ワルサ―PPKのコピー? 64式拳銃

 今回は、一見ワルサ―PPKのコピーのように見える、64式拳銃に関するページの紹介です。.32ACPとそっくりなのに何故か互換性がない64式拳銃弾薬が誕生した理由に関する記述も含まれています。

http://blog.163.com/wuya2044195@126/blog/static/13885460920109882216166/


「小大砲」伝奇 64式拳銃の前世、今生

国産の1964年式7.62mm拳銃は我が国が自ら研究開発した第一号の拳銃であり、1964年に設計定型に至り、1980年に大量生産が開始された。この銃は構造が簡単、性能がきわめて優秀で、主に部隊の中高級軍官、人民警察、司法および安全保障部門に装備された。この銃は緻密精巧で、コンシールドキャリーに便利で、これに加えその使用する1964年式7.62mm拳銃弾薬は装薬量が比較的少なくて発射音が大きくないため、非常に多くの公安人民警察官たちからはふざけて「小大砲」と呼ばれた。この銃は我が国でよく見かけられる警察用武器の1つでもあり、使用者たちに深く愛された。64式拳銃に研究開発、生産、使用の過程でどんな物語があったか、筆者の話をじっくり聞いてほしい。

52式拳銃から語り起こす

52式拳銃は765公安拳銃とも呼ばれ、我が国が早期に自ら生産した拳銃の1つである。後に現れる64式拳銃と密着不可分な関係があり、64式拳銃の前世と見なすこともできる。建国初期、我が人民解放軍と広大な公安、人民警察の武器はまだ統一化および制式化が実現されておらず、主に各種の鹵獲武器が装備の主力であり、ふざけて万国武器博覧会と呼ばれた。特にこの傾向が強かったのは公安、人民警察で、各種の雑多なブランドの拳銃を主要装備としており、一部の武器は国外ではすでに淘汰されて久しく、弾薬さえ入手困難だった。しかも当時の情勢は複雑で、敵である国民党のスパイの他、多数の反動的宗教団体、土着の悪者のボスも、新しく誕生した人民政権を深刻に脅かしていた。公安部門や保安部門はいずれも勤務に便利なように新型の公安拳銃を必要としていた。1951年に定型に至った51式拳銃(頑住吉注:トカレフのコピー)は威力が比較的大きかったが、志願軍の需要が大きく、製品は供給が需要に追い付かない状態だった。さらに51式拳銃の体積、重量は大きすぎ、軍の装備としてはいいが、私服の警察官がコンシールドキャリーするのには困難があった。当時の軍需工業は新型武器を独自に研究開発する能力を持たなかったこともあり、国外の成熟した武器をストレートにコピーするのが最も簡単で実行しやすい方法だった。厳しいふるい分けを経て、最終的にドイツ製のPPK拳銃を原形としてコピーが行われることが決定された。PPK拳銃はドイツのワルサ―工場が30年代に生産した小型自衛用拳銃で、当時世界最高性能最優秀で、装備量が最多の小型拳銃の1つでもあった。長年にわたる戦争中、我が軍は大量のPPK拳銃を鹵獲してきており、この銃の使用する7.65mmx17SR(頑住吉注:セミリムド)拳銃弾薬は当時非常に流行していた弾薬種類でもあり、このためPPK拳銃をもって原形とし、52式拳銃が生産されたのはごく自然なことだった。

52式拳銃は外形、内部構造いずれもPPK拳銃と完全に同じだった(頑住吉注: http://bbs.tiexue.net/post_3753833_1.html グリップのトレードマークのデザインまで似せて、まるで商標問題顕在化後の日本のトイガンのようです)。ただし原材料と加工技術の制限により、PPK拳銃の精緻さ、耐久性には遠く及ばなかった。筆者はかつて、公安の第一線で長年仕事をしたある老同志にインタビューしたことがある。彼の回想によれば、52式拳銃の加工は非常に荒く、武器内部はツールマークだらけで、鹵獲されたドイツ製のオリジナルPPKと比較すると非常に貧乏臭く見えた。しかも防腐蝕技術も不十分で、さびやすかった。当時1度張り込みの任務において、草むらの中に一日一夜伏せていたら、拳銃の表面にはすでにさびによる黄褐色が表れていた。使用された鋼材も不適合なもので、柔らかすぎ、多くの長時間保管された52式拳銃のトリガーガードに変形する現象が見られた。

さらに現実的な問題は、我が国は7.65mmx17SR弾薬を生産していないということだった。鹵獲弾薬のみに頼るのでは需要を満足させるには程遠かった。倉庫にある弾薬の他、東欧の友好国家から購入せざるを得ず、アメリカ製の.30カービン弾薬を切り詰めて作る必要さえあった(頑住吉注:へー、そんなことできるんですか)。外部から制約されることは新中国の軍需工業部門としては避けなければならず、自ら新型の拳銃と弾薬の研究開発を開始した。これは64式拳銃誕生にきっかけを与えることにもなった。

紆余曲折を経てやっと誕生した64式拳銃

60年代、軍需工業部門が52式拳銃には欠点があると意識するに至ると、ただちに新世代の拳銃の研究開発が開始された。建国後十余年、新中国の軍需工業部門は国外武器のコピーから始まり、だんだんに自分たちの設計師や設計チームを養成し、独自に武器を設計する能力も持ち始めた。研究開発過程で、多くの問題も発生した。だが新中国の武器設計師たちはそれでも彼らの聡明才知をもって種々の難題を解決し、最終的に満点の答案を提出した。

(頑住吉注:原ページのここには弾薬を比較した画像があります。左から64式拳銃弾薬、7.62mmx25、7.62mmx39、そして一番右はリムが極端に分厚くしてある中国警察用の12ゲージ散弾です)

64式拳銃が研究開発過程でまず遭遇した難題はすなわち弾薬に関する問題だった。どんな種類の弾薬を採用するか、口径は大きめか小さめか? 口径が大きめの弾薬は停止作用が疑いなくやや良好だが、主に公安人民警察、軍隊の中、高級軍官や防衛・保安部門が使用する武器としては、体積が小さく、重量が軽く、コンシールドキャリーに便利なことこそが最も重要な鍵となる。もし大きめの口径を採用したら、武器の体積や重量は計画指標を超えることになる。最終的に、設計師たちは64式拳銃のために、専用弾薬を設計した。すなわち7.65mmx17拳銃弾薬であり、1964年式7.62mm拳銃弾薬とも呼ばれる。この弾薬の威力は基本的に7.65mmx17SR拳銃弾薬に相当するが、初速が少し高く、両弾薬には互換性はない。原因は、7.65mm拳銃弾薬がセミリムドの薬莢を採用していることで、薬莢のリムの直径は9.06mm、薬莢の長さは17.3mmである。一方64式拳銃弾薬はリムレスの薬莢を採用しており、薬莢のリムの直径は8.44mm、薬莢の長さは16.8mmである。かつてあるマニアが64式拳銃弾薬をM1900拳銃(頑住吉注:ブローニング?)とM1903(頑住吉注:これはコルト?)、およびスペイン製拳銃(いずれも7.65mm拳銃弾薬仕様)に装填し、テストしたことがあるが、不発率が高すぎ、かつ送弾不良、排莢不良の故障が多数出現することが分かった。別の実際の例は90年代に悪名高い悪漢の魏振海が公安人民警察に包囲され、逮捕された時、7.65mmブローニングM1910拳銃を持って頑強に抵抗し、ある人民警察官の頭部に向けて発砲しようとしたが結果的に不発が起きて人民警察にその場で逮捕されたというものである。事後に彼が使用したM1910拳銃を検査すると、内部に装填されていたのは64式拳銃弾薬であり、弾薬のプライマーにはごく浅い窪みがあるだけだった。その原因を究明すれば、64式拳銃弾薬はリムレス弾薬に属し、本来7.65mm拳銃弾薬を使用すべき武器に装填すると、弾薬がチャンバーに進入する深さがやや大きくなり、そのためプライマーを撃発するファイアリングピンの打撃力不足がもたらされたのである。反対に、64式拳銃弾薬を使用する武器、例えば64、77式拳銃にも7.65mm拳銃弾薬は装填できないのである(頑住吉注:この場合不完全閉鎖になるでしょう)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「PPKと52式拳銃に使用する7.65mm拳銃弾薬(左)と64式7.65mm拳銃弾薬(右、弾頭が金色)の比較」)

軍需工業部門は何のために体積、威力上の差が大きくないのに互換性のない弾薬を研究開発する必要があったのだろうか? 8年にわたる抵抗戦争(頑住吉注:1937年の蘆溝橋事件によって日中戦争が開始された時から1945年の終戦までを指しています)は無数の中国人民に忘れ難い記憶を残した。国土の大半が敵に占領され、これが一世代上に与えた心理的影響は、平和な時代に生きる我々には想像できないものである。もし互換性のある弾薬を採用し、ひとたび当時と同じような戦争が起こったら、敵が鹵獲武器を使って互換性のある弾薬を装填し、我が同胞を殺傷する悲劇が起きる可能性があったのである。

(頑住吉注:ちなみにかつて、スイス銃器マガジンの67式サイレンサーピストルに関する記事を紹介したことがあります。ここで私は「あるいは鹵獲された銃を敵が使用しにくくするためもあるのかなという気もします。」と書きましたが、今回の記述が正しいなら私の想像は当たりということになります。それにしても、あの時はまさか中国語を勉強して中国人自身による理由の説明を読むことになるとは想像もしていませんでした。)

研究開発過程で1つのちょっとした論争が起きた。ある意見は、52式拳銃の基本構造を直接模倣するべきだとした。こうすれば研究開発時間と経費を大きく削減できる。結局のところこの構造はすでに熟成、完備されたものだというのである。他の意見は、その構造に大きな改修を加えるべきだというものだった。52式拳銃の一部の設計はすでに時代遅れで、人間工学にも符合していない。例えばセーフティ機構の設計は不合理であるというのである。最終的に後者の意見が主流となり、新型拳銃の独自研究開発が決定した。

数年の努力を経て、1964年、我が国が自主設計開発した新世代自衛拳銃がついに設計定型に至り、1964年式7.62mm拳銃(略称64式拳銃)と命名された。この銃は自由遊底式自動方式、慣性閉鎖(頑住吉注:要するにストレートブローバック)で、シングル・ダブルアクションでの発射が可能だった。セーフティ機構は非常に完備されており、マニュアルセーフティ以外に、さらに落下セーフティ、ファイアリングピンセーフティ、不完全閉鎖セーフティ等があり、安全、信頼性に関する設計上の要求を最大限度満足させていた。同時にチャンバーインジケーター、スライドストップ解除等の機構を備え、小型自衛拳銃の中で比較的先進的なものだった。我が国がその前に生産したことのあるPPKコピーの52式、およびマカロフコピーの59式拳銃を元にし、64式拳銃にもこれら2種の拳銃の比較的先進的な、そして成熟した多くの構造が踏襲された。リアサイト、セーフティ、ファイアリングピン、マガジン、ハンマー連動ノッチは59式拳銃と違うやり方で同じ効果を上げている。一方フレーム、トリガー、スライドストップは52式拳銃の構造を流用している。52式および59式拳銃の比較的複雑あるいは脆弱な部分はいずれもできる限り捨て去られ、独自設計に改められた。例えばシアは独自設計である。この銃は全長152.8mm、空虚重量560g、マガジン容量7発である。我が国の関連する殺傷運動エネルギー基準によれば、人体を殺傷するのに必要な運動エネルギーは80ジュールだが、馬を殺傷する運動エネルギーは180ジュールであり、このためこの銃の銃口エネルギーは220ジュールに設定された。その威力は日常の自衛の需要を満足させ得た。

しかしその後起こった文化大革命は社会の各業種に深刻な衝撃を与え、軍需工業もこれを免れることはできず、すでに定型に至っていた64式拳銃は棚上げにされるしかなかった。ずっと後に文化大革命が終結した後、軍需工業は徐々に活気を取り戻し、やっと64式拳銃の大規模生産が開始された。この時はすでに80年代だった。

64式拳銃を受け取ったちょうどその日、筆者は間違いなくびっくりさせられた。その表面処理はかつての国産武器と比べはるかに良くなっており、非常にきめ細かかった。ある人民警察官が、「その表面は少女の肌のようにきめ細かい」とさえ形容したほどだった。スライドを引くと、機械部品の結合は緊密で、だらけた感じはなかった。スライドを放すと、閉鎖はきれいに、すぱっと行われ、軽快な金属の衝突音は使用者に充分な信頼感を与えた。この銃は非常に精巧で、成年男子の掌の中にほぼ完全に隠れ、公安人民警察のコンシールドキャリーに非常に適合していた。拳銃を保持し、腕をリラックスさせた状態で、拳銃は自然にターゲットに向いた。54式拳銃のような腕がぎこちなくなるような感覚はなかった。指向性は非常によく、設計師が研究開発過程で武器の指向性も設計指標の1つとしたことが見て取れる。スライド上方、リアサイトとフロントサイトの間には花のような紋が加工され、その目的はスライド表面の反射光が射手の邪魔になることを防止するためだった。ハンマーをコックすると、ファイアリングピンとその上方のチャンバーローディングインジケーターが露出した。チャンバー内に弾薬が装填されていると、弾薬の底部がチャンバー内のローディングインジケーターをスライド後部に押し出し、照準時に目で見やすかった。もし夜間ならば、手で触ってチャンバー内に弾薬があるか否かを確定できた。もしチャンバー内の弾薬を排出したら、チャンバー内のローディングインジケーターはスプリングの力でスライド内に引っ込んだ。

親指で軽くスライド左側に位置するマニュアルセーフティを動かすと、52式、PPKの設計とちょうど反対であることが分かる。上に動かすとセーフティ状態で、下に動かすと射撃状態なのだ。このような設計はとても操作がスムーズで、結局のところ下に動かすセーフティの方がずっと便利であり、指が逸れてしまいにくくもある。マニュアルセーフティをセーフティ位置に動かすと、ハンマーは自動的にリリースされる。注目に値するのは、この時ハンマーがファイアリングピンに触れるに至らないということだ。このためこの過程は安全である。この機能の実現はハンマーにある切り欠き下方の窪みとセーフティ上端の突出構造が相互に組み合わさることによってなされる。かつハンマーが安全にリリースされると同時にハンマー、スライド、トリガーはロックされる。セーフティをかけるとスライドは引けず、ハンマーをコックすることもできず、トリガーを引くこともできない。筆者はこれはきわめて成功した設計であると思う。

設計過程において、1つの部品を多用途に使うという設計理念が継承されたので、この銃は日常の分解、メンテナンスの時、4大部分に分解することしか必要としない。例えばこの銃のバレルはリコイルスプリングガイドの機能も兼ねており、リコイルスプリングは直接バレルにかぶせられている。またグリップパネルはワンピースで、一般的な拳銃のように左右2つの半分からなっているのではなく、1本ネジを抜くだけで取り外せる。ハンマースプリング座の下方はリング状に加工され、グリップ底部から突出し、ランヤードリングとして使用される。64式拳銃の設計で最も巧妙なのはエジェクターに違いない。エジェクターの機能だけでなく、同時にスライドストップの機能も兼ね備えている。この銃のマガジン底板とグリップ下部の平面との間には1.2〜2.6mmの間隙がある。実弾入りマガジンを挿入し、力を入れてマガジンをいっぱいに上に叩き込むと、マガジン左側の突起(台形に近い)の斜面がエジェクターに当たり、これに時計方向への回転を強制し、スライドストップは解除される。マガジン底板が力を加えられていない状況下(例えば正常な射撃中)、マガジンスプリングの作用によりマガジンは下方位置に保持されている。上述の間隙があるので、マガジン側面の突起はエジェクターに作用しない。マガジン内の弾薬を撃ち尽くすと、フォーロワはエジエクター後端を押し上げ(左側から見ると反時計方向に回転)、スライドストップが機能する。上述の方法の他に、実弾入りマガジンを挿入した後、手でスライドを引いて放すという方法でもスライドストップは解除される。

興味深いことに、64式拳銃の刻印は生産した工場が異なることによって変化している。一部の生産分の銃の刻印は中文の「六四式」だが、一部の銃の刻印はアラビア数字の「64式」に変化している。この他には変化はない。

64式拳銃の不完全分解は工具を必要とせず、素手ですぐに行える。もし完全分解が必要なら、ピンセットとマイナスドライバーも必要となるが、専用工具は必要としない。銃は分解前、まずマガジンを抜き、その後スライドを引いてチャンバー内に弾薬がないことを確認する必要がある。これは良き習慣として身につけなければならないことでもある。チャンバー内に弾薬がないことをチェックしたら、トリガーガードを外れるまで下に引き、その後トリガーガードを右または左に向け、フレームのトリガーガード収納穴の内部に引っかける。その後スライドを後方に最大限に引いてスライド後端を持ちあげ、さらに前方に押し出す。その後バレルにかぶせられているリコイルスプリングを取り外せば、すなわち64式拳銃の不完全分解は完了である。

この時チャンバーを見ると、内部に4条のらせんミゾがあることに気付く。このらせんミゾを設計したのは64式拳銃の初速が7.65mm拳銃弾薬と比べて高く、しかも64式拳銃は設計時にスライド質量を軽くしすぎたためである。試験過程でスライド後座速度が速すぎ、その後座運動量がグリップを通じて射手の手に伝達され、射手に射撃過程で手が振動する感覚を与えた。この問題を解決するため、スライドが後座する時に生まれる衝突のエネルギー量を減少する措置が必須となった。最も簡単な方法はスライド後座の速度を減少することだった。銃の全体質量を増加させない条件下で、チャンバー内部に4条のらせんミゾが加工された。弾薬の撃発後、薬莢は火薬ガスの作用下で膨張しながら後座する。チャンバー内にらせんミゾが加工されているので、薬莢とチャンバー内壁の接触面積が増大し、こうして薬莢引き抜きの阻力が増加する。その作用はスライドの質量を疑似的に増加させるのに相当し、スライド後座の運動量減少という目的が達成された。しかもチャンバーにらせんミゾを追加すると、スライド質量が軽すぎるためにもたらされたスライドストップの作動不良も解決され、これは一挙両得の創造と言える。

この他フレーム後方にいくつかの数字が刻印されている。これらの数字はシリアルナンバー(スライド上にある)の下のいくつかの位と同じもので、工場がスライドとフレームをごっちゃにして組み立てることを防ぐためにわざわざ刻印したものだ。国産銃器の加工精度はまだ不足だったため、これにより同じ型番の間の完全互換を保証した。いくつかの部品はやすりで修正しなければならず、これで初めて組み込むことができた。だからこそこんな設計がなされたのである。スライド内側にも工場の組み立てナンバーが刻印され、検査に便利なようにした。一方マガジンフォーロワ側面にも同様にナンバーが刻印され、これは工場から出荷される時、原則的には銃と同じ番号だった。ただし筆者の実際の使用中、マガジンは全て互換性があり、同じ番号でなければ使えないという問題は存在しなかった。

欠点と残念な点

64式拳銃は60年代に誕生した武器として、また同時に新中国が自主的に研究開発した第一号の拳銃として、不可避的にいくつかの欠点と残念な点が出現した。筆者によればそれらは次の通りである。

その1、武器の外形に威嚇力がない。あるハンドルネーム「危険関係」という老人民警察官はかつてフォーラムに書いた。「64式拳銃は体積が小さく、携帯に便利で、外観や加工品質が良かった。この銃は操作がスムーズで、信頼性も高く、装備開始時は人民警察官は皆喜んだ。しかし使用過程でだんだんに小型拳銃のいくつかの弊害が現れてきた。民衆や犯罪者は54式拳銃の外形をもって武器を評価する習慣になっており、小型拳銃は基本的にどんな抑止力とも言えない。これに加え64式拳銃の表面加工技術は54式拳銃と比べてずっと良く、理屈から言えばこれは技術の進歩だが、加工がきめ細やかな表面には金属の質感が乏しく、人にプラスチック製品であるとの錯覚を容易に起こさせる。装備改変後、多くの民衆が人民警察の武器であるとは決して思わなかった。かつて64式拳銃を公然と携帯していた人民警察官は皆、今日に至るもいまだに民衆の好奇に満ちた質問にしょっちゅう出会う。「同志、あなたたちのこの銃は、一体本物なのかね、それともプラスチックなのかね?」 64式拳銃の革製ホルスターを別のものだと思う民衆もいて、「同志、あなたたちは同時に2つの手錠を持って何をするのかね?」 と言うのだ。人民警察官の仕事を検査する人民代表大会代表が似たような質問をしたことさえある。完全武装した人民警察官に、「銃は持っているのかね?」と。泣き笑いせざるを得ない。拳銃は体積が小さいと、群衆に安心感を与えることが難しい。同時に犯罪者に対しても威嚇力を欠き、さらに重大な誤解を引き起こすことさえある。筆者の所属部門はしょっちゅう逮捕の任務を執行しているが、64、77式拳銃に装備改変後、すぐに逮捕の任務中明らかに抵抗が増したことを感じた。犯罪者の、警察の警告動作に対する反応が不明確になり、これにつれ反抗や逃走が大幅に増加した。ある逮捕の時、多人数の警察官が身分を明かして銃を抜いたのに、犯罪者は意外にも依然として暴力的に反抗した。制圧された後、犯罪者は味わい深い一言を口にした。「俺はあの時、あんたたちの持っていたのはおもちゃの銃で、脅しだと思ったんだ。」

その2、グリップの設計が充分に科学的ではない。64式拳銃は小型拳銃に属し、その体積は比較的小さい。設計過程においてフィンガーレストが設計されなかったため、手の比較的大きい射手は使用時、小指を曲げてマガジン底部に当てるしかなかったし、「蘭花指」(頑住吉注:観音像のような、京劇などで女性の優雅さを表現する時の手の形だそうです。よく分かりませんが、ここでは銃を保持するには似つかわしくない不自然な手の形になった、と考えればいいでしょう)にして射撃する射手さえいた。一方多くの国外の小型拳銃は揃ってマガジン底部にフィンガーレストを設計して設けており、例えばPPK拳銃はまさにこのような設計である。プラスチック製のフィンガーレストは構造が簡単で、コストも高くなく、人民警察官が自分で装着することもできるのだが、長期間にわたりこのたぐいの製品を提供したメーカーはない。また銃のグリップにはもう1つ設計上の問題があり、人差し指と親指の間の上に位置する延伸部分が短かすぎ、射撃時、手の保持角度に特別の注意を必要とする。特に手の比較的大きい人はそうである。かつてある人民警察官は後座してきたスライドに人差し指と親指の間を「咬」まれた。この先天的問題点は解決が難しいが、52式拳銃では類似の問題の発生はなかった。ここから、この銃は設計上、依然として人間工学に対する考慮が不十分だったことが見て取れる。

その3、装弾数が少なく、停止作用が不足である。64式拳銃の7発しかないマガジン容量は需要を満足させられない。多数の人民警察官は日常の銃携帯時、マガジンスプリングの圧力を減少させ、マガジンの使用寿命を延ばすため、通常5発しか弾薬を装填しなかった。ただし武器の使用が必須の場合は、往々にして1、2発の弾薬が問題を直ちに解決するとはいかなかった。もしさらに銃声をさらに鳴らして警告するのに弾薬が必要になったら、人民警察官の手にある銃には3〜4発しか残らない。このように少ない弾薬で、どのようにして現場の瞬時に大きく変わる情況に対処できるだろうか? かつてある人民警察官はふざけてこう言った。「どんな時もベルトリンクで給弾する拳銃があればいいにになあ!」 停止作用とは、簡単に言えば弾頭が敵対者の反抗能力を喪失させる作用である。停止作用の良し悪しは、命中後生体目標が戦闘力を喪失するまでの時間を決定する。時間が短いほど停止作用が大きいことになる。だが64式拳銃の停止作用は明確なものではなく、多くのケースで犯罪者が数発連続して命中弾を受けたのに依然として反抗できたという結果が起きている。

92式拳銃、警察用リボルバーやその他の新型警察用武器が徐々に装備されるにつれ、64式拳銃はだんだんに人々の視野からフェードアウトしていくだろう。ただし1つの素晴らしい性能を持つ警察用武器として、中国軍需工業史上における役割は人々から忘れ去られることはないだろう。


 私は以前この銃を注釈の中で「PPK亜流」と表現しました。この記事では「独自研究開発」「自主設計開発」されたものとなっています。私はこの記事を読んで、想像よりPPKから遠いことは理解しましたが、やはり「PPK亜流」の域を出るものではないと感じました。セーフティの作動方向はマカロフの模倣であり、側面が大きく開いたマガジンのデザイン、後方からはめ込むワンピースグリップもマカロフの影響と考えられます(ただし固定ネジは後方からねじ込むのではなくグリップを左右に貫通するもので、ワンピースグリップと左右貫通型固定ネジの組み合わせは珍しいと思われます)。しかし全体的に見ればPPKの影響がきわめて強い銃であるのは明らかでしょう(まあそんなことを言えばマカロフもPPの亜流と言えなくもないわけですが)。

 この銃でいちばん注目すべきなのはやはりスライドストップです。

   

 スライドストップとエジェクターが同一の部品であるというのはPPKと同じですが、PPKの場合スライドストップを解除するには弾薬入りのマガジンを入れるか空マガジンを抜くかした後にスライドを引くしかありませんでした。当然片手ではできず、不便なのでマカロフは単純にスライドストップを露出させて手動操作を可能にしました。一方この64式は、マガジン側面に突起を設け、マガジンをいっぱいに押し込むとその斜面がスライドストップの斜面を圧迫してスライドストップが解除されるようにしました。文中に「マガジン底板とグリップ下部の平面との間には1.2〜2.6mmの間隙がある」とあります。たぶん通常2.6mmの間隙が、いっぱいに押し込むと1.2mmになる、つまり通常の射撃状態より1.4mmよけいに押し込めるようになっているんでしょう。「片手でスライドストップが解除できる」わけではありませんが、マガジンを力を込めて叩き込めばいいというのはスライドを引くより明らかに早いはずですし、事実上モーゼルHScのような、マガジンを入れると自動的にスライドストップが解除されるというのと同じ効果が期待できます。非常に面白いアイデアですが、射撃中に左手やレスト対象によってマガジンがよけいに押し込まれたら、装弾不良の可能性が高まらないのか、という疑問があります。

 次に注目すべきなのはチャンバー内のミゾ、しかもらせん状のミゾでしょう。私が知っている、チャンバー内のミゾによってスライドの後退を遅らせる最も早い銃はHK4ですが、この時調べたところでは「HK4が発表されたのは1964年だが、実際に発売されたのは1968年頃のようだ」ということで、今回の「1964年、我が国が自主設計開発した新世代自衛拳銃がついに設計定型に至り」という記述と合わせるとHK4を真似たのではない可能性が高くなります。まあこのミゾがなくても反動がきついのを我慢すればいいだけなので、「大規模生産が開始された。この時はすでに80年代だった」というこの直前に追加された、という可能性もあるでしょうが。そしてらせん状のミゾを持つ私が知っている最も早い銃はこれまでPMMでしたが、この銃の登場は1990年代なので、明らかに64式の方が早いことになります。したがって、CF07拳銃の説明の際の、「これはマカロフPMMのシステムを真似たものです」という記述は疑わしくなり、64式のシステムを再度使用したものである、それどころかPMMの開発者の方が64式のデザインを真似たのだ、という可能性も出てきます。HK4の時書いたように、そもそもナチ・ドイツ末期の国民突撃兵器あたりに全ての元ネタがある、といった可能性も考えられますが、今のところ真相は不明としか言いようがありません。

 コルトM1900に関して、「資料にはここに限らず騎兵にとっての使いやすさ云々の問題が頻出する。実際には騎兵の役割はあとせいぜい十数年でほとんど終わりになるのだが、それを予測していた人は少なかったようだ」と書いたことがありますが、中国では1960年代になっても自衛用小型拳銃に馬を殺傷するのに必要なエネルギー量が要求された、というのは興味深いです。実際に馬を倒さなければならない状況は多かったんでしょうかね。

 この銃の加工グレードの良さが強調されていますが、この銃にも部品の完全互換性はなかったわけで、「それまでがいかにひどかったか」と見るべきでしょう。

 民衆や犯罪者がプラスチック製のおもちゃだと誤解する、というのは非常に興味深かったですが、それを銃自体の欠点とするのはどうかと思います。











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