ドイツ語版「Wikipedia」によるPPSh-41の説明
http://de.wikipedia.org/wiki/PPSch-41
ドイツ語版「Wikipedia」のPPSh-41に関する項目を読んでみました。ちなみにドイツでは「PPSch-41」という表記になっています。
PPSch-41
マシーネンピストーレPPSch(頑住吉注:原ページにはキリル文字による表記があります 発音は「peh-peh-schah」。「Pistolet
Pulemjot Schpagina」の略)はロシアの銃器設計者Georgii
Semjonowitsch Schpaginの開発品である。最初のモデルは1940年に作られ、他のデザインとまとめて同年中にテストされた。この際この銃は傾斜角度85度で、人為的にほこりだらけにされたマガジンを用い、潤滑されない状態で(このため個々の部品はケロシンで洗浄され、空拭きされた)射撃された。追加的に5000発が銃をクリーニングせずに発射された。
この銃が大筋満足する結果を示した時、PPSh(頑住吉注:ここでは何故かこの表記です)は1940年12月21日、7.62mm
Pistoljet-Pulemjot Schpagina obrastsa 1941
goda(頑住吉注:これもキリル文字による表記は原ページを見てください シュパーギンの7.62mmマシーネンピストーレ、モデル1941)として赤軍に採用された(頑住吉注:いろいろ読んできて分かりましたが、ドイツ語の「Roten
Armee」は特にソ連軍を指すようですね)。
このマシーネンピストーレの寿命は30,000発とされており、この銃はこの後でも納得のいく命中精度と信頼性を示すと言う。
PPSch-41が誕生した時代、金属薄板プレス製法は広く普及していなかった。それにもかかわらずこのマシーネンピストーレの多数の部品はプレス技術を用いて生産された。PPSch-41は全部で87の個別部品からなっており、それらの加工には約5.6時間を必要とした。製造は複雑な経過ではなく、この結果この銃は軍需工場だけでなく、簡単な金属プレス設備を持つあらゆる工場で生産できた。個別部品はもはや鋳造されるのではなく、厚さ2〜5mmのスチール板から作られた。この方法で金属が節約でき、生産コストを下げることができた。製造に最もコストがかかったのはバレルと、変更なく前任銃器PPD-40から引き継がれたドラムマガジンだった。この銃はネジによる結合を2カ所しか持たなかった。合計540万挺が生産された。
技術
PPSch-41はバレルケース、システムケースという2つの主要部分からなり、後のストゥルムゲベールM16のようにヒンジによって中央で結合されている。バレルケースはバレルを含み、ハンドガードとして役立つ。バレルケースは多数の打ち抜き部分を持ち、これは空気の循環とこれによるバレルの冷却に役立つ。バレルケース端部は弾丸用の1つの穴を除いて閉鎖され、また傾斜がつけられてマズルブレーキとして役立つ。火薬ガスは流出時にこの前面を押し、そしてこれによりマズルは下に押し下げられる。バレルは取り出して他と交換することができる。
システムケース内にはトリガー設備と共に閉鎖機構が収納されている。PPSch-41はオープンボルト方式の重量閉鎖機構を持つリコイルローダーである。オープンボルトというのは、閉鎖機構が発射前後部位置にあることを意味している。トリガーの操作時、閉鎖機構は閉鎖機構スプリングの圧力下で前方に急速に動き、弾薬をマガジンから取り出し、弾薬がチャンバーに導入されるとすぐこれに点火する。比較的弱いピストル弾薬ゆえに固定したロッキングは必要とされず、閉鎖機構の重量慣性のみでこれが行われる。
射撃選択レバーはトリガー直前にあり、前後にスライドできる。後部位置ではこの銃はセミオートマチックで発射され、前部位置ではフルオートマチックである。銃がコッキングされている時、シアレバーが閉鎖機構を後ろのポジションで保持している。射手がトリガーを操作すると、トリガーがシアレバーを下方に押し、閉鎖機構は解放されて上に記述した経過が行われる。銃がセミオートにセットされていると、閉鎖機構はその前進運動の際に第2のレバーを作動させる。この第2のレバーは、シアレバー内で動くトリガーの部品をトリガー内に押し込み、こうしてトリガーとシアレバーの結合を解除する。これによりシアレバーは再び上に動き、閉鎖機構を捕らえる。もう1回射撃するためにはトリガーを放し、改めて操作しなくてはならない。
フルオートにセットされている際は、シアレバーは引かれているトリガーによってずっと下で保持される。すなわち閉鎖機構は捕らえられず、次の弾薬を発射することができる。
セーフティはスライダーであり、装填レバー上にある。この銃は閉鎖機構の前部ポジションでも後部ポジションでもセーフティ状態にできる。
本来PPSch-41は71発の容量を持つドラムマガジンを使用していた。弾薬は39発と32発の2つのシリーズで補給された。このマガジンにロードするためには、カバーを外し、スパイラルスプリングを巻く必要があった。その後ドラムに弾薬が入れられ、再び閉じられた。この装填経過は複雑ではなかったが、多くの時間を必要とした。おまけにドラムマガジンは重く、快適でなかった(アメリカのマシーネンピストーレであるトンプソンA1も同じ問題を持ち、その後のバリエーションは棒状マガジンのみ装着できた)。このため後に35発容量の棒状マガジンが採用された。このマガジンは0.5mm厚の板でできており、戦闘状況下では曲がる可能性があった。この問題は1mm厚の板を使うことによって解決された。
早い時期のモデルは当時ライフルの場合普通だったようにスライド式リアサイトを伴うサイトを持っていた。調整は500mに及び、50mごとに行われた。だが実戦経験は、そのような距離は非現実的であり、それゆえこのサイトは不必要に複雑であるということを示した。このためスライド式リアサイトはより単純な起倒式に換えられた。これは100および200mへの調整を可能にするものだった。その上今や7つ少ない部品を製造するだけでよかった。
特記事項
PPSch-41はこのように膨大な数で製造され、部隊に支給されたので、しばしば単純に全大隊がこの銃で武装された。このことはまたメリットをもたらし、訓練をより短縮することができた。(時間的に)負担の大きい射撃訓練の大部分がなくなったからである。それだけでなくマシーネンピストーレPPSch-41は赤軍のみではなく、当時のドイツ軍でも愛用された。改造なしで引き継がれた銃にはMP717(r)の名称がつけられた。9mmx19弾薬仕様に改造されたPPSch-41は独自の名称を持たなかった。多くの人が誤ってこの銃をMP41と呼んでいるが、MP41はハーネルによって改良されたMP40として生産されたものである。PPSchによって使用された7.62mmx25TT弾薬は7.63mmx25モーゼル弾薬とほとんど同一であり、これにより9mmx19の前身で(頑住吉注:リム部の寸法がほぼ同じだったので)、使用弾薬変更のためにはバレルを交換し、マガジン収納部をドイツ製MP40のマガジン受け入れのため改造する必要があるだけだった。元に戻すコンバートはいつでも可能だった。
1942年、より軽量でよりコンパクトな銃が求められた。シュパーギンは彼のマシーネンピストーレに手を加えたバージョンを提示した。新しい銃はフルオート射撃のみ可能にした。新しいセーフティはシステムケース内の切り取り部とエジェクションポートをロックすることによって装填レバーをブロックした。木製ストックは取り外して折りたたみ可能な金属製と交換することができた。劣った命中精度、信頼性の欠如、そしてほとんど減少していない重量は、ライバルだったSudajewのマシーネンピストーレPPS43が採用されるという結果をもたらした。
1945年、シュパーギンはさらなるモデルを作った。新しい銃は全金属製で折りたたみ可能な多数の節を持つショルダーストックを持っていた。このモデル1945は追加的セーフティを持ち、再び500mまで調節可能なスライドサイトを得た。
総合して、PPSch-41はその時代およびそのクラスでベストの銃に属したと言うことができる。そのメリットは急速で複雑さのない製造、良好な効果的射程、極度の火力だった。
PPSch-41 | |
全般的情報 | |
軍における名称 | PPSch-41 |
開発者/メーカー | Georgii Semjonowitsch Schpagin |
開発年 | 1941年 |
生産国 | ソビエト連邦 |
生産年 | 1941年〜 |
銃器カテゴリー | マシーネンピストーレ |
寸法 | |
全長 | 843mm |
重量(空マガジン付き) | 3.63kg |
重量(フル装填) | 5.44kg |
銃身長 | 269mm |
テクニカルデータ | |
口径 | 7.62mmx25TT |
可能なマガジン充填 | ドラムマガジン使用時71発 棒状マガジン使用時35発 |
効果的射程 | 200m |
最大射程 | 800m |
発射速度 | 900〜1000発/分 |
発射種類 | フルオート |
銃口初速度 | 490m/s |
マズルエネルギー | 650ジュール |
サイト | フロントおよびリアサイト |
閉鎖機構 | オープンボルト |
装填原理 | リコイルローダー |
この銃に苦しめられただけではなく、映画「戦争のはらわた」のようにドイツ軍も鹵獲したこの銃を愛用したので、この銃はドイツ人にとっても印象的な銃器であり、比較的詳しい記述になっています。
採用前、「傾斜角度85度で、人為的にほこりだらけにされたマガジンを用い、潤滑されない状態で〜射撃された」という記述があります。「ほこりだらけ」は実戦での過酷な条件、「潤滑されない」は潤滑油が機能を失うような酷寒を想定したものでしょうが、「傾斜角度85度」というのはどういうことでしょうか。たぶん横に寝かせて撃つという意味ではなく、マズルをほぼ垂直に上、または下に向けるということでしょうが、どちらでしょうか。この銃を複数横に並べた応急的対空火器の写真を見たことがあり、普通に考えれば上を向ける方が現実的に思えます。しかしストレートブローバックで重いボルトを使っているこの銃の場合、マズルを下に向けた状態で重力に逆らってボルトを押し上げさせるほうがテストとしてはより過酷なものであるはずです。ほぼ真下に向けて撃つというのは現実にはあまりなさそうに思えますが、ソ連はツポレフTu-2Shという、この銃を88挺真下に向けて固定したトンデモ地上掃射機を試作しています。
この銃は文句なしに傑作と呼べますが、より小型軽量な銃が求められた際、ほとんど軽くなっていない、また「木製ストックを外して金属製折りたたみストックに交換することもできる」という思い切りの悪い後継機候補を提出したこと、戦後になって500mまでのタンジェントサイトを持つ新しいサブマシンガンを作ったことなどから、設計者のシュパーギンという人物はこの銃の開発以後時代に取り残され気味だったことがうかがえます。
データに関して、開発年が1941年となっていますが、本文の説明を読めば1940年中にほぼ完成していたことが分かります。最大射程800mとなっていますが、モーゼルミリタリーピストルにも1000mまでの調節が可能なタンジェントサイトを持つタイプがあったくらいですから、45度の角度での最大到達距離という意味でないのは明らかで、「最大限度の有効射程」くらいの意味なんでしょう。
http://video.google.com/videoplay?docid=-8512921834081800269&q=PPSh-41
フルオート射撃の動画です。重くて装填が大変な71連ドラムマガジンでも、フルオートで連射すれば4秒ちょっとで空になってしまいます。
http://www.youtube.com/watch?v=XHL4f3NZ0Tk
おまけにモデルガンの動画です。これってあの会社の製品でしょうか。こんなに調子良く動くなんて(略)
短いのでついでにPPS43の項目も紹介します。
PPS43
PPS43(pistolet-pulemjot Sudajewa obrasza 1943
goda)はマシーネンピストーレである。この銃は第二次大戦中にAlexei
Iwanowitsch Sudajew によって開発され、1943年に前線部隊に支給された。終戦までにソ連国内で約500,000挺のマシーネンピストーレが製造された。
構造
開発の基本は、すでに最適化された生産物だったPPSch-41マシーネンピストーレをさらにもっと単純化する努力だった。前バージョンのPPS42と後のPPS43では徹底して金属薄板プレス技術が使われ、マテリアルを多く使うフライス技術は放棄された。これはスチール消費を半減する結果につながり、製造時間は約60%に短縮した。
PPS43は極度に単純な構造の、非常に丈夫な銃である。信頼性を重視してこの銃は棒状マガジン付きでのみ生産された。PPSchにおけるようなドラムマガジンは、状況によっては詰まる可能性があった。この銃はオープンボルトであり、フルオートでのみ射撃できた。
PPS43 | |
民間での名称 | マシーネンピストーレSudajew |
実戦使用国 | ソ連、中国、ポーランド |
開発者/生産者 | Alexei Iwanowitsch Sudajew |
生産国 | ソ連 |
生産時期 | 1943〜1945年 |
モデルバージョン | PPS42、PPS43 |
銃器カテゴリー | マシーネンピストーレ |
寸法 | |
全長 | 821mm |
重量(空マガジン付き) | 3.04kg |
重量(フル装填) | 3.67kg |
銃身長 | 272mm |
テクニカルデータ | |
口径 | 7.62mmx25TT |
可能なマガジン充填 | 35発 |
弾薬供給 | 棒状マガジン |
効果的射程 | 200m |
発射速度 | 700発/分 |
発射種類 | フルオート |
銃口初速度 | 500m/s |
ライフリングの数 | 4条 |
ライフリングの方向 | 右回り |
閉鎖機構 | 重量閉鎖機構 |
装填原理 | リコイルローダー |
大量生産の効率を最大限に考慮して開発され、しかもまだ戦争末期とは言えない1943年中に生産が始まっていたPPS43の生産数がPPSh-41の1/10以下に留まったのは何故か、納得の行く説明はありません。すでにフル生産を行っている工場をいったん止めたり労働者の再教育を行ったりすることが現実には難しかったからでしょうか。PPSh-41の生産終了年が不明になっていますが、これも少なくともPPS43同様終戦からさほど経たないうちに作られなくなったと見ていいんではないでしょうか。
意外ですがPPS43の方がバレルがわずかに長くなっています。初速の差は誤差範囲だと思いますが。
http://www.youtube.com/watch?v=skllyTfID14
映画にこの銃が登場するのは珍しいです。
http://www.youtube.com/watch?v=i9vG8W5BcYE
銃は本物らしいですが、室内で発火している弾薬は何でしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=yD-hwCh-W80
MP40、PPSh-41、PPS43の動画ですが、PPS43の当時の実射シーンは貴重です。