中国のマシンピストル関連2題

 まずモーゼル関連です。

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中国の有名な駁殻槍は何故建国後にはもう鳴りをひそめ姿を隠したのか

モーゼルミリタリーピストルは中国で「駁殻槍」と俗称される。それは設計当初からもう拳銃界の変わり者で、その威力、射程、精度、火力持続性はいずれも普通の拳銃をはるかに超えている(頑住吉注:この筆者は20連でセミフルの特殊なM712をモーゼルミリタリーピストルとして語っています。ちなみにこの次にある画像はやや不鮮明で分かりにくいですがたぶんマルシンのモデルガンですな)。

まず、その銃身長は140mmに達し、普通の拳銃の銃身長に比べ倍近く長く、全長も倍以上で、300mm近くあり、このことはモーゼルミリタリーピストルにその他の拳銃をはるかに超える射程と精度を持たせている。次に、モーゼルミリタリーピストルの送弾数は20発である。着脱可能なマガジンにより給弾され、つまり現代の拳銃のように、1つのマガジンが撃ち終わったら、さらにもう1つを挿入すればすぐに持続して射撃ができ、火力持続性が非常に強大で、ほとんどチェコ式軽機関銃と肩を並べることができ、近距離の残酷な作戦の火力の需要を満足させることができた。さらに重要なのは、モーゼルミリタリーピストルの射撃方式が半自動と全自動の2種に分かれていたことで、半自動とはつまり一発一発連続で短発射撃できるもの、全自動射撃はちょうどサブマシンガンのように連続掃射できるものだった。

抗日戦時代の敵後方のゲリラ、偵察兵および特殊工作部隊は装備が劣り、遠距離火力が弱く、兵源の質の差異が比較的大きかったため、多くは近距離奇襲作戦戦術を採用し、この柔軟多変な戦術は、装弾数が多く、火力が強いモーゼルミリタリーピストルをより必要とした。当時中国軍の便衣部隊はいずれも大量のモーゼルミリタリーピストルを装備し、近距離戦の中で日本軍にきわめて大きなパニックをもたらした。中国軍人はモーゼルミリタリーピストルを使用し全自動射撃の射撃方式をもって、近距離においてワンマガジンノンストップで掃射し、連続して数人の日本兵を撃ち倒し、しかる後に素早く戦場を離れることを好み、一方奇襲を受けた日本軍は往々にして驚いて冷静さを失い、弾がどこから来るのか分からなかった。

モーゼルミリタリーピストルは抗日戦争、解放戦争に参加したが、建国後になるとそれは徐々にソ連式トカレフ拳銃によって取って代わられた。非常に多くの人はこれに対し不可解に思うが、実はその道理はごく簡単である。モーゼルミリタリーピストルは旧中国の武器装備低下の産物であり、加工が最も精緻なモーゼルミリタリーピストルでも、粗製乱造のサブマシンガンには対抗できなかった。サブマシンガンの火力(少なくとも400発/分)、射程(50mから200m)、精度(ショートバレルの拳銃に比べずっと正確)は、いずれもモーゼルミリタリーピストルをはるかに超えた。解放戦争の中で、国共双方はいずれも少数のサブマシンガンや軽機関銃を装備していたが、その数は多くなく、このためモーゼルミリタリーピストルには依然使用の余地があった。朝鮮戦争中期になると、五零式サブマシンガン(PPShサブマシンガン)が大量に部隊に装備され、モーゼルミリタリーピストルはすぐに継続して装備される必要がなくなった。朝鮮戦争以後、アサルトライフルの勃興とともに、攻撃拳銃は迅速に歴史の舞台を退出した。


 ちょっとおかしいと思われる記述もありますが。最後の画像のスコープの装着方式は面白いですね。次は興味深いのに詳しい資料がない機種に関する記事です。

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我が国が10年の時間を用いて研究開発したこのサブマシンガンは盒子炮に酷似 何故人に知られることが少ないのか

盒子炮は皆あまりにも熟知しており、それは駁殻槍とも呼ばれ、正式名称はモーゼル1896軍用拳銃である。モーゼル拳銃は1896年の生産開始から1939年の生産停止まで、価格が高い、寸法が大きい、銃口の跳ね上がりが大きいなどの欠点ゆえに、西方ではいかなる国も正式武器として採用しなかった。種々の原因ゆえに、我が国はかつて大量に導入およびコピー生産し、抗日戦時にその銃口の前に死んだ日本軍は数え切れない。漢陽造は我が国の功績ある小銃と言え、モーゼル拳銃は我が国の功績ある拳銃と言うことができる。最近私は何気なく気づいたが、我が国が1980年に生産したマシンピストルは、その外形が何とモーゼル拳銃の外形と同様で、仔細に見なければ本当にはっきり区別がつかない。これはどうしたことか、まさか古典に敬意を示したのか?

実は決してそうではない。このマシンピストルはその名を80式マシンピストルといい(国外ではサブマシンガンと考えられる)、我が国が1970年から1980年まで10年の時間を費やして研究開発、定型したものである。設計の目的は部隊の下級将校に体積が小さく、重量が比較的軽く、威力が比較的大きい兵個人武器を提供し、54式拳銃に取って代わらせるのに用いるためだった。考え方は良かったが‥‥

我々はまず80式マシンピストルのいくつかの性能を見てみよう。この銃は有効射程が50m〜100mで、使用弾の容量は10発および20発のマガジンで、発射速度は毎分60発に達した(頑住吉注:セミオート時か600の間違いか分かりませんが)。それはさらに残弾量指示器を設けてあり、単発射撃と連発射撃が選択できた。そのストックには2種があり、1つはホルスターストックで、1つはナイフストックだった。我々は80式マシンピストルの性能が決してモーゼル拳銃に比べて劣らないことが見て取れるが、ならば我が国ではそれにもかかわらず人に知られることが少ないのだろうか?

80式マシンピストルは見たところ素晴らしく、拳銃にもサブマシンガンにもできる。だがつまりはこのメリットこそそれが重視されなかった結果をもたらしたのであり、この銃は火力方面では79式サブマシンガンに及ばず、体積方面では今度は54式拳銃より大きい。これを言い換えるならば、この武器との交換を選択するのは79式なのかそれとも54式なのか? ここで我々は第二次世界大戦時にドイツ軍が装備したSdkfz.2装軌式バイク(頑住吉注:ケッテンクラート)を想起する必要がある。それも同じ誤りを犯し、装輪式車両の軽便さと装軌式車両のオフロード能力を兼ね備えるため、逆に両方ともに及ばないまずい局面がもたらされた。結局のところ魚と熊の掌は両方得られないのである。80式マシンピストルに装備の必要がなかったのもやむを得ない。


 これも内容は大したことありませんがナイフ兼用ストックの構造が推測できる画像が興味深いですね。伸縮でき、スリットのある部分はナイフとして使う時にはグリップ内に収まるんでしょう。

















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