中国中央テレビ、国産戦車を詳細に紹介 その1

 忙しいんで3回に分けます。

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陸戦の王! 中国の「切り札級」戦車を全面秘密解除

原題:史上前例なし! 中央テレビ、初めて中国の「絶対秘密」の軍事武器生産ラインの秘密を探る

(央視財経訊) 重量53トン、38両の自家用セダンに相当し、125mm大口径スムーズボア砲は、砲弾の初速が1800m/sにも達し、マッハ5を超え、軽々と1,000mm以上の厚さの均質装甲を撃ち抜くことができ、行進状態の中で5km離れた目標に向け発砲でき、命中率は80%に達する。これこそ中国第3世代輸出型メインバトルタンクVT-4である。

純正の中国の血統の「陸戦の王」戦車が生産ラインを降り、全世界の軍事大国が皆このために身震いする

内モンゴルで、中国兵器工業集団は中国軍事工業のチェーン状の連なりの中で、最も重要な製造企業の1つである。中国が最も新しく研究開発した輸出型戦車の砲身は、この軍事工業企業の中で緊張して生産されつつある。

軍事工業企業の作業場内で、製品には品質が高い低いの区別はなく、ここの製品には合格あるいは廃棄しかない。目の前の砲用鋼は合金鋼の中で強度最高のもので、砲弾を撃発した瞬間、ボア内の温度は瞬間的に3,400度まで上がり、圧力は630兆パスカルまで上昇し、これは爪サイズの面積に6トン以上の重量が加えられるのに相当する。このため砲用鋼は「鋼の中の王」と呼ばれる。

火砲総組み立て作業場内で、非常に多くの人が我々に注意を促した。1958年、中国がコピー生産した旧ソ連のT-54A戦車の100mmライフル砲がこの作業場から出たが、2012年になって、中国の心臓が鼓動する第3世代メインバトルタンクVT-4がついに包頭の総組み立て作業場で生産ラインを降りたのだ、と。今日この作業場が生産できる第3世代メインバトルタンクに搭載される最も先進的な125mmスムーズボア砲は、この陸戦の王の手中の長い矛であり、すでに世界のいかなる先進国が生産する戦車主砲にも負けない。ゼロから世界一流製品まで、中国軍事工業はこの作業場内で、すでに59年の時間錬磨している。

全長7.2m、重量53トンのVT-4戦車は時速71kmの速度で走り抜け、このような速度はすでに世界を範囲とする装甲車両の最高水準に到達しており、全世界でこれに匹敵し得るのは3カ国しかない。

中国兵器工業集団内モンゴル第一機械集団試運転隊隊長の張宇:「国際基準は戦車の加速時間が12秒ジャストで時速32kmに到達するものであることを要求するが、我々のこの車は9秒ちょっとで到達できる。これはスポーツカーに相当し、ゼロから時速100kmまで4秒から5秒の時間というのに相当する。」

中国兵器工業集団内モンゴル第一機械集団副社長の曹福輝は言う。「VT-4は自動クラッチ技術を採用し、ちょうど自家用車を運転するようなハンドルとオートマで、つまり操縦員のあなたが何を担当するかといえば、路面を視察し、この時になったらあなたはちょっと減速し、ブレーキをかけるべきならブレーキをかけることで、この時操縦員の負担はずっと下がるだろう。同時に彼は指揮員に協力して戦場を視察もできる。」

VT-4戦車は自在に加速、急ブレーキ、登坂、甚だしきに至ってはその場で360度旋回ができ、全てこの戦車が強大な心臓を装備しているおかげである。一般の車両と異なるのは、戦車がキャタピラに頼って行進することで、ブレーキ、方向転換はいずれも動力室内に集成されている。このVT-4戦車の動力室は1,200馬力にも達する。しかも正真正銘の「中国の心臓」で、これは我が国第1世代の自主研究開発した動力室でもある。一方5年前、中国はまだ戦車の動力室を研究開発および製造する能力を具備していなかった。

世界の「陸戦の王」に「中国の心臓」が鼓動! 純正の中国の血統の戦車は、戦場の「無冠の王者」と称するに堪える!

彼は馮益栢といい、重症筋無力症患者で、同時に彼にはもういくつかの身分があり、中国第3世代メインバトルタンクVT-4の総設計師、「8x8装輪式装甲車の父」である。

2014年、馮益栢は不幸にも重症筋無力症を患い、彼の視線は模糊としたものに変わり始め、四肢は無力化し、話をすることさえ問題となった。疾病は彼の生活を変えたが、バイオリンを弾くことは依然馮益栢長年の趣味である。この他、彼は心血を注ぎ新世代「陸戦の王」VT-4戦車の研究開発に成功した。

VT-4戦車総設計師馮益栢:「現代の戦車の陸軍内での作用は、私は現在まだどの武器も取って代わり得ないと見る。やはり皆が言うように、それは依然現在の陸軍の王である。」

1980年代末、馮益栢は対外輸出できるメインバトルタンクの研究開発に着手し始めた。名をMBT-2000といい、一連の問題、難点を突破した後、中国の軍事工業はついに1991年この戦車を製造した。防御能力でも火力でも、この戦車は同時代のその他のライバルに遜色なかったが、終始トゲが馮益栢の心中に刺さっており、当時高性能輸出戦車の動力室はまだ輸入に頼っていたのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「馮益栢総設計師(資料画像)」)

















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