コラムより転載:中国の航空機、空母その他関連小ネタその350

12月4日

 比較的新しい事件に関するものですが「歴史秘話」ものの記事です。2回に分けます。

https://military.china.com/history4/62/20190508/35850070_all.html#page_2


アメリカのF-117Aステルス実戦機が撃墜された秘密を明かす

ちらつくろうそくの明かりの中、長さ約半mの大きなケーキが乗せられた。よく見られるお祝いの図案とは異なり、雪のように白いクリームの台座の上はそれにもかかわらず1機のチョコレートで作られた、造型が真に迫ったF-117Aステルス戦闘機だった。老人がそのかたわらに歩み寄り、ナイフを挙げて「F-117A」の左の翼を切り落とし、囲んで見ている者はひとしきり歓呼した。皆は次々に前に出て、この勝利の果実の分け前にあずかり始めた。毎年の3月27日、セルビアの軍隊のミサイル防空部隊第250ミサイル旅団の将兵たちは、必ず再度彼らが米軍のF-117Aステルス戦闘機を撃墜した輝かしい時を追体験しようとするのである。

ステルス実戦機の墜落

7年前のこの日、1999年3月27日夜、すなわちNATOが旧ユーゴスラビアに対する爆撃を開始して3日目、旧ユーゴ人民軍空軍・防空部隊第250ミサイル旅団第3大隊の兵士たちはひっそりとセルビア北部のスレム一帯に潜伏していた。何日か以来NATOの各種実戦機はしばしば対面のボスニアヘルツェゴビナ国内の米軍基地から発進し、旧ユーゴの重要目標に対し爆撃を行っていた。

夜8時前後に通報に接した。西部からユーゴスラビア領空に進入した敵機あり、距離は約80km、高度7500m、というものだった。迅速に目標を捕捉した後、セナド ミノビッチ大尉はレーダーをシャットアウトし、かつ手をミサイルのボタンの上に置いた。大尉は説明する 「近代化された実戦機が持つレーダー施設を自動追跡しかつ破壊する対レーダーミサイルシステムは、ひとたびレーダービームが飛行機に正確に向けられれば、機内の信号灯が直ちに自動的に警報を出し、甚だしきに至っては飛行員の操作を必要とせず、対レーダーミサイルは迅速に自動発射され、20秒後ミサイルはもうレーダー波を追跡してレーダー基地に到達でき、このためレーダーを始動した後の指揮員は17〜18秒の時間しかなく、この十何秒かの時間内に正確に判断を行いかつ指令を下すことが必須である。あるいはレーダーをシャットアウトし、あるいは直ちにミサイルを発射する、さもないとたった何秒かの差だけで、全部の人員が全レーダー基地と共に相手方のミサイルによって撃破される可能性がある。」 この点を達成するため、戦前に旧ユーゴのミサイル・防空部隊はかつて正確に計算し、演習を反復し、それぞれの兵士全てがよく分かっていた。自分のこの十何秒かの一挙一動が全体の人員の安否に関係しているのだと。目標がおよそ15km離れた上空に到達したとき、レーダー手は再度レーダーを始動し、目標を正確に捕捉した。直ちに第3大隊の大隊長であるゾルダン少佐は一連の命令を下した。「手動コントロール追跡」、「発射!」 ミサイル操作手は迅速に「SA-2」ミサイルのボタンを押し、「シュッ」、「シュッ」との2回の音だけが聞こえ、2つの火炎が空に舞い上がり、数十秒後ひとかたまりの火球が天空から墜落するのだけが見えた。この場面を目撃した村民たちは、「まるで雀が撃たれたように落ちてきた」と語る。マディッチ軍曹は追憶する。「当時は飛行機が命中弾を受けたことだけ知っていた。だがいったい何の飛行機か、我々はよく知らなかった」 半時間後、本部から人心を感動させる良い情報が伝わってきた。大隊長のゾルダンは喜んで皆に対し語った。「皆よ、我々はアメリカの名声高いF-117Aステルス戦闘機を撃ち落としたのだ。」

認めたくない事実

「米軍はステルスの研究開発のために数十億アメリカドルを投入したが、それは決してアメリカが言うように完全に見えないわけではなく、確かに可視度は50%減弱しているが、これが何だろうか、我々はやはりそれを捕まえたのだ」 ズデンコ軍曹は誇らしげに記者に対して語った。

F-117A戦闘機はアメリカのロッキード社が研究開発した全天候単座亜音速ステルス戦闘機で、良好なレーダー、赤外線、目視ステルス能力を持つ。機体全長は20.08m、全幅は13.2m、最大速度は1040km/hである。ステルスの目的を達成するため、F-117Aは独特の外形設計を採用し、レーダーの反射波が単にその機体表面と折れ曲がるところの水平面内のいくつかの狭いビーム内だけに集中する結果をもたらし、ビームが非常に狭いため、2つのビームの間の「微弱な信号は背景騒音との識別が非常に難しく、相手方のレーダーは充分な連続した反射波を得られないため、したがってこの信号が確かに飛行物体から来ているのか、それとも単なる瞬間的に変化する騒音でしかないのかを確定し難い。」

アメリカは研究開発、生産、使用の全過程のいずれのところでも厳格に秘密保持状態とし、1988年11月10日になって、米軍はやっとこの機の存在を発表した。この機は全部で59機生産され、1機あたりの製造コストは4500万アメリカドルで、すでに1990年に引き渡しが完了していた。1989年12月21日、アメリカはパナマに対する軍事行動の中で初めて実戦に投入し、1991年の湾岸戦争の中で、42機のF-117Aが1300回出動し、40%の主要目標がいずれも破壊され、自身はそれにもかかわらず1機の損失もなく、パフォーマンスは出色だった。

米軍はこの実戦機の研究開発のために巨資を投じ、言われているところによればF-117Aは1kg分の価値が、1.5kgの重さの黄金に相当した。しかし米軍を信じられなくさせたのは、念入りに研究開発し、製造コストが非常に高い武器が、ユーゴに行って爆撃任務を執行してたった3日でもう撃ち落とされたことだった。さらに受け入れ難かったのは、第3大隊の兵士が使用したのはとっくに淘汰が宣告された、さらには1970年代にもうすでにユーゴ人民軍に装備されていた旧式なソ連製「SA-2」ミサイルだったことである。F-117Aの残骸がテレビで放送されて非常に長い時間がたった後、アメリカは依然、ただ単に某種の機械的故障によるもので、だからこそ空中の「ナイトホーク」は不時着せざるを得なかったとの主張を堅持した。1999年11月25日になって、アメリカ空軍はやっと書面の形式をもって正式に、失敗は決して軍事的要素だけではなく、同時に技術的原因をも含み、現在のフルセットの工程を改変し、もってレーダー反射波を最低値まで減少させることが必須である、とした。本来すでに注文金が交付され、継続して表品引き渡しが準備されていたもう50機のF-117Aに関しても、米軍はやむを得ず発注を取り消した。

12月5日

 続きです。

https://military.china.com/history4/62/20190508/35850070_all.html#page_2


「ステルス」の秘密を暴く

F-117Aが撃墜された後、各種の推測と議論は多種多様で、人を当惑させた。実際上、某いくつかの複雑に見えるものは実は最も簡単な方法を用いて解答できる。旧ユーゴ人民軍空中監視・ナビゲーション部隊第126旅団のカサヴィカ大尉は語る。戦争中しばしば話される軍事経験は、「アメリカ人はいつも最も先進的で、最も完備された技術装備をもって一切の問題を解決することを希望する。しかし工程、構造のロジックは決して完全に軍事のロジックとは吻合できず、古いものを放棄するのと同時に、しばしばいくつかの新たなまだ生まれていないものをも失う。」というものだった。彼は語る。NATOは、旧ユーゴ人民軍がアメリカあるいはイギリスのものに似た比較的近代化されたレーダーシステムを装備していることだけを知っていた。だが彼らはそれにもかかわらず、ずっと前に旧ソ連から西側が立ち後れていると考えるP-12などの旧式レーダーを輸入していたことを軽視した。近代化されたレーダーの作動する波長は単にセンチメートルとミリメートルだけだが、ソ連製の旧式な電子管レーダーの作動する波長はほとんど2mに達する。「だがまさにこうした老いて歯の抜けたレーダーが、我々の改良を経てより完備させた後、甚だしきに至っては比較的遠距離でステルス目標が発見でき、まさにその援助の下ででもあるが、我々はやっと何度か遅れずNATOのステルス実戦機を発見したのだ。」とカサヴィカ大尉は言う。

3月27日夜、まさに第126旅団のカサヴィカ大尉の連隊はまさに当番中で、レーダーのポストには一等兵のカリック、セキュリックおよびタディック軍曹がいて、大尉も時々P-12レーダー室に入り、部下が目標に対し確認を行うのを援助していた。ベオグラード以西距離100kmの場所で、兵士たちはレーダー上にごく細い、爪の長さを超えない短い線を発見し、付近にはその他のいかなる信号もなかった。相手が自分を発見するのは不可能だと確信していたため、F-117Aは一般にいつも航路護衛戦闘機のない状況下で、野生の馬のように単独行動だった。これがF-117Aだと確信した後、直ちにこの情報をベオグラードの防空任務を担当する、第250旅団ミサイル部隊のラザレヴィッチ上佐に通報し、直ちに命令はまたこの旅団の第3大隊の大隊長であるゾルダン少佐に下達された。

「ごめん、俺はあんたが見えないとは全く知らなかったよ」

F-117Aはボスニアヘルツェゴビナ国境から約40kmのブジャノバツ付近の麦畑の中に落ちた。飛行機全体は基本的に破片に砕け、コックピット、翼および尾翼などの部分だけがなお比較的完全な状態を保持していた。現場ではさらに飛行員のヘルメット、無線、航路図などが探し当てられた。現場から見て、第3大隊の将兵が発射したロシア製「SA-2」ミサイルは、正確にF-117Aの左側の翼に命中しており、このため毎年の3月27日夜20:42分、および11月25日のミサイル旅団成立記念日に、ボスニアヘルツェゴビナの軍隊の第250ミサイル旅団の将兵たちは必ず本文開始時のかの場面を繰り返し、第一刀でケーキで作られたF-117Aの左翼を切り落とした後、ひとしきりの歓呼の中で人々はさらにその他の部分を食べ始めるのである。

落ちた操縦席のガラスには「ケン ウィズ デヴィル」の何文字かが書かれ、米軍は飛行員の状況を全く発表したことはないが、きっとこれこそが飛行員の名前に他ならない。飛行機が命中弾を受けて墜落した後、米軍駐ボスニアヘルツェゴビナ基地は直ちに10機の戦闘機と2機のヘリを派遣し、夜色を利用し、旧ユーゴが捕まえる前にアメリカの飛行員を救出していった。

F-117Aの撃墜は、ベオグラード市内に直ちに「ごめん、俺はあんたが見えないとは全く知らなかったよ!」という風刺のスローガンを貼り出させた。この後、米軍は直ちに自らの爆撃戦術を調整し、もって旧ユーゴのミサイル防空部隊の打撃をメインとした。兵士たちは極めて良く偽装および機動戦術を運用したため、第126旅団空中監視・ナビゲーション部隊はかつて11回爆撃に遭い、兵士1人あたり5、6発の爆弾あるいはミサイルだったが、偽装が極めて良かったため、敵は正確に目標を探知することができず、このため毎回の爆撃はいつも兵士たちからの距離がまだ一定あった。NATOは、全部で旧ユーゴ人民軍の180基のレーダーを破壊したと言明したが、実際には1つも命中弾を受けていなかった。

報復を行うため、NATOはかつて至るところで第250ミサイル旅団の行方を追跡し、この旅団に対し22回爆撃し、このうち2回はさらに正確制御誘導のJDAM(連合直接攻撃弾薬)を使用した。しかし全戦争が終わるまで、全大隊は1人も犠牲にならなかっただけでなく、甚だしきに至っては1人の負傷者もいなかった。このため第250旅団の将兵たちは非常に誇らしげに、「我々こそ真のステルスだ。」と語った。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「旧ユーゴ人民軍に撃墜されたアメリカのF-117A戦闘機の残骸」)


 ラッキーでまぐれ当たりしたようなイメージでしたがこの記述だとだいぶ違う感じもします。これら「旧式な兵器でアメリカの最新兵器に勝った」例は長年中国軍をも勇気づけてきたわけですが、最近ではもう互角、分野によってはアメリカより進んだ兵器を持っている、という自信をつけつつあるようです。

12月6日

 しばらく前同じテーマの記事を紹介しましたがインドの新しい小銃関連です。2回に分けます。

https://military.china.com/tu/06/11119688/20191115/37406080_all.html#page_2


インドもブルパップ銃を使わんとする? だがそれはこの国の国産小銃の土壇場の悪あがき

2019年11月11日、インド国防大臣のラジナット シンは社交メディア上に画像集を発表し、内容は彼が同国の首都ニューデリーのDefConnectという名の展示会に参加したというものだった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「社交ネットワークからのキャプチャー画像」)

よく見て珍しくもない「インドの国防工業は自力更生し、輸入武器に対する依存を減らす必要がある」という官僚的文章に比べ、この画像集の中には非常に興味深いブルパップレイアウトのアサルトライフルがあった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インド国防大臣が手に持つブルパップ小銃」)

一見すると非常に新しく、珍しげに思うが、仔細に一瞥すれば、こうした見るとかっこいい灰色のポリマー部品がいずれも追加装備されたもので、一方その金属レシーバー、レシーバーカバーなどの部品が人に与える感覚は非常に熟知したものだということに気付き、それは他ならぬINSAS(Indian Small Arms System,インド小火器システム)である。

道理はごく簡単で、各国のプレス製レシーバーのAKの系譜の中で、INSASは最もリベットが多いものに数えられるのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ブルパップ化されたINSASのディテール」 「INSASを左から見た図。リベットだらけである」)

このため、これは明らかにブルパップ化されたINSASで、そのブルパップ化改造の過程は「強行組み換え」と称することができ、すなわち元々あったレシーバーに対し新規設計をせず、単に小幅な改修を行い(ショルダーパッドの追加など)、外部にハンドガードなどをフレームとして構築し、グリップ、トリガーをマガジン前方まで動かしたのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インターネット上ですこぶる有名な『強行組み換え』式ブルパップ武器OTs-14 Groza」)

強行組み換えは比較的手っ取り早いが、問題も最大で、往々にしてトリガーの位置関係(肩当て位置からグリップ、トリガーまでの距離)が快適ではない、セレクターの位置が不自然(ふところの中にある)など人間工学的に良くないという問題をもたらし、こうしたものはブルパップ化されたINSASに全て存在する。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「もし当初設計でもう2種のレイアウトを考慮していたポーランドのMSBS(アッパーレシーバーは共用)でも、同様に『強行組み換え』がもたらすトリガーの位置が快適でない問題が存在する」)

仔細に画像を見ると、さらにいくつかの興味深い状況が見て取れる。例えばレール上に装着された予備用機械照準具(BUIS)である。BUISの中のフロントサイトのこのような取り付けはごく正常で、その後方のレールの長さを節約し、もって各種アクセサリーを装着するのに便利である。だがインドのブルパップINSASは、そのリアサイトもこのように取り付けられており、このことはフロントサイトが開けたレールの長さを無にさせる。

(頑住吉注:以下3つはキャプションです。

奇怪なBUISの配置

チャンバー位置のリベットはほとんどレシーバーの縁にあり、このことは人にこの武器の安全性に対し深く疑いを表明させる

フォアグリップはさらに後方に向け折りたためるように設計されているが、画像の中のこの位置で折りたためば、トリガーガードにぶつかるだろう…

INSASを「強行組み換え」したインドの新型小銃を語り始めるならば、やはりINSASに戻らねばならない。INSAS自体の発展の歴史的過程は運命が波乱に満ちていたというべきで、改良も意味不明で、典型的なインドの物語である。1980年代中期、インドは5.56mm弾薬をベースに新型アサルトライフルを研究開発し、もって既存のイシャポール7.62mm半自動小銃(Ishapore、インドがライセンス生産したイギリスのL1A1 、半自動化されかつイギリス製化されたFN FALに取って代わらせることを決定した。

INSASは元々1990年に装備が開始される計画だったが、この節目たるポイントも当然ごくインド的な方式をもって達成されなかった。インド軍・警察のリー・エンフィールド小銃は速やかな交換を必要とし、このため1990年から1992年、インドはやむを得ずロシア、ポルトガル、ルーマニア、イスラエルなどの国から10万挺のAK小銃をかき集めた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「このように時代錯誤な場面は、21世紀になってもまだしばしばインドに出現する」)

1997年、INSASはついに生産に投入された。インドメディアはこのために大規模な勢いづけを行い、人にインド軍・警察部隊はINSASに対し普遍的かつ広範にポジティブな評価を持つ、と思わせた。

12月7日

 続きです。

https://military.china.com/tu/06/11119688/20191115/37406080_all.html#page_2


INSASの基本的特性は次の通りである。ライフリングは6条、ボア内はメッキ、発射速度は毎分650発、射撃模式は半自動と3発バースト、ピストンロングストロークガスオペレーション原理、ボルト回転閉鎖。本質上はやはりAKである。こうは言うものの、INSASは間違いなくインドの兵器庫内で、最も我々の認知する「国産」の概念に近い武器である。非常に明確なイスラエルの影響を受け、例えばハンドガード、ストックの取り付け形式やセレクターのレイアウトがそうだが、INSASは依然AK、プレスレシーバーの流派である(フィンランド、イスラエル、南アはAK機械加工レシーバーの流派)。

INSASのその他のディテールは多くのもののいいとこ取りをしたというべきで、FN FALのガス調節バルブがあり、ガスバルブを遮断し、もってNATO標準の25mmライフルグレネードを発射することができる。折りたたみ可能なコッキングハンドルは左前方に位置し、形はH&K G3に似ている。透明なマガジンはAUGにルーツがあり、20発と30発の2種があり、20発は小銃の標準装備で、30発は軽機関銃型の配置である。

(頑住吉注:以下3つはキャプションです。)

H&Kスタイルのコッキングハンドル

軽機関銃型のINSAS

20世紀末に依然本物の木をハンドガードとストックに大規模応用しており、相当に古風である(後にポリマーに改良)

インドメディアの勢いづけは一度はINSASがあるいは合格点の出せる小銃かと思わせたが、1999年のカーギル戦争の中でやはり各種各様の問題を暴露した。ヒマラヤ山脈の高い海抜、低温の環境下で、INSASは薬莢詰まり、マガジンが裂ける、3発バースト模式が全自動に変わる、甚だしきに至っては潤滑油が射手の目に向け噴射されるなどの問題を暴露した。そこでINSASは長く煩雑な改良の過程の中に入っていった。

2001年、インドはINSAS 1B1改良型を登場させた。だがこれがまた非常に多くの問題をもたらした。例えば、マガジンの破砕である。2005年の衝突の中で、INSAS小銃を使用したネパール軍はある衝突の中で(頑住吉注:「衝突の中」の重複は原文通りです)43名の兵士の死亡という代価を支払い、ネパール方面はINSAS小銃の質の問題がもたらしたと考えたが、インド大使館はINSASの質の問題を認めるのを拒絶し、ネパール方面は訓練が欠乏し、使用が当を得ていないことがもたらしたと宣言した。

2005年、インドはMIR(改良型INSASの略)の研究開発を宣言し、10年後、この小銃は「エクスカリバー」と改名され、さらに「第1の原型銃」と呼ばれた。INSASに比べ、「エクスカリバー」の外観の主要な差異はハンドガード、グリップ、ストックが交換され、レシーバーのリベットの数が減ったことだった。

(頑住吉注:以下2つはキャプションです。3つ目もあるんですがスラングが使われており意味不明です。)

「エクスカリバー」小銃の外形

「エクスカリバー」小銃(左から2番目)とINSAS(右から1、2番目)の対比

2011年になると、インド国防省はINSASの問題は全てすでに解決されたと宣言したが、見る目のあるインドメディアは、インド軍に2009年にINSASの実弾射撃で人員の負傷がもたらされる問題が集中的に出現したのに気付いた。しかもさらに2003年の潤滑油が射手の目に向け噴出するとの公式な報告を発見した。

2015年、インドは一度INSASは7.62mmx51弾薬を使用する新型小銃によって取って代わられると宣言したが、2019年3月、インドはまたロシアと協力し、インド・ロシア私営有限会社(Indo-Russian Rifles Private Limited)を成立させ、インド北方のAmethiに工場を建設してAK-203小銃を生産すると宣言した。

(頑住吉注:以下3つはキャプションです。)

モーディ本人もAK-203のインドにおける宣伝に出席した

外国の武器をインドで生産するのをMake in Indiaとする、この「自力更生」レベルはやはりあまり高くはない

どうせ2人の年長者がハッピーならもうOKなのだ

上述の歴史の回顧から見いだすことができる。INSASは問題が非常に多く、インドはずっと改良に努力したがうまくいかず、AK-203が「インド製造」に変わるにつれ、この銃が最終的に放棄されるのは高い確率の事件である。しかしインドの物語の典型的特性から見て、この過程は必然的に非常に長いものになるだろう。例えば今回横からエピソードをさしはさんだブルパップ化されたINSASであるが、我々の見たところブルパップ化されたINSASは、INSASに代表されるインド国産小火器の最後の輝き、あるいは土壇場の悪あがきでしかない。


 独自にやろうとするのが早すぎた、ロシアやイスラエルの指導を早くからあおいでいれば今頃は、本当の国産小銃ができていた、ということなんでしょうか。

12月8日

 歴史上の珍戦車に関する記事です。

https://mil.news.sina.com.cn/history/2019-04-12/doc-ihvhiqax2089070.shtml


戦車は砲身をなくせる この史上前例のない戦車は達成した

ミサイルを持つ戦車も非常に多く、例えば中国の96A/99/99A戦車、ロシアの現役戦車、こうした戦車は戦車砲を用いてレーザービームによる制御誘導の砲から発射するミサイルを用いることができる。この他さらにイスラエルのメルカバ戦車、および旧式なM48戦車を改装しスパイク対戦車ミサイルを装備するPereh戦車がある。

だが、純粋に砲身のないミサイル戦車は、ソ連だけが研究開発したことがある。我々の印象の中で、戦車というこの種の「陸上の覇者」はずっと堅固で厚く重い車体と火力が強い主砲の結合体で、戦車のシャーシはしばしばその他の各種の機能の工程用車にも改造されるが、これは少しも揺るがされ得ない人々の心中の戦車のイメージである。しかし前世紀、何と主砲を装備していない戦車が研究開発されていた。この戦車こそLT-1である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「LT-1戦車は今静かにクビンカ戦車博物館に置かれている」)

LT-1「ロケット」戦車は、ソ連が1960年代後期に研究開発した無砲塔戦車で、同時にそれは初の唯一専門にミサイルを主要武器とする戦車でもあった。LT-1戦車の設計師はカーカイフで、当初カーカイフはT-62のシャーシをベースにしてLT-1を研究開発した。LT-1の名称は「Istrebitel Tankov」に元があり、直訳すると「戦車破壊者」の意味である。

冷戦後ミサイル技術が急速に進歩したため、ソ連軍は現在主流の戦車の構造を基礎にしたのでは、すでにミサイルから来る脅威に対応できなくなっていることを意識し始めた。そこで1960年代に始まり、コードナンバー150工程のミサイル戦車がUVZ武器設計局で研究開発が行われ始めた。これと同時に、LT-1には競争相手もあり、ほとんど同じ時期、最新のT-64のシャーシをベースに研究開発された「ミサイル戦車」と「台風9N15」ミサイル計画も研究開発作業を展開し、この計画はコードナンバーは287工程だった。

1964年4月の武器試験の中で、287工程はパフォーマンスが良くなかったため取り消しに遭い、最終的にはやはりLT-1方案だけが留保されかつ継続して就役まで行われた。

LT-1戦車のシャーシとエンジンは完全にT-62から取っており、いかなる改造もしておらず、搭乗する3名の乗員には1名の操縦員、1名の砲手、1名の車長が含まれた。後で紹介するミサイル発射器の他に、LT-1は1挺の7.62mmPKT機関銃のみを防御手段として有し、機関銃の弾薬は2000発搭載していた。

LT-1の主要な武器は2KA ATGM対戦車ミサイル発射器1門で、主に発射できるのはPTUR -3M7「Drakon」ミサイルで、このミサイルはSACLOS半自動ナビゲーションシステムと無線電子指令という2種の方式によって協同ナビゲーションが行われ、正確射撃能力を確保した上、「Drakon」ミサイルは250mmを超える厚さの均質鋼板を撃ち抜くことができ、一般に命中角度60度以内では必ず有効な貫通深度が保障でき、「Drakon」の最長射程は3.5kmに達し得た。また理論上LT-1がT2-PDおよびUPN-S夜視装置を搭載した後、非凡な夜間作戦能力を持つはずだったが、実際の試験によれば、夜視装置の搭載はミサイルの最大有効射程を決して保障できず、夜間「Drakon」はたった600mの作戦半径しか持たず、制限が多かった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「LT-1戦車の2KA ATGMミサイル発射器と『Drakon』ミサイルの特写」)

LT-1は15発の「Drakon」を搭載でき、このうち12発は自動装填装置上に置かれ、もう3発のミサイルは砲塔後方の容器の中に置かれていた。

だが1960年代末期になって、「Drakon」ミサイルの性能はどんどん不足が目立ち、かつ弾薬の数が比較的少ないことが加わり、このため軍は徐々にこの戦車に対する期待を下げ始め、またLT-1戦車の設計には欠陥が多く、これには過度にかさばって重い、電子部品が立ち後れている、視野の死角を持つことが含まれ、このため1970年になると、LT-1の退役も必然となった。(作者の署名:科羅廖夫)


 航空機ではミサイルがほとんど完全に砲に取って代わっており、開発当初は戦車でもそうなるはずと思ったのかもしれません。挙げられている欠点の多くは改善が可能と思われるものですが、そもそもミサイルを搭載するならこんな高価な車両でなくてもいいですよね。

12月9日

 中国の戦車輸出関連です。

https://mil.news.sina.com.cn/jssd/2019-12-06/doc-iihnzahi5620022.shtml


中国のVT5戦車バングラディシュに輸出 性能はインドのT-90を圧倒 鉄の盟友パキスタンも購入したがる

作者の署名:軍人の家倶楽部 工程師

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「バングラディシュ最新の国防宣伝フィルムの中にVT-5が出現したシーン」)

最近、バングラディシュ国防省は正式に、同国陸軍はすでに一個連隊規模のVT-5軽戦車を購入し、しかもこうした戦車はもうすぐバングラディシュ陸軍入りして就役する、と宣言した。理解されているところによれば、一個連隊のVT-5の総数は44両に達し、バングラディシュにとってこれは膨大な支出である。提示しておくに値するのは、これが中国新型戦車初の大量就役してもう同時進行で輸出されるという記録をも創造したことであり、中国戦車の性能を側面から証明してもいる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「動態展示中のVT-5戦車 ライトから判断して旧タイプのはずである」)

VT-5はもっぱら輸出に供する軽戦車であるが、実際にはそれは中戦車の範疇に納めるべきで、結局のところ全搭載状態下でその作戦全備重量はすでに35トンを超えている。それは陸軍自ら用いる15式軽戦車と極めて深い血縁関係がある。VT-5は主に高原作戦環境に重点を置き、特に強調するのは機動性能で、その馬力:重量比は現在の先進的な第3世代メインバトルタンクをはるかに超え、高原での機動性能は極めて非凡である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ニュータイプのVT-5は流行のLEDライトを採用しており、ハードウェア方面にグレードアップを行っている」)

火力方面では、VT-5は西側諸国のようなチャンバープレッシャーの低いこの口径の主砲を決して採用しておらず、さらに一歩105mmライフル砲のポテンシャルを掘り起こし、超越的に細長い尾翼で安定するサブキャリバーサボ付き徹甲弾を採用することによって、それに第3世代戦車と同等に優れた火力を直接持たせている。105mmライフル砲は体積がより小さいため、さらに非常に大きく砲塔のスペースを節約している。このことからVT-5戦車が火力方面において行ったのが決して妥協の道ではないことが見て取れる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「西側の戦車により近いVT-5の砲塔」)

一方防御方面でもVT-5は極めて全面的に考慮されており、メイン装甲の垂直に近い角度から、それは先進的なチョバムアーマーを採用し、装甲の貫通に抗する性能を極めて大きく増加させている可能性がある。さらに同時に先進的な爆発反応装甲が搭載できる。新型爆発反応装甲は30%近く徹甲弾の貫通能力を削減することができ、さらに同時に非常に大きくVT-5の成形炸薬弾に抗する能力を増強させる。全体的に言ってVT-5はすでに西側の初期第3世代メインバトルタンクの防御水準に到達、甚だしきに至ってはさらに超越しており、これは非常にたいした成就である。ごく明らかに、高原作戦環境下で、VT-5は機動性、防御能力でも火力でも全てインドで現在最も先進的なT-90メインバトルタンクを全面的に圧倒でき、パキスタンもこの性能が先進的な軽戦車を購入したがっている。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「改装を受けつつある053H3護衛艦」)

近年来、中国とバングラディシュ方面との協力が不断に深化するのと共に、バングラディシュの国防調達も全面的に中国寄りになっている。まさにバングラディシュ国防省がVT-5軽戦車を発注したとの情報を発表した時、2隻のすでに退役した053H3型護衛艦が上海の某港に停泊してリニューアル、グレードアップを行っており、関連の作業が完成した後、この2隻の護衛艦はバングラディシュ海軍に引き渡される。これまでにバングラディシュ海軍はすでに1隻の053H1、2隻の053H2型護衛艦を持っており、しかもさらに連続2回に分けてそれぞれ2隻のC13B型軽護衛艦を購入している。これは中国の056軽護衛艦の輸出バージョンであり、これらは近年来バングラディシュ海軍が唯一購入した全く新しい作戦艦艇でもある。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「画像はバングラディシュのVT-3」)

近年来中国戦車は国際的に徐々に頭角を現し、この前タイが500万アメリカドルを超える単価を払ってVT-4メインバトルタンクを購入したのはまさに1つの例である。実際これはバングラディシュ初の中国戦車との接触でもなく、かつてもう一個連隊(44両)のVT-3メインバトルタンクを購入したことがあり、今回は初のVT-5戦車の購入国となり、バングラディシュの中国戦車に対する信頼を見出すことができる。


 中国陸軍用の就役と共に輸出もできるというのは生産力の充実も示しているんでしょう。「T-90メインバトルタンクを全面的に圧倒でき」に関してはおそらくロシアには違う言い分があると想像されますが。

12月10日

 今日も中国の兵器輸出関連です。

https://mil.news.sina.com.cn/jssd/2019-12-06/doc-iihnzahi5619321.shtml


パキスタンは何故殲ー10Cを買わないのか 別の考え方がある あるいは殲ー16を購入か

作者の署名:新小神兵

近年来、パキスタン空軍に言及するたびごとに、我々から150機の「梟竜」戦闘機を購入したことを除き、最もしばしば聞くのは殲ー10輸出に関する情報である。しかし最初の殲ー10Aから今日の殲ー10Cまで、この機はすでに換骨奪胎に近い大規模改良を経歴し、第3世代から第3世代半戦闘機の中の優秀者に変わっているが、それにもかかわらず終始パキスタンサイドの歓迎を受けることができていない。これに対し、外界はしばしばパキスタンに「金がない」ことをもって解釈を加えている。しかしパキスタン空軍の指導層および普通の飛行員のパフォーマンスから見て、彼らが真に気に入っているのは殲ー10のたぐいの中型戦闘機に比べより「デラックス」さを加えたもののようである‥‥

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「パキスタン飛行員がスホーイー35の模型を仔細に視察する」)

少し前のドバイ航空展で、パキスタン空軍代表と飛行員はロシア製スホーイー35戦闘機の模型の前で長く足を止め、かつロシアサイドの展示参加商にこの機の性能データを詳細に説明させていた。比較すると、初めて海外の航空展に姿を現した殲ー10CEはそれにもかかわらずパキスタンサイドの歓迎を獲得できていない。同様の場面は今年8月の中国・パキスタン「雄鷹-VIII」大規模空軍合同訓練の中でも出現し、殲ー10Cに比べ、パキスタン軍は我々の殲ー16や殲ー11B戦闘機の参観や体験をよりしたがり、多くのパキスタン飛行員はさらに後部座席で殲ー16および殲ー11B戦闘機の空中飛行性能を体験した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「パキスタン飛行員が殲ー11BS戦闘機の後部座席に座る」)

パキスタン空軍にとって、双発大型戦闘機に対する興味が明らかに単発中型戦闘機あるいは小型機に対する好みより大きいことが難なく見て取れる。注意に値する点は、パキスタン軍現役戦闘機が皆単発戦闘機で、1機も双発大型戦闘機はないことである。この種の状況が出現するのは、パキスタンの経済水準に限りがあり、コストの高い大型戦闘機を負担し難いことと直接の関係がある。また、パキスタンの国土面積が狭小なことも1つの客観的原因である。単発中型あるいは小型戦闘機の作戦半径で領空を防衛するのに足り、コストの高い双発戦闘機を使用する必要はない。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インド空軍のスホーイ-30MKI大型戦闘機」)

冷静に論じれば、小国の空軍に対しては、この種の考え方の筋道は責められない。しかしパキスタンはそれにもかかわらずどうであろうともインドから来る脅威を軽視できない。今年以来、インドはフランスから輸入した第3世代半戦闘機「ラファール」の第一陣を受領した。かつロシアに向け新たに購入する18機のスホーイ-30MKI大型戦闘機の組み立て権の請求を提出した。同時に、インド空軍は依然国際市場から114機の戦闘機を輸入するチャンスを継続的に探究している。

最も最近の国内の「ゴールドヘルメット」空戦対抗演習の中からは、殲ー16および殲ー11に代表される双発大型戦闘機は単発中型戦闘機である殲ー10に比べ顕著に優位を占めることが難なく発見される。双発戦闘機は空中のエネルギー保持および回復方面でいずれも単発戦闘機に比べ優勢がある。ミスの許容率がより高いため、殲ー16あるいは殲ー11の飛行員が何のミスも犯しさえしなければ、殲ー10は一対一の格闘空戦の中で一撃で致命傷を与えるチャンスを探し当てるのが非常に難しい。格闘が長くなるほど、単発戦闘機のエネルギーの劣勢は顕著になっていく。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「『梟竜』は先進的だが作戦半径に限りがある」)

このため、技術レベルではパキスタンが輸入した「梟竜BLOCK3」はすでに第3世代半戦闘機の水準に迫っているが、体型がコンパクトな単発戦闘機として、「梟竜」の性能の掘り起こしポテンシャルが大型戦闘機と比較されるものであることは絶対にあり得ない。しかも大型戦闘機との長時間の格闘での勝率を保証することは非常に難しい。その身が小型機である「梟竜」系列がどんなに先進的であっても、先天的な体積が燃料搭載量を決定しており、さらには航続距離と作戦半径を決定しているからなおさらである。たとえパキスタン空軍がどんなに多くの「梟竜」を装備しても、この機は防御をメインとする装備であり、インド空軍に向け彼らのような空中攻勢を発起することはできない。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「パキスタンの飛行員が殲-11BS戦闘機と共に撮影」)

このように考えると、パキスタン空軍が上は将官、下は普通の飛行員に至るまで、全て大型戦闘機に対しより歓迎する原因も難なく理解される。この角度から言って、パキスタンサイドはあるいは長年の空軍発展戦略を改変し、米軍に似た「攻勢制空」思想の建立を企図しているのかもしれず、殲-10Cの「冷遇」は難なく理解される。逆に考えると、パキスタンに殲-10Cをセールスするよりも、我々はあるいはパキスタンに向け殲-11系列大型戦闘機を推薦できるか否かを考えてみるべきかもしれない。これこそおそらくパキスタン空軍がより欲しがっているものだろう。


 殲ー10だと既存の梟竜との差が小さすぎて新規に導入するほどのメリットがないとも考えられます。ロシアがスホーイー35をパキスタンに売ろうとするポーズを見せるのはインドに対する牽制かもしれず、本当に売ってもらえるのかやや疑問でもあります。スホーイー35と殲ー11、殲ー16の価格差はどのくらいになるんでしょうかね。

12月11日

 日本関連です。

https://mil.news.sina.com.cn/jssd/2019-12-06/doc-iihnzhfz3968502.shtml


日本の防衛大臣がスホーイ-30を見学 試験操縦して性能を体験 あるいは殲-16に対応するための準備をしたのか

作者の署名:兵器次元

最近、インドの「ニューデリーテレビ局」の報道によれば、日本の防衛大臣である河野太郎が自らインドに行って訪問を行い、両国が行う合同空中演習の件を協議したが、この期間に河野太郎はラジャスタン州空軍基地を参観し、かつインド空軍が装備するスホーイ-30MKIに対し非常に興味を感じた。知られているところによれば河野太郎は自らスホーイ-30MKIのコックピットに座って模擬試験操縦し、かつ詳細にこの戦闘機の性能を質問した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「河野太郎がスホーイ-30MKIに搭乗」)

河野太郎はインドの飛行員の説明を聞き終わった後、スホーイ-30MKIの性能に対し絶賛して止まず、日本の自衛隊にはこの種の航続距離の長い高機動戦闘機が欠乏しているが、日本の隣国も類似のスホーイ-30戦闘機を装備しており、しかもさらにより新型の殲-16戦闘機を生産しつつあることを認めた。河野太郎は日本の飛行員がインドのスホーイ-30MKIと勝負し、できる限りこの戦闘機を熟知し、殲-16に対応するために準備を整え得ることを希望した。

河野太郎はスホーイ-30MKIはベクトルエンジンを装備しており、機動性方面で日本の自衛隊のあらゆる戦闘機を超越し、より多い燃料はスホーイ-30MKIに欲しいままにアフターバーナーを使用して持続機動できるようにさせ、全NATOにスホーイ-30に似た戦闘機はなく、このため日本の自衛隊はこの種の戦闘機に対抗する経験が欠乏し、インド空軍と合同軍事演習を行うのは得がたい機会だ、と考える。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「殲-16」)

河野太郎がこのようにインド空軍との演習を重視する、主要な原因は隣国の殲-16戦闘機に他ならない。殲-16はスホーイ-30に似た空力外形を採用し、かつ全部国産レーダーとエンジンに換装し、将来日本の戦闘機は公海上で頻繁に殲-16に遭遇することになる。河野太郎は殲-16はベクトルエンジンを装備しておらず、もし日本の飛行員に機動性がより良いスホーイ-30MKIに対抗する能力があれば、将来殲-16を圧倒する事は問題にならない、と考える。

だがインド方面は河野太郎に注意を促した。殲-16はより先進的な航空電子システムと射程がより長い空対空ミサイルを装備しており、超視距離打撃能力がより強い、と。河野太郎はこれに対して決して心配せず、何故なら日本はすでに98機のF-15J戦闘機のグレードアップを開始し、F-15JにAPG-82(V1)アクティブフェイズドアレイレーダーと電子対抗システムを装備することになっており、殲-16の航空電子の優勢を打ち消すに足り、近距離格闘時F-15Jには小さからぬ勝算があるからである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「インドの飛行員が河野太郎のためにスホーイ-30の性能を説明」)

知られているところによれば日本とインドは「2+2協議」を行い、インド空軍は初めて日本にスホーイ-30を派遣することになり、双方は大規模対抗演習を行い、日本はF-15、F35を含むあらゆる機種を派遣し、日本の飛行員はさらにスホーイ-30MKIを自ら試験操縦するチャンスがあり、ひとたび日本の飛行員がスホーイ-30MKIを熟知すれば、殲ー16に直面しての勝率が非常に大きく増加することになる。


 石破氏ならともかく河野氏にこんな知識本当にあるんですかね。アメリカの軍人がスホーイ-30、インドの軍人がF-35にどの程度接触できるのかも気になります。

12月12日

 韓国関連です。

https://mil.news.sina.com.cn/jssd/2019-12-06/doc-iihnzhfz3965931.shtml


韓国の宇宙小銃が失敗に終わる:中国を超えアメリカに追いつくと称する 眼高手低で知障銃となる (頑住吉注:「眼高手低」は批評する時は立派なことを言うのに実際やらせてみれば能力が低い、といった意味らしいです。)

外国メディアの報道によれば、現地時間12月4日、最新の韓国国防プロジェクト促進委員会で、韓国国防省の高官である鄭京斗(音訳)は正式に対外的に、韓国によって自主研究開発されたK-11ダブルバレルエアバースト式多用途兵個人武器システムプロジェクトは、現在すでに完全に終了させられている、とした。K-11は最も早く就役する全世界初の量産型「スマート小銃」とされ、それが有名になるのがはなはだ早く、かつ韓国はまたこの銃の主要な性能が世界のその他の同類武器を超越していると宣言し、この中には当然中米も含まれ、このためK-11は一度ちまたでふざけて「宇宙小銃」と呼ばれた(頑住吉注:中国では韓国を「宇宙の大国」と皮肉って呼ぶことがあります)。

K-11は韓国のデーウーグループによって研究開発され、プロジェクトの発起された時期はおよそ2000年前後で、この銃は最も早くは2006年に公開されお目見えし、2008年にはもう少数が引き渡されて韓国陸軍に使用され、かつ2010年に正式に部隊装備された。韓国の他に、アラブ首長国連邦もおよそ40挺のK-11を購入し評価試験に用いた。中東の土豪のおかげで、K-11は今まで数多くない対外販売に成功した記録を有するスマート小銃ともなった。

K-11がスマート小銃と呼ばれるのは、この武器を構成する核心部分、まさにその先進的な情報処理システムゆえにである。このシステムは視察照準設備、弾道計算機と火力コントロールシステムを全て一体に整合し、兵士のために作戦支援を提供することもできれば、戦場情報を遅れず後方に伝達し、もって指揮機構が戦場の動態を掌握するのに便とすることもできる。K-11の武器システムは主に小銃とグレネードランチャーによって構成され、先進的な情報処理システムは5.56mm小銃弾および20mmプログラム可能榴弾の2つの弾薬種類の作動模式を併せ配慮できる。

聞くとまるでかなりの神業のようだが、実際にはK-11はアメリカのOICW「ランドウォリアー」理想兵個人武器のパクリ版に他ならない。アメリカは1990年代には早くもすでにOICWプロジェクトを発起したが、後に技術やコストなどの要素ゆえに、OICWは堅持していけなくなった。OICWプロジェクトの原型小銃XM-29はXM-8アサルトライフル、およびXM-25スマートグレネードランチャーという二大プロジェクトに分けられたが、これも種々の原因ゆえに徐々に大衆の視野から薄れて行った。

OICWプロジェクトは成功を獲得できなかったが、アメリカ人はそれにもかかわらずこのために全世界を範囲としてスマート小銃の熱いブームを湧き起こし、世界のそれぞれの軍事強国は次々にスマート小銃研究開発ブームの中に身を投じ、この中で比較的有名なものには中国のQTS-11、イギリスのFSV、フランスのFELIN、ロシアの「ウォリアー」、イタリアのSELEX、ドイツの「短剣」およびポーランドのUhlan21等々がある。

QTS-11はこうしたスマート小銃の中で最も成功に近づいたものかもしれない。このかつて国内のネット仲間に親しく「戦略小銃」と呼ばれた理想兵個人武器は、最大限OICWのメリットも留保しているし、同時にまた他国のスマート小銃の設計の上でのまずいところを放棄しており、相対的に我が軍の需要に符合した新型小銃である。QTS-11は実際にすでに少数が部隊に支給されて使用されているが、最終的にはやはり流行にはなり得ていない。

前述の各国が研究開発したスマート小銃プロジェクトは、最終的に大多数がすでに自滅状態だが、韓国人の韓国人のK-11はそれにもかかわらず例外中の例外のようである。この銃は2010年に韓国陸軍に引き渡された後ずっと問題が絶えなかった。相次いでバレル破裂、命中率低下、火力コントロールコンピュータ故障などの弊害を暴露した。韓国陸軍は元々3000挺のK-11を購入する計画だったが、2014年までに900挺あまりしか装備しなかった。その後軍はもう性能低劣を理由にK-11プロジェクトの停止を叫んだ。

第1世代のダメさは直接第2世代に引き継がれ。2017年、デーウーはまた第2世代のK-11を登場させ、言われているところによれば第2世代のK-11はすでに大部分の問題を解決し、重量と故障率はいずれも制御されている。だがこの時の韓国軍はK-11プロジェクトに対しすでに忍耐心を喪失しており、偉大なる宇宙小銃はついに今年12月完全に終わった。スマートフォンが造れることは決して直ちにスマート小銃が造れることを意味しておらず、うまく造れないどころかさらには知障小銃となる可能性がある。韓国人はおそらくこの点を意識するに至っている。時はやや遅かったものの。(航空ネットより)


 まあ難しいだろうなとは思っていましたが。一方中国のスマート小銃には大きな問題は伝えられていませんが、問題がないのか情報が漏れてこないだけなのかはわかりませんね。
























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