ドイツ語版「Wikipedia」によるH&K社の説明

 ドイツ語版「Wikipedia」でH&K社について調べてみました。「銃器大国ドイツが誇る世界最先端の技術を持つ一流メーカー」といった誇らしげなトーンを想像していましたがそうではなく、英語版でも日本語版でも全く触れられていない意外な内容がかなりの部分を占めていました。

http://de.wikipedia.org/wiki/H%26K


ヘッケラー&コック

企業形態:GmbH(頑住吉注:有限会社。何度か触れていますがドイツでは非常に大規模な会社でも有限会社であることが多々あります)
設立:1949年
企業所在地:ネッカー河畔のオベルンドルフ
ウェブサイト:
http://www.heckler-koch.de/HKWeb/show/frameStart

 戦後の時代にかつてのモーゼル工場の従業員たちが設立したヘッケラー&コック GmbH (HK)は、バーデン・ヴュルテンベルグ州のオベルンドルフ内の市区Lindenhofに所在するドイツの銃器メーカーである。この会社はドイツで最も重要な銃器企業であり、週刊新聞「Die Zeit」(頑住吉注:「時間」、「時代」などの意。「タイムス」に近い名前でしょう)によれば世界最大のライフルおよびピストルメーカー5社に含まれる。

(頑住吉注:目次省略します)

歴史

 ヘッケラー&コックは1949年に、かつてのモーゼル工場の従業員である技術者Edmund Heckler、Theodor Kock、Alex Seidelによって設立された。連邦共和国(頑住吉注:西ドイツ)に最初から課せられていた軍備制限のため、当初の製造プログラムにはミシン部品、工具、ゲージ、工具加工用マシンが含まれた。1955年、国防技術的器具の開発と生産が開始された。

 1956年、ヘッケラー&コックは新たに設立されたドイツ連邦国防軍の歩兵用ゲベールのための公募に勝利した。1959年、最初のゲベールが供給された。これに続き1960および70年代、G3のライセンス交付が行われ、これには特にパキスタン、スウェーデン、サウジアラビア、イギリス、フランスが含まれた。

 1974年、この企業は2つの部門に分離した。すなわち、HK警察および国防技術部門とHKハンティングおよびスポーツ銃部門である。

 1980年代末、この社は倒産の危険にさらされた。連邦政府がヘッケラー&コックにドイツ連邦国防軍用のG11の開発を委託したが、その完成直後に発注を撤回した。政府がベルリンの壁崩壊後、もはやこのゲベールは必要ないと見たからである。

 1991年、イギリスの軍需コンツェルン「ブリティッシュ アエロスペース/ローヤル オードナンス」がこの社を引き受けた。2002年、改めての所有者交代(H&K Beteiligungs GmbH)と国防技術/官庁向けビジネスと民間用銃器両分野の分離が行われた。2003年以来、民間向け分社のヘッケラー&コック ハンティングおよびスポーツ銃器 GmbH(HKJS)は独立して運営されている。

ヘッケラー&コック銃器の重要性

 連邦政府が公式に認めているところによれば少なくとも88カ国がドイツのヘッケラー&コック軍需輸出品の受取国である。ドイツ軍とならんでこの社はさらに他の国々にも供給を行っており、例えばそれはギリシャやノルウェーの軍である。約50のライセンス交付(G3ゲベールだけで)により、H&Kはライセンス生産をさせるという面でも世界のトップグループに入る。新しいG36ゲベール用にもライセンスが交付されている。

 ヘッケラー&コックは目下ドイツ連邦国防軍制式銃器である公用ピストルP8と歩兵用ゲベールG36、および警察の最新公用銃であるP10(頑住吉注:USPコンパクト)を生産している。H&K銃器はたいていの西側諸国の警察と軍隊で使用されている。アフリカ、近東でもH&K銃器は使用されている。時々はイラク戦争のような現時点で行われている紛争にも。

(頑住吉注:原ページにはここに製品が列挙してありますが省略します)

企業への批判

 1967年、ヘッケラー&コックは当時君主制だったイランにG3生産のためのライセンスを売った。イランはこの時点では西側サイドに立っていたが、イスラム革命とAhmadinedscad(頑住吉注:アフマディーネジャード大統領)の下での改革以後は違う目で見られている。このライセンスは今日もまだ有効で、G3をイランからの最も成功した輸出製品の1つにしている。「Small Arms Survey 2006」はイランを中規模の銃器輸出国に数えているが、正確な数は知られないままである。イランがその銃を売っている国々も同様に知られていない。1994年、イギリスのジャーナリストBrian Johnson-Thomasは、イラン製G3ゲベールのボスニアへの供給を暴露した。それらはKrk島(頑住吉注:アドリア海にある島で、クロアチアに属しているそうです)を介してボスニアに供給された。この島には当時国連の輸出禁止が適用されていなかったからである。

 ヘッケラー&コックはすでに何度もいかがわしい銃器ビジネスゆえに批判の中に立っている。同社は全ての外国への銃器輸出のために、輸出管理のための連邦官庁の認可を必要とするが、すでに何度も認可なしに輸出してきた様子である。Alexander Buhler(頑住吉注:「u」はウムラウト)とKerstin KohlenbergはZeit紙の中で、イギリスの新聞インディペンデントがこの企業を、輸出禁止期間中の1980年代半ばに銃器をユーゴスラビアに、そして東ドイツに供給していたと批判した旨レポートしている。連邦刑事局はこの件に関し同企業を捜査した。だがヘッケラー&コックが立法のグレー領域を動いた結果公訴できなかったか、あるいはすでに時効になっていた。

 1993年、同企業のある取締役がRottweil所在の地方裁判所に立った。彼は輸出認可なしに銃器をイギリスのパートナー企業に、そして最終的にそこからドバイへ供給したと弾劾された。だがZeit紙は、同社が銃器を未完成状態で組み立てられたセットとして輸出したとレポートした。彼らはグレーゾーンを動いたのであり、取締役は無罪判決を受けた。判決によれば輸出認可は完全に組み立てられた銃器のためのみに必要だからである。

 おそらく1,100万挺を越えるヘッケラー&コック小火器が世界中の戦争および内乱で使用されている。だがこれらに使用された銃器のうち、ヘッケラー&コックの銃器(G3は全部で約700万挺製造された)のパーセンテージは比較的低いと見られる。諸戦争で使われた銃器の最も大きな部分はAK-47ファミリーのゲベールが形成している。このゲベール(ライセンス生産および他バージョン含む)は約100x100万挺製造されたと見積もられている。

(頑住吉注:以後情報ソースの提示、参考文献、リンク等が続いていますが省略します)


 最後にちょっと弁解じみた内容が加えられているとは言え、現存する、しかも業界では国内最大の企業に関する説明で、こんなにも批判が多く盛り込まれているのは異例と思われます。ちなみにこの内容は少なくとも2週間は変更されていません。こうした内容は「G3の歴史」の項目にもちらっと登場しましたが、今回はより詳しい内容でした。

 法の抜け道を選んでいかがわしい武器輸出を行う企業姿勢には好感を持てませんが、ただ民主的な法治国家である以上、国民の多くが「半完成状態なら輸出許可不要」などというひどいザル法を改正すべきだと思えばいくらでも可能なはずで、国外から見れば国ぐるみの本音と建前の使い分けと取られてもしょうがないんじゃないでしょうか。








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