日本の「西南の島嶼要塞化」を評する

 いろいろ難しい問題を含んでいます。

http://military.china.com/news2/569/20160818/23321499.html


日本、西南の島嶼を要塞化し中国に対応:現地人を弾除けの犠牲に充当

参考情報ネット8月18日の報道 2016年8月4日、日本の防衛副大臣の若宮健嗣は相次いで与那国島と石垣島に赴いて自衛隊基地と部隊訓練の状況を視察した。関連の部隊責任者と会見した時、若宮は島に駐留する部隊は「西南の最前線を防衛するため、職責は重大である」と強調した。

与那国島基地は2016年4月に使用が開始され、今まで自衛隊が沖縄以南の辺鄙で遠い島嶼に唯一建設しかつ使用に投入した基地であり、日本第2の離島基地でもある(初の離島基地は1981年に完成した対馬基地で、朝鮮半島を監視下に置くのに用いる)。

与那国島基地は南北2ブロックに分かれ、南側が主体部分で、指揮ビル、兵営、訓練場などが建設され、与那国島埠頭(久部良港)に面する基地北側には膨大なアンテナ群が建てられている。こうしたアンテナのいくつかは内部の通信に用いられ、いくつかは情報捜索収集に用いられ、その主旨は先島諸島の各主要水道を抜ける「周辺の大国」の艦隊や各種航空機を監視下に置くことにある。たった2年前、この区域はまだ植物が密に茂った山谷だったが、それにもかかわらず今では自衛隊が「西南の防衛線」を構築するカギとなる重要な支点に一変している。

日本最西端の辺鄙で遠い片隅に位置する与那国島は面積が大きいとは評価されず、たった28平方kmで、常住する人口はかろうじて1,800人を超え、インフラも完備されておらず、元々あった飛行場の滑走路は短くかつ幅が狭く、往来する人員、貨物の出入りの量も比較的少なく、増してや観光客が現地に関わることはごく少ない。説明を必要とするのは、与那国島は元々日本の領土に属さなかったことで、それは1510年に琉球王国に編入され、琉球王国の統轄を受けること370年の長きにわたり、1879年になってやっと琉球王国と共に日本によって併呑された。

与那国島は海外に孤立しているが、戦略的位置はすこぶる重要で、日本によって「西南の門戸」と見なされている。地図の上から見れば、与那国島は台湾の花蓮県との距離が110kmしかなく、釣魚島との距離は170kmで、与那国島から飛び立った戦闘機は6分間しか要せず即釣魚島まで飛べる。

中国とバランスを取るため、2013年に出された日本の防衛計画大綱は自衛隊が「西南の島嶼を重点とし、周辺海域の警戒監視態勢の構築を強化する」ことを要求した。2016年から、陸上自衛隊は正式に先島諸島の軍事空白区域に作戦部隊を配備した。与那国島基地使用開始時期が近づくのと共に、2016年3月末、陸上自衛隊はまたこの島に新たに建設した第303沿岸監視部隊を配備した。

だが、与那国島基地の建設はそれにもかかわらず紆余曲折だった。着工当初、与那国島本土住民はこの挙が「平和な住民が強制的に戦争に巻き込まれ、住民のいる地域がミサイル攻撃対象に身を落とす」ことを心配するがゆえに何度もデモを組織し、この島に軍事基地を建設することに断固反対した。だがパラドキシカルにも、後に現地住民の態度はそれにもかかわらず180度大転換し、基地建設支持に転じたのである。

元々、人心を買収するため日本の内閣は沖縄県と与那国島地方行政機構にかなりの補償金を与え、島の上の公共施設建設に用いた。しかも基地建設はまた現地経済の発展を連動させ、600名近い将兵の生活全般は現地のために小さくない商機を創造し(駐沖縄米軍基地と同列には語れないものの)、島内サービス業の活発な発展を牽引し動かした。これだけではなく、陸上自衛隊はさらに与那国島の青年の入隊を大量に募集し、第303沿岸監視隊の半数近くの兵士(士官含む)は現地で生まれ育った島民である。この挙は自衛隊兵員の不足も埋めたし、また現地の就業問題も緩和し、一挙両得というべきである。

最終的に、「自衛隊を進駐させるか否か」の「全島投票」の中で、島への軍事基地建設に賛成する住民が圧倒的優勢を取得した。つまり、現地人をメインとする「郷土部隊」が日本の「西南防衛線」の中核力量を構成したのであり、東京方面はちょっとの「小恩小恵」を用いただけで、もう「郷土部隊」の本人および全家人の生命が「弾除けの犠牲」に充当されることと引き替えにしたのである。

与那国島基地に続き、自衛隊が次に「要塞化」する西南の島嶼の目標は石垣島である。石垣島は17世紀以前には早くも人の居住があり、島東部の宮良川は島で最大の河川で、水流は豊かで清らかである。石垣島は歴史が悠久であるだけでなく、しかもハワイと同じ緯度に位置し、1年四季を通じて陽光が照りつけ、海水はスカイブルーで、砂浜は美しく、島の中央の海抜526mの於茂登岳は沖縄最高峰で、山は緑で水は清い石垣島は「ポケット桃源郷」と称するに堪える。

しかし、日本上層部はどんなに風光明媚だろうと、彼らが気に入ったのは石垣島が釣魚島、台湾との距離が170kmおよび200kmしかない戦略的位置の優勢である。この島の上では、台湾ないし福建省の放送、テレビ信号が全てクリアに受信でき、軍事的角度から言って、ここに電子モニタリングステーション、あるいは早期警戒および防空システムを設立することは確かに「素晴らしい選択」である。

2016年2月の北朝鮮ミサイル試射の期間、航空自衛隊の「パトリオット」防空ミサイル部隊と陸上自衛隊所属の警備、災害救援部隊はかつて石垣島で緊急展開した。だが島の上にまだ常設の軍事基地と関連施設がなかったため、人員、装備の長期配備に困難がもたらされた。

このため、自衛隊は石垣島で大々的な土木工事を行うことを決定した。陸上参謀部が明らかにした情報によれば、陸上自衛隊は石垣市街地付近に新たに長さと幅が600mの基地を建設する計画で、これには地上および地下射撃訓練場および地下弾薬庫が含まれる。さらに於茂登岳の山麓および山裾の斜面上に軍事基地を建設する計画である。日本が派遣駐留を予定する部隊は陸上自衛隊第15旅団所属の歩兵部隊(歩兵連隊に相当)を主体とする300人規模の「国境警備隊」、沿岸ミサイルおよび対空ミサイル部隊であり、「もって戦時に敵軍が本島に接近するのを阻止するのに便とする」とされる。(作者/華丹)

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「画像は日本の陸上自衛隊が与那国島に配備する軍用機(ロイター社の資料画像)」)


 「弾除けの犠牲」は悪意のある言葉ですが、侵略を抑止する必要性が高まっている、危険が大きくなっているから基地が必要になっているのであって、もし戦闘になれば基地のある島が攻撃対象になる可能性が高いのは事実で、当然島の人もそれは分かっているのに基地を受け入れるのはいろいろな意味で他に選択肢がないと判断したからなんでしょう。















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