中国製戦車砲の発展過程

 中国の戦車が実際のところどういうレベルにあるのか知りたくて、こんなページも読んでみました。なお、原典は不明ですが何らかの雑誌記事と思われ、キャプションはあるのに画像はありません。混乱するので文中に挿入されているキャプションは省きます。

http://club.china.com/data/thread/272425989/2719/22/47/5_1.html


ゼロから世界最強まで、中国戦車砲発展の過程

攻撃、防御能力を兼ね備えた現代の陸軍地上機動火力として、戦車は誕生以来すでに第4世代に発展している。現代戦車が1世代グレードアップするごとに、必ず火力の威力、防御レベルおよび機動能力の飛躍的進歩が伴った。その中で火力増強の1点だけについて言っても、口径がどんどん大きくなり威力がどんどん強くなる道理、また後には戦車砲の弾種の変化などの原因で、戦車砲の全体的発展経路は火砲の口径が不断に増大し、かつライフル砲からスムーズボア砲に至るという発展変化を経てきた。まったく例外ではなく、我が国の戦車および戦車砲発展の過程も同じような規律に従った。

始まり:ソ連製85mm、100mmライフル砲のコピー生産

我が国の戦車砲の発展はソ連製装備のコピー生産から始まった。1950年代、相次いでZIS-S-53とD-10Tという2種のソ連製戦車砲がコピー生産された。

ソ連製ZIS-S-53型85mmライフル戦車砲のコピー生産

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。同年9月末、中国は抗米援朝の戦略を決めた。志願軍の装備実力を向上するため、ソ連政府は中国政府の要請に応え、たった1カ月の間に素早く中国に向け各種の戦車、自走砲、装甲車486両を供給した。この援助物資の中には第2次大戦期間に有名だったソ連製のT-34戦車が含まれていた。後に志願軍部隊に入ってくるT-34戦車の数量が不断に増加するにつれ、中国はこれに付随するメンテナンスや修理作業の中で一歩一歩そのZIS-S-53型85mmライフル戦車砲の生産技術を掌握していった。これが中国戦車砲研究開発過程の始まりと言える。

1950年代末、東南沿海の対台湾作戦部隊の戦闘力増強のため、我が国は南方の河川網や水田の環境での作戦需要に適した国産軽戦車の研究開発を独自に開始した。1958年第1世代軽戦車を研究開発する任務が下命された後、軍工業部門はほとんど楽々と相前後して「131」、「132」、「132A」という3つの設計方案を提案した。3つの設計方案はいずれも我が国が独自に研究開発した76.2mm主砲を採用していた。ただしその時の具体的条件の制限を受け、国産76.2mm砲の技術は難関を突破できず、実用状態に到達できなかった。できる限り早く新型戦車の研究開発作業を完成させるため、軍工業部門は76.2mm主砲の方案を放棄し、ZIS-S-53型85mm戦車砲を改良のうえコピーしたものを新型戦車の主砲とするよう改めた。1962年末、国産軽戦車が正式に定型に至り62式軽戦車と命名された。これが採用した改良型ZIS-S-53型85mm戦車砲もこれにより、初めて正式な定型を獲得した国産戦車砲となった。

(頑住吉注:画像がないのでこちらを参照してください。 http://www.armsky.com/yuanchuangzhuangao/seechina/ChinaArmy/200505/1737.html 重量21トンの軽戦車ですから止むを得ないですが装甲は最大で車体25mm、砲塔50mmと薄いです。ただアメリカのウォーカーブルドッグ軽戦車も同等かそれ以下だったようです。)

ZIS-S-53のコピー型として、中国の85mm戦車砲は弾道性能上原型と大差はなかった。両者の外形上の唯一の違いは、ZIS-S-53と比べ、国産85mm砲はマズル近くに抽煙装置が追加されていた。これは戦車の砲塔に射撃後、硝煙が充満しないようにするもので、したがって乗員の作業と作戦環境が有効に改善された。内部構造上、国産85mm砲はスライド式閉鎖機構に替えてローラーベアリング式閉鎖機構を用い、かつスプリング相殺器を装備して原型の砲が照準時に動揺する欠点を解決した。この砲の最大直射距離は950mで、主に破甲弾を使用した。62式軽戦車の現役当時、まだ世界のいかなる種類の軽戦車/水陸両用戦車も76.2mmより大きい口径の火砲を装備していなかったので、一度は「世界最強火力の軽戦車」の栄誉を獲得し、「小さな車体に大きな砲」の典型として歴史に残った。

●ソ連製D-10T型100mmライフル砲のコピー生産

朝鮮戦争終結後、中ソの協議により、1956年に中国はソ連製T-54A中戦車の全ての技術資料と少数の実車を獲得した。T-54A型戦車のコピー生産作業を完成させるため、中国は中国史上初の戦車生産工場、617工場を正式に建設した。中国科研人員はソ連技術者の助けを得て、D-10Tライフル砲を含むT54A戦車の全ての生産技術を掌握した。1959年の建国10周年閲兵式で、32両の中国製T-54A戦車が初めてデビューし、1959年末には59式メインバトルタンクと正式に命名された。

59式メインバトルタンクの持つD-10Tライフル砲は砲身長5.3m、重量1948kg、最大直線射程は1100m、高低方向および水平方向のダブル方向安定器を初めて採用したため、命中精度は比較的高く、第二次大戦当時ソ連戦車部隊が最も好んだ戦車砲だった。だがその原型はソ連海軍のB-34型100mm艦載砲であって専用に設計された戦車砲ではないため、いくつかの「問題」が存在した。例えば最も重要なカギとなる装甲貫通力上、この砲は射撃距離1000mの時貫通威力が142mmと、当時の米軍のM48メインバトルタンクの90mmライフル砲に相当するに過ぎなかった。

だが当時の中国に関して言えば、戦車砲、特に大口径戦車砲の研究開発では、まず解決が必要なのは「有るか無いか」の問題で、その次がやっと具体的技術指標の「良し悪し」だったのである。このレベルから言えば、D-10Tとより早い時期のZIS-S-53は良好に任務を果たした。すなわちこの2つの型の火砲のコピー生産を通じて、中国は一応戦車砲の基本的技術を掌握し、後に進められる独自研究開発のための基礎をうち建てたのである。

探索:国産100mm、120mmスムーズボア砲

初期の戦車砲はライフル砲が天下統一しており、各国のメインバトルタンクが装備していたのはライフル砲一色だった。我が59式戦車が採用したのもライフル砲だった。1960年代、ソ連が初めてその第2世代であるT-62戦車にスムーズボア砲を採用し、その後他の国も続々と模倣した。

スムーズボア砲が各国に歓迎されたのは、主にライフル砲に比べ多くのメリットを持っていたからである。まずスムーズボア砲にはライフリングがなく、その生産技術は簡単で、価格が安い。同時にライフリングの摩損がないので、砲身の寿命がライフル砲より長くなる。その次にスムーズボア砲では、ライフル砲のライフリング基部に力が集中し、亀裂が起きやすいという問題がなくなっているため、より高いチャンバー圧力を受け入れることができ、これは砲弾の初速と射程の向上に大きな助けになる。一方ライフル砲が高初速を獲得しようとすればより高いチャンバー圧力、より長い砲身を持つことが必須となるが、これは戦車砲ということで言えばいずれも極めて限られている。3つ目は砲弾の種類が原因である。当時戦車砲の砲弾には主に2種類あった。すなわち尾翼で安定するサボ付き穿甲弾と破甲弾(頑住吉注:成形炸薬弾)である。戦車に複合装甲とリアクティブアーマー技術が応用されるにつれ、破甲弾の戦車に対する脅威度は低下し、尾翼で安定するサボ付き穿甲弾が最も主要な弾種になった。だが尾翼で安定するサボ付き穿甲弾は細長く、その長い棒状の弾芯はライフリング回転に全く向いていなかった。砲身内での高速のライフリング回転はその構造強度を低下させる可能性があり、しかも弾頭が装甲に接触した時、ライフリング回転が切削抵抗を生むため、より跳弾しやすくなる。このためスムーズボア砲がライフル砲に取って代わるのは大勢の赴くところであり、戦車砲の発展方向を代表していた。

中ソ関係決裂後、我が国北部国境に終結する、最新型T-62戦車を装備済みの大規模ソ連軍機械化集団に有効に対抗するため、中国は1960年代中後期に新型戦車研究開発計画を全面的に始動させた。新型戦車の研究開発作業はWZ-121(すなわち後の69式)およびWZ-122という2機種を含んでおり、これに対応する戦車砲はそれぞれ100mmスムーズボア砲と120mmスムーズボア砲だった。

●国産100mmスムーズボア砲

1969年初め、中国の国境防衛部隊は珍宝島(頑住吉注:ダマンスキー島)での衝突の中で1両の完全なソ連製T-62戦車を鹵獲した。この戦車の全面的解剖分析を通じ、中国はその2A20型115mmスムーズボア砲を含む大量の一次資料と関係する技術を獲得した。これらの技術は直ちにWZ-121の研究開発作業に応用された。1974年、新戦車とこれに装備される新型火砲が同時に定型に至り、正式に69式メインバトルタンクおよび69式100mmスムーズボア砲と命名された。直接T-62の115mmスムーズボア砲を研究開発しなかった理由は、1つには100mmスムーズボア砲の研究開発なら少しの改造だけで現有の100mmライフル砲の生産ラインが直接利用でき、その他の投資、建設が必要ないからであり、また1つには当時すでに120mmスムーズボア砲の研究開発計画も存在したからである。

中国が独自に研究開発する戦車砲の初めての試みとして、69式100mmスムーズボア砲と59式メインバトルタンクのコピー品D-10T式100mmライフル砲を比べると外形は似ていたが、マズルエネルギーでも穿甲威力でも、また射撃精度でも、全て後者のレベルには及ばなかった。一例を挙げると距離1000mではその穿甲能力は100mmでしかなかった(頑住吉注:100mm砲なのにアメリカの90mm砲と同等で不満があったライフル砲でも142mmでしたね。距離1000mで100mm貫通というのは85mm砲とほぼ同等のようです)。この他砲身内にも火薬残渣が滞留する問題が起きやすく、火砲を絶えずクリーニングする必要があった。このため装備後使用者の歓迎は受けなかった。後に1980年代になり、ライフル砲で発射するのに適したサボ付き穿甲弾の研究開発成功により、69式戦車は100mmライフル砲に再び回帰した。

●国産120mmスムーズボア砲

69式メインバトルタンクの他に、我が国には1960年代中期に戦術技術指標が69式より明確に高い国産第2世代メインバトルタンクの研究開発計画もあった。これがWZ-122型戦車である。この戦車は設計当初、新型戦車の火砲の威力は既存の戦車(T-54、T-55、T-62およびアメリカのM-60等)および近い将来出現するかもしれないいかなる中、重戦車にも対抗できなければならないことが装甲兵指揮機関によって明確に提示されていた。このため122戦車は59、69式に装備されていた100mmライフルおよびスムーズボア砲を流用せず、これに代わったのは120mm大口径スムーズボア砲だった。遺憾だったのは、WZ-122型戦車の研究開発計画はその後の1973年に中止され、これに装備される新型120mmスムーズボア砲の研究開発もこれに合わせて終了したことである。

客観的に言って、T-62中戦車の2A20型115mmスムーズボア砲の技術に対する解剖分析を通じて、中国戦車科研人員は未来の戦車砲の発展方向を代表するスムーズボア砲に触れることができ、研究開発をすることもできた。具体的な科研体制や基礎工業の制約を受け、相前後して進められた100mmおよび120mm両種のスムーズボア砲は最終的にあるいは大量装備されず、あるいは中止されたけれども、この2種の戦車砲の研究開発は中国が戦車砲の研究開発における思考方向という面で1960年代には早くもすでに、きわめて未来を見通す力に富んだ形でスムーズボア時代に足を踏み入れていたことを示していた。このことは中国戦車砲が最終的に世界でも先進グループに入る伏線となった。

徘徊:81式、83式105mmライフリング砲

69式戦車定型後において、同一時期のソ連のT-62、アメリカのM60等第2世代戦車は各項目の総合戦術技術指標上全てより先進的だった。単に火砲の口径から言っても、T-62戦車は115mm、M60は105mmであり、69式戦車の100mmスムーズボア砲の威力は明らかに1ランク下だった。このため1980年代に入った後、我が国は国産第2世代戦車の研究開発を加速させ始めた。だが新世代戦車が部隊に装備される前、我が国は各機種の旧式戦車を改造、グレードアップし、もってその戦闘力を向上させるやり方を採用した。

1980年代初め、中国は国外からイギリス製L-7式105mmライフル砲(頑住吉注:ビッカース製で日本の74式戦車に搭載されるなど一時期いわば西側の標準装備となった砲です)を導入し、59、69系列の戦車に装備し、試用効果は良好だった。この火砲の国産化は1981年に完成し、後に81式105mm戦車砲と正式に命名された。後にその基礎から改良を加えることにより、さらに83式105mm戦車砲が定型に至った。81式と比べ、83式は砲身上に薄いアルミ板、シリコンゴムフィルム、クランプから組成されたサーマルジャケットが追加装備され、太陽光の照射が引き起こす砲身の変形湾曲を減少することができ、したがって火砲の命中率向上に有利だった。これらの旧式戦車に対し火砲等を含む設備の換装を実施することにより、「準第2世代戦車」のレベルを具備させたと言うべきである。

1987年になって、国産第2世代メインバトルタンクの技術定型が完成し、これが現在俗に言う80/88式戦車である。国産第1世代戦車と比べ、80/88式戦車は多くの新技術を採用していた。例えば複合装甲を初めて使用して防御能力を高めたこと、より高効率のエンジンを採用したこと、初めて6対の転輪を使用したこと(これは80式戦車を59、69、79式戦車と最も明確に区別できるところである)である(頑住吉注:後者は5対)。80/88式戦車が装備していたのは81/83式戦車砲だった。この火砲の威力は比較的強く、最大直線射程は1600mに達し、距離1000mで150mm厚の装甲を貫通できた(頑住吉注:100mmライフル砲とあまり変わりませんが)。重量と後座力が互いに比較的マッチしていたので、この砲は後にその他の国産軽戦車、装甲車でも選ばれてその主要武器となった。例えば63A水陸両用戦車(頑住吉注: http://www.hudong.com/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD63A%E6%B0%B4%E9%99%86%E4%B8%A4%E6%A0%96%E5%9D%A6%E5%85%8B )、63式軽戦車の改良型(頑住吉注:62式の間違いでは)、装輪式戦車殲撃車(頑住吉注:タンクデストロイヤーを中国語訳したものと思われます http://www.junren.info/lujun/2010710/1071027.html )である。

躍進:国産125mmスムーズボア砲

81式、83式105mm戦車砲は技術水準上は結局まだ第2世代戦車砲に属し、81/83式戦車砲が部隊に大量装備され始めるのと同時に、ソ連と西側の装甲部隊はすでに125mm、120mm等の大口径スムーズボア砲を持つ第3世代戦車への全面的換装、配備を開始していた。このことは81/83式戦車砲を「ひとたび登場するとすぐ落伍」というバツの悪い地位に陥れた。

1980年代初め、中国は国外からT-72戦車を導入し、かつその2A46型125mm大口径スムーズボア砲を基礎に国産大威力スムーズボア戦車砲の研究開発作業を開始した。これと同時に関係部門はWZ-122型戦車の120mmスムーズボア砲への改良継続を通じ、その各項目の指標をドイツの120mmスムーズボア砲と優劣つけ難いものとした(ドイツのレオパルド2戦車の120mmスムーズボア砲は直線射程1800mで、距離2000mで640mmの装甲を貫通できる)。

国産125mm戦車砲と国産120mm戦車砲に対する全面的比較を経て、最終的に前者が国産新世代戦車の主砲に選択された。その原因の1つはデータの対比が根拠に他ならず、国産125mm戦車砲は一定の優位性を持ち、しかもそれが持つ自動装填装置は、戦車の乗員を3人まで減少させることを可能にし、発射速度が向上しただけでなく、戦車のシャーシ内の空間も小さく抑えることができた。一方トライアルで「落選」した120mmスムーズボア砲は、後に83式自走榴弾砲のシャーシをベースに発展した89式自走対戦車砲の主砲となり、これにもなかなかの落ち着き先があったことになる(頑住吉注: http://baike.baidu.com/view/422355.html?fromTaglist 100mmと105mm、120mmと125mmとまぎらわしい口径が併存し、補給が混乱しそうな気もしますが)。

指摘しておかなければならないのは、中国国産125mmスムーズボア砲系は2A46のコピーから来ているものの、中国の軍事工業部門は簡単に2A46をそっくり真似たわけではなく、部隊の実際の需要と結合させ、一連の事後改良を行った。中国が目下装備している125mmスムーズボア砲には主に2種類のタイプがあり、1つ目は96式メインバトルタンクに装備され、砲身長は48口径だが、原型の2A46と比べると、さらに一歩チャンバーの容積が大きくされ、マズルエネルギーおよび火砲威力が有効に高められている。2つ目は99式メインバトルタンクに装備され、砲身長がさらに一歩、50口径まで延長され、さらに一歩威力が高められている。

125mm口径スムーズボア砲の現役化は中国のメインバトルタンクの火力を世界水準に到達させた。99式戦車の副総設計師王哲栄の紹介するところによれば、戦車の火砲威力に関して言うと、中国の99式メインバトルタンクが装備する125mmスムーズボア戦車砲はタングステン合金製の尾翼で安定するサボ付き穿甲弾使用時、距離2000mで850mmの均質装甲を貫通できる。一方特殊合金の穿甲弾使用時は、同距離での貫通力は960mm以上に達し得る。これに比べアメリカのM1A2メインバトルタンクは距離2000mでの貫通能力が810mm、日本の90式メインバトルタンクは650mmである。このため目下戦車砲の威力で言うと中国のレベルは間違いなく最強である。

未来:伝説の中の140mmスムーズボア砲

戦車は現代陸軍の重要地上装備として、依然現在から長くない一定の時間内は存在を続けることが間違いない。世界各国の、いかにさらに一歩戦車砲の威力を向上させるかの研究も続いていくことになる。イギリスやドイツに関して言うと、彼らはすでに140mm口径の戦車砲を研究開発済みとされ、ひとたび装備が実現すれば、その戦車の火力は括目すべきものとなる。

中国もすでに新世代大威力戦車砲の自主研究開発作業を日程に上げているとされる。噂では中国はすでに140mm口径スムーズボア砲の独自開発を開始しており、イギリスの「Jane's Defence Weekly」2005年6月の報道によれば、中国はすでに140mm口径スムーズボア砲の研究開発作業を完成させ、しかも99式メインバトルタンク上で車載試験も行っているという。この報道が発表したデータによれば、中国の新型140mmスムーズボア砲は依然分装式弾薬を採用し、国産125mmスムーズボア砲が装備する自動装填装置の構造と似た新型装填装置を装備している。この報道によれば、中国の新型140mmスムーズボア砲の威力は強大で、距離2000mでM1A2の正面装甲を破壊する能力を具備しているという!

筆者個人の考えでは、一般的に言って、火砲の口径が大きくなればなるほど、その射程と破壊力も大きくなっていく(例えば155mm砲の最大直射距離は6000mに達し得る)が、同時に重量も大きくなってゆき、戦車にもし大口径火砲を装備すれば、このためにもたらされる重量負荷は疑いなく戦車の機動力に対し不利な影響を生む。しかし大口径、大威力の戦車砲は本当に必ず重いのか、戦車の機動性能を犠牲にしなければならないのかどうか? これは例えば140mm口径戦車砲の研究開発成功前には一切、全てが未知数である。


 中国はソ連製戦車砲のコピーから始め、100mスムーズボア砲の威力不足、120mmスムーズボア砲の開発失敗に見られるようにかつては技術的に明らかに劣っていました。しかし現在主力の125mm砲は西側の120mm砲を上回ると主張されています。私はこれはあるいは宣伝の要素を含んでいるのではないかと思いますし、また仮にそれが事実としても、遠距離での命中精度を高め、初弾命中までの時間を短縮する射撃統制技術の面ではおそらく西側のレベルに完全に追いついていないだろうと思います。この125mm砲もロシア系の砲を改良発展させたものですが、現在140mm砲が独自開発されているらしく、これが登場すれば初の完全オリジナルの中国製戦車砲ということになるんでしょう。

 ちなみにこれを読むと、やはり「152mm砲を搭載した05式スーパー戦車」は架空の存在であろうと思われます。














戻るボタン