63式小銃

 「戦後の中国軍用小銃発展史」で少し触れたことがある63式小銃に関する詳しい記事です。

http://military.china.com/history4/62/20131010/18082025.html


中国国産の第1世代自動小銃:63式自動小銃開発史

事の起こり:63式小銃の誕生

1960年代初期、中間型標準小銃弾薬を発射する自動小銃が世界の各大国に出現し始め、かついくつかの陸軍強国が部隊装備を開始した(頑住吉注:出現し始めたのは言うまでもなくもっと早いですけどね)。我が国の当時の制式武器はまだ56式半自動小銃がメインだった(ソ連のSKS半自動小銃にならったもの)。56式サブマシンガン(頑住吉注:AK47コピー)も生産、装備されていたが、軍サイドは普遍的に56式サブマシンガンのバースト射撃の精度および銃剣格闘性能に不満を感じ、精度がより良く、射程がより長く、銃剣格闘性能が良好な自動小銃が必要とされ、同時にこの銃器には維持メンテナンスが容易で兵個人による故障排除に便利であることが要求された。このため、当時我が国の軍事工業科研人員は充分にSKSおよび当時世界で比較的典型的だったM14、G3などの自動小銃の長所を参考にすることを基礎に、我が国の当時の工業技術、生産能力を結合させ、1959年から我が国の第1世代自動小銃の設計、研究開発を開始した。このプロジェクトは軍事工業の各関係組織に高度に重視され、わざわざ高等院校、科研機構、専門の工場の科学技術人員から組成される「三結合」研究開発チームが成立し、1963年に設計定型が完成し、かつ1963式7.62mm自動小銃(略称63式7.62mm自動小銃)と命名され、1963年中に生産に投入され、かつ部隊に装備された。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「解放軍兵士が63式自動小銃を使用」です。)

性能の特徴

63式自動小銃は、56式半自動小銃の精度と56式サブマシンガンの火力持続性を持ち、当時のM43中間型弾薬を使用する各種銃器の中で中距離での精度および火力持続性が比較的良好に結合した小銃だった。56式半自動小銃のバレルを使用したため、距離100mでのその正確度はセミオートでの半数命中円半径が5cm、全弾命中円半径が12cm(頑住吉注:西側の基準で評価すればライフルの100mグルーピングとしては非常に悪いですが)、弾丸の散布は56式半自動小銃と同等で、距離100mでのバースト射撃の弾丸の70%の密集界は20x20cmで、56式サブマシンガンに比べ大幅に向上していた。独創性を持つのはボルトストップの機能を持つことで(56式サブマシンガンにはない)、当時その他の国が装備するM14、G3、M16などの自動小銃はいずれもまだこの機能を備えていなかった(頑住吉注:いやM16にはあったでしょう)。

給弾方面では、63式自動小銃はマガジンを外さない状態で56式半自動小銃の弧型ストリップクリップを使用して直接20連マガジン内に弾薬を押し込む事ができる。この点は当時の我が国の工業原料が欠乏した状況下では特に重要さがはっきりし、戦闘中普通兵士は1から2個のマガジンおよび充分な数の弾薬を携帯して都合よく中規模の戦闘1回を支えることができ、大量に鋼材が節約された。

63式小銃のマガジンにも非常に特徴がある。スチール板プレス・溶接での製造を採用し、マガジン両側に独特の特色ある「五角星」の図案がある。

この銃は創造性をもって専用の連結部品で連結した三角断面で深いミゾを持つバヨネットを採用している。強度が高く、貫通性が良く、折れにくく、非常に大きく白兵格闘時の刺突の強度、剛性、突入深度を向上させた。さらに射撃時にバヨネットを展開することは銃口にウェイトを配する作用を果たし、フルオート時の銃口の跳ね上がりを抑制できた。

63式自動小銃のストックは56式半自動小銃に似ているが、頬を当てる位置がより平坦で広く快適になり、高精度の射撃に有利となった。

63式小銃はガスオペレーション式自動方式を採用し、かつ国内の小銃で初めてガスレギュレーターを採用し、直径がそれぞれ3.8mmと2.5mmの大小2つのガス穴が設けられ、調節しやすかった。戦場において兵士は環境条件に基づき自ら調節が行え、したがって各種使用条件下での機構の作動信頼性が保証された。

63式小銃性能データ

口径:7.62mm

全長:1,342mm(バヨネット展開)、1033mm(バヨネット折りたたみ)

全体重量:3.8kg

初速:735m/s

戦闘発射速度:毎分40発(セミオート)、毎分60発(フルオート)

有効射程:400m

マガジン容量:20発

使用弾薬:56式7.62mmx39小銃弾薬


(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「対ベトナム自衛反撃戦中渡河準備する解放軍兵士が63式小銃を背負っている」です。)

出会い:戦場での63式小銃

63式自動小銃が正式に定型に至った時は、自動小銃/アサルトライフルが世界を風靡し始めた時代でもあった。ソ連の著名なAK47はまさに広範に各ワルシャワ条約機構加盟国の軍隊とその他の親ソ連武装力量に装備され、アメリカのM16小口径小銃もベトナムの戦場で初めての腕試しを開始していた。一方M14、FNFAL、G3などの大威力弾薬を使用する自動小銃もまさに使用中の時代だった。「五十弦翻塞外声,沙場秋点兵」(頑住吉注:漢詩の一部らしいですが意味不明です)で、63式小銃もかつてこれらの名銃と共に戦場で覇を争った。

1960年代初期、一定数の製造が精良な自動小銃が東南アジア某国の抗米武装力量に援助されて使用されたが、当時これらの部隊はすでにSKS/56式半自動小銃を使用していた。米軍はSKS/56式半自動小銃の精度をよく実体験して身につけていたが、米軍はSKS/56式半自動小銃の致命的弱点も掌握していた。すなわち、バースト射撃ができず、装弾数が少なく、火力密度と持続性がいずれも不足だという弱点である。経験ある米軍兵士はこの型の銃器を持つ反抗力量に遭遇した時、通常M14あるいはM60を使用し、火力制圧打撃の方法で対抗した。米軍兵士はさらにSKS/56式半自動小銃の銃声をひとたび聞くや即地に伏せ、その後横向きに動き、さらにM14小銃を使用してカバー式射撃を行った。あるいは1人がM14を使用してカバー射撃を行い、1人がM14を使用して短いバースト射撃を行い、密集した弾丸をもって相手を制圧し、反抗武装勢力に一方的損失をもこうむらせた(特に200m前後の距離では、M14が使用する7.62mmx51NATO弾薬の威力および貫通力はSKS/56式半自動小銃の7.62mmx39弾薬より強く、ジャングル地域ではさらに優勢を持っていた)。

だが63式自動小銃を使用すると、状況に変化が発生した。以下は当時参戦したオーストラリア部隊人員の回想である。「当時私が率いる小分隊は川に沿ってパトロールしているところだった。突然川の向こう岸の傾斜地の林の茂みの中から熟知したSKSの銃声が起こった。私は直ちに地に伏せて散るよう命令し、無線を使って救援を呼びながら、手中のM14および1挺だけのM60を使用して銃声の方向に向け交代で射撃し、かつ徐々に秩序ある後退を行い、小山の後ろに移動した。我々の移動中、奇怪な事情が発生した。我々は思いがけず自動小銃式のバースト射撃に遭遇したのだ。聞こえるその銃声はベトナム共産党軍が装備するAK47とはやや異なり、かつ方式にも差異があった。全てが2発の短いバーストで、散布がごく小さく、我々の2人の戦友が何といずれもすねに命中弾を受け、他の戦友が負傷者の救護に行く過程で、また1人が腰部に命中弾を受け、すぐに動けなくなって倒れた。我々は止むを得ず小山の後ろに伏せ、M14とM60を用いて絶え間なく向こう岸に向け掃射した。‥‥野戦病院が我々の戦友に対し応急措置を行った時、我々は傷口がSKSおよびAK47による命中とは全く異なるのに気付いた。2つの命中点の距離がごく近く、1インチ(25.4mm)未満だったのである。貫通銃創の穴は真っ直ぐだが、射入口は小さく、射出口は大きく、これはAK47とやや異なっていた。軍医も非常に奇怪に感じ、私にどんな銃で撃たれたものか訊いた。私はAK47かもしれない、と言った。医者は言った。「それでは撃った者の射撃は非常に正確だ。」 ‥‥私は中尉に向けて今回の交戦の報告書を書く時、相手がどんな銃を用いて我々に対し襲撃を行ったのか確定できなかったので、相手が使用したのは高精度のAKあるいは数挺のSKSが短い間隔で交代で発砲したものだと書くしかなかった。‥‥2ヶ月後になって、我々がある進攻中に少数のベトナム共産党兵を捕虜にし、かつ彼らが使用した武器を鹵獲してやっと明らかになった。実は彼らはすでにフルオート射撃ができ、「五星」のマークを持つ20連マガジンの高精度のSKS小銃を使用していたのである。この小銃は後に我々によって68式小銃と呼ばれた。」

別れ:63式装備から外される

当時63式小銃には56式半自動小銃の後継となって我が軍に全面装備される新型武器となる可能性があった。しかも、当時某大国(頑住吉注:ソ連でしょうね)と接する国境の国境駐留軍はすでに63式自動小銃への換装を開始し、かつ好評を獲得していた。だが大量生産、換装が準備されていたまさにその時、文化大革命が開始された。文化大革命の軍事工業領域に対する衝撃は63式小銃の生産品質にも影響した。これは主に当時要求された生産量が実際の生産能力の数倍だったことにより、工場は生産数を達成するために「売れ行きの良い大根は泥を洗い落とす手間をかけない」で、簡略化、工程の改良は100項目近くになり、生産される63式自動小銃に部隊での使用過程で故障を頻出させ、甚だしきに至っては後方に向けて火を噴く、レシーバーカバーが壊れて飛び人を傷つけ障害を残す事件が発生し、増してや精度や火力持続性は問題外だった。当時の部隊の中では、「半自動の方がまし」の声が日増しに高まった。

63式自動小銃が使用中に起こした深刻な問題は工場と指導機関の高度の重視を引き起こした。工場はこの重要問題に取り組むグループを成立させ、部門の指導と科学技術人員の積極的参加の下、1971年4月にこの技術的重要問題に取り組む大会戦(頑住吉注:力を集中して短期間に問題を解決する、という場合にこの語が使われることがあるそうです)が展開された。当時出現した主要な問題に照準を合わせ、いくつかの改修が行われた。すぐに工場は改良後のサンプル銃を提出し、上級指導者は非常に満足を示し、直ちにサンプル銃の規格に従っての生産を命令した。しかしまたしても環境の致すところで、製品の図面はやはり何度も任意に変更され、生産秩序は混乱し、人心はだらけ、オリジナル銃通りの大量生産は言うほど容易ではなかった。このような状況下で、1978年、63式は止むを得ずしばらく生産停止され、部隊の装備から外された。

1970年代末、我が国の自衛反撃戦の中、参戦した部隊は普遍的に、当時装備されていた56式半自動小銃の火力持続性は強くなく、56式サブマシンガンの数は充分でなく、応急的に一部の高精度自動火器を装備することが早急に求められる、と報告してきた。この時、倉庫に保存されていた少数の63式と完備された63式の生産ラインが再度人々の注意を引き起こした。軍事工業科学技術、生産人員は改めて生産ラインを始動し、標準型63式を基礎にマガジン挿入口、リコイルスプリングの材料、ボルトに改良を行った。具体的方法は次の通りである。

(1)マガジン挿入口の寸法、マガジンキャッチを改良し、63式に「五星」20連マガジンと56/56-1式サブマシンガンのマガジンが使用できるようにした。

(2)リコイルスプリングに質のよい線材を選択使用して巻いて作り、強度を増加した。

(3)ボルトの公差小さくし、ファイアリングピンの処理を強化した。

参戦部隊を緊急換装した後、部隊はこの種の改良後の63式の精度は56式半自動小銃との比較に耐え、火力持続性は56式サブマシンガンと差異がない、と報告してきた。当時、敵を捜索、掃討する戦闘中、2挺の改良後の63式小銃(56式サブマシンガンのマガジンを使用)は300mの距離で短いバーストによる交代での射撃を採用し、20分以内に敵の6人の機関銃手を殺傷し、敵軍を隠蔽された洞窟の入り口の火力ポイントに封鎖し、敵に発砲できなくさせ、その他の戦友の突撃を援護し、洞窟内の残敵を捕虜にした、という戦例があった。優れた中での不足は、バレルが長すぎるのが目立ち、ジャングル地帯での作戦時、枝などの物にひっかかりやすく、かつ56式サブマシンガンのマガジン使用時、マガジンががたついて脱落する現象が発生したことだった。

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「63式小銃を使用するコソボ解放軍」です。)

縁消える:現役を退く

対ベトナム自衛反撃戦の期間の短時間の生産再開は63式自動小銃の運命を変えることはなく、すぐにこの銃は再度生産停止となった。この時、81式銃器ファミリーはまさに最後のターゲット場試験を行っているところだった。1981年、81式銃器ファミリーは設計定型に至り、部隊装備され、63式小銃と我が軍との縁はすでに尽き、ついに正式に現役を退いた。だがかつて生産された100万挺以上の63式自動小銃は、一部が他国に輸出および援助された他、さらに相当な数が各地の民兵の武器庫の中に貯蔵され、一部の国境防衛部隊や民兵の訓練の中でまだその姿を見ることができる。

改革開放とその深化と共に、63式自動小銃も国際市場に輸出され、かつ一部の武装組織が制式武器として使用した。このうちアフガニスタン地域の武装人員には少なからぬ63式改良型小銃の忠実な追随者がいる。何故なら63式小銃の木製ストックは寒冷な冬季に頬当てして照準する時に快適、確実で、顔に凍って貼り付くことがなく、照準精度に影響しないからである。AK47マガジンの使用は、この銃がSKSのような精度を持つという前提下で良好な火力持続性を保証させ、短い、長いバーストを組み合わせ、中距離(300m前後)での多数の同時に出現した目標に対する打撃が非常に有効である。アフガニスタンの使用者は、精度と火力持続性の結合の上では、AK74だけがこれと比較できる、と考える。2001年におけるアフガニスタン地域に関するニュース報道の中で、我々は依然63式改良型自動小銃を背負った反タリバン兵士がパトロール、歩哨を行うシーンを見ることができる。

1990年代末のある軍事活動の中で、私は幸運にも自身で63式自動小銃の標準型を体験した。当時採用されたのは100mプローン依託射撃という方式で、私はまず1マガジン(10発)セミオート射撃したが、何と97点だった。しかも、着弾は8点の中、9、10点区の長さ12cm、幅5cm前後の区域内に集中していた。第2のマガジンは20発で、私は短いバーストを採用し、総点数は159点、散布は7点区に出ることはなく、その精度の高さ、散布の小ささが見て取れた。さらに56式半自動小銃の弧型ストリップクリップを使用してマガジン内に弾薬を押し込む方法を試した。だが感覚は56式半自動小銃のような快適さには及ばず、一定の角度と力のコツを必要とし、この銃には使用者の熟練度に対する一定の要求がやはりあることが見て取れた。

この後、私はさらに81式自動小銃と95式自動小銃を試射したことがあるが、63式自動小銃はこれら2機種の銃に比べ後座、精度方面の差異が大きくなく、特に81式自動小銃とははっきりした違いがないが、トリガープルがやや重いと感じた。だが頬当て、肩付けは非常に快適で、これはこの銃が木製ストックを使用していることと関係があるかもしれない。

個人的に、63式小銃にもし15連ショートマガジンが使え、かつ本体左側に照準具のレールが装備され、バヨネットをなくせば、民間用狩猟小銃としてまだ前途が大いにあると考える。


 「戦後の中国軍用小銃発展史」には「63式自動小銃は着手時からただちに小銃の発展趨勢に背いたものだったので、後に徹装される運命は避け難かった。」という記述がありましたが、私はそちらに賛成で、この文章の評価は甘すぎると思います。いろいろなエピソードなどは非常に興味深かったですが。



















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