「F-15vsソ連・ロシア戦闘機」関連2題

 まず冷戦時代のお話です。

http://war.163.com/16/0404/07/BJPRTVUC00014OVF.html


面子のための戦い:ソ連、努力すること10年余、ついにF-15の記録を打ち破る

冷戦の期間、米ソはしばしば飛行機の世界記録をもって航空工業で相手方に先んじていることの象徴とし、それを非常に重要なものとして扱った。もし記録が相手によって奪い去られたら、非常に面子を失うことと見なされた。1954年から1974年までの20年間、FAI(国際航空連盟)が承認した世界記録の92.2%は米ソによって創造された。しかもこうした各時期を代表する人類の航空科学技術最高水準の偉業を縦覧すると、記録の創造に用いられた機の多くは当時の両国の主力制空戦闘機あるいはそれを改装した特殊型であることに難なく気づく。このことは難なく理解される。戦闘機は空軍の永遠の主役であり、しかも戦闘機はまた各種軍用機の中で最高の総合飛行性能を持ち、記録の創造に適している。アメリカ空軍の新鋭たる身のF-15は空前の推力:重量比と飛行性能を持ち、記録を創造する飛行には無二の選択だった。このため1974年から、アメリカはF-15「ストリークイーグル」の改装計画を実施し、その志はアメリカ空軍自らが保持する多項目の上昇率世界記録の打破にあった。

上昇率は単なる「競技種目」ではなく、むしろ制空戦闘機の重要な性能の指標である。上昇率が高い戦闘機は空戦の中で高度の優勢を奪い占め、ミサイルにより長い有効射程を獲得させることができる。同時に高い上昇率は往々にして高いsep(単位重量剰余出力)をも意味し、高い推力:重量比とずば抜けた垂直機動性は、より短い時間とより小さいエネルギー損失を用いて急上昇、360度宙返りなどの垂直内動作を完成でき、より早い加速回復エネルギーは、格闘空戦の中で敵機から離脱しあるいは占位を完成させやすい。

できる限り重量を軽減するため、F-15「ストリークイーグル」はあらゆる塗料を剥がし取り、不必要な航空電子設備を取り外し、空虚重量は標準型のF-15Aに比べ907kg(2,000ポンド)軽減された。エンジンには依然F-15AのF100-PW-100を使用していた。こうした改良により、「ストリークイーグル」は正常な飛行状態の下での推力:重量比が(機内に1.5トンの燃料を搭載)1.6を超え、全く苦労せずに垂直上昇の中で加速できた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「F-15A 72-0119『ストリークイーグル』は一切の努力を尽くして重量軽減を行った」)

1975年1月、「ストリークイーグル」は27.57秒で3,000mまで上昇という世界記録を創造した。これは完璧なデモンストレーションではなく、飛行員の不注意により「ストリークイーグル」は決して厳格に事前に計算された最も良い上昇曲線通りに飛行しなかったが、アメリカ空軍はこの結果に対し依然非常に満足した。何故なら「ストリークイーグル」はすでに前の記録保持者であるF4H-1「ファントム」に比べ8秒間近く速かったからである。軍はこれは短期間内には破られることがあり得ない記録だと考えた。その後の2年の中で、「ストリークイーグル」は衆望に負けず連続して多項目の世界記録を刷新した。これには39.33秒で6,000mまで上昇、48.86秒で9,000mまで上昇、59.39秒で12,000mまで上昇、77.02秒で15,000mまで上昇、が含まれた(頑住吉注:ちなみに第二次世界大戦末期に驚異的な上昇力とされたMe163ロケット戦闘機は1万mまで3分くらいかかったそうです)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1974〜75年の冬季、『ストリークイーグル』は冷たい空気の高密度の優勢を利用し記録を破る飛行を開始した」)

ソ連空軍は非常に大きな圧力を感じ、10年余の臥薪嘗胆を経て、F-15を作戦対象とするスホーイー27をついに就役させた。ソ連空軍はスホーイー27の記録創造のための改良型をもって「ストリークイーグル」の挑戦に回答する準備をした。だがスホーイー27はF-15に比べ数トン重かった。「ストリークイーグル」に比べより高くより速く上昇するためには、より大きな力を費やして重量軽減することが必須だった。スホーイー27の少なからぬ設備、例えばIRST、前縁機動フラップ、翼端搭載架などは全てダイエットの対象となった。スホーイ設計局は取り外せるものは全て取り外し(一部の舵装置を含め)、舵面をロックして動かなくし、しかる後に「ストリークイーグル」のように塗料を剥がし取り、かつさらに一歩密封ゴムを用いてあらゆる継ぎ目を埋めて平らにし、もって摩擦抵抗を減少させた。このようにして重量が極めて軽く、抵抗が極めて小さい記録創造用機が得られた。これこそ後日大きくその名が轟くP-42である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「『ストリークイーグル』と同じ手段を採用して重量軽減したスホーイー27 P-42原型機」)

「ストリークイーグル」に比べP-42最大のハイライトはオリジナル版のエンジンを放棄し、特製タイプを使用したことである。超高温超高速回転により、この2台しか製造されなかったAL-31改良型は13.6トンのアフターバーナー使用時の推力を提供することができ、寿命は非常に短いが、記録を創造する飛行の時間も短く、何の問題もなかった。最も人を驚愕させるのは、P-42の重量だった。量産型のスホーイー27SKの基本空虚重量は16.8トン、一方P-42の正常離陸重量はたった14トンで、人にスホーイの重量軽減のスキルに敬服せざるを得なくさせる。さらに推力が増加したエンジンが加わり、推力:重量比はほとんど2.0に到達した。ターボファンエンジンは低温の下でより高い推力が提供でき、操作エンベロープ内の推力曲線もより良い。その地が高緯度地域にあるロシアはアメリカに比べより寒冷な冬季を持つ。このことも記録破りのために良好な外的条件を提供した(頑住吉注:アラスカとなら条件は変わらんのでは)。

1986年から1994年、P-42は「ストリークイーグル」の手中から大多数の世界記録を奪回した。これには25.37秒で3,000mまで上昇、37.05秒で6,000mまで上昇、44.126秒で9,000mまで上昇、55.542秒で12,000mまで上昇、70.329秒で15,000mまで上昇、が含まれた。

数字の上から見ると、ソ連(ロシア)人が勝ったようである。だが輝かしい記録はその背後の止むをえなさを隠すことは決してできなかった。P-42の記録は「ストリークイーグル」を非常に小さい幅で超えただけだったが、それにもかかわらず重量軽減の幅は「ストリークイーグル」の2倍あまりに達していた。特製のエンジンは全部で2.2トンの推力を増加させていたが、それにもかかわらず「ストリークイーグル」はオリジナル装備のエンジンを使用していた。記録創造の偉業完成後、「ストリークイーグル」はまた元々の量産型に改造し戻され、継続して就役した。一方P-42は廃棄処分にするしかなく、飛行機の墓場で余生を過ごした。性能が量産型により近いのは「ストリークイーグル」であってP-42ではなく、より参考にする価値がある。両者の量産型の垂直機動性能がどちらが優れどちらが劣るか、すでに言わずとも明らかである。

人に笑いを禁じ得なくさせるのは、スホーイが航空展で撒いた宣伝材料である。そこにはP-42が創造した各種世界記録が列挙され、さらにひどく計画的にP-42とスホーイー27のコードナンバーが一緒に置かれ、両者の差異の希薄化を意図している。下の図を見よ。


 航空史にはもっと極端な、ナチ・ドイツが記録作り専用に作られた特殊で実用性のない飛行機を「Me109R」とし、主力戦闘機と同系列であるかのように宣伝したという例もあります。最近では速度とか上昇力が戦闘機の最重要の要素ではなくなっているため競争は一段落ということなんですかね。次はちょっと心配になるような、もっと最近のお話です。

http://military.china.com/news2/569/20160415/22440998.html


別な戦績:インド空軍、演習中9:1でアメリカを打ち破る

国の人の印象の中で、世界中で最もまずい空軍にはインド空軍が属し(頑住吉注:世界にはプロペラ機しか持っていない空軍もあるんですがね)、まさにいわゆる「打撃することを必要とせず自らもう墜落して終わり」である。中国人のインド空軍に対する印象だけでなく、アメリカ空軍にさえそれに対しこのような見方があった。しかし、アメリカ空軍が2004年に部隊を派遣しインドと合同訓練を行った時、それにもかかわらず意外にもインド空軍によって9:1をもって打ち負かされ、このことはアメリカ国内で大騒ぎを引き起こした。

一、「インド協力-2004」演習

「インド協力-2004」(Cope india)演習は米軍が2004年に開始しインドと行う空軍合同演習であり、その主要な内容には飛行機の試験、戦法の実践、戦法の授業などの内容が含まれる。2004年、第1回演習が行われる地点はインドのマディヤ・プラデーシュ州のグワリオル空軍基地に定められた。米軍は当然ちっぽけなインドは眼中になく、彼らはインド空軍は飛行機を自ら墜落させないことができればなかなかだと考えた。

2004年2月16日、グワリオル基地の両軍は正式な演習を開始し、通常科目演習を行った後、演習は正式に対抗段階に入った。アメリカ空軍第3航空隊から来た4機のF-15C戦闘機はインド空軍の10〜12機のミグー21、スホーイー30MKI、ミラージュ-2000、ミグー29からなる混合編隊の進攻に直面し防空作戦を行った。これはアメリカ空軍のF-15制空パトロールの典型的戦術で、かつて湾岸戦争中にイラク空軍を噂を聞いただけで震え上がらせた。だが10回の攻防対抗を行った後、アメリカ空軍はそれにもかかわらず1:9の比率でインドによって圧倒された。

事後、双方は戦果をしばらく口外しないと約定し、インドが演習後に発表した公式声明は、「演習は双方の友情を増進し、双方の協力関係の強化の助けとなった」とし、アメリカ第3航空隊は暗い様子で帰国した。しかし人の口に戸は立てられない。「アメリカ空軍」誌は同年3月号に掲載した文章の中で、この演習の中での「インド戦闘機と飛行員には驚異的な戦闘機と飛行の技巧がある」との言葉を出し、この時以後徐々により多くの人によって明らかにされた。

4月2日、「アメリカ空軍評論」誌は、「今回の演習はアメリカ空軍に自らの訓練模式を評価し直させた。アメリカ空軍の紅軍体制は決して非常によく相手をシミュレートできないようで、何故なら相手はすでにより強いものに変わっているからだ。より良くアメリカ空軍の優勢を維持するため、より多くのF-22およびF-35戦闘機を購入することが必須だ」と認めた。

演習に参加した第3航空隊の駐屯地であるエルメンドルフの司令スノーダスは「アメリカ空軍評論」誌に対し次のように語った。「我々の相手はどんどん強く変わりつつある。インド空軍のパフォーマンスは我々の予期を超えた。」 雑誌は今回の演習に参加したアメリカ空軍飛行員の話を引用し、「インド空軍は性能が優良な戦闘機と極めて聡明な戦術を持ち、両者の結合は我々に、彼らに非常に戦勝し難くさせた」とした。今回の演習の中で、インドのミグー21戦闘機とスホーイー30MKI戦闘機のパフォーマンスは最もずば抜け、F-15C戦闘機に防御し難くさせた。

二、アメリカ空軍の視点

今回のまずい事件はペンタゴンを驚愕させ、より多くの先進的なF-22およびF-35戦闘機の購入を考慮させた。しかし、今回の演習の中で、アメリカ空軍戦闘機はインド空軍戦闘機と数の上で1:3の比率を形成し、したがってそれを少をもって多を打撃する状態に置き、しかも演習に参加したF-15Cは最も先進的なフェイズドアレイレーダーも装備しておらず、甚だしきに至ってはAIM-120中距離空対空ミサイルの使用も許されず、このことはこの機を、18海里の範囲内で敵を発見および攻撃し、かつ近距離格闘に参加するしかなくさせた、とする今回の演習参加人員もいる。

また、インド空軍はそれにもかかわらず中距離格闘ミサイルを使用でき、このうちスホーイー30MKIはR-77アクティブ中距離弾を使用し、一方ミラージュ-2000は「ミカ」を使用した。インド空軍も中距離攻撃戦法が使用できなかったが、こうしたミサイルの発射完了後、戦闘機はすぐ自ら離脱でき、このことはインド空軍に機動上の極めて大きな優勢をもたらした。だがアメリカ空軍は同時に、インド空軍には確かに非常に大きな向上があり、冷戦時期のソ連式の典型的な地上コントロール迎撃戦術に比べ、インド空軍は編隊のコンビネーション、飛行高度、戦術の協調の上で相当に爛熟し、編隊内でデータリンクシステムを使用し、有効に空の状況を伝達し、遅れず戦術動作を改変でき、このことはアメリカ空軍を相当に意外にさせた、と認めている。

このように悲惨に破れたとしても、今回の演習に参加したアメリカ空軍飛行員は依然、自分たちが直面したのは決してインドの最先端の飛行員ではなく、甚だしきに至っては一部分は航空学校から卒業したばかりの新人だと考え、このことはアメリカ空軍に自分に対し考え直しを行わせた!

(ソース:雲上の空母)


 まあこれはF-22が演習中ユーロファイターに「撃墜」された件同様、演習時のルールによっていくらでも結果が変わってくるでしょうからね。
















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