Veselyサブマシンガン

 今回も第二次大戦期に少数作られたマイナーなサブマシンガンに関するページの内容の紹介です。

弾匣独特的英国維塞利系列沖鋒槍


マガジンが独特なイギリスのVesely系列サブマシンガン

(頑住吉注:原ページには最初に、この銃の左右側面画像があり、次のようなキャプションがあります「V42サブマシンガン試作型。第二次大戦前に英国に派遣されていた旧チェコスロバキアの設計師Joseph Veselyによって自費で研究開発された」)

イギリス軍が第二次大戦初期に選定、使用したサブマシンガンは主にステンサブマシンガンとランチェスターサブマシンガン(頑住吉注:ドイツ製MP28のコピー)だった。だが選定の期間にはさらに数機種のその他のサブマシンガンが試作された。チェコの小火器設計の大家によって設計され、独特のマガジンを採用したVesely系列サブマシンガンはまさにこの中の1つであった‥‥。

(頑住吉注:原ページにはここにこの銃の断面図があります。キャプションです。「V40サブマシンガンの設計図面。マガジンの具体的構造が見て取れる」)

チェコの大家による設計に由来する

第二次大戦開戦前夜、イギリスは旧チェコスロバキアが設計、研究開発した機関銃を採用し(例えばイギリス軍が第二次大戦中に装備したブレン軽機関銃)、イギリス本土での生産を決定した。これらの武器の生産に協力するため、旧チェコスロバキアは武器設計師Joseph Veselyをイギリスに派遣した。

1939年、ドイツは旧チェコスロバキアに侵略、占領し、イギリスに派遣されていたJoseph Veselyはイギリスに留まることを余儀なくされた。機関銃の生産が軌道に乗った後、Veselyはただちに当時イギリス軍の中で比較的に穴となっていたサブマシンガンの設計に着手した。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「レシーバー右面の特写。給弾切り替えバーはマガジンハウジング右側上方の突出部に収納されている」)

Veselyは1940年、短い時間しか費やさずに新型サブマシンガンの設計図面を完成させ、Vesely V40サブマシンガンと命名した。その中の「V」は設計師Veselyの英語綴りの頭文字、「40」は1940年に設計が完成したことを意味していた。1940年8月、V40サブマシンガンの設計図面はイギリス軍需委員会に提出され、イギリス軍サブマシンガン選定試験への参加が準備された。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「レシーバー左面の特写。マガジンハウジング左側に刻印があるのが見え、この銃の機種名と口径が表示されている」 マニアならご存知の方が多いでしょうが、当時イギリスはサブマシンガンではなくマシンカービンという名称を使用していました)

この時イギリスの軍需委員会はまさにステンサブマシンガンとランチェスターサブマシンガンの設計、開発を全力で推進しているところであり、その他のサブマシンガンのことを考える暇がなかった。しかも当時イギリスはずっとドイツの脅威下にあったため、戦時の限られた資源を有効利用することが必須だった。このような状況下で、イギリス軍需委員会は数機種の重点開発されるべき武器を選定するしかなかった。その他の多くの設計は当然延期となり、その中には他ならぬV40サブマシンガンも含まれていた。イギリスの軍官はひたすら傲慢で、敗戦国の武器設計師をいささか軽蔑しており、このためVeselyの設計はイギリス軍需委員会の眼中になかったのだ、とも言われている。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「コッキングハンドルはレシーバー右側に装備されている。コッキングハンドルは比較的長く、やや上に湾曲し、先端部は球形で、比較的操作が容易である」)

(頑住吉注:これより2ページ目)

設計師による自費開発、試作型

V40サブマシンガンの設計はイギリスの軍需委員会によって急ぎでないもののリストに組み入れられたが、Vesely本人は決してあきらめることはなく、自分で費用を負担してVP40サブマシンガンの試作型を生産することを決めた。この時Veselyは、イギリス軍需委員会に対し本当に射撃できる武器を提出することができれば、単に設計図面だけを提出するよりも彼らの興味を引き出すことができると考えたのである。

V40サブマシンガン試作型の製作はバーミンガム武器社(BSA)が引き受けた。そして1942年にサンプル銃が生産され、Vesely V42サブマシンガン試作型と命名された。「42」はすなわち1942に設計が完成したことを意味している。V42サブマシンガン試作型は、V40サブマシンガンの設計から基本的に大きな変化はなく、一部の部品に改良が加えられただけである。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「セレクターは発射機構ベースの左側、トリガーガード前方に位置する。3つの位置があり、前方がフルオートモード(A)、中間がセーフティモード(S)、後方がセミオートモード(R)である。画像のセレクターはセーフティ位置にある」)

V42サブマシンガン試作型はストレートブローバックの作動原理を採用し、9mmx19パラベラム拳銃弾薬を使用した。当時のステンサブマシンガンおよびランチェスターサブマシンガンが使用する弾薬と同じであり、後方勤務保障に便利であった。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「マガジンリップ部のバー状部品は給弾切り替えバーの動きと連動し、前後のマガジンの給弾切り替えを行う)

独自のマガジン

この銃の最も独特な所はマガジンの設計にある。そのマガジンの内部は1枚の垂直なパーテーションで前後2つの部分に分けられている。それぞれの部分はいずれもマガジンスプリングとフォーロワによって1つの独立したマガジンを形成している。前のマガジンは31発、後ろのマガジンは29発の弾薬を装填でき、合わせて60発の弾薬が装填できる。前後のマガジンをフル装填にした後、マガジンをマガジンハウジングに挿入すると、マガジンハウジング右側上方の給弾切り替えバーが自動的に後ろのマガジン内の弾薬を抑え、武器に前のマガジン内の弾薬を先に発射させるようにする。前のマガジン内の弾薬を全部発射し終わりさえすれば、給弾切り替えバーは後ろのマガジン内の弾薬を解放し、その最も上の弾薬を上昇させ、給弾位置に置く。武器は後ろのマガジン内の弾薬を発射し始める。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「バレルジャケットには多くの通気口があり、放熱にも有利だし、銃全体の重量軽減にも有利である」)

このマガジンはダブルカアラムマガジンを縦に並べたようなものなので、前後幅が比較的大きく、またこれに対応して銃本体のマガジンハウジングの縦方向の寸法も比較的長い。マガジンキャッチはマガジンハウジングの後部に設置され、比較的幅が大きく、操作に便利である。マガジンハウジング左側には刻印があり、この銃の機種名と口径が表示されている。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「マガジンの前後幅が比較的大きいため、マガジンハウジングの縦方向の寸法も比較的大きい。比較的大きなマガジンキャッチがマガジンハウジング後部に設置され、操作が比較的便利であることも見て取れる」)

(頑住吉注:これより3ページ目)

他の特徴 マズル部にバヨネットを装着

V42サブマシンガン試作型のその他の独特なところは、マズル部にバヨネットを装着することである。サブマシンガンにバヨネットを装着するのは比較的珍しい。V42サブマシンガン試作型はおそらく例外的存在である。そのバヨネットは断面が三角型で、後端にはジャケット部が設けてある。このジャケット部をマズルにかぶせ、バヨネット固定ハンドルを締めれば、即バヨネットをマズル部に固定できる。バヨネットを使わない時はバヨネットを外し、前後逆にフロントサイトベース下方の穴の中に挿入する。この時バヨネット後端のジャケット部がちょうどマズル部にかぶさり、その後バヨネット固定ハンドルを締めれば、バヨネットは強固に収納される。バヨネット収納後、バヨネットはフロントサイトベース、バレルと渾然一体となり、もし注意深く見分けようとしなければ、付属品が1つ多いことに気付くことは難しい。設計者の設計時における意図が見て取れる。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「バヨネット収納状態。フロントサイトベース、バレルと渾然一体である」)

その他の構造

V42サブマシンガン試作型は円筒形のレシーバーを採用し、比較的加工しやすい。バレル外側にはバレルジャケットが追加され、バレルジャケットには多くの通気口が設けてある。放熱にも便利だし、銃全体の重量軽減にも有利である。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「断面三角型のバヨネットがマズル部に追加装備されている」)

コッキングハンドルはレシーバーの右側に装備され、その外形は比較的長く、やや上向きに湾曲している。先端部は球状で、比較的操作が容易である。レシーバー前部左側には小さな穴があり、ボルトが前方位置にある時、コッキングハンドルを左に押すことができる。するとその左端がレシーバー左側の小さな穴にはまり、したがってボルトは前方で固定され、安全が確保される。この設計はステンサブマシンガンと同じである。エジェクションポートはレシーバー右側に設けられている。セレクターレバーは発射機構ベースの左側、トリガーガード前方に位置し、3つの位置がある。前部がフルオートモード、中間がセーフティモード、後方がセミオートモードである。それぞれA、S、Rの3つの頭文字が表示され、異なる発射モードを表している。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「調節式リアサイトは折りたたみ式で、全部で3つのリアサイトがある。それぞれ100ヤード(91.4m)、200ヤード、300ヤードの射程距離に対応している。それぞれのリアサイト上には対応する距離の数字が刻印されている。

ブレード状フロントサイトは比較的高いフロントサイトベース上に装備されている。左右両側には大型のフロントサイトガードが設けてあり、フロントサイトの変形や損傷を防止している。調節式リアサイトは折りたたみ式で、全部で3つのリアサイトがある。それぞれ100ヤード(91.4m)、200ヤード、300ヤードの射程距離に対応している。それぞれのリアサイト上にはいずれも対応する距離の数字が刻印されている。使用が必要な時は、その距離に対応するリアサイトを直立させれば即OKである。不使用時はリアサイトは折りたたみ、大型のリアサイトベース内に収納する(頑住吉注:折りたたみ式というより、横から見て十文字で4枚のリアサイトがあるようなデザインから1枚を切り取ったような形で、不使用時はリアサイトが存在しない面を上にすれば損傷が避けられる、ということのようです)。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「レシーバー前部左側には小さな穴があり、コッキングハンドルがここにはまってボルトを前方位置に固定できる」)

海軍に気に入られ、資金援助を受ける

Veselyの情熱と金銭は無駄にはならず、ついに軍の関心を引いた。1942年10月、イギリス武器調査部はV42サブマシンガン試作型をイギリス軍需委員会に送った。イギリス軍需委員会はV42サブマシンガン試作型を見て非常に驚き、1942年11月12日に、ロイヤルエンフィールド兵器工場で「この銃に対するテストを行うことをただちに決定した。テストは多くの指標を含み、例えば射撃作動テスト、命中精度テスト、耐久性テスト等々であった。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「V43パラトルーパー型サブマシンガンのバレルとレシーバーの間には断隔螺(頑住吉注:ごめんなさい、日本語で何て言うのか知りませんが、画像を見た方が分かりやすいはずです。火砲の閉鎖器にも使われる奴ですね)による連結が採用され、バレルジャケットを握って1/3回転させるだけで、即バレルとバレルジャケットがレシーバーから取り外せる」)

(頑住吉注:これより4ページ目)

テストの責任を負った小火器検査部長官はテストのたった6日後、すなわち1942年11月18日にイギリス軍需委員会にこの銃に関係する評価報告を提出した。内容はおよそ以下の通りである。

Vesely V42サブマシンガン試作型の加工、製造は良好であり、かつマガジンの設計は非常に興味深く、装弾数が比較的多い。このマガジンの通常テストの中でのパフォーマンスは良好だった。ただし砂埃や泥土の中で射撃を行った時は故障があった。この他、この銃の発射速度は比較的早く、毎分1000発以上に達する。もしこの銃のボルトの重量を増大した場合、発射速度を下げられることを望む。

イギリス陸軍はV42サブマシンガン試作型の評価報告に接した後、この銃の装弾数が多いことは長所だと認めたものの、この銃を当時すでに大量生産が開始されていたステンと比べるのは無理だと考えた。当時ステンサブマシンガンの生産はすでに正しい軌道に乗っており、その性能は優秀でしかも価格は非常に安く、やすやすとイギリス陸軍サブマシンガンの王座を占拠していた。イギリス陸軍はその他のサブマシンガンに対して基本的に何の興味もなく、このためV42サブマシンガン試作型に対し、これ以上の興味を示さなかった。

しかしイギリス海軍はV42サブマシンガン試作型の評価報告を見て、この銃に対し強い興味を抱き、軍艇の上でこの銃に対するさらなる一歩のテストを行うことを決めた。当時イギリス海軍はランチェスターサブマシンガンを制式サブマシンガンに選定していたが、すでにこの銃のコストが比較的高く、体積も重量も大きく、改良を進める必要があることを意識するに至っていた。これと比べると、V42サブマシンガン試作型は比較的海軍の要求に符合していた。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「不使用時、リアサイトは折りたたみ、大型のフロントサイトベース内に収納でき、破損が避けられる」)

イギリス海軍の興味を引いたので、イギリス海軍と関係が非常に密接な、イギリスのデラファースト金属社がVeselyに資金援助し、V42サブマシンガン試作型に改良が行われた。もってイギリス海軍の発注を獲得することを期したのである。

1944年、改良型V42サブマシンガンは全部で6挺のサンプルが生産され、その中の3挺はV42サブマシンガン試作型と構造が基本的に同じで、フロントサイトガードの形状等一部に違いがあるだけであり、Vesely V42歩兵型サブマシンガンと命名された。その他の3挺にはより大きな改良箇所があり、改良のうち最大のものは簡単にバレルユニット、レシーバーユニット、ストックユニットの3つの部分に分解できることだった。収納と携帯に便利であり、落下傘降下部隊の使用に適し、このためVesely V43パラトルーパー型サブマシンガンと命名された。当然この種の簡単に分解、組み立てでき、携帯に便利な性能は、ただ単に落下傘降下部隊向けにのみ設計されたわけではなく、普通の歩兵部隊の使用にも非常に有利だった。

Vesely V43パラトルーパー型サブマシンガンのバレルとレシーバーが簡単に分解、組み立てできるのは、バレル、レシーバー間に断隔螺構造を採用しているからで、バレルジャケットを握って1/3回転させるだけで即バレルとバレルジャケットがレシーバーから取り外せた。ストックとレシーバーの間にも同じ断隔螺構造が採用されていた。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「Vesely V43パラトルーパー型サブマシンガン。この銃は主に落下傘降下部隊用で、簡単に分解、組み立てできる」)

海軍のテストは意に沿いきれず

1944年8月、イギリス海軍の発注を獲得するため、デラファースト金属社はイギリス海軍にVesely系列サブマシンガンのハンドブックと写真を提出した。同社は海軍がランチェスターサブマシンガンに比較的大きい不満を持っている状況に特に合わせ、ハンドブックの中でVesely系列サブマシンガンの重量問題を詳細に説明した。特にVesely系列サブマシンガンは設計が独特な、ただし装弾数の多いマガジンを使用するので、必然的に銃全体の重量に影響し、このためこの銃が使用するマガジンの重量について特別詳細に説明した。すなわち「Vesely V42歩兵型サブマシンガンの重量は3,005gである。軍が将兵の1挺のサブマシンガンに4個のマガジンの支給を要求する前提で、普通の30発容量のマガジン個別の重量は290gであるが、これに比べVesely系列サブマシンガンに使用する装弾数60発のマガジンは個々の重量が383gである。4個の装弾数30連マガジンに120発装填できることと比較すれば、Vesely系列サブマシンガンのマガジンはたった2個で120発の弾薬を収納できる。つまり、4個の30連マガジンの総重量は1,160gであるが、一方2個のVeselyサブマシンガンのマガジンの総重量は766gであり、重量はやはり少し軽いのである。」 さらにハンドブックでは、この銃のボルト後方に緩衝器を追加装備でき、発射速度を毎分約900発まで下げることができるとも説明されていた。ただしこうしたとしても、普通のサブマシンガンが一般に毎分600〜750発の発射速度であることと比較すると、Vesely系列サブマシンガンの発射速度は依然高かった。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「レシーバー右側の特写。バレルとレシーバーの接続部分の断隔螺機構に注意。この他、マガジンハウジング左側の刻印も対応する機種名に変わっている」)

その後、イギリス海軍は選定候補テストを行い、VeselyV42およびV43サブマシンガンはその他の選定候補のサブマシンガンと比べて特別はっきりしたメリットはなく、かつそのマガジンあるいはレシーバー内にもし土や砂、小石等の異物が侵入した時には、容易に給弾および排莢の故障が生じると考えた。特にVesely系列サブマシンガンのマガジンの構造は普通のサブマシンガンのマガジンと比べてずっと複雑であり、故障発生の可能性もこれにつれ増加していた。このためこの系列のサブマシンガン1945年10月に選定試験から資格を取り消された。これより後、Vesely V42およびV43サブマシンガンが再び生産されることはなかった。

Vesely系列サブマシンガンは全部で3種類が製作され、これにはVesely V42試作型、Vesely V42歩兵型サブマシンガン、Vesely V43パラトルーパー型サブマシンガンが含まれた。生産総数はおよそ7挺にすぎず、最多でも10挺は超えない。現存するのはたった3挺である。

(頑住吉注:原ページのこの部分にある画像のキャプションです。「Vesely V43パラトルーパー型サブマシンガンは簡単にいくつかの大きな部分に分解できる」)


 全体のバランスが悪いような印象を受けますが、非常に興味深い特徴を持ったサブマシンガンです。

 残念なのは前のマガジン内の弾薬を撃ち尽くすと「給弾切り替えバー」が具体的にどのように動き、マガジンリップ部のバーがどのように動いて切り替えが行われるのかがはっきり説明されておらず、ぼんやりとしか分からないことです。この説明文だと切り替えに手動操作は必要ないと読めますが、60連射できるのか、後方のマガジン内の弾薬を撃つために1度コッキングが必要なのかはよく分かりません。しかしいずれにせよ通常マガジンを横に並べ、スライドさせるMP40特殊型よりずっと洗練されており、素早い連射継続が可能であるのは間違いないはずです。装弾数は多くのドラムマガジンよりは少ないものの大差はなく、幅が小さいので銃の携帯がしやすいと思われます。

 バヨネットの収納法、パラトルーパー型の分割も興味深い特徴ですが、短いサブマシンガンにバヨネットを装着してもあまり有用ではなく、分割にもそこからガタが生じやすくなるなどのデメリットもあります。

 はっきり書いてありませんが、1945年10月にこの銃がテストから外された後、勝ち残ったのがスターリングということなんでしょうか。












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