ソ連の装甲「雪地モーター」

 私の好きな「珍兵器」関連です。

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ソ連のNKL-26雪地モーター 第二次世界大戦で最も特別な装甲武器

これは真のロシア特産で、航空エンジンを配備した自走そりである。この非常に特別な雪地モーターは帝政ロシアまでさかのぼることができる。20世紀初期、航空エンジンの出現後、もう最初の雪地モーターが出現し、当時は娯楽のためだったに過ぎない。だがロシア帝国の広大な領土と脆弱な道路状況に、北方の劣悪な天候が加わり、非常に多くの設計師は揃って、これは冬季の非常に信頼できる高速交通ツールだと考えた。このため第一次世界大戦勃発少し前、1912年にロシアのバルト海工場がもう最初の輸送型雪地モーターの製造を開始した。

しかしこの雪地モーターの戦場での応用は非常に少なく、初の戦場での使用記録は1915年のことである。1919年、ソ連発の雪地モーターはツポレフによって設計が完成されたが、1930年代になってやっとこの雪地モーターは現実に変わった。本文で紹介しようとするNKL-26雪地モーターの原型はN.M.アンドレイェフが設計したNKL-16である。

NKL-16は祖国防衛戦争の前線で広範に応用され、特に1941〜1942年の冬はそうだった。それは通信、輸送、パトロール、偵察、作戦行動の中に広範に応用された。輸送突撃隊の時、車内に完全武装の兵士を満載していただけでなく、さらに特殊なロープを用いて18〜20名のスキー兵を牽引していた。雪地モーターに搭乗する兵士は窓あるいは頂部ハッチから携帯する武器を使用して敵に向け射撃することができた。これはNKL-16の特殊改良型で、雪地モーターの両側にさらに機関銃を装備したそりを配備し、より強い火力が提供できた。

NKL-16の欠点は自らの武器と装甲が欠乏していることで、このため1941年12月から1942年1月、N.M.アンドレイェフとM.V.ウェシェロフスキーはモスクワで、戦線の作戦の需要を根拠に、NKL-16を基礎に新たな雪地モーターNKL-26の研究開発を開始した。1942年1月、ソ連軍は雪地モーターを利用して氷で覆われたラドガ湖を通過し、包囲されたレニングラードのために物資を輸送した。NKL-26戦闘型雪地モーターは前線の陣地でパトロールし、偵察任務を執行した。

NKL-26の車両クルーには2人しかおらず、1人は操縦員で、1人は車長だった。車長は操縦員を指揮する必要があるだけでなく、さらに頂部の機関銃を操作する必要があった。NKL-16に固定の自衛武器が搭載されていない欠点を考慮し、NKL-26は頂部に1挺のDT型7.62mm機関銃を設置した。この機関銃は当時ソ連軍現役の戦車用機関銃だった。この防盾は非常に単純で、前方の比較的小さな角度の防御しか提供できなかった。機関銃は360度旋回でき、射界は非常に広かった。

最初のNKL-26は木質車体を採用し、4枚のそりは独立懸架を採用し、車体には横向きのフレームと縦の梁があって強化を行っていた。後期生産型は10mm厚の防水べニアでの製造を使用した。車体前部には10o防弾鋼板が装備され、取付角度は60度でいくらか防御能力を向上させることができた。唯一の車両ドアは車体左側に設置され、操縦員の後ろの位置だった。車体両側それぞれに2つの窓があり、普通のガラスが装備され、側面の視野提供に用いられた。そりは逆T字型で、前が高く後ろは低く、オフロード能力を高めるのに便利で、4つのそりは全く同じで互換して使用できた。

NKL-26雪地モーターのエンジンは1台のM-11型5気筒星型エンジンで、出力は110馬力で、このエンジンはポリカルポフ-2初級練習機と同じだった。平らな雪地での最高速度は時速70qに達し得、でこぼこな地形での速度は時速30〜35qだった。エンジンには電気始動装置が追加され、操縦員は簡単に始動でき、またキャブレターの空気取り入れ口にはさらに空気加熱器が配備され、低温条件下でのエンジン性能を改善していた。

DT機関銃は伸縮できる金属ストックを採用し、3層ドラムマガジン給弾を採用し、装弾数は63発に達した。この角度からはハンドルが見えるが、不思議なのは操縦員の座席がないことである。

DT機関銃は下向きに排莢し、これは薬莢が不必要な面倒をもたらすのを避けるためだった。特別に機関銃には薬莢収集袋が設置されていた。収集袋の底部には旧式な財布に似た金属開口があり、便利に内部の薬莢を取り出すことができた。

操縦員はハンドルによって雪地モーターの走行を制御し、ハンドルを回すと、4つのそりは同時に方向転換し、機動性を高めた。前部には小窓があり、いくらかの視野が提供できた。この小窓にはさらに下げられる防弾板があり、下げた後操縦員は上面の視察スリットによって操縦を行うしかなかった。

車体後部にはジェリカン1つと予備用弾倉があった。

NKL-26は戦闘雪地モーター大隊に配備され、通常その他の部隊(主にスキー部隊)と共に行動した。同時にさらに独立していくつかの偵察、通信、騒擾のたぐいの支援任務が完成できた。

第二次大戦中、かつてある人はNKL-26上にロケット弾を装備し、もってその火力を高めることを企図した。

車体右側には予備用プロペラとスキー板が固定して取り付けられ、故障や緊急状況を予防することができた。NKL-16とNKL-26のパフォーマンスが非常に出色だったため、第二次大戦終結後それらは継続してソ連軍に就役した。このNKL-26はモスクワのイストラ区軍事博物館館内に保存されており、全ロシアで唯一保存されてきた同類装備かもしれない。その他の場所にまだ類似の個別の収蔵物があるかもしれないが、この雪地モーターは走行能力を持ち、このため非常に貴重である。


 たぶん騒音が比較的大きかったのではないかと想像されますが、当時は非常に有用だったんでしょう。現在ではスノーモービルその他があるので必要ないでしょうが。鹵獲兵器を多用したドイツはこれは使わなかったんでしょうかね。
















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