殲ー31はやはり輸出オンリー?

 最近再び試験飛行を行ったと伝えられる殲ー31のルーツに関する記事です。

http://tuku.military.china.com/military/html/2013-07-17/217496_2372420.htm


院士、殲ー31を生んだ真の目的を語る!(頑住吉注:「院士」は「アカデミー会員」といった意味のようです)

2012年10月31日、殲ー31「鶻鷹」戦闘機が万人の注目の中で初飛行に成功し、沈陽飛行機工業集団有限会社はついに世人の関心の下で「ロシアのスホーイ戦闘機のコピー生産に頼って生存する」のレッテルを脱ぎ捨てた。しかも殲ー15艦載戦闘機が「遼寧」号空母で発着に成功するのと共に、人々はもう一度褒め言葉を沈陽飛行機に与えた。非常に多くの人が「鶻鷹」戦闘機の早期の就役に期待しているかもしれない。

画像は「鶻鷹」戦闘機の殲ー11BS戦闘機を伴っての飛行。

(頑住吉注:2ページ目)だが人をして失望させるのは、「鶻鷹」戦闘機が永遠に中国軍の装備序列の中に出現しないかもしれないことだ。何故なら殲ー31「鶻鷹」戦闘機は国家によってプロジェクトが立ち上げられたものでは決してないからだ。別の言い方をすれば、これは沈陽飛行機と中国航空工業集団の企業プロジェクトであり、FC-1「梟竜」に似た輸出用戦闘機であって、国家はプロジェクト立ち上げをせず、投資もせず、当然購入する必然性もなく、あらゆる市場におけるリスクは沈陽飛行機と中航自身が引き受けることになるのである。

(頑住吉注:3ページ目)601所(沈陽飛行機研究所)の李天院士個人の伝記である「情志青天:航空空力専門家李天」の記述を根拠にすると、鶻鷹戦闘機の来歴が少しずつはっきり説明される。「‥‥2007年10月末、総装備部は正式に文書を発して611所(成都飛行機研究所)の方案が勝利し、611所がメインとなり、601所が参加して、共同で国家チームを組成して新世代戦闘機(殲ー20)の合同研究開発を行う、と宣言した。」

(頑住吉注:4ページ目)李天院士は伝記の中で次のように語っている。「‥‥当時リーダーが考えたのは、これにより新型機に対する研究開発作業をすぐ停止してしまってはならず、未来の発展と核心的競争力の向上ということを考慮し、チームを鍛錬し人材を育成するためにこそ新技術を掌握する決心をすることが必須である、ということだった。このため独自資金で新たなプロジェクト(AMF「鶻鷹」戦闘機)を開発する決定をした。‥‥李天は全面的に技術作業を担当した。」

(頑住吉注:5ページ目)実際、企業が自己資金で戦闘機を研究開発するのは現在中国航空工業でしばしば見られる現象となっている。「鶻鷹」および「梟竜」戦闘機の他、L-15高等練習機も企業が自己資金で研究開発しているものだ。現在成都飛行機も自己資金で新型輸出用多用途戦闘機を研究開発している。これらのいずれもが、中国航空企業の資金的実力がすでに非常に強大だということを説明している。

(頑住吉注:6ページ目)画像は601所の李天院士の伝記「情志青天:航空空力専門家李天」

殲ー20、運ー20、直ー20や新型ステルス爆撃機といったこれら「天字一号」国家プロジェクト以外に、中国航空工業は自身の資金的実力を利用して武器装備の研究開発業務を推進しており、これは何十年か前には想像し得なかったことである。

(頑住吉注:7ページ目)国家の投資がなくても601所は自らリスクを担う決定をし、自己資金で次世代戦闘機の研究開発を行った。しかもこの考えは中航工業本部の大きな力を入れての支持を得た。一方においてはこの件は中航工業の航空製品発展の大戦略に関わり、将来何十年までの中国軍用航空製品のグローバルな競争に関わる。他方においては、内部の各航空研究所の製品競争を促進してこそ良性の発展の道がある。事実は、中航工業の行ったこのような決策がどんなに適当で賢いものだったかを証明している。

(頑住吉注:8ページ目)さらに重要なのは、中国の国力の増強と共に、この種の「計画外」のプロジェクトへの投資が可能になったことだ。かつては国力が限られていたため資金を拠出してすでに立ち上げられたプロジェクトを保証することでもすでにすこぶる容易ならざることで、「編成外」のプロジェクトはさらに言うまでもなかった。戦闘機、特に第4世代戦闘機の研究開発費用は極めて高く、アメリカのF-22やF-35を研究開発する経費はいずれも、ややもすれば数百億アメリカドルという天文学的数字になった。膨大な資金の支持なくして、601所の決心だけに頼ったのでは恐らく(頑住吉注:特殊な言い回しが使われて意味不明ですが「とても足りなかった」ということでしょう)。

(頑住吉注:9ページ目)だが現在の中国の強大な国力はこの種の可能性を提供した。中航工業はここ何年かの資産運用を通じて601所のプロジェクトのために大量の資金を累積し、資金の保証を提供した。強大な経済的実力なくして第4世代機に取り組むことはできないと言え、このことはまさにある側面から中国航空工業の強大さを映し出している。

(頑住吉注:10ページ目)2007年10月末、総装備部は正式に文書を発して611所の方案が勝利を獲得し、611所がメインとなり、601所が参加し、共同で「国家チーム」を組成し新世代機の合同研究開発を行う、と宣言した。611所の方案こそ現在の殲ー20、すなわちいわゆる718工程である。一方601所の方案は「三面翼のF-22」方案で、アウトになった原因は601所のこの方案がまったくもって奇異に過ぎ、関わる面が広過ぎ、指標要求が高過ぎ、エンジンが充分な動力を提供できなかったからである。(画像は601所の李天院士の伝記「情志青天:航空空力専門家李天」)

(頑住吉注:11ページ目)601所の第4世代機方案はF-22と似た空力レイアウトを採用していたが、過失速機動能力を高めるため三面翼構造を採用していた。だが非常に大きい機体には充分な動力の支持がなく、601所の方案をすぐ否決させた。

(頑住吉注:12ページ目)「鶻鷹」戦闘機は当初AMF戦闘機と命名され、すなわち先進多用途戦闘機の英文を略したもので、後に中航工業によって「310工程」と命名された。外界はこれを殲ー31と称するが、実際にはメディアの誤った名称であり、これは完全に輸出向けの第4世代機プロジェクトで、世界初の中型双発第4世代機でもある。

(頑住吉注:13ページ目)画像は「鶻鷹」戦闘機とF-35の同じ角度からの対比

(頑住吉注:14ページ目からは別の記事になっており省略します。)


 7月20日のコラムで紹介した記事には、「今年の全国両会の期間、全国政治協商委員で「鶻鷹」機の総設計師である孫聡はメディアに、「鶻鷹」機が将来殲ー20とハイローミックスで任務を行い、持続的打撃能力を保持することを希望し、同時に「鶻鷹」の改良版が中国の次世代艦載機になり得ることを希望する、とした。」とあり(同様の内容は以前から出てきていますし)、今回の内容と矛盾します。総設計師でもない「李天は全面的に技術作業を担当した」というのはどういうことでしょうか。伝記でオーバーに自己顕示しているだけじゃないでしょうね。まあ仮に今回の記述が正しかったとしても、企業のベンチャービジネスとして生まれた機が高性能なら軍に認められて採用されることはあるでしょうし、場合によっては中国軍が大量購入する代わり輸出は禁止、ということになることだってあり得なくはないでしょう。









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