ミャンマー軍機が中国領内に爆弾を落とし死傷者が出る その4

 まだいろいろな情報が出続けています。

http://military.china.com/news2/569/20150318/19394698.html


ミャンマー軍の作戦は出工不出力 消極的態度がどんどん受け身になる結果をもたらす (頑住吉注:「出工不出力」は人が来て仕事はしているが努力していない、といった意味らしいです。)

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションは本文の一部を切り取ったものなので省略します。」)

ミャンマーメディアは16日情報を流し、ミャンマー軍は最近3名のコーカン戦区で作戦を指揮する師団長の職務を解いた、とした。ミャンマーメディアはこれに対し推測し、これは「あるいは」ミャンマー軍が越境して中国公民の生命財産に傷害を与えたことと関係があるのではないか、とした。だが「グローバル時報」記者はミャンマー軍の情報ルートおよびコーカン同盟軍の情報源から、この3名のミャンマー軍師団長はそれぞれミャンマー軍第11師団、第44師団、第77師団に隷属し、このうち第11師団はコーカンで作戦中であるが、もう2つの師団はコーカンとは全く無関係だと知った。彼らが解任された真の原因は3つある。まず、このうち1名の師団長は作戦指揮に最善を尽くしていなかった。「空中戦力の援護あるいは重砲の支援がないだけでもうこの師団長は兵を抑えて動かず、明らかに特別に消極的だった。」 ミャンマー軍の消息筋の人物は記者に対し、「この種の消極的態度ゆえに、ミャンマー軍決策層が制定した10日でコーカン同盟軍を打撃し追い散らすという戦略目標が実現できない結果がもたらされ、しかもどんどん受け身になっている。」と語った。

ミャンマー空軍の合格点の出せる飛行員の人数が深刻に不足し、かつ実戦機が古いため、この師団長の要求はネピドー(頑住吉注:ミャンマーの首都。ちなみに以前はヤンゴン)の上層部を「対応に疲れ」させた。次にミャンマー武装部隊の現任の総司令であるミンアンライと同僚との間の関係が決して良くなく、多くの師団の一級指揮員がその指揮能力に不服で、このため師団級指揮員の出工不出力現象は決して個別の例ではない。第3に、3名の師団長は頻繁に軍の決策層に向け資金や装備を要求し、資金と装備が一定の段階に達しない状況下では部隊の作戦を督促する意思がなかった。これらの総合的要素が3名の師団長が同時に解職される結果をもたらした。だが、コーカン同盟軍上層部は決してこれを何ら良いこととは思っていない。「彼らは直ちに新たな師団長を派遣するだろう。しかもより命がけで攻撃を発動するだろう。」


 やはり直接の関係はないようですが、こうしたミャンマー軍内の混乱や質の低さが間接的に事件に影響した可能性はありそうです。

http://military.china.com/news2/569/20150318/19394782.html


コーカンのスポークスマン:中国軍の警告、ミャンマー実戦機を跡形もなく消失させる

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションは本文の一部を切り取ったものなので省略します。)

中国政府と軍が、ミャンマー軍機の爆弾が中国公民を傷害した事件に対し強烈な反応をなした後、コーカン戦区上空にはもはやミャンマー空軍実戦機の姿はないが、このことは決して中国・ミャンマー国境の戦事のクールダウンを意味してはいない。「グローバル時報」記者が3月16日と17日に中国・ミャンマー国境で最も直接的に感じ取ったのは、ミャンマー陸軍の攻勢がより狂猛さを加え、砲兵部隊の轟く砲声が中国の南傘に家を構えて住む住民を眠りに入り難くさせている、ということだった。このデリケートな時、中国外務大臣王毅が雲南省に姿を現し、メディアの注意を引き起こしてもいる。中国外交部スポークスマンの洪磊は17日、王毅外交部長が先日雲南省に行ったのは、中国の現在の外交業務につき雲南省委員会、省政府に向け状況説明したのだ、とした。雲南省にいる期間、彼は雲南省委員会、省政府責任者とさらに現在の中国・ミャンマー国境地域の事態につき意見交換し、業務配置を検討した。

17日昼12時30分、臨滄-南傘の道路際に立つだけで、もう「コーカン戦争実況放送」を見ることができた。道路の下方はダージュージン村で、この雲南省鎮康県村落の真向かい面なのは、ミャンマーのコーカン地域の釦塘村である。「本当に死ぬほど怖い。ミャンマーの重砲は昨日朝8時にはもう狂ったように釦塘村山頂上のコーカン同盟軍陣地を砲撃し始め、その後歩兵が突撃した。歩兵は第一波の攻撃中に陣地線に下がり、さらに重砲を用いて砲撃した。10時40分前後、ミャンマー軍は第二波の歩兵突撃を発動し、結果としてまた敗れた。後にミャンマー軍はまた老街東城およびその他の場所から兵を移動させてきて、双方はずっと戦いを止めなかった。」と釦塘村の村民である楊老三は「グローバル時報」記者に教えた。話している間に、1km離れたところにある山の上で、ある同盟軍部隊が潰走するミャンマー軍を追撃するのが見えた。この場面は少なからぬ通りがかりの人の車を止めての野次馬見物を引き起こし、通りがかった公安のパトカーはやむを得ず放送を用いて「
急いで散れ、流れ弾の危険に注意!」と警告することになった。

コーカン同盟軍スポークスマンの林氏は、「中国政府と軍の厳しい警告はミャンマー軍実戦機をコーカンの上空から跡形もなく消失させたが、戦事の激烈さは低下することはなく逆に上がっている」とした。コーカン同盟軍最高指揮員は「グローバル時報」記者に、16日から、ミャンマー軍地方部隊と砲兵は相次いで近隣の中国南傘の国境の同盟軍211旅団の防衛区域、311旅団の釦塘防衛区域に対し猛烈な進攻を発動し、コーカン同盟軍も17日午後1時42分にミャンマー軍の臘戌から老街に至る輸送車隊を奇襲した、と教えた。


 正規軍と地方武装勢力の戦いですから前者圧倒的に有利なのかと思うとそうでもないらしいこと、後者が国境ごく近くにいてミャンマー軍の誤爆を確かに引き起こしやすいらしいことなどが分かりますね。ミャンマーの軍用機が姿を消したのは中国と戦争になるのをいかに恐れているかの表れでしょう。軍事力自体を恐れているのか、戦争になったら経済的その他の面で立ち行かなくなるのを恐れているのかは分かりませんが。

http://military.china.com/news2/569/20150318/19395341.html

(頑住吉注:この記事は前の2つの記事との重複部分が多いので、その部分は省略します。)


ミャンマーサイド、中国の被害者に7万人民元の賠償を提案 中国軍用機、頻繁にパトロール飛行

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションは本文の一部を切り取ったものなので省略します。」)

中国軍の17日の動きもより頻繁になった。大水倉寨の砲声が起こってほどなく、中国軍の一隊の車隊がもう迅速にやってきた。第125界碑(頑住吉注:日本にはこういうのないんで馴染みがないですが国境を示す石の標識らしいです)付近に駐留し守備する中国防空部隊は高射砲(頑住吉注:中国語では高射機関砲もこう呼び、たぶんそっちでしょう)をうまく隠蔽し、反復して訓練を展開した。14時25分、2機の陸軍ヘリが鎮康県上空に飛来し、1機は迅速に降着し、もう1機は国境上空を往復してパトロール飛行した。

これと同時に、中国・ミャンマー双方はミャンマー実戦機が越境して中国公民の生命と財産に傷害を与えた事件につき緊急協議した。この件に近い消息筋の人物は「グローバル時報」記者に、ミャンマーサイドの代表はそれぞれの被害者の家族に向け7万人民元の賠償をすることを提案した、と教えた。ミャンマーサイドのある人は、コーカン地域で発生した死傷事件の最高賠償額は2万人民元だ、と指摘する。

(頑住吉注:これより2ページ目。)

「国境での衝突の中、中国外交部長は雲南省に赴いて安全保障に関する談話を行った」 香港の「南華朝刊」は17日報道し、王毅は16日に雲南省にやってきて省委員会理論学習センター小グループの学習会に参加し、かつ外交外事業務につき特定テーマ報告を行い、雲南省当局者といかにして中国・ミャンマー国境の平和と安定を事保護し、中国公民の生命財産の安全を維持保護するかを討論した、とする。

周辺国もこの衝突に関心を注いでいる。「あなたの隣人を尊重せよ」、インドネシアの「ジャカルタポスト」は17日社説を発表し、中国サイドはミャンマー軍が中国公民を爆死させた事件につきミャンマーに向け抗議を提出し(頑住吉注:たいてい「交渉を提出」となっていてどう訳せばいいのか首をひねるんですがここではこうなってます)、これは2011年にミャンマーが一方的に中国資本の水力発電所プロジェクト取り消しを宣言して以来の、中国の最も強烈な反応である、とした。文章は、中国指導者のミャンマー北部の事件に対する態度表明の後、ミャンマーは極めて不本意気に「悲痛」を表明した、とする。「ミャンマーは、中国がその領土主権に対し極度に敏感な国家で、かつこの国家がその最大の隣人であることを覚えておくべきである。もちろん中国とミャンマーには国境における事件の中でそれぞれに理由があるが、分離主義分子に戦勝するには単に銃器や軍事的鎮圧に頼ることはできないのである。」

中国・ミャンマー国境のある難民キャンプ内で、コーカンの老街の青年李文義は「グローバル時報」記者に次のように教えた。「私はミャンマー族の人と同じに平等な国民としての待遇を持ち、我々と我々の子孫に赤色の身分証を持たせ、ミャンマー族やその他のミャンマー少数民族同様に教育が受けられ、自由に自らの国土の中を行動できることを希望する。私は3〜5年ごとにもう戦争が発生することが永遠にコーカンの土地で上演されないことを希望する。私が現在最も渇望するのは中国の平和の努力がコーカンに平静を回復させ、戦事をクールダウンさせ、我々を自らの家に帰れるようにさせ得ることだ。」


 なかなか日本人には実感として理解しにくい複雑な問題をはらんでいるようですね。











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