M3グリースガン

 「昔のマイナーなサブマシンガンシリーズ」、一応今回で終わりです。と言っても今回のは超メジャーな機種ですけどね。この銃に関してはよく知られているはずですが、中国人の視点で書いている文章なんで、それなりに新鮮な内容もありました。

M3沖鋒槍


M3サブマシンガン 勉強にあまり熱心でなかった「子虎 『ガイデ

世界の銃器史をずっと見ていくと、ある現象にはっきり気付くことができる。これは、アメリカは一貫して銃器大国であるが、サブマシンガンの研究開発方面では注目すべき点が実際のところいくらもない、ということである。しかし、この「注目すべき点がいくらもない」うちの1つの注目すべき点は、奇跡的に輝いている。これこそ我々が今日分析すべきアメリカのM3/M3A1式11.43mmサブマシンガンに他ならない(銃にはSUB-MACH GUN CAL.45 M3 Guideの刻印がある。Guideは「ガイデ」と音訳される)。

トンプソンM1928サブマシンガンから「ガイデ」M3サブマシンガンまで

第二次大戦が勃発するまで、アメリカ軍内には1挺のサブマシンガンも配備されていなかった。これよりかなり以前に製造が精巧、良好で構造が複雑、価格の高いトンプソンサブマシンガンが世に問われており、アメリカ唯一の正統サブマシンガンとしてアメリカの民間ではずっと人気が高かったし、アメリカ暗黒社会の「制式」武器にさえなっていた。アメリカ軍にずっと制式サブマシンガンがなかった原因を探求すれば、おそらく陸軍が小銃を偏愛し、サブマシンガンの付帯イメージを喜ばなかったためだろう。このため戦争開始後になってやっと多くはない数のトンプソンサブマシンガンが慌ただしく部隊に装備された。これは歩兵分隊の下級将校および下士官の武器としてだった。

しかし、戦争および作戦上の必要性が人の意思によらず移り変わり、それが人々の考え方を引っ張り、変えていった。当然アメリカ軍も全く例外ではなく、改めてサブマシンガンの価値を認識させられ、サブマシンガンの研究開発に重きを置き始めた。一方において部隊にトンプソンM1928サブマシンガンを配備し続けるのと同時に、M1928A1トンプソンサブマシンガンの改良型を生産した。すなわち構造が簡略化され、重量が軽減されたM1およびM1A1式トンプソンサブマシンガンである。他方においては全く新しい概念の、最終的には理想的ではないトンプソン系列のサブマシンガンに取って代わる制式サブマシンガンの研究開発を考慮し始めた。

1941年、アメリカ兵器工業本部の軽火器開発部署はイギリスが製造した「ステン」サブマシンガンに対し全面的なテストと戦術、技術的審査を行った。アメリカ人は「ステン」サブマシンガンの各方面の長所を大いに参考にし、構造がさらに簡単で、重量がさらに軽く、製造コストがさらに低い、大量生産に便利な、アメリカの弾薬体制に合った新型制式サブマシンガンを研究開発すべきであると考えた。

同年、アメリカ兵器工業本部はサブマシンガンの研究に造詣の深い銃器設計者であるジョージ ハイドに新式サブマシンガンのメインデザイナーを担当することを命じた。もう1人のサンプソンという人物は、命令により新式サブマシンガンのテクニカルデザイナーを担当した。彼はアメリカの汎用電気有限会社(頑住吉注:アメリカ版WikipediaではInland Divisionとなってます)の、金属プレス技術に非常に精通したチーフエンジニアだった。2人の協力はいわゆる「相濡以沫,珠聯璧合」(頑住吉注:検索したところ英訳すると「a perfect pair」で、結婚式のお祝いの言葉などにも使われるらしいことが分かりました)だったのである。道理でM3サブマシンガンの研究開発は、1941年6月に戦術技術指標が提出されてから、1942年末に定型に至り大量生産されるまで1年あまりしか費やされておらず、これは銃器史上における1つの奇跡と言わざるを得ない(頑住吉注:ポーランドのブリッツサブマシンガンも同程度の時間しかかかっていません。結果できた銃の優劣は明白ですが、あっちは占領下で地下活動として作られたものですから奇跡的と言えばより奇跡的なのでは)。

全く新しい戦術技術指標と独特の生産技術

M3サブマシンガンの戦術技術指標は、主に装甲機械化部隊の必要を満足させるために提出されたもので、主に以下の3つの方面に体現されていた。その1、トンプソンM1928およびM1/M1A1サブマシンガンの影響下から完全に脱すること。特に強調されたのは構造が簡単なことと重量の減少で、したがって名実共に「オールニュー」を達成することだった。その2、全体的にイギリスの「ステン」サブマシンガンの全金属、円筒形レシーバーの概念を採用し、ただし改良設計を行うべきこと。その3、最大限にプレスおよび溶接技術を採用し、これによりできる限り高い生産効率と経済性を獲得すること。

主要諸元対比表からは、「ガイデ」とトンプソンの差異が比較的大きいことが見て取れる。トンプソンサブマシンガンの銃を構える姿勢は小銃と同じなので、重量も小銃に近く、かつセレクターがあり、セミ・フルオートのコントロールができる。歩兵(航空降下歩兵含む)部隊への装備は多くなかったものの、嫌われてもいなかった。しかし装甲戦車機械化部隊はトンプソンをあまり喜ばなかった。トンプソンを持って戦闘車両に乗るのは、実際のところ重くて馬鹿げており、不便だったのである。M3サブマシンガンの設計の初心は、できるだけ構造が簡単で、小型で、造形が無骨で、全部に金属部品を採用することであり、これはプレス技術の採用にきわめて有利だった。Guide Lamp Division 社の生産ラインと生産設備は短時間でM3サブマシンガンの生産ラインに変えられた。M3サブマシンガンはボルト、バレル、スプリング、シャフト、ピン、バーの他ほとんど全てプレス部品だった。工員たちは厚いスチール板を使って、グリップとマガジンハウジングが付属した左右2枚のレシーバーをプレスして作り、その後それらを溶接して1つにし、これで直ちにレシーバー/銃本体ユニットが構成された。あなたがこのサブマシンガンを手に取り、ほとんど銃全体を一周する溶接跡を見れば、作りが荒いと思わないだけでなく、かえってその巧妙さに感嘆するだろう。当然、M3サブマシンガンのその他の固定部品(フロントサイト、リアサイト、スリングリング等々含め)は1つの例外もなく溶接されている。この銃は、最大限にプレスおよび溶接技術を使用しているのと同時に、機械加工部品、例えばバレル、バレルナット、ボルト等の主要部品にはできるだけ同心円の設計、ネジによる結合が採用されている。したがって数少ない機械加工の作業が最大限に簡略化されている。

主要緒元対比表

武器名称 M3/M3A1 M1928 M1/M1A1
使用弾薬 0.45インチ(11.43mm)ACP弾薬
初速(m/s) 280 282
自動方式 自由ボルト式 半自由ボルト式 自由ボルト式
発射方式 フルオート フル/セミオート
全長 579/757
(ストックたたみ/伸ばし)
852 811
全体重量(kg・30連マガジン含む) 4.7/4.52 5.63 5.51
給弾具 30連ストレートマガジン 50/100連ドラムマガジン、
ボックスマガジン使用可
20/30連ストレートマガジン
有効射程(m) 200
理論上の発射速度(発/分) 450 600〜725 700

称賛される長所と遺憾に思われる欠点

アメリカ人はイギリス人の「ステン」サブマシンガンから啓示を受け、これを真似し、間違いなく人をして称賛せしめる良い銃を生み出した。1942年、アメリカ軍はアバディーン試験場で、他国のサブマシンガンと対比する条件下で、M3サブマシンガンに対する全面的な試験を行った。その結果、M3サブマシンガンはシンプル、タフで、携行に便利で、故障が少なく、重量が軽く、威力が大きく、信頼性や耐久性等一連の指標を含めいずれも成績が上位を占める、近距離作戦、特に市街戦における優れた武器と称するに堪えることが示された。

M3サブマシンガンの突出した長所は主に以下の2つの方面にある

その1、多用性および汎用性において開発の上でオリジナリティがある。例えば、「ステン」サブマシンガンの暴発しやすいという問題に対し、エジェクションポートの防塵/セーフティカバーを追加した。このカバーを閉じると内側のセーフティ突起がボルトを確実に前方あるいは後方の位置に固定し、安全を実現することができた。カバーを開けばセーフティは解除された。「ステン」のストックがたためないという問題に対し、M3サブマシンガンは伸縮可能なクリーニングロッド兼用ストックを採用した。ストックはスチールワイヤーを使って作られ、ストックを引き出せば快適かつ確実に銃を構え、照準、射撃が行えた。ストックを取り外せば、バレルをクリーニングするクリーニングロッドとして使用できた。バレル、ボルトを交換し、マガジンアダプターを使えば、「ステン」サブマシンガンの32連マガジンと9mmパラべラム拳銃弾薬が使用できた。この他、特殊作戦上の要求を満足させるため、さらにサイレンサーが付属したバレルユニットが開発された。標準型のバレルをねじって外し、サイレンサーが付属したバレルに交換すれば、直ちに名実共に兼ね備えた微声サブマシンガンに変えることができた。銃に装備されたオイラーやスリングも大量に装備されているカービン銃と共用だった。設計者の並大抵でない苦心の一端が垣間見える。

その2、造形、レイアウトおよび人間工学的な開発上オリジナリティがある

まず、M3サブマシンガンには威嚇性がきわめて強い造形と外観が備わっている。M3サブマシンガンは自動車製造工場から生まれているので、これをふざけて自動車潤滑油用の「グリースガン」と呼ぶ人もいる。しかしまさにこの種の独特の造形は、その姿形を格別に無骨で勇猛に見せている。武器の外観造形は武器の戦闘力の軽視しがたい重要要素である。それは味方の人員にこうした武器に対する信頼感を抱かせ、そして敵の人員にこうした武器に対する恐怖心を生ませる。いずれも直接かつ重要な作用を持つのである。「ガイデ」の威力は、その外観造形から充分体現され得ている。M3サブマシンガンの造形、レイアウトと、その人間工学との結合はちょうどうまくいっており、この銃を手にする人は皆、思いのままであり、非常にバランスがいいと感じる。この他、この銃のブレード状フロントサイトはレシーバー前部に装備され、バレルを非常に便利に戦闘車両の射撃ポートから伸ばして射撃できる。

次に、射撃安定性が良好で、射撃精度が比較的高い。これは主にM3サブマシンガンのバレルとボルトが同軸で、これに加えボルトと銃弾の重量が大きく、ボルトが前方に衝突するインパルスと銃弾による後座インパルスがほとんど等しいためである。さらには射撃時きわめて良好にコントロールでき、ある映画で表現されたM3サブマシンガンの射撃時のような激烈な振動とは全く似ていない。事実としてM3サブマシンガンは距離100m内において、ピープ式リアサイトを使い同時にフロントサイトを目標に合わせて素早く射撃するだけで命中率は高いのである。この他、理論的発射速度が高くないので、セレクターはないものの比較的容易にトリガーを引く人差し指を使って単発射撃のコントロールができる。

最後に、M3サブマシンガンは使用利便性方面の考慮も充分に周到である。3つの例のみ挙げる。1つはマガジンキャッチが大きくてかつ信頼性が高く、マガジンの固定が確実である。左右いずれの手の指でも便利に押せ、冬季において大きな手袋をしていても影響はない。2つ目は伸縮式ストックの引き出し時にストック固定ボタンを押す必要がない。再び収める時は左手の親指でストック固定ボタンを押し、前に押せばきちんと、しっかりと固定され、非常に便利で迅速である。3つ目は大きなトリガーガードである。これも冬季における銃の操作、射撃に便利である。

1944年、M3サブマシンガンの改良型M3A1サブマシンガンが登場した。その加工コストはさらに低く、当時1挺のM3A1サブマシンガンを生産するのに22ドルしか要しなかった。

M3サブマシンガンとM3A1サブマシンガンの主な差異は、前者にはクランクに似たコッキングハンドルがあり、エジェクションポートが比較的小さいというだけである。後者ではコッキングハンドルはなくなっており、装填時は直接指を使ってボルト前端のくぼみを後方にいっぱいに引けばOKであり、エジェクションポートは比較的大きい。実際の使用は、M3サブマシンガンのコッキングハンドルは少しだけ複雑化させ、故障発生の懸念を増加させているが、冬季において大きな手袋をしている時の使用ではより便利であることが分かる。当然M3サブマシンガンの全体的人間工学性にかんがみれば、これらの懸念や不便は全て些細なことである。この他、M3A1サブマシンガンではマズル部に取り外し可能なラッパ型消炎器が追加されており、射撃時マズルフラッシュがやや抑えられるが、ただし同時に後座力が増加する。ストックの後端にはL字型の金具が溶接され、マガジン内への弾薬押し込みに便利である。この2つには間違いなく「蛇足」のきらいがある。

あらゆる物事には全て2つの面があると考えるべきである。イギリスのステンサブマシンガンに関して言えば、M3/M3A1サブマシンガンはその長所を取り入れ短所を捨てた、いわゆる出藍の誉である。しかし、1つ人に遺憾に思わせる点もある。それはステンサブマシンガンのダブルカアラムシングルフィードマガジンをそのまま引き写してしまったことに他ならない。これは大きな、そして唯一の失敗と言わざるを得ない! このことは我々に、虎が猫に学んだが、木登りだけ学ばなかったという故事を思い起こさせる(頑住吉注:タイトルとも関係していますが、猫の長所を学び損ねた虎は木登りできない、という昔話とは全然違うような気がするんですが)。装弾数の多いマガジンにダブルカアラムシングルフィード構造を採用すると、弾薬を押し込むのがきわめて困難になり、給弾信頼性が劣ることになる。これが近代戦武器にとって何を意味するかは言うまでもない。事実としてアメリカ人はトンプソンサブマシンガンにおいてすでに弾薬を押し込みやすく、かつ給弾信頼性の高いダブルカアラムダブルフィードマガジンを採用していたのにである。この原因は、急いで全く新しい制式サブマシンガンをもって古いトンプソンに替えたことと無関係ではないかもしれない。全くそのままコピーする、あるいは全面的に否定するという絶対化思想は全くもって有害無益であるということが見て取れる。だが、もしそうであったとしてもM3/M3A1サブマシンガンは依然良い銃には違いない。事実としてM3/M3A1サブマシンガンが戦闘に使用中故障を起こす、特に給弾不良を起こすことは少なかった。

中国人民解放戦争(頑住吉注:抗日戦終了後の共産党軍、国民党軍による内戦)の期間、アメリカ政府は国民党軍に対し大量のM3/M3A1サブマシンガンを提供したことがある。国民党の沈陽兵器工場(後に台湾に所在)もかつて大量のコピーM3A1サブマシンガンを製造した(「36式」と名付けられたが、この「クローン」ぶりは比較的粗雑で、故障が比較的多く、オリジナルの良好さには及ばなかった)。当然我が軍も解放戦争および抗米援朝戦争中に大量のM3/M3A1サブマシンガン、そして「36式」サブマシンガンを鹵獲した。ここに来て、筆者は一部の抗日戦争、特に赤軍時期の軍事歴史を題材にした映画の中で、M3/M3A1サブマシンガンがよく登場することを思い出す。これは明らかに史実に反している(頑住吉注:アメリカは太平洋戦争中も中国を援助し、リバレーターなどの武器も供給していましたが、グリースガンはその中になかったということでしょうか)。

第二次大戦終結後の半世紀近い時間の中で、M3/M3A1サブマシンガンはアメリカ軍の制式武器の序列からずっと退場することはなかった。20世紀60年代のベトナム戦争から80年代のアメリカ軍による毎回の軍事行動に至るまで、アメリカ軍、特に特殊部隊に「ガイデ」の姿がどこでも見られた。現在に至るも、世界ではまだ多くの国の軍隊あるいは準軍事組織が依然M3/M3A1サブマシンガンを使用している。

M3/M3A1サブマシンガンは、アメリカの小火器研究開発方面における全く新しい概念を体現したものであり、世界の武器発展史における新たな1ページと評価できる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像、1枚目はキャプションなし、2枚目のキャプション 「M3サブマシンガンのトリガーガード下には製造ユニットのマークが刻印されている」 3枚目「M3サブマシンガンのレシーバー右側」 4枚目「フロントサイトとレシーバーは溶接されて一体化している。使用時はブレード状フロントサイトの形状を改変することによって精度調整するしかない」叩いて左右に曲げたりヤスリで削って低くしたり、ということでしょうか 5枚目「エジェクションポートの防塵/セーフティカバーは異物の侵入を防止できる」)

(頑住吉注:これより2ページ目。このページは画像とキャプションのみです。 1枚目「エジェクションポートの所に手動開閉式の防塵/セーフティカバーがある。防塵/セーフティカバーの内側にはセーフティ突起があってボルトをロックでき、安全を保証する作用をする」 2枚目「M3サブマシンガンのストックを伸ばした状態。ストックはバレルをクリーニングするクリーニングロッドとしても使える」 3枚目「M3サブマシンガンが採用したのは伸縮式ストックで、ストック固定ボタンはグリップ上方に位置する」 4枚目「M3サブマシンガンのレシーバー左側にもM1カービン銃同様のオイラーがある」 5枚目「M3サブマシンガンから取り出したボルト。M3サブマシンガンのボルトは体積、重量がいずれも大きく、この種のボルトを採用したことで低い発射速度が実現できた」 6枚目「M3サブマシンガンのマガジンハウジング。マガジンキャッチは外部に露出し、実際の給弾時、容易にマガジン脱落を起こした」 7枚目「バレル・レシーバー間は大きなバレルナットで固定する方式が採用された。バレルナット表面には滑り止めがプレス加工され、もし工具を使わない状況下なら手でも分解できた」 8枚目「ハウジングアッセンブリーの前部。エジェクターは2本のリベットで固定されている。コッキングハンドルは強度不足の材料を採用したため、故障の起きる主な原因と考えられている」 9枚目「レシーバー右側のコッキングハンドル。回転軸の固定時に強度不足の問題が存在した」 10枚目「M3サブマシンガンのマガジン容量は30発である。トンプソンサブマシンガンのマガジンとは異なり、ステンサブマシンガンのマガジン通りダブルカアラムシングルフィード構造になっている」 11枚目「クランク式コッキングハンドルを回すとレシーバー内部のツメ状部品が後方に動き、ボルトを連動して後退させる」 12枚目「M3サブマシンガンのマガジンはリップ部で弾薬が1列に変わる。ヨーロッパに供給して使用させるためでもあり、また「ステン」サブマシンガンのマガジンとの互換性を考慮してこの種のマガジン形式を採用した。」 13枚目「銃本体後部上方のピープ式リアサイト」)


 まず英語版Wikipediaを見てください。

http://en.wikipedia.org/wiki/M3_submachine_gun

 全くなかったと断言はできませんが、アメリカ兵によってこの銃が一般的に「Guide」と呼ばれた事実はないようです。たぶんメーカーのGuide Lampの刻印があって、ああガイデという銃なんだなと思った当時の中国人にそう呼ばれ、中国国内のみで定着した呼び名なのではないでしょうか。

 中国の銃に関する解説ではダブルカアラムシングルフィードマガジンは信頼性が劣るという記述をよく見ます。そして実際にダブルカアラムシングルフィードマガジンが使用されることは少なく、通常ダブルカアラムシングルフィードマガジンが使用されるピストルでも92式、SIGザウエルP220系亜流に見えるが中身は完全オリジナルのNP2000( http://www.qbq.com.cn/a/bencandy.php?fid=31&aid=1065&page=4 )などでダブルカアラムダブルフィードマガジンが使われています。西側ではダブルカアラムシングルフィードマガジンの信頼性は問題視されておらず、むしろチャンバーへのルートが2つになるダブルカアラムダブルフィードマガジンの方がジャム確率が上がるという意見もあります。ダブルカアラムシングルフィードマガジンを採用した多くの一流軍用ピストルは間違いなくきわめて信頼性が高いですし、今回の記述でもグリースガンの給弾信頼性は高かったとされています。ちょっと不思議に思いますが、ロシア製ピストルにもダブルカアラムダブルフィードマガジンを使ったものが多く(スチェッキンは有名ですが、MP446バイキングもそうです)ロシアの銃器技術者からの影響なのかも知れません。もちろんダブルカアラムダブルフィードマガジンの方がマガジンに弾薬を装填しやすいのは間違いないですが。
















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