ビラー・ペロサM1915

 この銃に関しては「元祖サブマシンガン? Villar Perosa」、「オーストリア・ハンガリー帝国で使用されたVillar Perosa」、「フィアットM18双連サブマシンガン」と派生型も含め3回も紹介してきているので今回が4回目となり、「知識の断片」コーナーで同じ銃を取り上げる回数として最多かもしれません。まあ興味をそそられる変な銃ですよね。今回紹介するのはD-Boy氏のサイト「槍砲世界」の中のページですが、どういうわけか最近特に不安定で表示されないことが多くなっている感じです。非常に貴重な画像がたくさんあるので、表示されたら保存しておくことをお勧めします。

http://ww2.gun-world.net/italy/vp1915/vp1915.htm


ビラー・ペロサMod.1915

サブマシンガン? それとも軽機関銃?


口径:9mmグリセンティ

マキシムが後座力を利用して自動循環を完成させる機関銃を発明して以後、一定程度戦争に革命がもたらされた。機関銃の密集した火力という長所、およびその重くて歩兵に随伴して侵攻するのに不便だという短所は、交戦する双方いずれも塹壕深くに足止めされて前進できなくさせ、いかなる侵攻行動も必ず機関銃がもたらす甚大で恐ろしい死傷を覚悟せねばならなくなった。塹壕戦の膠着した局面を打破するためには、単一の兵が携帯できる軽機関銃を研究開発することが一つの発展方向だった。デンマークのマドセン機関銃は比較的成功した例で、1905年における日露戦争で初めて使用されたが、その数は多くなく、しかも行進中に射撃するのは依然難しかった。

現在では我々は皆、塹壕戦ではサブマシンガンがバヨネットより有効であることを知っているが、第一次世界大戦が1914年8月に勃発した時、サブマシンガンというものはまだこの世に存在しなかった。

1915年5月23日になって、イタリアは協商国側に加入してオーストリア・ハンガリー帝国に対し宣戦した。アルプス山脈のCarnicおよびJulian地区の山岳地帯は理想的防御環境を提供し、その結果イタリア軍の兵力がオーストリア軍よりはるかに勝っていたにもかかわらず、地形的に防御一辺倒のオーストリア軍が有利だった。この年の6月から12月までの、一連の全く実りのない侵攻行動の中で、イタリア軍の損失は2万7千800人を超えた(頑住吉注:それはただイタリア軍が極端に弱かっただけなのでは)。当時のイタリア人は、もし単一の兵で携帯し発射できる軽機関銃がありさえすれば良いのに、と思い至った。そこで単一の兵で携帯でき、拳銃弾薬を使用する「サブマシンガン」が1915年末(12月頃)、イタリア軍によって採用された。これこそがビラー・ペロサ(Viller Perosa)Mod.1915であり、あるいは「V.P.」と略称された。

ビラー・ペロサ「サブマシンガン」はイタリアの小火器設計者Abiel Betel Revelliによって設計された。彼はそれ以前の1908年に、やはり遅延後座式原理を採用した機関銃を設計しており、後にイタリア軍によって大量に使用され、Revelli Mod.1914機関銃と命名された(頑住吉注: http://en.wikipedia.org/wiki/Fiat-Revelli_Modello_1914 )。この銃はフィアット(FIAT)社によって生産されたため、普通フィアット機関銃あるいはRevelli機関銃と呼ばれる。

この銃はRevelliが設計したビラー・ペロサMod.1915と同様にやはり遅延後座式機関銃であるが、その真正な前身はS.I.A.機関銃である(頑住吉注: http://en.valka.cz/viewtopic.php/t/32654 )。これは無名なSocieta Anonima Italiana G. Ansaldo,Armstrong & Company社が第一次大戦勃発数年前に設計したもので、遅延後座式原理を採用し、バレルは空冷でレシーバー前端に固定され、マガジンはレシーバーの上にあって上から下へと給弾した。一方Revelli Mod.1914機関銃はボルト閉鎖ブロックがバレルのスイングくさび鉄に支持され、バレルは水冷で、レシーバー左側にはネズミ捕りカゴ式マガジンがあって、マガジン内は10に区分され、それぞれに5発が装填された(頑住吉注:ホッパー式という奴でしょうか)。

あらゆる遅延後座式原理同様、S.I.A.機関銃にも薬莢引き抜き困難の問題があった。当時、多くの遅延後座式原理を使用したイタリアの機関銃は、オイルでチャンバーを潤滑して薬莢切れを防止していた。チャンバー潤滑の概念はドイツ人のAndreas Wilhelm Schwarzloseによって発明された。彼は1900年頃に遅延後座式原理の機関銃を設計したが、この種の方式はあまり信頼性が高くないだけでなく、長期にわたってこすられることで生じる油の汚れも作動不良をもたらす可能性があった。Revelli Mod.1914機関銃はレシーバー内に小さなオイルポンプがあり、絶え間なく弾薬がチャンバーに入る前に自動的に薬莢を潤滑した。だがこのようにしたとしても、Revelli Mod.1914機関銃にはやはりしょっちゅう作動不良や薬莢切れが起こった。この他一部の臆病な射手は射撃時の強烈な後座感も恐れた。この銃のスコップ型グリップの前に後座緩衝器があったにもかかわらずである。第一次大戦期、多くの信心深いイタリア兵は早朝と夕方の礼拝の時に祈ったという。「Our Father which art in Heaven:Give us a Maxim gun!」 このお祈りの文句の意味は、「神様! 我らにマキシム機関銃をお与えください!」である。

フィアット社の後の社長Giovanni Agnelliはチャンバー潤滑の方法を放棄し、チャンバー内に縦方向のミゾを切ることでこの問題を解決するよう改めた。その原理は少量の火薬ガスをチャンバーに導き、薬莢をチャンバー内で「フローティング」状態にさせ、これにより薬莢引き抜きの阻力が小さくなり、薬莢がチャンバーに貼り付くことが避けられる、というものである。彼はこの件に関するパテントを申請し、後の銃器設計に広く応用された。後に著名なHK G3小銃も同様にこの種のミゾを持つチャンバーの設計を採用した。だがAgnelliの設計とパテントは第一次大戦の少し前にAnsaldo社によって接収、管理され、S.I.A.機関銃は1920年代になってやっと実用的武器に発展した。しかもきわめて少数のS.I.A.機関銃がイタリア軍によって訓練用として購入されただけだった。数量がきわめて少なかったため、S.I.A.機関銃は現在極端にレアになっている。

Revelliが設計したビラー・ペロサMod.1915はRevelli Mod.1914とは全く異なっており、AgnelliのS.I.A.機関銃の縮小型のようだった。同じように固定された空冷バレル、上方からの給弾を採用し、作動原理は遅延後座式で、ボルトの重量は比較的大きく、オープンボルト発射準備方式を採用していた。RevelliはS.I.A.機関銃の設計に関与したことはないので、ビラー・ペロサMod.1915は実はS.I.A.機関銃の盗作品であると考える人もいる。

現在我々は皆ビラー・ペロサMod.1915は世界初のサブマシンガンである(一方ドイツのMP18に対する定義付けは世界初の「実用」的サブマシンガンである)と言うが、これはこの銃が初のフルオート方式で拳銃弾薬を発射する全自動軽火器だからである。ただし実際にはビラー・ペロサMod.1915の設計は軽機関銃として使うためのものだった。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「もし銃本体だけを見たら、これの大小を判断しにくい。バイポッド付きの写真を見ると、あなたはこの軽機関銃が大きいと感じる錯覚を起こすかもしれない。」 続いて2枚目「しかし成人と比較すれば、あなたはこの「軽機関銃」が機関銃とは違って間違いなく小さいことに気付くだろう。ただしこの唯一可能な射撃姿勢も、我々が現在良く知っている「サブマシンガンとは違い、本当の「機関銃の子供」(Submachine gun)である。」 続いて3枚目「操作マニュアルに載っている射撃姿勢の1つ。」やけにマンガチックですし、兵隊が全然強そうにも勇敢そうにも見えないんですが。 続いて4枚目「防盾の後ろに装着するのはビラー・ペロサの1つの典型的使用法である。これはこの銃の設計の出発点がやはり「機関銃」であることを物語っている。」 続く5、6枚目はキャプションなし 続いて7枚目「木製ストック上に装着しての使用。珍しいテスト型。このような考慮をしてこそ「サブマシンガン」である。」滅茶苦茶に使いにくそうですが‥‥。 続いて8枚目「防盾は装備していないが、やはり軽機関銃として使用されるビラー・ペロサ。」 )

ビラー・ペロサMod.1915「サブマシンガン」は実際には2挺の銃を左右に連結して組み合わせてできており、この2挺にはそれぞれスコップ型グリップとプッシュボタン式トリガーががある。ビラー・ペロサは非常に短く、全長は21インチしかないが、2つのフル装填した25連マガジンを装着すると全体重量は約16ポンドになる。ただしその全体設計はむしろ重機関銃のようで、軽便な突撃武器ではない。地上用のビラー・ペロサMod.1915にはバイポッドが装備され、さらに一部の機関銃には四角い防盾が装備された。

ビラー・ペロサMod.1915の作動原理と機能は完全にS.I.A.機関銃にならっており、弾薬の撃発前にやっと完全にチャンバーが閉鎖される。後の大多数のサブマシンガンの設計は重量の大きなボルトとオープンボルト発射準備方式を採用し、弾薬の威力が大きすぎさえなければ迷わずストレートブローバックを採用し、ボルトの重量を利用して慣性閉鎖を実現した。一方ビラー・ペロサMod.1915のボルトは重いものの、慣性閉鎖には頼らず、チューブ状のレシーバー内表面の斜めの閉鎖ミゾとボルトの遅延突起によって、「ブリッシュプリンシプル」の基礎上に開鎖の時間を遅延している。ブリッシュ(John Bell Blish)はアメリカ海軍将校で、彼は艦砲の発射過程を観察している時に、強装薬のチャンバー閉鎖機構は軽装薬の場合と比べて開きにくいことに気付き、金属の表面の間には、強力な圧力を受けた時、摩擦力より大きな粘着性が生じる、と結論を出した。このためこの特性をブリッシュプリンシプルと呼ぶ(頑住吉注: http://en.wikipedia.org/wiki/Blish_lock USパテント取得は1915年3月です)。

ビラー・ペロサMod.1915の作動原理は次のようなものである。トリガーを押すとボルトが前進し、ボルトの遅延突起(11)はレシーバー表面のストレートのミゾ内(12)にはまった状態で進み、閉鎖ミゾ(13)の閉鎖斜面と遅延突起の前端の斜面が作用して、ボルト(10)を発射前に時計方向に15度回転させ、この時ボルトは依然前進している。ファイアリングピン(14)が弾薬のプライマーを打撃し、弾薬に点火して最大圧力に達した後、遅延突起は反時計方向の回転を迫られ、後方に向かって閉鎖ミゾから抜け出し、ボルトを回転させる。一方ファイアリングピン後面の突起(15)はストレートのミゾの作用下にあり、ファイアリングピンをボルトと共に回転させないようになっている。余った火薬ガスの圧力は空薬莢とボルトを共に押し動かして後座させ、リコイルスプリング(16)を圧縮する。スプリング性のあるスチールで作られたエジェクター(21)は、エキストラクター(23)によって引き抜かれた空薬莢をレシーバーの外へ下に向かって投げ出す。もしトリガーが依然押されていれば、ボルトは再度前進し、次の1発の弾薬をチャンバーに押し込み、上述の作動が繰り返し行われる。



一般にビラー・ペロサMod.1915の高すぎる発射速度(シングルバレルでも毎分1,000発を超え、銃全体の発射速度は毎分2,500〜3,000発に達する)はボルトの重量が不充分なのと設計上の遅延時間が不足しているためだと思われている。実際にはビラー・ペロサの発射速度が高すぎる真の原因はボルトのストロークが短すぎ、約40mmしか後座しないためである。ほとんどあらゆる自動拳銃はもしフルオート機構を加えると毎分1,000発を超える高い発射速度に達する。これはまさにスライド/ボルトのストロークが短すぎるためである。設計においては1つの経験則がある。これはすなわちボルトのストロークを倍にすれば、発射速度を半分程度に落とせる、というものである。例えばフィンランドのスオミM31サブマシンガンのボルトストロークは80mm(ビラー・ペロサMod.1915の2倍)であり、この銃の発射速度は毎分800〜1,000発である。また例えばウージーサブマシンガンにはいくつもの型があるが、標準型のボルトストロークは最長で、発射速度は毎分600発である。一方最小のマイクロウージーのボルトストロークは半分に短縮されており、その発射速度は毎分1,200発に達する。アメリカのフルオート火器を持つ一部の民間人は、マイクロウージーはマーケットに比較的数が少ないため、高い発射速度で弾丸をスプレーする快感を味わうため(発射速度が遅ければより命中精度は高くなるのだが)、標準型ウージーのリコイルスプリングの後ろにインサートを入れてボルトストロークを短縮している。当然、ボルト重量の増大やリコイルスプリングのテンションアップ、あるいはバッファーの追加はいずれもさらに一歩発射速度を低下させられる(頑住吉注:リコイルスプリングの強化は発射速度のアップにつながる例も多いようですが)。

ビラー・ペロサMod.1915はダブルカアラムダブルフィードマガジンを採用し、装填は容易である。後に他国がビラー・ペロサMod.1915の特徴を真似てサブマシンガンを研究開発した時、この設計を真似なかった。例えばドイツのMP28、イギリスのステンなど多くの国のサブマシンガンがダブルカアラムシングルフィードマガジンを採用した。このためマガジンへの装填は辛い作業となった。だがビラー・ペロサにはセレクターはなく、フルオート射撃しかできず、一方25連マガジンは毎分2,000発の発射速度からすれば長時間持続できず、2秒もせずにマガジンは撃ち尽くされた。

イタリア軍が装備したビラー・ペロサMod.1915は口径9mmだがヨーロッパのサブマシンガンで流行した9mmパラべラム口径ではなく、威力がより小さい9mmグリセンティ(Glisenti)口径であり、9mmx19ではあるがその初速は約300m/sしかなかった。

実はビラー・ペロサMod.1915の設計上の用途の一つは偵察機の偵察員の旋回機銃用だった。これはまさに何故Revelliがこの銃の発射速度をこんなにも速く設計したか、また連結構造を採用して発射速度を倍に高めたかの原因である。ただし9mmグリセンティ弾薬の威力はこの方面の要求を全く満足させられなかった。第一次大戦後期の航空機はすでに早期のような脆弱なものではなくなっており、この時期の航空機を破壊したければ小銃弾でもまだダメで、やはり威力の大きい炸裂弾、焼夷弾、徹甲弾を混用するのが最も良かった。例えばオーストアリアのパイロットはイタリアのパイロットとの戦闘において威力の大きい炸裂弾を好んだ。

ビラー・ペロサMod.1915「サブマシンガン」を地上で使用する時はさらに「真正」な軽機関銃のようにバイポッドを使うことが必須だった。ただし前述のようにアルプス山脈の地形は単一の兵で携帯し、小銃弾を発射できる軽機関銃を必要とさせ、一方可憐な9mmグリセンティ拳銃弾を発射するビラー・ペロサMod.1915はどうやっても軽機関銃の任務を担うことはできなかった。この銃の理論上の射程は800mだったが、実際には100m前後でしかなかった。

イタリア人が最終的にビラー・ペロサMod.1915が機関銃の任務を担当するには不適合だと認識するに至るまでには、すでに長い時間が過ぎていた。ビラー・ペロサは携帯に便利で、後座力が低く、発射速度が非常に速いので、このことはこの銃を突撃武器としての使用により適したものにした。しかし後世の「真正」サブマシンガンと比べると、ビラー・ペロサ「サブマシンガン」の外形、構造では肩当て射撃も腰だめ射撃もきわめて難しく、しかもこの種の「サブマシンガン」はさらにもう一人の弾薬手が射手の後ろにぴったり付き添い、弾薬を背負いマガジンを交換して補助することが必須であり、実際のところ射撃は不便だった。

ビラー・ペロサ軽機関銃は構造や弾薬の制限ゆえに成功した武器とは見なせないが、この銃はより有効な武器に基礎を提供した。後にイタリア人はO.V.P.という名の武器を研究開発した。これはすなわちシングルバレルに改めた真正のビラー・ペロサ「サブマシンガン」だった。だが長さに関して言えば、実はこの銃はライフルのようだったし、O.V.P.は依然上部のマガジンと本来の遅延式ボルトを採用していた。だがビラー・ペロサは火力支援の任務を担当して1918年までずっと使用された。ピエトロ ベレッタ社がこの年の秋にM1918サブマシンガンを登場させるまで(頑住吉注: http://world.guns.ru/smg/it/beretta-m191-e.html )。ベレッタM1918サブマシンガンは依然としてAgnelliの遅延後座式ボルトと上方給弾方式にならっており、ビラー・ペロサの腹違いの弟と考えられる。その他の一部の国もビラー・ペロサに啓発され、拳銃弾を発射し、オープンボルトで、フルロックでない重いボルト等の特徴を備えた真正のサブマシンガンを研究開発した。その中の一部の早期の試作品はビラー・ペロサの構造、原理を直接コピーしてさえいた。

この他の一部の国もビラー・ペロサ軽機関銃をテストしたことがある。一部のヨーロッパの国は9mmパラべラム口径のビラー・ペロサ軽機関銃を発注してテストしたことがあるし、一方イギリスは.455口径のビラー・ペロサをテストしたことがある。またカナダのトロントでも1917〜1918年に少数のビラー・ペロサが生産されたことがあると言われる。興味深いのは、ハリウッド映画「インディジョーンズ・最後の聖戦」に、複葉機の後部座席に取り付けられたビラー・ペロサ軽機関銃が登場することだ。有名な俳優ショーン コネリー演ずる考古学者が劇中この機関銃を使って自分の乗る飛行機の尾翼を撃ち落としてしまう。私は最初そのストレートマガジンの特徴ゆえに、2挺のオーストラリア製オーウェンサブマシンガンを使って改造したステージガンがビラー・ペロサの役を演じたと誤解した。だが後になってやっと、実は真正の珍しい.455口径ビラー・ペロサ「サブマシンガン」だと知った。

銃全長 53p
マガジン容量 25連×2
射程 120m
理論上の発射速度 毎分1200発×2
重量 6・49s

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。1、2枚目キャプションなし。3枚目「ビラー・ペロサのシングルバレル型、O.V.P.」 4枚目キャプションなし。5枚目「ベレッタM1918サブマシンガン」。6枚目「俯瞰で見たビラー・ペロサ」。7枚目「後ろから見たビラー・ペロサ。マガジン後面には残弾数が見えるスリットが開けられている」。8枚目「イギリスがテストした455口径のビラー・ペロサ。ストレートマガジンを採用している」。9枚目「地上で使用する時はバイポッドの取り付けが必須」。10枚目「航空銃架上に装備されたビラー・ペロサの展示品」。11枚目からしばらくキャプションなし。「インディジョーンズ・最後の聖戦」関連の画像のキャプション「映画『インディジョーンズ・最後の聖戦』の中の.455口径のビラー・ペロサ機関銃。表面がやや改造されて外観が変わっている。例えばバレルに放熱口のあるジャケットがかぶせられ、エジェクションポート下方に薬莢収集袋が加えられている」。次の画像のキャプション「これは映画の小道具会社がビラー・ペロサを使って改造した『サブマシンガン』で、本当の手持ち型ビラー・ペロサではない。フォアグリップはブレン機関銃から取ったキャリングハンドルで、グリップと発射機構ベースはMG42機関銃から取ったもの」。次の画像のキャプション「スイスのベルン機関銃の設計はビラー・ペロサと似ており、やはり連結バレルを採用しているが、異なる作動機構を採用しており、またグリップとストックがあって、肩当てで無依託射撃ができる」)


 本題と関係ないですが「Giovanni Agnelli」という人、私自動車に興味がないんで全然知りませんでしたが、日本語版Wikipediaにも項目がある有名な人らしいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA

 大金持ちの家に生まれて華やかな人生を送った人ですが、才能があったのは間違いないらしく、専門ではない銃器の分野で後々まで影響を与える大きな発明をしていたわけです。まあひょっとしたら彼自身が考え付いたわけではないのかもしれないという気もしますが。またこれも本題と関係ないですが、シュワルツローゼがチャンバー自動潤滑機構を発明していたというのも知りませんでした。

 まさかこの銃のボルトストロークが40mmしかないとは思いませんでした。これではポケットピストル並みです。パテント図面を見ると全長を長くしない限り大きくストロークを増やすこともできなさそうです。

 「インディジョーンズ・最後の聖戦」に登場したのが本物のレアな.455バージョンというのは本当なんでしょうか。本物なら博物館クラスの貴重なものでしょうし、それに手を加えるということが有り得るのか、ちょっと疑問です。ビラー・ペロサを改造したまたステージガンも、ベースがこの銃には見えないんですが。

















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