まだその後があった薬莢短後座自動原理

 先日、「66-136」自動小銃に関する記事を紹介しましたが、このシステムはその後も研究が続けられていたという記事がありました。「軽兵器」誌2010年第19期号に掲載されたものだそうです。

http://hi.baidu.com/yfx1955927jldd/blog/item/9ec4fb2a7edd95eae7cd40ac.html


アイデアのために 薬莢短後座自動原理探究の一部始終 歩5式7.62mm自動小銃

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「歩5式7.62mm自動小銃」)

この銃の研究開発はちょうど「文化大革命」の動乱時期だった。当時彼らは若く、そうした若者が大胆に実践、探究を行い、新しい原理を提出した。すなわち薬莢短後座式自動原理である。この原理は最終的に成功できなかったものの、この中で行われた探求は肯定に値する。

2010年7月、中国兵器工業第208研究所の小火器博物館建設計画は展示品ふるい分けおよび処理段階にあった。保管されている多くの銃器の中から、作業人員は1挺の外形が大きく異なる国産自動小銃を見つけた。書類資料の調査および当事者への訪問を経て、最終的にこの銃の身分と来歴が確定した。この知る人の少ない自動小銃は、我が国の小火器研究作業を行う者が最も混乱した歳月の中でも、国産小火器発展のために献身的作業を続けた、その探求の過程を目撃した。先日、本誌記者はこの小銃の主任研究開発人員だったケ福章、郭明にインタビューを行った。彼らはこの銃から、「文化大革命」の特殊な時代において若い彼らが自動火器分野で行った探究と実践について語り起こした。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「元701プロジェクトメンバー郭明(左)とケ福章は本誌の歩5式7.62mm自動小銃に関するインタビューを受けた」)

大胆な提出:薬莢短後座式自動原理

1963年、我が国初の完全自主研究開発による63式自動小銃が正式に設計定型に至り、その後大量生産、部隊装備が開始された。63式自動小銃の研究開発成功は、我が国の小火器がコピー生産段階から独自研究開発段階に入ったことを示していた。しかし種々の原因により、大量生産された63式自動小銃の性能は部隊による各項目の使用要求を満足させることができず、さらに一歩の改良、向上、完璧化が待たれた。

このような背景の中、「66‐136」プロジェクトが1966年に正式プロジェクトとして立ち上げられ、その趣旨は63式自動小銃に代わる新型自動小銃を研究開発することにあった。このプロジェクトは依然、研究開発グループ、工場、部隊の「三結合」方式での進行が採用され、208研究所の科研人員と兵器工場および軍の機械修理技術人員が連合して共同で進められた。

「66‐136」プロジェクト進行初期、設計人員は56式サブマシンガン(頑住吉注:AK47コピー)及び半自動小銃に対して参考研究を行っている過程で気付いた。ボルトの閉鎖間隙を適度に増大すれば、弾薬撃発後、火薬ガスが薬莢を連動させてボルトを後座させ、したがってボルトが充分な速度を獲得して開鎖が実現する。それならもし銃にガス導入機構がなくても自動サイクルを完成させることができるのだ、ということをである。当時設計人員はこのまだ実践テストを経ていない自動原理を、「薬莢短後座」式自動原理と命名し、これに対する実行可能性の論証を開始した。「66‐136」プロジェクトでは全部で6つの設計方案が提出され、3つの方案ではサンプル銃が作られ、その中にはまさに薬莢短後座式自動原理の方案が含まれていた。

しかし、「66‐136」プロジェクト展開後間もなく、政治運動の影響および行政体制の変化等の影響を受けたために中止を迫られ、プロジェクトグループの研究開発人員も大部分が各軍工場に分かれて派遣された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「701自動小銃の全貌。上の図は戦闘状態でバヨネットを展開している。下の図は行軍状態でバヨネットを折りたたんでいる。」 ってどう見ても逆です。まあそれは置いといて、この銃外観がAK系そのものだった66-136と違い、ややドイツっぽいデザインに見えます。)

701プロジェクトの始動:探究継続の道

1970年初め、208研究所は中国人民解放軍総後勤部に編入された。総後勤部は再度新型自動小銃研究開発の命令を下達し、そこで「66‐136」プロジェクトの基礎の上にコード番号「701」の新プロジェクトが正式に立ち上げられ、その前に工場に分かれて派遣されていた設計人員が続々と召還された。このようにして薬莢短後座式自動原理の探究も継続できるようになった。

701プロジェクトは1970年3月に始動した。当時この小銃に対して、以下の戦術技術要求が提出された。56式7.62mm弾薬を使用する。銃全体重量は3.2s以下(装弾数20発の空マガジン付きで)。全長1300mm前後(頑住吉注:モーゼル98k、M1ガーランド、FN FALはいずれも全長1100mm程度です)。セミ・フルオートの精度は63式自動小銃より低くないこと。武器寿命8000〜10000発。ライフルグレネード発射可能。各種の複雑な気象、地理条件に適応できること。国内の材料で作り、かつその資源が充分であること。生産性がよく、大量生産しやすいこと。

これ以前に「66‐136」プロジェクトで良好な基礎ができていたので、701プロジェクト下達3か月後にはサンプル銃ができた。1970年6月、701プロジェクト第一弾の3挺のサンプル銃の試作が成功した。この銃は薬莢短後座式自動原理、ボルトヘッド回転式閉鎖方式、ハンマー回転式撃発機構を採用していた。リコイルスプリングとガイドロッドはバレル上方に設置され、リコイルスプリング前端はボルトと接していた。56式半自動小銃(頑住吉注:SKSコピー)及び63式自動小銃に似て701自動小銃のバレル下方には折りたたみ式のエッジが3つあるバヨネットが装備されていた。生産工程簡略化、また携帯の便のため、701自動小銃は装弾数10発および20発のストレートマガジンを使用して給弾を行った。銃の全長は1360/1070mm(バヨネット伸ばし/たたみ)(頑住吉注:要求の全長1300mm前後というのはバヨネット込みだったようですね。それでもこの時代に新たに作られる主力小銃の全長が1mを大幅に越えているというのはちょっとどうかと思いますが)。空虚重量は3.2sを超えなかった。同年7月、設計人員は3挺のサンプル銃に対して実力試験を行った。701自動小銃は初めて薬莢短後座式自動原理を採用したので、参考に供することができるいかなる経験もなく、このため試験中いくつかの問題を暴露した。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「チャンバーのテーパー度を改変する方案の説明図。チャンバー内部と弾頭(Aの部分)および薬莢のボトルネック部(Bの部分)とが接触する位置のテーパー度を改変することにより薬莢後退の時間を遅延させ、したがってチャンバーの燻煙が軽減されるというアイデア。ただしこの方案の効果ははっきりしたものではなかった。」 続いて2枚目。「チャンバー部にリング状のミゾを彫る方案の説明図。この方案はチャンバーの燻煙減少に対し良好な効果が証明された。」)

薬莢短後座式自動原理採用がもたらした突出した問題は発射速度が高すぎ(頑住吉注:と書いてありますが文脈的にはボルトの後退速度、タイミングが早いことを指しているようです)、ボルトの開鎖が比較的早くなり、火薬ガスが後方に漏れ、チャンバーの燻煙が深刻になることだった。この1つの問題に対する設計人員の最初のアイデアは燃焼速度の速い発射薬を採用し、ボルト開鎖前に火薬を完全に燃焼させることだった。試験を経て、この方案は煙を減らす効果は比較的はっきりしていたが、付随してもたらされた問題は自動機構の作動不安定だった。その後、設計人員は作業の重点を銃の構造の改良に改めて移し、相次いでチャンバーのテーパー度の改変、チャンバー部にリング状のミゾを彫る、およびチャンバー部に可動式ジャケットを加える等の改良方案を試した。

チャンバーのテーパー度改変を行った設計人員はまず、チャンバー内部と弾頭および薬莢のボトルネック部が接触する位置のテーパー度を改変し、もって薬莢の後退時間を遅延し、したがってチャンバーの燻煙の状況が軽減されるという方案を試みた。だが試験はこの方案の煙を減らす効果ははっきりしたものではないことを示した。

チャンバーのテーパー度を改変する試みが成功しなかった後、設計人員はタイミングよく発想を変え、チャンバー内にリング状のミゾを彫る方案に改めた。弾薬撃発後、高温高圧の火薬ガスが薬莢を膨張変形させてリング状のミゾにはまり込ませ、燻煙の外への漏れをブロックする目的が達成されるというものだった。この種の改良措置を採用したサンプル銃は試験で比較的良好な効果を見せ、設計人員はさらに努力を重ね、チャンバーの異なる位置にミゾを彫る、および異なる形のミゾを彫ることのボルトの運動に対する影響及び燻煙減少効果に関する試験を行った。反復試験を経て、設計人員は以下の結論を得た。チャンバー後端より前15〜18mmの所に長さ2.4〜4mmのリング状ミゾを彫る場合の効果が最もよく、有効に燻煙を減少でき、しかもボルトの作動の敏捷、確実も保障できた。

チャンバー部にリング状のミゾを彫る方案がはっきりした効果を上げたのと同時に、別の1グループの設計人員はさらに一歩進んで、バレルエクステンションとボルトの間に可動式ジャケットを加える方案を提出した(図参照)。可動式ジャケットとバレルエクステンションの間には1.1〜1.5mmの閉鎖間隙が加工され、弾薬撃発後、可動式ジャケットはバレルエクステンションとボルトの間の伝動構造として、ボルト開鎖遅延の作用を果たすことができる。その燻煙減少効果がチャンバー部にリング状のミゾを彫る方案に及ばないことははっきりしており、同時に銃の部品数を増やし、工作時間を長くするため、この方案は最終的に採用されなかった。



射撃精度方面では、701自動小銃初期の全体的信頼性が比較的劣っていたため、距離100mにおける精度試験の最初の結果は、半数秘中半径9.4cm、全弾必中半径31cmだった(頑住吉注:グルーピング62cmということでライフルとは思えない精度です。下手すりゃアーチェリーに負けるのでは)。設計要求は半数秘中半径5cm、全弾必中半径12cmであり、これとの差は大きかった(頑住吉注:そもそもの要求もえらい低いですね)。この結果に対し、ある設計人員は次のように提起した。射撃時、薬莢がボルトに衝突することが射撃精度に影響を与えているか否か、つまり薬莢短後座という自動原理に精度が低いという欠陥が存在するのか否か、と。この問題を検証するため、設計人員はわざわざ1挺の63式自動小銃を薬莢短後座自動原理に改造して、その銃の射撃精度の改造前との比較を行った。その結果両者の差が大きくないことが分かった。この試験は、銃の全体構造の処理が合理的な時、薬莢短後座自動原理の散布精度に対する影響は小さいことを説明した。この後設計人員は銃全体の各部品間の結合のタイトさに始まり、ボルト開鎖前の自由ストロークの長短、ボルトが後座してハンマーを押し倒す時期(編注:ボルトがハンマーを押し倒す時、両者には必ず衝突が発生し、この衝突の発生時期が不適当な時には射撃精度に対する影響が生じる可能性がある)及びバレル品質等4つの方面の散布精度への影響に対し深入りした分析を行った。2年余りの反復調整、試験を経て、1972年8月、701自動小銃の距離100mでの散布精度は半数秘中半径5.29cm、全弾必中半径12.55cmに達し、最初の精度レベルと比較するとはっきりした向上が見られ、設計要求に近づいた。

まさに701自動小銃の研究開発作業が徐々に正しい軌道に入り、各方面の性能指標が全て完全なものになりつつあった時、政治方面の影響を受けたために、701自動小銃プロジェクトは再び中止を迫られた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「歩5式自動小銃は701小銃のいくつかの設計を参考にしたが、自動原理上は伝統的ガスオペレーション原理を採用した。」)

後続の発展:いくつかの設計は流用された

1970年代末、我が国の小火器業界は他の業界同様「第2の春」を迎えた。701自動小銃の後続型、すなわち歩5式7.62mm自動小銃はまさにこの時プロジェクト立ち上げが行われた。本文の初めに提示した銃がまさに歩5式小銃である。

歩5式小銃は701自動小銃が採用していた薬莢短後座式自動原理を伝統的なガスオペレーション式自動原理に改め、したがって銃の寿命と信頼性が大いに向上していた。この他、この銃は一体式レシーバーを採用し、マガジン挿入口、リアサイト等の部品にも改修が行われていた。国家試験基地で試験が行われた時、歩5式自動小銃はスムーズに各項目の試験を完了し、、基地で働く人員に賞賛、感嘆させた。歩5式自動小銃がこのような優秀な性能を持っていたのは、701プロジェクトの期間に設計人員が勤勉に働き、どこまでも精進を続けたおかげと言うべきである。

人に遺憾に感じさせるのは、歩5式自動小銃が制式武器となるための正式定型に至ることができなかったことである。だが、歩5式自動小銃を基礎に研究開発された82式7.62mm銃器ファミリーは良好な総合性能をもって国家試験場の各項目の定型試験を通過し、82式7.62mm銃器ファミリーとして定型に至った。

701自動小銃は定型段階に入ることができなかったが、この銃は我が国の小火器業界のために多くの科研人材を鍛え、後続製品研究開発のために貴重な財産を蓄えた。同時に、701自動小銃も我が国の小火器研究人員の国産小火器進歩発展のための積極的な探究精神を目撃したのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「歩5式自動小銃のバヨネットを伸ばした状態」)


 いくつか疑問があります。

●何故先日紹介した「66-136」の紹介記事には今回の内容が簡単にでも触れられておらず、「光陰矢の如し、日々は機織器のごとく慌ただしく流れ、あっという間に36年が過ぎ去った。当時このプロジェクトに参加した科研人員はすでに元気はつらつとした熱血青年から、心持ち平和に余生を過ごす老人に変わった。今ではただ、この独特の自動原理がより多くの人に熟知され、できればより良いものを生み出すきっかけとなり、考え方の幅を広げ、より斬新さを持った新原理が提出されることを希望するのみである。」といった記述になっているんでしょうか。これでは当然この原理の研究はそこで途絶えたとしか解釈できません。

●66-136の記事での経緯は、1966年に開発命令→「当時の科研作業の時間は短く、任務は急を要し、規定の時間内で要求に符合するサンプル銃を出せるようにするためには、設計者たちは最後の瀬戸際でやむを得ず薬莢短後座自動原理の方案を放棄し、当時技術が相当に成熟していた「ガス導入式」を用いることに変更するしかなかった。」ということで81式が選定されたトライアルに間に合うように新システムを放棄した改良型を開発したが選ばれなかった、というものです。考えればこれがすでにおかしいです。「当時の科研作業の時間は短く、任務は急を要し」って、開発開始から81式トライアルまでは10年以上もありますから。まあそれは置いておくとしても今回の記事での経緯は、66-136プロジェクト展開後まもなく政治運動(1966年に始まった文化大革命)の影響で中止、開発メンバーは四散→1970年(文化大革命は1976年まで継続)に701プロジェクトが立ち上がり開発メンバーが再度集結→正確な時期が書かれていませんが命中精度が要求に近づいた1972年8月以後おそらくさほど長時間が経たないうちに再び政治の影響で中止→1970年代末、701小銃の影響を受けたが通常のガスオペレーション式の歩5式プロジェクト立ち上げ、性能は良かったのに何故か定型に至らず→歩5式を基礎に開発された82式が定型に至る、というものです。こうだとすると66-136をガスオペに改良したものが81式とトライアルで対決した、ということはちょっと考えられなくなります。今回の経緯が正しいんでしょうか。なお82式( http://www.honggushi.com/junshi/qingxingwuqi/junshi92.html )は定型には至ったものの81式の方が早かったため装備されず、国が命名すらしなかったため設計人員が82式と名付けたということです。このへんのちぐはぐさも政治的混乱のせいなんでしょうか。

●66-136、歩5、82式は全体デザイン上明らかにAKの影響下にありますが、開発メンバーが66-136とかぶっているはずの701だけ全く異質のデザインなのは何故なんでしょうか。66-136の記事では63式を薬莢短後座式自動原理に変更した命中精度テストをすでに行っていたとあり、メンバーがかぶっているなら今回の記事の、701試作後に同様のテストが行われてこのシステムの命中精度への影響がわざわざテストされたという記述もおかしくなります。

●701開発時の問題に関し、チャンバー後方へのガス漏出による汚れと命中精度不良にしか触れられていませんが、チャンバーの図には薬莢切れを防止するためのフルートがなく、それどころか薬莢をチャンバー内に強く張り付かせ、薬莢切れを助長すると考えられるリング状ミゾまで追加されています。

●私が66-136の記事で薬莢切れ防止のためのアイデアとして示した可動式チャンバーが701で試されたとありますが、薬莢切れ対策ではなくチャンバー後方へのガス漏出による汚れの軽減が目的だったとされています。しかし何故チャンバーを可動式にするとチャンバー後方へのガス漏出による汚れが軽減されるのか理屈が分かりません。

●66-136の記事でグルーピングの単位が間違っているのではないかと書きましたが、やはり単位をcmに直した方が今回の701のデータと近くなります。しかし、先行した66-136は「新しい自動原理の新しいサンプル銃として、各種機構が完全、合理的になりきっておらず、なお設計の完全形態に達していないレベルであるという条件下」だったのに701より大幅によく、ちょっとおかしい気がします。

 あるいは文化大革命による政治的混乱などにより資料が失われ、すでに高齢になっている当事者の記憶も不確かになって、真相が不明になっている部分があるのかも知れません。











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