コルトM1895/1914機関銃

 今回はジョン・ブローニング設計による、アメリカ初の本格的機関銃とも言えるコルトM1895および改良型M1914に関するページの内容を紹介します。

柯爾特M1895/M1914机槍呈現


「ポテトディガー」 コルトM1895/1914機関銃登場

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃を左から見る。機関銃架に固定された弾薬箱、銃架後脚に簡単な座席が設けられていることに注意」)

これは世界初のガスオペレーション式作動原理を採用した機関銃である。射撃中、そのレバー式ピストンが絶えずバレル下方で前後に動くため、その様子から「ポテトディガー」と呼ばれた。この銃は採用後、当時のそれぞれの戦場において大いに力を見せつけた。これこそがコルトM1895機関銃に他ならない‥‥

初めてガスオペレーション式原理を採用した機関銃

コルトM1895機関銃はアメリカの天才銃器設計者ジョン モーゼス ブローニングによって設計され、世界初のガスオペレーション式作動原理を採用した機関銃である。この銃の発明につながるインスピレーションはブローニングのある狩猟での経験から得られたとされている。1889年秋、ブローニングはユタ州ソルトレイク付近の湿地に行って狩りをしていた。射撃時、マズルから噴出するガス流が草の葉を吹き動かす現象が彼に、火薬ガスのエネルギーを利用して給弾、薬莢引き出しなどの動作を完成させられることを意識するに至らせたのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「アメリカの1975年の映画「風とライオン」の劇中、有名な俳優ショーン コネリー演ずるアラブの大泥棒が手にコルトM1895機関銃を持って射撃しようとしている」 ってあんたこれどう見ても別人でしょう)

当初ブローニングは既存のライフルの改造を試み、続いてこの種の構想を機関銃に応用し、ガスオペレーション式機関銃の全く新しい概念を提出した。1890年3月、ブローニングはガスオペレーション式の概念を基礎に原型となる機関銃を設計し、当時のコルトパテントファイアーアームズ社に売った。

この機関銃の作動原理は次の通りである。マズルから約178mm(7インチ)離れたバレル下部にガス導入穴が開けられており、弾薬の撃発後、火薬ガスがガス導入穴をを経てバレル下方に位置するレバー式ピストン(その回転軸はバレル下方に固定されている)に激しく当たり、レバー式ピストンは後下方に170度スイングし、これとヒンジ結合されているピストン連結バーによってボルトの開鎖、後座が駆動される。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「イギリス製.303インチ口径を採用したコルトM1895機関銃」)

ボルトがいっぱいに後座すると、リコイルスプリングの作用下で前進、復帰する。この復帰過程で弾薬ベルトから引き出された新たな弾薬が弾薬を進めるための位置まで上昇し、チャンバーに押し込まれる。同時に前進、復帰の過程で弾薬輸送リングが弾薬ベルトを連動させながら弾薬1発分回転し、次の弾薬を弾薬輸送位置に進入させる。

ボルトが弾薬をチャンバーに押し込んで閉鎖した後、射手はトリガーを押しさえすれば薬莢引き抜き、投げ出し、弾薬のチャンバーへの押し込み、、ボルト閉鎖、ハンマーコック、弾薬撃発という過程が、弾薬が消耗され尽くす、あるいは射手がトリガーを緩めるまで循環往復する。

射撃過程でレバー式ピストンが絶え間なくバレル下において170度の角度で前後に動くため、その動きは当時使われていたジャガイモ採掘器のシャベルの動きに似ており、このためこの機関銃は「ポテトディガー」と呼ばれた。

アメリカ海軍は1893年にこの銃に対するテストを行った。1895年、この銃はコルト社によってさらに一歩最適化され、正式にコルトM1895機関銃と命名された。そして海軍のリー式6mm弾薬および陸軍のクラグ0.30-40インチ弾薬の2つのバージョンが相次いで登場、採用された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃を右から見たところ。画像の機関銃は第3種目の銃架を使用しており、装着完了後、バレルは地面から711mm離れる」 銃架のタイプ分けについては後で出てきます)

(頑住吉注:これより2ページ目)

M1985機関銃の戦績は光り輝く

海軍が最初に購入した50挺のM1895機関銃は1897年に引き渡された。1898年、海軍はこの銃をさらに150挺発注し、トライポッドと装輪式上陸架を配備し、海軍上陸部隊と海兵隊に支給し、使用した。その後発生した米西戦争では、M1895機関銃は強大な火力をはっきり示した。キューバのサンディエゴにおける戦役中、陸軍大佐テデイ ルーズベルトによって指揮されて陸軍部隊と海軍上陸部隊が共同作戦を行った。そこで海軍のM1895機関銃と陸軍のガトリング機関銃がカートヒルおよびサンファン山で共に発射音を響き渡らせたことがあった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1917年、アメリカ、ニュージャージー州の陸軍フォートディックス訓練基地で、兵士たちがどのようにコルト機関銃を使用し、敵の侵攻を制圧するか訓練しているところ」 第一次大戦中ですね)

M1895機関銃が米西戦争で大成功を収めた後、陸軍もコルト社から100挺購入したが、主にテストと訓練に用いられた。このバージョンの機関銃が陸軍のクラグ0.30-40インチ弾薬ではなく海軍のリー式6mm弾薬を採用していたため、陸軍と海軍は1898年に共同で一度調整会議を開催した。その趣旨は、陸海軍と海兵隊で採用する武器に標準化を進めることの提案だった。最終的に海軍はリー式6mm弾薬を放棄した。指摘しておく価値があるのは、陸海軍と海兵隊がいずれもM1895機関銃を使用したにもかかわらず、海軍のみが制式武器としたことである。さらに使用弾薬および改良に基づき、それぞれMk.I(リー式6mm弾薬仕様)、Mk.I Mod1(クラグ0.30-40インチ弾薬、0.30-30インチ弾薬、スプリングフィールド0.30-06インチ弾薬仕様)、Mk.III(すなわちM1914機関銃。0.30-06インチ口径を採用、バレル交換可能)と名付けた。海軍の注文生産とは異なり、陸軍は一般に現物を購入した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1898年、米西戦争中、アメリカ海軍のアイリーン号の艦上で兵士が海軍型コルトMk.I(M1895)機関銃を操作しているところ」)

コルト社は世界中で合計約25,000挺のM1985機関銃を販売した。アメリカの他、ロシア、ベルギー、カナダ、イギリス、中南米、ヨーロッパの大多数の国の軍隊が購入した。これにはリー式6mm弾薬、クラグ0.30-40インチ弾薬、スプリングフィールド0.30-06インチ弾薬、モーゼル7.65mm弾薬、ギリシャ6.5mm弾薬、メキシコ7mm弾薬、ロシア7.62mm弾薬、イギリス0.303インチ弾薬等多くの弾薬仕様が含まれていた。

南アフリカで勃発した「ボーア戦争」(1899〜1902)では、イギリス陸軍の中のカナダ系兵士はM1895機関銃を使用してボーア人に対抗した。メキシコ革命(1911〜1916年)戦争では交戦した双方がいずれもM1895機関銃を使用した。第一次大戦前、アメリカ海軍と海兵隊がカリブ地区の作戦行動に参与した中でも、大量のM1895機関銃が使用された。

1914年(頑住吉注:第一次大戦開戦の年)、本来のかさばって重い固定式バレルが容易に加熱してチャンバーが破裂したので、コルト社はM1895機関銃のバレルをリング状の放熱ミゾを持つ交換可能なバレルに改め、このバージョンは最終的にコルトM1914機関銃と命名された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「木製弾薬箱、機関銃携行用キャンバス製ケース(両端は革)、バレル取り外し専用工具、機関銃使用マニュアル、熱したバレルを交換するのに使う石綿製手袋」)

構造・アクセサリーを詳しく見る

M1895機関銃は全体重量15.9kg、トライポッドの重量27.2kg、銃全長1041mm、銃身長711mmである。空冷式バレルを採用し、木製弾薬箱により左側から250連弾薬ベルトによって給弾する。発射速度は毎分400〜450発で、フルオートオンリーである。ただし、射手はトリガーコントロールにより短いバースト射撃が行える。


コルトM1914機関銃の不完全分解

照準装置

M1895機関銃はオーソドックスなブレード状フロントサイトを採用しており、調節式リアサイトはスタンドフレーム式、目盛りは91.4m〜1828m(100〜1000ヤード)に分かれ、不使用時は折りたたんで倒しておき、破損を避けることができる。

M1914機関銃はガードが付属した楔形のフロントサイトを採用しており、調節式リアサイトはスタンドフレーム式のまま、目盛りもM1895機関銃と同じだった。ただし風による偏差の調整が行えた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1940年、ドイツ軍侵略の脅威にさらされた際、イギリスに居住するアメリカ人が自発的に組織を作り、機械化自衛団を成立させて自分の家族と家庭を防衛した。画像はこの自衛団のメンバーが、自ら購入したコルトM1914機関銃を使用して訓練を行っているところ」)

(頑住吉注:これより3ページ目)

弾薬ベルト

それぞれのM1895機関銃には23本のキャンバス製弾薬ベルトが配備され、それぞれの弾薬ベルトには250発の弾薬が装備できた。弾薬ベルトは専用の弾薬箱内に収められた。射撃時、弾薬箱は銃の左側に接近して置かれ、弾薬ベルト末端のキャンバスは真鍮片に包まれ、便利に進弾口に挿入できた。ブローニングが後に設計したM1917水冷式機関銃の弾薬ベルトとM1895機関銃の弾薬ベルトは似ているが、ベルト上に設けられている弾薬収納部分の間隔がやや異なる。このためブローニングM1917機関銃の弾薬ベルトをM1895/M1914機関銃に使用することはできるが、信頼性は高くない。素早く弾薬ベルトに装弾するのに便利なように、M1914機関銃専用にローダーも設計された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「バレル底部にガス導入穴が見える」)

弾薬箱

弾薬箱は主に弾薬をいっぱいにセットした250連弾薬ベルトを送り出すためのものである。外部の寸法は長さ330mm、幅105mm、高さ203mmである。その上部の蓋にはスライド式の設計が採用され(側面の板の内側に設置されたスライドミゾによって差し込み、また引いて開くことができる)(頑住吉注:前ページの画像参照)。後期の弾薬箱にはコットンの取っ手が設けられた。弾薬箱の内壁にはアマニ油が塗られ、外部表面にも油性塗料が塗られて、腐食を防いでいた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃のバレルにはリング状の放熱溝が設けられている。画像ではこの銃のシンボル的部品が見える。すなわちレバー式ピストンが下の位置にある。射撃中、レバー式ピストンは絶え間なく170度の角度で前後にスイングし、その動作が当時使用されていたジャガイモ掘削機のシャベルの動きに似ていた。このためこの銃はその外見から「ポテトディガー」と称された」)

銃架

M1895機関銃の銃架は主に2つの部分から構成されている。弧状の歯が付属した托架と固定の作用をする支持架である。托架はネジで支持架と連結され、一方機関銃は連結金具で托架とつながっている。托架にある弧状の歯とウォームギアがかみ合い、ウォームギア後端のハンドルを回すことでマズルの高低の調節が行える。マズルの高低の調整ができた後、支持架右側の高低固定ハンドルを締めれば托架を固定できる。支持架底部は回転軸構造であり、トライポッド上で360度水平に回転でき、すなわち銃が360度水平に旋回できる。旋回角度の調整ができた後、トライポッド右側の水平方向固定ハンドルを締めれば、支持架を固定できる(頑住吉注:要するに火砲のように遠距離の敵に放物線上の弾道で射撃し、着弾観測により微調整することができるわけで、有効射程が大きく伸びます)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃の機種名情報およびシリアルナンバーがレシーバー上部にある」)

トライポッド

M1895機関銃に配備されたトライポッドは全部で4種類あり、いずれも「前2後1」形式である。重量の差異を除き、構造上の差異は大きくない。

第1種めのトライポッドの脚は比較的短く、銃の搭載完了後、バレルは地面から457mmしか離れない高さになる。このトライポッドの後脚には上下に可動の木製支持板があり、プローン射撃時の射手にひじ、あるいは腕の支えを提供する。

第2種めのトライポッドは第1種目と似ているが、支持板が設置されておらず、脚がやや長い。搭載後バレルは地面から559mmの距離になる。

第3種めのトライポッドの脚はさらに長く、搭載後バレルは地面から711mmの距離になる。また後脚には射手が坐って射撃できる簡単な座席が設けられている(頑住吉注:1ページ目の最後の画像がこれだというわけです)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「カナダ第6期コルト機関銃将校訓練班。この期の将校は全部で22名で、使用する機関銃はコルトM1914機関銃である。この写真は1915年にカナダのオタワ、ロックリーブ地区射撃場で撮影された」)

(頑住吉注:これより4ページ目)

第4種めのトライポッドの脚は最長で、搭載後バレルは地面から965mmの距離になる。後脚には同様に簡単な座席が設けられている。

これら4種のトライポッドの脚にはいずれも縛って固定するための革ベルトなどの固定装置がなく、設置時あるいは輸送時、トライポッドの脚はいずれも自由に動き、これを固定するにはオプションのベルトが必要になる。


コルトM1914機関銃を後ろから見たところ。画像で銃架の構成が分かる。これとは別に画像中の立てられたリアサイトの最大の目盛が2010m(2200ヤード)であることに注意

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃専用に設計された弾薬ベルトのローダー」)

搭載された小型装輪式上陸車

小型装輪式上陸車は主にアメリカ海軍および海兵隊に装備され、上陸作戦中敏速に機動してM1895機関銃および弾薬を運ぶのに便利だった。この上陸車の車輪は木製で、陸上での機動では人力で押すことができ、家畜や自動車で引くこともできた。車上には搭載される機関銃の他、機関銃の前後にそれぞれ2組の弾薬キャビネットが設けられ、全部で8つの弾薬箱が収納できた。弾薬キャビネットは金具で車上に固定され、いずれも着脱できた。このうち、前の弾薬キャビネットには2つの寝かせて置いた弾薬箱が収納でき、後ろの弾薬キャビネット6つの立てて置いた弾薬箱が収納できた。後ろの弾薬キャビネットの中間にはさらに2つの隙間が設けられ、それぞれ常用される備品とクリーニングロッドが入っていた。上陸車に配備される弾薬箱は普通の弾薬箱より小さく、機関銃の口径によって2本の120連弾薬ベルトあるいは1本の240連弾薬ベルトが収納できた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「アメリカ海軍と海兵隊が採用した小型装輪式上陸車。上陸車にはコルトM1914機関銃が搭載される他、前後2つの弾薬キャビネットが設けられ、全部で8つの弾薬箱が収納できた。画像は上陸車を後ろからみた図で、後ろの弾薬キャビネットに6つの縦置きの弾薬箱が収納されているのが見える。また弾薬キャビネットの中間に2つの隙間が設けられ、備品を置くようになっているのも分かる。」)

その地位は並みのものではない

機関銃の初期の研究開発の先駆として、コルトM1895/M1914機関銃は機関銃発展史上において重要な地位を占め、後続のガスオペレーション式自動火器の発展のための基礎をうち立てた。第一号の実用的ガスオペレーション式機関銃として、この銃は初期の戦場において自身の出色の価値を証明した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「コルトM1914機関銃を搭載した小型上陸車を前から見た写真。前の弾薬キャビネットが見えるが、これには2つの寝かせて置いた弾薬箱が収納できた。」)


 この銃はまあブローニングが最初に作ったオートピストル(バレルのかなり前方上面にガス穴があって、弾丸がここを通過するとロックが跳ね上げられて解除される)に相当する、後の製品群とは大きく異なる試験的な構造のものが量産されてしまった感じの異色の機関銃ですが、大きな欠点はなく、当時としては非常に有用だったようです。第二次大戦末期、ドイツで第一次大戦時代の旧式で鈍重な水冷式マキシム機関銃が引っ張り出されたのは有名ですが、ドイツの上陸作戦の危険が高まったイギリスでこの銃が引っ張り出されたというのは知りませんでした。西部劇に機関銃が登場することがありますが、これを使えばぐっと説得力が増すんですけどね。
















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