「効力」と「効果」
「DWJ」2003年12月号に「Wirksamkeit und Wirkung」と題する記事がありました。学術論文の形式で、日本の専門誌にはほとんど見られないスタイルです。執筆者は「Dr.Beat Kneubuehl」となっています。最初この記事は全体の意味がまるっきり分かりませんでした。その理由は主題である「Wirksamkeit und Wirkung」の意味自体が分からなかったからです。「und」は英語の「and」ですが、その前と後ろの単語は辞書にはどちらも「効果」と出ており、どう違うのか分かりませんでした。また内容も少なくとも私にとっては非常に難解でした。それでも挙げられている例だけでも興味深いので読んで行くうち、「ヴィルクング」とは弾丸が人間に実際に与える「効果」のことであり、「ヴィルクサムカイト」とはその効果を表す可能性のある潜在能力のことであると分かってきました。「弾丸の効力」という言い方は普通しないので違和感があるかもしれませんが、「威力」とはちょっと違う気がするので、とりあえずこちらは「効力」と訳しておきます。
シリーズ:効力と危険性の間 その1
効力(ヴィルクサムカイト)と効果(ヴィルクング)
射撃を行う人は誰でも、遅かれ早かれ弾丸の発射による効力、または危険性に関する疑問につきあたる。「ヴィルクサム」とは何を意味するのか? いつ弾丸は危険がない状態になるのか。これらの疑問について、公共弾道学に関するこの新しいシリーズで追求していく。
1998年11月の終わり、ミュンヘンの警察が要請を受けてある家に向かった。そこでは、ナイフで武装した1人の男が同僚を脅していた。その時点でその家では警官2人、婦人警官1人が犯人と対峙するという状況になった。犯人は婦人警官による催涙ガスの使用、銃での威嚇にも動じずに向かってきたため、至近距離から自衛のための発砲に至った。1発の弾丸が胸に命中したにもかかわらず、犯人はなお婦人警官に迫ってきた。このため2発目が発射された。胴体部に命中した2発目の弾丸によって犯人は床に崩れ落ちた。しかし同時に犯人による婦人警官への攻撃を制止しようとしていた、犯人の背後の男もまた倒れた。彼は頭部に弾丸を受けていた。
弾丸の効果を考える上でこのケースは注目に値する。最初の1発は不十分な効果を示し、2発目は同じ弾薬が使用されたにもかかわらず、あまりにも大きすぎる効果という結果になった。つまり犯人を命中によって死亡させただけでなく、犯人の体を貫通した弾丸がさらに警察官を助けようとした1人の人間をも殺してしまったのだ。
この不幸な事件は、適した弾丸の使用によってこのようなケースは防げるのではないかという多くの議論を巻き起こした。そしてこの事件の教訓から、最初の1発で犯人の攻撃を阻止でき、またその体を貫通して飛び出した後に背後の人間に致命傷を与える可能性があるエネルギーを残さない弾丸の使用が解禁された。
2番目に多くの議論を巻き起こした事件は、1986年にマイアミで起きた。すでに多数の武装銀行強盗事件を起こしていた2人のギャングをFBIエージェントたちが追跡し、追い詰めた。そしてたった4分の絶え間無い撃ち合いによって双方合わせて140発もの弾丸が発射された。これに関与したのは2人の非常に重武装した悪漢と、8人のFBIエージェントだった。両方の犯罪者の排除に成功するまでに2人のFBIマンが殺され、5人が重傷(うち2人は両下肢の完全麻痺)を負った。殺されたエージェントは2人とも1人の犯人によって撃たれたが、この犯人はそのときすでに1発の変形弾によって撃たれていた。この弾は右上腕を貫通し、さらに胸に命中していた。これによって犯人の行動能力は(一時的にではあるものの)ほとんど損なわれなかったのである。この失敗は最初の戦術的ミスと、敵の過小評価が原因で引き起こされたものであるにもかかわらず、この後FBIはエージェントをより大きな貫通力を持つ新しい銃で武装し始めた。
同じような弾丸の命中が極端に大きく異なる効果、すなわち不十分な、または大きすぎる効果を示した例はまだいくらでも挙げることができる。
-1人の犯人が胸に弾丸を受け(大動脈を傷つけ)た状態で逃げようとしたが、すぐに倒れ、1分後に死んだ。一方テロリストにピストルで撃たれ、実際上等しい傷を受けた警察官はこれに耐え、死ぬ前に自分のピストルが空になるまで撃ったという実例がある。
-自殺者が、1時間後に死ぬまでに自分の体を時には6発も撃ち、うち複数は心臓や頭を撃っている、という状態で発見される例はしばしば見つかる。
-れっきとした医学の文献に、一般的にさほど危険はないと思われている空気銃によって致命的な傷を受けた実例が多数記述されている。そしてまた無害に見える「Schreck」銃(頑住吉注:この単語は「びっくり」といった意味です。ドイツなどで結構人気があるらしい無許可で買える空砲専用銃のことでしょう。)ですら、特定の条件下では弾丸の発射なしにガス噴射によって致命傷を与えるとも書かれている。
引用したこれらの実例から、あるひとつの結論が導き出される。
1、弾丸の効果はその口径、エネルギー、設計上の構造に依存しているものの、それは全体の一部に過ぎない。他の要因による影響も大きく、それどころかそれらが大きな役割を演じない場合すらある。
2、使用銃器および弾薬の組み合わせがもたらす実際の効果は多種多様であり、そしてしばしば予測不可能である。したがってたった1件の事件に基づいて銃や弾薬の選択を行うのは愚かである(例えばFBIのように)。
3、銃の命中弾が人間の行動能力を瞬時に奪ったり、殺したりすることは全くまれなことにすぎない。戦傷の統計からは、頭部に命中弾を受けた場合の約50%、胴体に受けた場合の70%、手足に受けた場合の90%において、一定時間内に医者による治療を受ければ死には至っていないことが読み取れる。また行動能力はしばしば驚くほど長時間維持される。
定義
上述の例は、弾丸の効果について議論するためには、使用する概念の正確な定義づけが絶対不可欠であることを示している。
ある射撃による効果という概念は、「ある射撃とその付随状況が人体に及ぼす反応」と説明されるべきである。そしてある効果は実際に行われた射撃の結果によってのみ明らかとなる。そして効果一般は1つ1つの事例を総合することによって明らかになる。
このような観点から、7ジュールのエネルギーを持つ空気銃の弾丸が脊椎に食い込み、脊髄を傷つければ、.44レミントンマグナムのホローポイント弾が1500ジュールをもって上腕をかすった場合より決定的に大きな効果を生むということが言える。一般に「ホローポイント弾はフルメタルジャケット弾より大きな効果を持つ」と言われるが、すでに述べたことからこれはナンセンスである。
しかしながら、寸法、エネルギー、先端の形状といった弾丸の物理的、構造上の性質が効果を決定しうる有力な要因のひとつであることもまた疑いの余地がない。それらの要因は、弾丸が持ついわば効果ポテンシャルを形作りうるものとして各個考察される。これらが総合した効果ポテンシャルを以後「効力」と記述する。
効力と効果は相互に関係して存在している。ある弾丸の高い効力は、命中場所にもよるのは当然だが、その射撃によって大きな効果を達成する比較的大きな確率を持つ。これに対し、小さい効力しか持たないある弾丸は、まったく取るに足りない効果しか生まない可能性が高いと強く推定されるが、それでも特定の状況下では重い損傷を引き起こす可能性もあると言える。「ホローポイント弾はフルメタルジャケット弾より大きな効力(大きな効果ポテンシャル)を持つ。」と言うならばこれは全く正しい。
効果の内訳
引用した例は、ある弾丸の効果は、効力だけで決定するわけではなく、命中点の位置、及び人体内部でのコースにも大きく依存している、ということを示している。そしてその上、弾丸を受ける人の精神的、肉体的コンディションが大きな役割を果たす。これら効力以外の要因は、効果を考える上でしばしば過小評価される。
ある目的を達成しようとする意志の力は、弾丸の効果をかなり減らすことができる。逆に、特定の状況下では、銃を見せただけで攻撃者を阻止できることもある。後者の例では射撃なしに効果が達成されているわけであって、弾丸の効力はおよそ何の役割も果たしていない。
人間に対するある弾丸の効果は、以下の要素が複合して成り立っている。
-弾丸の効力
-命中点の位置と人体内部における弾道
-弾丸を受ける人の精神的、そして肉体的コンディション
射手が発砲を決断するタイミング、そしてその際の精神的コンディションは命中点の位置に影響する。銃が不十分な効果しか挙げ得なかった実例の分析からは、非常に多くの例において、弾丸の効力が不足していたことが原因ではなく、射手が精神的負荷を受けていたこと、そしてそれによって正しくないタイミングで発砲を決断したことが失敗を招いたのである、ということが分かる。
弾丸が人体内部でたどるコースは、その効果に大きく影響する。貫通力が大きいため、人体内部でより多くの血管に当たるフルメタルジャケット弾は、弾丸を受けた人間を短時間で出血多量によって意識喪失、あるいは死に導くことができる。人体に浅くしか侵入しない変形弾は、より少ない血管しか通過しない。しかし、だからといって一般にその弾丸を受けた人間がより長時間活動能力を維持するというわけではない。それは、変形弾はより多くの組織を破壊するからである。弾丸の(直接的)効果は、その弾を受ける人間次第である。そしてまず第一には、感情的コンディションが効果の大きさの決定に関与する。そして麻薬も弾丸の効果決定に1つの役割を演じる。
効果に与える精神の影響を、理想的な状況を仮定して最も単純化して描写しよう。弾丸を受ける人を、その人が攻撃者をどのように認識しているかによって3つの類型的なグループに分類する。これは1927年、HATCHERがその専攻論文ですでに記述した分類方法である。
1、弾丸を受ける人が偶然銃撃を受けた無関係の通行人である場合。驚愕効果が大きな役割を演じる。このような銃撃の効果はきわめて大きい。
2、弾丸を受ける人が銃撃による負傷を覚悟すべき立場にいる場合。例えば戦闘中の前線にいる兵士、あるいは犯人との銃撃戦が一定以上長引いた後の警察官。この場合たいてい弾丸の効果は最初のケースより劇的に減少する。
3、弾丸を受ける人の意識が強い興奮、熱狂、戦争に集中している状態にあるなど、完全に意識が一定対象に狭められている(視野狭窄に陥っている)場合全て。
3つ目のグループでは、弾丸を生存に欠くことのできない部位に受けたのに、効果が現れないどころかすぐにはそれに気づきすらしないという例がしばしば報告されている。このような人は後に興奮が収まった段階で初めて傷からの出血を発見し、自分が撃たれたことに気づくのである。中枢神経に直接命中した場合は別だが、大動脈、心臓といった結局は死に至る部位に弾丸を受けた場合でも、即行動能力が失われるわけではない。
わずかな例を挙げたが、このように弾丸の効果決定には精神的要因がきわめて大きな役割を果たす。精神的要因は、一般にあらかじめ決定しておくということはできない。同様に、命中点や人体内部での弾道も正確に決定しておくことはできない。こういうわけで、射撃による効果は常に実際に発砲された後に決定するものなのである。
弾丸の効果を決定する要因の中で唯一能動的に決定し得るのは弾丸の効力である。弾丸の効力は、まず弾丸が命中時に持っているエネルギー(全効果ポテンシャルとしての)、そして弾丸が人体内弾道に沿ってどれだけのエネルギーを放出する能力を持つかによって決まる。
人は、このような例を見ることによって、効力と効果という両方の概念を、常に厳しく峻別して把握することが重要である。
今回の内容はシリーズのいわばイントロダクションであり、簡単に要約するなら、「弾丸が人間に与える効果を考える上では用語を厳密に定義すべきである。結果的に表れた効果と、それを生じさせる可能性を持つ効力とははっきり区別しなくてはいけない。例えばよくホローポイント弾は大きな効果を持つ、と言われるがそれは誤りで、ホローポイント弾は大きな効力を持つ、と言うべきである。大きな効力を持つ弾丸が大きな効果を生じさせるとは限らない。同じ効力の弾丸がまったく違う効果を生むこと、効力が小さい弾丸が大きな効果を生むこと、効力が大きい弾丸が小さな効果しか生まないことが現実にたくさんある。これは他に命中ポイントの位置と人体内弾道、弾丸を受ける人の精神的コンディション、肉体的コンディションが大きな意味を持つからである。そしてこれら威力以外の要因が持つ比重は一般に考えられているよりずっと大きい。」ということでしょう。「効果」と「効力」は、日本語でもあまり厳密に区別されない場合があります。例えば「効果の大きい薬」という言い方をしますが、その薬を使ってもまったく効果が現れない場合も多いはずで、厳密には「効力の大きい薬」の方が適切と思われます。まあ日常用語としては「効果の大きい薬」でも、「これは盲腸を切った跡だよ」でも、「頑住吉のホームページ」でも、「恐竜プレシオザウルス」でもいいと思うんですが、厳密に学問的な議論を展開していこうとすればちゃんと言葉を定義して使わなくてはいかん、というわけですね。
4等分された円グラフが出ていますが、これは何も厳密にそれぞれの要因が等しい比重だと言いたいわけではなく、通常充分な効力のある弾丸を人体の主要な部分に撃ち込めば、例外的な場合を除いて充分な効果が得られると考えらえがちだが、実はそうではなく、それ以外の要因は普通考えるよりはるかに大きいものなのだ、ということでしょう。今後は事前に決定しうる要因である弾丸の効力を主に論じるが、それは全体の中では一部に過ぎず、それだけでは充分ではないのだ、という本格的な議論に入る前の大前提ということだと思います。
最初に挙げられている例は「アクション4」の項目で簡単に触れられていた、ドイツ警察がフルメタルジャケット弾の使用を止め、「アクション4」に切り替えるきっかけになった事件ですね。あちらの記事には確かに1999年と書いてあるんですが、同じ事件のはずです。あちらでは「無関係の」人を殺してしまった、とありましたが、実際には無関係どころか犯人に襲われそうになった婦人警官を助けようとした人間を殺してしまった、ということです。「2番目に議論を呼んだ」として挙げられているのは「マイアミ銃撃戦事件」ですが、もちろんこれはドイツでのことであって、アメリカではこっちの方が多くの議論を呼んだはずです。ただ、FBIが犯人と銃撃戦になって殉職するのはまあ最悪の場合そういうこともあるだろうと思えますが、一般市民がこちらから警察を呼んで、来た婦人警官が犯人に襲われそうになったのを助けようとしたら逆にその婦人警官に殺されてしまった、という事件の方がある意味インパクトは強いでしょう。それにしてもドイツ人の筆者は「マイアミ銃撃戦事件」にひっかけてまたアメリカ人(FBI)を愚か者呼ばわりしてますね(笑)。でも確かに言われてみれば、あの事件におけるFBIの主要な失敗の原因が弾丸の効力以外のところにあったというのはその通りでしょうし、10mmオートや.40S&Wを使っていればああいう結果にならなかったとは全く言えません。また、あまりに少ない(というか単一の)サンプル数に基いて使用銃、弾薬の選択をするのは間違いだ、というのもその通りでしょう。ただまあアメリカ人に言わせれば警察用として25年以上9mmパラベラムのフルメタルジャケットを使い続け、罪のない人を殺して初めて弾薬を変更したお前らの方が馬鹿だということになるかもしれませんけど。
よく、「今の子供はテレビゲームばかりして昔の子供のようにとっくみあいのけんかをしたりしない。だから加減がわからず、けんかになった時に殺してしまったりするのだ。」てなことを言う人がいますよね。私はこれは馬鹿げた発言だと思います。例えば大量生産品のお皿がたくさんあって、これを机の角に叩きつけるとします。このお皿がどのくらい強く叩いたら割れるのかを経験的に知るためには、少なくとも2〜3枚割ることが絶対に必要です。同様に、人間がどのくらい強く叩いたら死ぬかを経験的に知ることは、少なくとも2〜3人殺さないかぎり論理的に不可能です。また、言うまでもありませんがお皿と人間では複雑さ、個体差の大きさが全く違います。監察医の書いた本を読むと、死後解剖してみて、「この人はたったこれだけのことで死んでしまったのか」と驚くこともあれば、「この人はこんな状態になるまで生きていたのか」と驚くこともあるそうです。人間がどこをどれだけ強く叩いたら死ぬのかなんてことは医者も含めて誰にも分かりません。これは人間を銃で撃つ場合も同じで、同じような点を同じ距離から同じ弾丸で撃っても結果が極端に異なる場合が多いわけです。日本のいわゆる「連続射殺魔」事件で頭部を撃たれた人がかなりの長距離を歩いた後に絶命したという実例がありますし、12.7mm弾で頭部を撃たれた日本軍パイロットが機を着陸させた後に絶命した、という記録もあります。今アメリカ軍が5.56mmx45弾のストッピングパワーが不足であるとして6.8mmx43弾薬に換えることを検討しているという話を聞くと、そんなこと40年前から分かってなきゃおかしいだろうと思いますが、5.56mmx45弾の効果も状況によって全く異なり、一般的傾向としてストッピングパワーが不足であるかないかというのはなかなか判断が難しいものなんでしょう。5.56mmx45弾には反動が小さくて撃ちやすいという明らかなメリットがあり、6.8mmx43弾薬に換えればフルオート時のコントロールが難しくなるのは間違いないはずです。どちらにもメリットとデメリットがあるわけで、もしかしたら最近のアメリカ軍の戦闘が砂漠、山岳地帯など遠距離の射撃が多くなる場所で行われているから現在6.8mmx43弾薬がいいという意見が有力になっているだけなのでは、という気もします。これを採用後ジャングルや市街地など近距離の射撃が多くなる場所で戦闘が起こったら前の方がよかったという意見が有力にならないとも限らないのではないでしょうか。
さて、これを書いている時点ですでに次号が入手できています。「その2」のタイトルは「弾丸のインパルスと効力」ですが、一見してちょっと引いてしまいました。数式が出てきてます。根からの文系人間の頑住吉、数式は苦手です。がんばって読んでみて、意味が分かればお知らせしようと思います。