殲ー20、量産へ?

 確かにそれっぽい兆しは表れているようですが。

http://military.china.com/important/11132797/20160129/21344407.html


殲ー20が量産されようとしている? 成都飛行機は年産40機が必須、それでやっと需要を満足させる

2016年の初め、殲ー20「黄皮」機のお目見えが各界の関心を引き起こした。中国が登場させたこのコードナンバー2101の殲ー20原型機はそれまでの原型機のあらゆる改良、メリットを吸収している。この殲ー20の機体が以前のその他のバージョンの戦闘機の黒色あるいは明るい灰色ではなく黄色い塗料で塗られているため、ある専門家はこれは殲ー20が軍サイドへの引き渡し前の最後の試験飛行段階に入ったことを意味し、あるいはすでに小規模生産段階に入っているかもしれない、と考える。

2011年から今まで、中国は5年の時間内、全部で10機の殲ー20を製造し、これには2機の検証機(2001、2002)、6機の原型試験機(2011、2012、2013、2015、2016、2017)および2機の小規模生産量産機(2101、2102)が含まれる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「最近、2101号殲ー20戦闘機が試験飛行作業を展開し、ネット仲間はこの黄皮版殲ー20の飛行の画面を撮影し、かつあるネット仲間は連続写真をアップした。画像に感謝:微博網友草根設計師-CAD」)

なぜ前に2機の検証機があったと言うのか? それは2011年の殲ー20初飛行後、ネット上にかつて張李剛、雷強など多くの試験飛行員の集合写真が流れ伝わり、画像の背景には注目すべきことに「718工程検証01機目初飛行熱烈祝賀」とのスローガンが書かれていたからである。このため厳密な意味の上で言うと、後のネットおよび各種メディアが殲ー20「2001」号機、「2002」号機という表現を用いて記述するのは、実際には決して正確ではない。現在見たところ、殲ー20は実際には中国がすでに確定した、成都飛行機工業(集団)の主導で研究開発される中国第5世代戦闘機プロジェクトのコードナンバーで、皆が以前見た「2001」号と「2002」号戦闘機は、実際には殲ー20というこの大プロジェクトの下の「718工程」の01機目検証機と02機目検証機だったのである。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「『718工程検証機01初飛行熱烈祝賀』の画像」です。)

ネット上のいくつかの資料および外国メディアの報道から見て、中国の第5世代戦闘機は成都飛行機が沈陽飛行機との競争入札を経て、最終的に勝利したものである。だが米軍の第5世代戦闘機はそれにもかかわらずまず検証機のデモンストレーションがあり、しかる後にやっと競争入札だった。例えば米軍第5世代戦闘機の「先進戦術戦闘機」プロジェクト(すなわち後のF-22戦闘機)は1985年9月にプロジェクト意見書が発表され、1986年10月、ロッキード社とノースロップ社が最終的な2つの競争者に選ばれた。この2社は50ヶ月のデモンストレーション検証段階内(すなわち1990年12月まで)にそれぞれYF-22およびYF-23という2種の原型機を製造し、かつ初飛行を完成させる必要があった。ここで言う原型機とは、実は決して量産上のサンプル機の概念には近くなく、中国の「718工程」の工程検証機に似ている。

1990年8月、YF-23はF-119エンジンを使用して初飛行を実現した。1ヶ月後YF-22がF-120エンジンを使用して初飛行を実現した。ロッキード社とノースロップ社はそれぞれ2機の検証機を製造し、アメリカ空軍向けに超音速巡航、高機動、ステルスなどの性能をデモンストレーションした。YF-23は全部で50回飛行し、累計時間は65.2時間で、一方YF-22はそれにもかかわらず74回に到達し、累計時間は91.6時間だった。YF-23は初飛行が先んじたが、それにもかかわらず先行を最後まで保持することはなく、最終的にYF-22が勝利を獲得した。注意を必要とするのは、YF-22とYF-23のこの種のデモンストレーション飛行の中に、すでに第5世代戦闘機の超音速巡航、超機動などの特徴が含まれていたことで、これはロシアのT-50ないし中国の「718工程」の01機目検証機の初飛行後のパフォーマンスと極めて大きな差異がある。その主要な原因は、やはり中ロ両国には航空動力の上で弱点が存在し、検証機に要求に符合するエンジンを提供できないことである。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「ボーイング社のX-32」です。)

同様に、F-35プロジェクトの上で、アメリカは同様にまずデモンストレーション、さらに競争入札という方式を採った。ロッキード・マーティン社とボーイング社はいずれもまずX-35およびX-32のデモンストレーション機を提供して競争を行い、しかる後にやっと最終的にロッキード・マーティン社がプロジェクトの最終的な勝利の獲得者であると決定された。

中国はまず競争入札、さらにデモンストレーションで、アメリカはまずデモンストレーション、さらに競争入札である。この順序の差異は、非常に大きな程度上両国の航空技術水準、航空産業メカニズムなどの方面の差異を体現している。

中国とロシアの第5世代機研究開発はいずれも先進的な航空動力の制限を受けているが、原型機の研究開発の上では、中国はそれにもかかわらずロシアと異なり、逆にアメリカにより近い。

中米両国の戦闘機は第5世代戦闘機の競争入札、デモンストレーションの順序の上で異なるが、具体的な工程の実践模式の上ではそれにもかかわらず基本的に一致し、つまりまずデモンストレーション検証機を製造し、しかる後に検証機によって試験し、設計を改修し、「工程製造発展」段階に入り、より生産型に近い原型機を製造する。例えばYF-22では、アメリカの工程製造発展段階におけるF-22機にはもういくつかの外形上の変化が発生していた。例えば主翼の後退角が6度減少し、水平尾翼の形状と垂直尾翼の傾斜角にも改修がなされ、コックピットの位置も移動されて飛行員により良い視野を獲得させるのに便としたなどである。例えばコードナンバー「2011」の殲ー20戦闘機も完全状態の原型機と考えられ、以前の2001号や2002号戦闘機に比べ、これにも多くの箇所の改修が出現していた。これには主翼の動作筒の縮小、空気取り入れ口の形状の改変、機首下方にEOTSセンサーが装備されたこと、垂直尾翼が切って尖らされたこと、エンジン尾部噴射管が短縮されたこと、キャノピーに強化フレームが追加装備されたことなどが含まれる。

(頑住吉注:これより4ページ目)

2015号殲ー20は新型射出座席を採用し、電波透過材料を利用して空気取り入れルートの隆起、主翼前縁および腹鰭などのところに対し再設計が行われ、かつエンジンナセルを延長し、もって尾部赤外線ステルス性能を増強した。

一方ロシアのT-50の研究開発は別の道だった。ロシアの第5世代戦闘機にはアメリカのロッキード・マーティンやノースロップのような公開の演武台はなかったが、ロシアの初期の不運な境遇のミグ1.42戦闘機やかつて一次騒がれたスホーイーS-47ベールクト前進翼戦闘機は、それにもかかわらず一定程度上ロシア第5世代戦闘機の予告編と見なすことができる。だがロシアのPAK FA(未来前線戦闘機)プロジェクトの始動およびスホーイT-50の競争入札勝利と共に、ロシアの第5世代戦闘機は快速発展の「近道」を行ったようだ。

近道だというのは、中米の第5世代戦闘機がまず「技術検証機」から着手した道とは異なり、ロシアのT-50は現在すでに5機の原型機が造られ、その外観はピトー管の省略があったことを除き、ほとんど全く変化がない。このことは新たに設計された第5世代戦闘機に対しては、やや不可思議だと言える。ロシア空軍司令はT-50は2015〜2016年にはもう就役することになるとさえ言明している。このことは確かにロシアの空力学上の突出した造詣で、スホーイ戦闘機の設計師はすご過ぎ、すらすらと完璧な戦闘機を描き出すことができるのだと理解できるが、実際によりあり得るのはT-50が技術的躍進のリスクを避け、大量の成熟した技術を応用したからだ、というものである。非常に多くのネット仲間はロシアのT-50戦闘機のほとんど全く遮蔽のない空気取り入れ口、鋲がいっぱいに打たれた荒い作りの機体に対し暗い気持ちになり、甚だしきに至ってはT-50がF-22に追いつかないのは言うまでもなく、中国の殲ー20にも全く及ばないと考える。だがロシア航空工業に対して言えば、迅速になんとか我慢のできる「準第5世代機」を研究開発し、しかる後にできるだけ早く部隊装備し、あるいはインド、ブラジルなどの国を引き入れて合同研究開発して資金を注入することは、技術が複雑な真の第5世代戦闘機を研究開発するのに比べずっと算盤に合うと評価される。

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「ロシアのT-50戦闘機の数はすでに殲ー20によって逆転されている」です。)

デモンストレーションや競争入札の後は、飛行機の正式な研究開発である。この段階において、中国の殲ー20とアメリカのF-22戦闘機の過程は比較的似ており、何故なら両者はいずれも空中の優勢を争奪することを主要な目的とする戦闘機だからである。比較すると、F-35というこの多軍種汎用型の第4世代機は、研究開発過程がずっと複雑である。

まずF-22を見てみよう。1997年9月、初の工程製造発展(EMD)段階の、コードナンバー4001のF-22戦闘機が初飛行を行った。米軍空軍の資料によれば、全部で11機の試験飛行機が製造され、4001〜4011だった。製造時間から見て、試験飛行機の生産速度もどんどん速くなり、例えば1997〜1998年、毎年1機の試験飛行機だけが生産され、1999年には2機が生産され、一方2000年には3機の試験飛行機が生産された。異なる試験飛行機は用途も異なった。4001号は飛行の質、振動、高い仰角の試験を行うのに用いられ、4002号は動力システムの試験に用いられ、4003号は内部に置かれた武器コンパートメントと異なる航空武器との互換性等々の試験に用いられた。

特に4004号試験飛行機からは、完備された航空電子システムと制御ソフトが装備された。つまり将来部隊が真に作戦に用いるF-22に比べ、ほとんど差異がなかった。試験飛行員はそれを用いて目標位置決定、照準、攻撃性能の試験を行うことができた。4004号からは、F-22工程製造発展(EMD)段階では完備された航空電子システムの整合試験が開始され、これにはレーダーの探知計測性能、通信、敵味方識別、武器性能試験が含まれた。また、4003号試験飛行機の後、ロッキード・マーティン社はさらに2機のコードナンバー3999〜4000の飛行機を生産して静力試験(頑住吉注:静止状態で負荷をかける強度試験)を行った。

YF-22から始まり、アメリカは全部で2機のデモンストレーション機と11機の試験飛行機を製造した。一方11機の試験飛行機の最後の4機、4008〜4011はアメリカ空軍入りして「初期装備試験および評価」(IOT&E)を行った。この4機の試験飛行機は、現在我々が見ている正式装備されたF-22とすでにほとんど大きな差異はなくなっていたと言うことができる。

(頑住吉注:これより6ページ目。画像のキャプションは「最初のF-22原型機」です。)

F-22戦闘機の工程製造発展(EMD)段階はおよそ3年持続し、11機の試験飛行機が生産され、全部で2,546回、合計4,583時間の試験飛行が行われた。

さらに中国の殲ー20を見ると、アメリカのF-22に似た工程製造発展(EMD)段階は、6機の原型試験飛行機に違いない。しかし中国の殲ー20にはF-22に似たデモンストレーション機競争段階はないため、もし検証機であっても性能試験の任務を担った。一部のネット仲間の計算によれば、2011年1月から2012年4月まで、中国の殲ー20はおよそ60回あまりの試験飛行を行った。この頻度によって計算すれば、2011年1月の殲ー20初飛行以来、全部でおよそ250回前後の試験飛行が行われており、最多でも300回は超えないだろう。

対比してみると、中国の殲ー20戦闘機は研究開発試験段階で、原型機の生産率、生産数、試験飛行回数、試験飛行時間の数の上でいずれもアメリカとでは比較的大きな差異がある。生産率の上で見ると、アメリカのF-22は毎年3.67機、殲ー20は毎年2機だが、実際には2011号から始まり、中国は2年以内に8機の殲ー20を生産しており、毎年4機に相当する。このことは、前の2機の殲ー20の技術的道ならしを経て、中国の先進戦闘機製造能力がすでにアメリカがF-22を生産する水準に到達、甚だしきに至っては超えたことを説明している。

試験飛行の回数と試験飛行時間の上で、アメリカはいずれも中国をはるかに超えている。この方面は一方においてアメリカのF-22研究開発がより複雑であることを説明し、もう一方では中国の殲ー20の試験飛行効率がより高く、単位試験飛行時間の中で、より多くの内容が完成できることをも説明している。だが認めることが必須なのは次のことである。中国の殲ー20の試験飛行効率がより高いという結果は、まず我が軍の殲ー20の任務が相対的に簡単で、作戦環境が単一で、F-22のようなグローバルな作戦の需要を考えていないことによる。その次にはアメリカがF-22研究開発で累積した第4世代機経験基礎の上に建立したことによる。

(頑住吉注:これより7ページ目)

第4世代機の研究開発は、大量の新たな考え方の道筋と新技術を採用しているため、以前の戦闘機の設計-研究開発-定型-生産・装備という路線と決して同じでない。非常に多くの中国のネット仲間は殲ー20により先進的なエンジンの採用がなく、ワンステップが足りないことに対し暗い気持ちになっているが、米軍がF-35を研究開発中の時、すでに世界で最も強大な航空技術の蓄えを持っていても、研究開発しながら、試験飛行しながら、装備するという徐々に進む路線を採用したのである。

ロッキード・マーティン社が2001年にJSFプロジェクトを勝ち取った後、F-35はシステム発展およびデモンストレーション段階(SDD-System Development and Demonstration)に入った。2006年12月、初の空軍型F-35A戦闘機が初飛行した。2008年6月、初の海兵隊型F-35B戦闘機が初飛行した。2010年3月、F-35B戦闘機が垂直離陸を実現した。2010年6月、初の海軍型F-35C戦闘機が初飛行した。

(頑住吉注:これより8ページ目。画像のキャプションは「2006年12月、初の空軍型F-35A戦闘機が初飛行した」です。)

2006年12月から今日まで、あらゆる3タイプのF-35のシステムの発展およびデモンストレーション段階は全部で試験飛行時間がすでに42,000時間を超えているが、まだ依然終わっていない。アメリカ空軍が明らかにしたところによれば、F-35のSDDシステム発展およびデモンストレーション段階は2017年まで持続し、一方F-35の低速初期生産段階は2007年にもうすでに開始されている。このことは、アメリカのF-35と中国の殲ー20が同様に研究開発しながら、試験しながら、装備するという徐々に進む路線を採用していると言うのに等しい。

2006年の初のF-35A戦闘機誕生から現在に至るまで、アメリカは全部で171機のF-35を生産し、この中には20機のSDD試験原型機と151機の生産型F-35戦闘機が含まれる。151機のF-35には次のものが含まれる。

85機の空軍型F-35A戦闘機。このうちアメリカ空軍が78機、オランダ空軍が2機、オーストラリア空軍が2機、ノルウェー空軍が2機、イタリア空軍が1機である。

45機の海兵隊短距離発着F-35B戦闘機。このうちアメリカ海兵隊43機、イギリスロイヤルネービー2機である。

21機の海軍型F-35C戦闘機は、全部アメリカ海軍に装備される。

生産型の総数を根拠にすると次のように計算することができる。2007年にF-35が低速初期生産段階に入ってから現在に至るまで、アメリカは平均で毎年18機のF-35戦闘機を生産していることになるが、2013年以後、F-35の低速生産数量は急速に増加している。アメリカのロッキード・マーティン社は2015年に全部で45機のF-35戦闘機を生産したと言明しているが、アメリカは2016年に全速生産段階に入る計画である。一部のアメリカメディアが宣伝する目標は1年で200機の生産で、2015年末にロッキード・マーティン社が言明した全速生産段階の速度は毎月17機で、毎月20機(すなわち作業日ごとに1機)に到達することを極力勝ち取るというもので、すなわち年を通して204〜240機である。だがF-35のチタン合金機体材料の重要な供給商であるAlcoaはかつて、2020年までは、毎月13機の生産量しか保証できず、年を通じて156機だけだ、と言明した。

(頑住吉注:これより9ページ目。画像のキャプションは「F-35の主体フレームにはチタン合金材料が大量に応用されている」です。)

アメリカの生産速度に比べ、中国の空中力量にはまだ大量の第2世代機があって換装を必要としていることおよび中国航空工業の水準を考慮すると、中国の殲ー20の生産速度にはきっと隔たりが存在する。中国周辺に着眼すると、日本と韓国はすでに合計84機のF-35を購入済みで、およそ2021年前後に装備が完了する。一方アメリカ空軍も日韓およびグアム島の基地に80機以上のF-35戦闘機を配備する可能性がある。このことは、2021年前後に、中国周辺に160機前後のF-35戦闘機が存在する可能性があることを意味している。このため中国は5年以内に150機の殲ー20を生産することが必要で、つまり毎年30機で、それでやっと基本的バランスが維持できる。これにはまだアメリカ海軍空母が装備する可能性があるF-35の数は含まれていない。アメリカ海軍がアジア太平洋地域に2隻の空母を配備していることに照らせば、全部で48機のF-35C戦闘機があるかもしれない。このため、中国は殲ー20の年生産率を40機以上に上げる必要があり、それでやっとより良く国家の空中防衛作戦の需要を満足させることができる。

成都飛行機が年産40機の殲ー20という生産能力に到達できるか否か、我々に刮目して待たせる。


 アメリカにはF-22もありますし、必要になれば他の地域から動員してくることもできるはずですが。そもそも殲ー20もF-35もまだ実力がよく分からないので同程度の機数ならバランスがとれるとは言えないでしょう。













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