各国の第3世代機の実戦における戦績

 記事のタイトルと実際の内容にだいぶずれがありましたがそれなりに興味深い内容でした。

http://military.china.com/important/11132797/20140827/18741665.html


ロシアメディア:中国の第3世代機は実戦に参加したことが全くない 米ロの戦闘機に及ばず

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「解放軍のスホーイー30戦闘機」)

【グローバル軍事報道】 ロシアの星球ネット8月25日の報道によれば、ロシアの政治・軍事分析研究所副所長ヘラムーチンは文章を執筆して、世界各国空軍は依然として相当多くの数の第2世代および第3世代戦闘機を使用中であると指摘した。こうした戦闘機は無数の回数の局地戦争に参加したことがあり、その戦果はわずかな言葉に頼っただけでは完全に説明し難い。F4の戦い、ミグー21の歴史だけでもう1冊の本が書ける。また、それぞれの飛行機の勝敗の描写にはいつも多くの矛盾があり、これは主に描写する者の立場によって決まり、しかも宣伝の成分が極めて多い。このため無数の情報ルートを対比することが必須であり、心理的にやや相対的、客観的に評価しなければならない。

現代空軍の姿は主に第3世代戦闘機によって作られているが、その戦闘経験はその前のいくつかの世代の飛行機に比べずっと少ない。例えば、中国の第3世代戦闘機殲ー11(スホーイー27のクローン品)および殲ー10は1回も実戦に参加したことがなく、この点では米ロの第3世代戦闘機に及ばない。この言い方をすると、真に実戦経験を持つ第3世代戦闘機は6機種しかない。それぞれアメリカが生産したF-15、F-16、F/A-18、ソ連/ロシアが製造したスホーイー27、ミグー29、およびフランスの「ミラージュ-2000」である。

世界で最も早く装備された初の第3世代戦闘機はF-15で、この機は当然率先して歴史の舞台から退出もする。アメリカ空軍がかつて装備した893機のF-15A/B/C/Dの中で、現在253機しか残って就役しておらず、187機は不使用状態で保存され、当初の数の半分に満たない。だが、この機は正真正銘の「空中の闘士」であり、上述のあらゆる同世代戦闘機より(頑住吉注:戦績が?)はるかに優れている。

指摘しておくことが必要なのは、F-15の最大の戦果はアメリカ空軍ではなくイスラエルが取得した、ということだ。1979年6月、イスラエル空軍のF-15が初めてシリア空軍と戦闘を展開し、1982年5月までに9〜14機のシリア軍のミグー21および1〜2機のミグー25機を撃墜した。ソ連とシリアのデータによれば、空戦の中で3機あるいは4機のF-15が撃墜され、2機がミグー21によって撃墜され、1〜2機がミグー25によって撃墜され、これとは別に4機が「Osa」対空ミサイルシステムによって撃墜された。だがイスラエル人はF-15の戦闘での損失をきっぱりと否定しており、シリアはいかなる実際の証拠をも提供できていない。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは1ページ目と同じです。)

1982年6月の最も密集した戦闘の中で、イスラエルは当初F-15はシリアの63機の飛行機を撃墜したと言明していたが、後に発表されたより現実的な数字は32機で、これには18機のミグー21、12機のミグー23、2機の機種のはっきりしない飛行機が含まれる。シリアは少なくとも5機のF-15を撃墜したと言明しているが、イスラエルは否認し、1機がミグー21との戦闘の中で重大な損傷を受けたことだけを認めている。1983年末にレバノンで新たな戦闘が発生し、この時シリアの作戦の相手はイスラエルだけでなく、NATOもいた。ソ連のデータによれば、シリアのミグー23MLが3機のF-15を撃墜したことになっているが、イスラエルは戦闘の事実を否認し、作戦の損失を認めていない。1989年6月、イスラエルのF-15がシリアの2機のミグー29を撃墜した。

サウジアラビア空軍のF-15Cは1984年6月にイランの1機あるいは2機のF-4を撃墜し、その後1991年1月の「砂漠の嵐」作戦の中で、イラクの2機の「ミラージュ-F1」を撃墜した。同年2月サウジアラビアは1機のF-15Cを損失し、当局は技術的原因によると言明している。

まさに「砂漠の嵐」作戦の期間、アメリカ空軍のF-15は空中の決闘を展開し、イラク空軍に対し重要な損失をもたらし、4あるいは5機のミグー29、2機のミグー25、6機あるいは8機のミグー23、2機のミグー21、1機のスホーイー7、4機のスホーイー22、2機のスホーイー25、6あるいは7機の「ミラージュ-F1」、3機のヘリを撃墜した。1999年3〜6月にNATOがユーゴスラビアに侵入した期間、アメリカのF-15Cは3あるいは4機のユーゴスラビアのミグー29を撃墜した。F-15は空戦の中でも、地上防空火力の攻撃の中でもいかなる損失も受けず、少なくともいかなる戦闘の損失も事実と実証されたことはない。あらゆる損失はF-15Eが受けたもので、しかも空戦での勝利の記録はない。

F-15A/B/C/Dを製造したのが戦闘機として用いるためだとするなら、F-15Eは攻撃機として使われる。理論上は空戦も実施できるのではあるが。まだ「砂漠の嵐」作戦が開始される前の1990年末、アラビア半島上空で米軍の1機のF-15Eが墜落損壊した。その後の戦争中に直接的に2機のF-15Eが失われ、1機はイラクの高射砲によって撃墜され、1機はS-75対空ミサイルシステムによって撃墜された。2003年4月の第2次イラク戦争の積極的段階で、イラクの防空システムが1機のF-15Eを撃墜した。2009年7月、1機のF-15Eがアフガニスタンで墜落損壊したが、原因は不詳である。2011年3月、また1機のF-15Eがリビアで墜落損壊し、これもほとんど技術的原因からのことと確定できる。結局のところカダフィの部隊にはそれを撃墜する能力は全くなかったのである。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「解放軍の殲ー11戦闘機」です。)

F-16の戦歴はF-15に比べさらに豊富だが、空戦の勝利はずっと少なく、損失もずっと多い。1981年7月から1982年5月まで、イスラエル空軍のF-16はシリアの4機のミグー21と2機のミグー23を撃墜した。シリアはその「Osa」対空ミサイルシステムが3機のF-16を撃墜したと言明しているが、証拠はない。イスラエルは作戦でのいかなる損失も完全に否認しており、F-15でろうとF-16であろうとである。1982年6月の密集した戦闘の中で、一部の報道によればイスラエル軍のF-16がシリアの45機の飛行機を撃墜したが、その後このデータは33機に減少し、このうち数機(3〜6機)のミグー23MFおよび9機の攻撃機(7機のスホーイー22と2機のミグー23BN)が撃墜されたことは確認されている。シリアはミグー23MFが戦闘中に3〜6機のF-16を殲滅したと言明しているが、イスラエル軍に否認された。2006年7月、レバノン戦争の期間、イスラエル軍の1機のF-16Dが墜落損壊したが、この機は離陸後直ちに墜落損壊したのであり、ヒズボラの武装防空戦力によって撃墜されたのではなく飛行事故かもしれない。

イスラエルに続き、パキスタンのF-16も戦闘に参加した。タリバン(アフガニスタンゲリラ)は対ソ連および当時のカブール政権に対する戦争の中で、アフガニスタン空軍の2機のミグー23戦闘機、3あるいは4機のスホーイー22攻撃機、2機の旅客機(アントノフー26およびアントノフー32)、ソ連空軍の1機のスホーイー25攻撃機を撃墜した。パキスタンは1機のF-16を損失し、これは1987年4月29日に撃墜された。当時パキスタン戦闘機はソ連のミグー23MLD(第3世代戦闘機)と遭遇した。当局の言い方では、F-16は自らの僚機によって誤って撃墜されたのであるが、多数の独立した研究は、この機は間違いなくミグ戦闘機によって撃墜されたのだと考えている。

アメリカのF-16が初めて戦闘に参加したのは砂漠の嵐の期間で、当時イラク戦闘機との闘争は完全にF-15に任され、F-16は攻撃機としてだけ使われ、このためこの戦争の中で1回の空戦勝利の記録もない。だが戦争開始前、アメリカ空軍の3機のF-16がアラビア半島で墜落損壊した。戦争中は直接的に7機のF-16を損失し、このうち当局によって撃墜されたと認定されているのは3機で、それぞれ「ニードル」、「平方」、S-125対空ミサイルによって撃墜された。この他の4機のF-16が何故損壊したのかに関しては、特にはっきりしていない。米軍のF-16のイラクにおける初の空戦勝利は1992年2月に取得された。飛行禁止区域の維持をしている時にイラクの1機のミグー25を撃墜したのである。2003〜2008年の第2次イラク戦争の期間、アメリカ空軍は5機のF-16を損失した。2006年11月、1機のF-16CGが陸軍に対し直接の火力支援を提供している時に墜落損壊し、当局はこの機があわただしく目標(武装分子の自動車)を追撃している時に方位を失い、地面に衝突したと考えている。だがその他の4機のF-16の損失原因に対しては沈黙を保持している。2013年4月アメリカ空軍がアフガニスタンで1機のF-16Cを損失した原因も同様に不明である。1994年2月28日、ボスニア戦争の期間、アメリカのF-16はセルビアの4機のJ-21攻撃機を撃墜した。このうち3機は同一の米軍飛行員によって撃墜され、米軍の戦闘での損失は1機のF-16Cで、1995年6月に「平方」対空ミサイルシステムによって撃墜された。アメリカ空軍は同一の戦争中「技術的原因」によりこの他3機のF-16を損失した。1999年のユーゴスラビア戦争の中で、米軍のF-16はセルビアの1機あるいは2機のミグー29を撃墜したが、第2機目はセルビア軍の「平方」対空ミサイルシステムによって誤って撃墜されたのかもしれない。米軍は1機のF-16Cを損失し、これは5月1日夜から2日早朝にS-125対空ミサイルシステムによって撃墜された。

(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは4ページ目と同じです。)

また、NATOがユーゴスラビアに侵入した戦争の中で、セルビアはさらに1機のミグー29がオランダ空軍のF-16Aによって撃墜され、しかも極めて尋常でなかったことは、オランダ機が敵機撃墜に使用したのが空対空ミサイルではなく、対輻射ミサイルだったことで、明らかにミグ機のレーダーシステムを照準したのである。だが、2006年8月、オランダ空軍はどんな原因からかは分からないがアフガニスタンで1機のF-16Aを損失した。

ベネズエラ空軍にもF-16戦闘機の戦績があり、1992年11月の失敗した軍事クーデターの期間、反乱分子を支持する本国空軍の3機の攻撃機を撃墜した。それぞれ2機のアメリカのOV-10と1機のブラジルのAT-27である(頑住吉注:いずれもターボプロップ機です)。

最後に、F-16はトルコとギリシャの間にしばしば起こる宣戦のない戦闘の中にも頻繁に出現する。この冷戦はある時には熱戦にも変わり、特に1996年10月、トルコの1機のF-16Dがギリシャの「ミラージュ-2000EG」によって撃墜され、1人のトルコ軍飛行員が命を落とした。2006年5月、ギリシャとトルコのF-16戦闘機が機動の期間に空中で衝突し、両方墜落損壊し、ギリシャの飛行員が命を落とした。2013年5月、トルコの1機のF-16Cが不明の原因によりシリア国境付近で墜落損壊し、はっきりしないのはこれが技術的原因からのことなのか、それともシリアの防空火力によって撃墜されたのかである。2014年3月、トルコのF-16がシリアの1機のミグー23機を撃墜した。

アメリカ海軍航空隊の第3世代艦載戦闘機F/A-18の空戦の勝利と損失は最小である。1991年1月17日から18日、「砂漠の嵐」作戦の初期においてこの戦闘機はイラクの2機の第2世代戦闘機ミグー21を撃墜した。その夜1機のF/A-18Cがイラク軍のミグー25迎撃機によって撃墜され、これは米軍がベトナム戦争終結以後正式に認めた、空戦で受けた唯一の戦闘機の損失であり、唯一アメリカ当局によって認められたアメリカ製第4世代(頑住吉注:これまで第3世代とされていたものが以後第4世代機に変わってます)戦闘機のソ連製飛行機との戦闘中の損失でもある。また、「砂漠の嵐」作戦の期間、さらに不明の原因により別の2機のF/A-18が損失した。1994年4月、ボスニア戦争の中で不明の原因により1機のF/A-18Cが損失した。2003年4月、第二次イラク戦争の初期、1機のF/A-18Cがアメリカの「パトリオット」対空ミサイルシステムによって誤って撃墜された。また、この戦争中、さらに戦闘区域上空でこれとは別に4機のF/A-18が損失し、これは主に2回の2機の衝突がもたらしたもので、それぞれ2005年5月に2機のF/A-18Cが衝突し、2008年1月にF/A-18EとF/A-18Fが衝突したものである。

スホーイー27が初めて戦闘に参加した時はすでにロシア空軍戦闘機の身分に変わっていた。1992〜1993年のアブハジア戦争の中でこの戦闘機は唯一の作戦による損失を受けた。1993年3月19日、ロシア軍の1機のスホーイー27がグルジアのS-75対空ミサイルシステムによって撃墜されたのである。反撃としてかもしれないが、ロシア軍のスホーイー27はグルジア軍の1機あるいは2機のスホーイー25攻撃機を撃墜した。だがこれらはいずれにも直接の証拠はない。1998〜2000年のエチオピア・エリトリア戦争の期間、各種統計によればエチオピア軍のスホーイー27が1〜4機のエリトリア軍のミグー29を撃墜し、さらに2機のミグー23があったかもしれない。当時エチオピア軍のスホーイー27はロシアの飛行員によって操縦され、エリトリア軍のミグ機はウクライナの飛行員によって操縦された。また、1999年8月、エチオピアのスホーイー27が1機の偶然本国領空に侵入した私営旅客機を撃墜した。まとめると、スホーイー27の空戦の結果は相当にしょぼいもので、しかも旅客機を撃墜したのを除き、勝った相手は全てソ連・ロシア製の飛行機である。当然、この機には西側の飛行機相手に作戦するチャンスが全くなかったということもあるが。

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「解放軍の殲轟ー7戦闘機」です。)

遺憾なのは、ミグー29の戦績がさらにまずいことである。上述のように、自らと同世代機、すなわちその他の第4世代戦闘機との戦闘の中で、全て一敗地にまみれ、スホーイ戦闘機に勝ちを与えただけでなく、さらに西側の戦闘機にも勝ちを与えている。F-15との戦闘の中で9あるいは10機のミグー29が損失し、F-16との戦闘の中では2機あるいは3機が損失した。スホーイー27との戦闘の中では、異なるデータにより損失は1〜4機である。つまり、全部で12〜17機のミグー29が撃墜され、逆に自らは1機の相手の飛行機も撃墜していない。ミグー29のあらゆる空戦の勝利は明らかに全て自らに遠く及ばない飛行機との対抗の中で取得されたもので、「砂漠の嵐」作戦の期間、イラクのミグー29はイギリスの1機の「トーネード」爆撃機を撃墜した可能性があるが、西側は確認していない。そして1988年、イランの2機のF-14戦闘機を撃墜した可能性がある。だがこの証拠はさらに少ない。1996年、キューバのミグー29が2機の「セスナ-337」小型輸送機を撃墜した。エリトリアのミグー29は1あるいは4機のエチオピアのミグー21、3機のミグー23BN、1機のスホーイー25を撃墜した可能性がある。だがこれらの空戦の勝利にはいずれも明確な証拠はない。つまりミグー29が25年間に取得したあらゆる空戦の勝利は単に2機の「セスナ-337」貨物機撃墜だけという可能性が排除されないのである。

ミグー29はさらに何度も地上の防空火力によって撃墜されているからなおさらである。1992年6月、ロシアの「Osa」対空ミサイルシステムがドニエストル川沿岸地域で1機のモルドバのミグー29を撃墜あるいは撃破した。2012年南スーダンの防空火力が明らかに北スーダンの1機のミグー29を撃墜した。2014年8月、ウクライナ政府軍の1機のミグー29がドンバス上空で地上火力によって撃墜された。

フランスが製造した「ミラージュ-2000」にも空戦の戦績がある。1996年10月8日、ギリシャの「ミラージュ-2000EG」がトルコの1機のF-16Dを撃墜した。フランスは同様に1回の戦闘機の損失を確認しており、1995年8月、ボスニア上空でセルビアの「箭-2」あるいは「ニードル」携帯式対空ミサイルシステムがフランス空軍の1機の「ミラージュ-2000N」戦闘機を撃墜した。だがこれは戦闘機ではなく攻撃機というべきであり、しかも核による打撃実施にのみ用いられるものである。このため、この機はF-15E同様、戦闘機の範疇に入れられるのは決して完全に正確ではない。また、1993年4月、ボスニア上空で損失した1機の「ミラージュ-2000C」は戦闘機であり、損失の原因は不明である。2011年5月、フランス空軍の1機の「ミラージュ-2000D」がアフガニスタンで墜落損壊したが、この時も攻撃型であって戦闘機型ではなかった。

上述のあらゆる機種の飛行機が今後さらに一度にとどまらず戦闘に参加することになるのは全く疑いなく、このため戦果にはまだ変化が発生するだろう。だが現在すでに実戦を経ており、「標的場」の戦闘での証明ではない。現在空中の戦場の覇を争うのは第3世代戦闘機(頑住吉注:基準また元に戻りました)であり、その後は第4世代戦闘機になるだろう。新世代戦闘機にはまだ作戦を行い、実際に自らの第4世代戦闘機(頑住吉注:ややこしい、また戻った)の面前での優勢を見せる機会はないものの。(編集翻訳:林海)


 ロシアによる記述を中国が訳したものですが、それでも西側の優勢がかなりはっきりしていますね。ただ殲ー11に実戦経験がないというなら、F-2はもちろん日本がライセンス生産したF-15にも実戦経験はないというべきでしょう。


















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