実施するなら、この水陸両用戦闘車は不可欠だ、と考えている。

数回の参戦

AAV-7の就役後、世界中でこのような上陸作戦が発生したことはない。このためAAV-7はむしろ演習で多くパフォーマンスを行っている。最もよく見られる情景は、上陸したばかりのAAV-7が連続的に煙幕弾を放出して空中で爆発させ、迅速に黒色の煙幕を形成し、自らを隠蔽する、というものだ。

装備から10年後、AAV-7はアルゼンチンサイドでイギリスに対する「マルビナス島戦争」(頑住吉注:フォークランド紛争)に参加した。1982年3月19日、アルゼンチンのスコディッシ社の60人乗り輸送船は工場の古い設備を撤去するという名目でイギリスが占領するサウスジョージア島に上陸した。3月28日、アルゼンチンサイドは秘密裏に出兵を開始し、4月2日と3日、アルゼンチン軍は相次いでスタンリー(頑住吉注:フォークランド諸島の首都)とサウスジョージア島に上陸した。当時20両のAAV-7が参戦した。アルゼンチン軍の突然の襲撃の下に、イギリスの島を守備する部隊は短時間抵抗した後、投降を迫られた(頑住吉注:上の部分に「AAV-7の就役後、世界中でこのような上陸作戦が発生したことはない」とあり、「このような上陸作戦」は流れから「島奪取上陸作戦」を意味すると思われますが、この実例は違うんでしょうか)。

AAV-7の第2回目の参戦は1991年の湾岸戦争だった。AAV-7はアメリカ海兵隊と共にクウェートに侵入したイラク軍と戦った。この戦闘車が装備するMCLC地雷除去ユニットは1991年に初めて使用に投入された。これは3本の内部に炸薬を含んだ爆破ケーブルを発射し、砂浜に埋まっている可能性がある地雷あるいはその他の障害物をクリーニングできるというものだった。この仕事はAAV-7自身の価値をも体現した。だが、その主要な作用はやはり陸地での輸送だった。比較的大きいキャタピラの接地面積は、この戦闘車を砂漠において平地のごとく走らせた。また非常に大きいサイズは、海兵隊が大量の物資を輸送するのを助けることもできた。

(頑住吉注:これより2ページ目)

2003年のイラク戦争は、三十代に入ったAAV-7がやっと真の意味の戦争に参加したと評価される。だが、真の戦場に来たら、各国の攻撃武器の発展につれ、AAV-7の欠点が直ちに顕在化してきた。その防御力は何度も乗組員や兵士によって文句を言われた。

イラク戦争で最も惨烈だったナシリヤの戦闘の中で、1,000名の米軍兵士とイラク共和国防衛隊が激戦を展開し、多数のAAV-7が地雷、ロケット弾、迫撃砲弾、砲弾の破片によって破壊あるいは損傷し、米軍の100名余りの死傷をもたらした。

戦時には多くの使い道がある

アメリカ海兵隊はかつて「超地平線」上陸作戦の概念を提出したことがある。地球は丸いので、海洋上にもし障害物がなくても人の視線は有限であり、天気の状況によるが一般に数kmから数十kmである。「超地平線」作戦は上陸部隊が視距離以遠から進攻の準備を整え、機をうかがって敵の海岸の防御の薄弱な地域で上陸を行う。具体的には水陸両用上陸艦艇を用いて敵の視距離外から海岸に向かって快速突撃を行い、敵に反応時間を与えず、もって死傷を減らし、勝利を奪取するのである。

「超地平線」上陸行動の中で、AAV-7は上陸部隊およびその装備を輸送して岸に上がる役割を演じる。岸に上陸した後、上陸部隊はこれを装甲兵員輸送車として使用し、そのために戦場火力支援を提供する。米軍の強大な海空攻撃体系は非常に大きくAAV-7が襲撃される圧力を弱めることができる。米軍は上陸作戦実施時、その優勢な海空兵力に頼って敵サイドの沿岸の軍事施設に対し正確な打撃と火力によるカバーを実施することができる。

だが、相対的に弱小な海軍にとって、もし強引にAAV-7を上陸させたら非常に危険なことになる。日本の海空軍は現在深刻に対地正確打撃能力が欠乏しており、戦時においてその上陸戦部隊は必然的に敵の弾雨の中を上陸することになる。AAV-7は自らの浮かんで渡る能力に頼って上陸を行うことが必須である。この種の状況下で、「皮は薄く餡が大きい」AAV-7は恐らくまだ上陸しないうちにもう防衛部隊のロケットランチャー、重機関銃でハチの巣にされ、全く大口径火砲あるいはミサイルを煩わせる必要なく、AAV-7は海上で基本的に無力化される。もし幸運にして上陸しても、対戦車手段がなく、路上機動性で優勢を占めないAAV-7は結局「鉄の棺桶」になる。

また日本サイドはAAV-7の調達は「西南諸島の防御を強化」するためだと言明しているが、実際には島嶼は決してAAV-7のような装軌式車両には適さず、AAV-7の上陸に適する海岸を探し出すのはさらに難しい。日本の自衛隊は1つのまずい現実に直面せざるを得ない可能性が高い。すなわち、単価が戦車と比べてもさらに高いAAV-7なのに、戦時には用いるべき場に派遣できない、という現実である。


 まあこの種の比較的軽装甲の車両は圧倒的に優勢な支援の下でない限り多くの犠牲を払うことになる、というのは間違いないでしょうが、防衛省もそのくらいは分かってるはずですがね。










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